チェーンと視線


 星子の予約していたフレンチレストランは、思ったより馴染みやすい店で、テーブルマナーもおぼつかないような、そんなお粗末な僕でも、難なく堪能出来る居心地の良い店だった。

 星子はそんな事も分かっていて、敢えて高級だけど入りやすい店を選んだのだろう。

 食の女神の気遣いに感謝しないと。


「ありがとな、星子。……そうだ、今度四葉ちゃんも連れてってやりたいな。」

「四葉ちゃんは食べるの大好きだからな。……ま、それより何より、いいや、喜んでもらえたなら本望だよ。ボクも奮発した甲斐があるってもんさ! お返し、期待してるぞ?」


 女神は悪戯に笑い、僕を見上げる。若干百五十五センチ程度の星子は、笑顔を見せる時、いつも僕を見上げる。それでも僕の周りにいる女の子の中では背の高い方ではあるのだけど。

 朱里さんくらいだろう、星子より背が高いと言えば。四葉ちゃんはまだまだ成長期だし、ナツナツなんて自販機の一番上のボタンが押せないのだから、比べるまでもなく。


「おーい、咲良君? また妄想の世界に入ってたな? こんな美少女が隣にいるってのに。」

「あ、ごめん。……て、自分で美少女とか言ってんなよ。……まぁなんだ、確かに今日の星子は……何というか、い、良いと思うけど?」

「……え?」

 お、照れてる照れてる。

「お洒落すれば、絶対モテると思うんだけどな。」


 星子は珍しく頬を染め、少し慌てたような声を出す。中々可愛いところがあるじゃないか。


「茶化すなって、咲良君。別にボクはモテたいなんて思ってないんだから。」


 ……ッ……ッ……

 ……またか。

 少し前から、ずっと僕のポケットでスマホがバイブしている。……確認したいのだけど、星子を家まで送ってからにしよう。


 ——

 町を一つ、跨ぐように二人で夜道を歩き、間もなく星子の家に到着した。尾姐咲でも一際目立つ、背の高い高層マンションの一室が星子の部屋であり、仕事場でもある。


「こ、ここでいいぞ、ありがとな、咲良君。こんな所まで送ってくれて。」

「いや、僕の方こそ、今日はありがとう。」


「…………」「…………」


 あ、沈黙が……えっと……


「そういえば四葉ちゃん、ちゃんと夕飯食べたかな?」

「気になるのか? 相変わらず、シスコンだな咲良君は。はやく帰ってあげなよ?」

「そ、そうだな。そうだ、今度は皆んなで一緒に集まろうな。中々個性的な面子が揃ってるからさ。星子が来てくれたら色々と助かるし。」

「う、うん、そうだな……考えとくよ。」


 星子に手を振り、そして背を向けた、その時、——確かに星子は小さく呟いた。


「ほんと、ラノベ主人公……」




 ——

 僕は一人、歩いて帰路につく。スマホを確認すると、ラインの通知が数件。

 ……相手は、全て四葉ちゃん、か。

 ——どれどれ? さみしくてラインしてくるとか、普段はツンツンしてる癖に可愛いじゃないか。


 ——何時に帰るの?——

 ——もう九時過ぎたけど?——

 ——四葉頭痛い、薬買ってきて!——

 ——お兄ちゃん何してるの?——

 ——今どこ?——


 ……重い! 重いよ四葉ちゃん! 四葉ちゃんは束縛の激しい僕の彼女か? まるででもされているようだ。とにかく重いぞ四葉ちゃん!

 ……あれ、頭が、痛い?——

 そうか、体調を崩してるのか。こりゃのんびりしてられない。薬買って帰らないと。

 確か、この辺りにコンビニがあったはず。そこなら頭痛薬くらいは置いてるだろう。


 —————視線。


 やけに生臭い視線を感じた僕は咄嗟に振り返って、「なんだ……」と一人、声を漏らした。いつもの茶トラ猫が、僕の後ろにいた。茶トラ猫は鯖を咥えて、僕を見るなりプイッと横を向いた。そして闇の中へ去ってしまった。

 確か、ぬこって呼ばれてたよな、アイツ。


 ——

 午後十時五十分。静まり返ったアパートの階段を登ると、足音がいつもより大きく響く。

 僕は鍵を差し込み左に捻る。……ガチャン、と、この音も静かな敷地に響き渡る。


「ただいま〜? 四葉ちゃ……んぁっ!?」


 ……ドアが開かない!? いや、開いたのは開いたけれど、その幅わずか数センチ、視線の先には銀色の鎖がピンと張っている。どういう事かと言うと、つまりはチェーンがかけられていて、玄関のドアが開かないということだ。しかし何故チェーンが?


 僕は、チェーンより少し下に、……自分の目線をもう少し下にさげ、この上なく情けない、悲鳴じみた声をあげた。

 そこには狂気に満ちた眼球が光っていた。

 僕は流石に、……これには流石に声をあげた。あげざるを得なかった。普通に怖い。


「……嘘つき。」


 それは怖いって四葉ちゃん! 眼球の正体は、四葉ちゃんの大きな瞳だった訳だけど、そんな低い位置から、目をこれでもかと見開いて睨み付けられるとか、誰でも驚くよ!?

 ……驚かない方がおかしいと思う訳だ。


「嘘つきって……何言ってるんだ四葉ちゃん? ……ほ、ほら、チェーン外してくれないか?」

「……やだ。」

「何を拗ねてるんだよ? ……わ、悪かったよ、遅くなって。とにかくチェーンを……」

「無理。」


 あぁ……怒ってらっしゃる。四葉ちゃんのスイッチが、いまいち掴めない。


「そうだ、四葉ちゃん、頭が痛いってラインくれてただろ? 薬、買って来たぞ。どれ、おでこ出してみな、熱があるかも知れないだろ?」

「えっ……お兄ちゃ……?」


 僕は四葉ちゃんと同じ高さに屈み、数センチしか開いていないドアの隙間に左手を入れると、四葉ちゃんの肩を支え、右の手のひらで可愛いおでこに触れてみた。……どうやら熱はない、みたい。


「良かった、熱はないみたいだな。でも無理はするなよ? 薬、飲んだら早めに休まないと。」

「……お兄……ちゃん?」

「どうした? そんな、鳩が豆鉄砲を食ったような顔して? ほら、チェーン外して?」

「う、うん……わかった。」


 四葉ちゃんの顔が赤い。やっぱり無理してるんだろうな。ラインをすぐ見てやれてれば良かった。

 少しすると、チェーンを外す金属音が静かになり、玄関のドアが開いた。

 四葉ちゃんは両手を後ろで組み、きまり悪そうに僕を見上げてくる。


「ただいま、四葉ちゃん?」


 僕が言い切る前に、僕の胸に四葉ちゃんが飛び込んで来た。軽い四葉ちゃんとはいえ、唐突な体当たりの威力は中々のものだ。——僕は何とか踏ん張り抱きついて離れない四葉ちゃんの頭を撫でてみた。

 抵抗は、ない。寧ろ、落ち着いたように静かになった。そうか、ちょっと寂しがり屋になっちゃったか。小さい頃から、本当、変わらないな。


「兄ちゃんが帰って来たんだから、もう安心だ。」


「はっ!? ち、調子に乗らないでっ!」


 ……四葉ちゃんは僕を跳ね飛ばした。


 四葉ちゃんは僕を跳ね飛ばした。……敢えて二回、ここは敢えて二回言っておこう。


 突然の攻撃で僕は文字通り跳ね飛び、後方の壁に身体を打ち付けた上に後頭部を強打した。


「お、お兄ちゃんが嘘つきなのは変わらないんだかねっ?」

 と、息を荒げる。四葉ちゃんの悲鳴にも近い甲高い声が、見事に響き渡りこだまする。


「だから、その嘘つきってのはどういう……」


「……でも、

 心配してくれたから……それに、……と、特別に、許してあげてもいい、かな。」


 頬を赤らめ、細い身体を捩らせる四葉ちゃん。

「……許して、くれるんだ。」


「か、勘違いしないでよね!? べ、別にお兄ちゃんの気を引くために仮病を使ったとか、そ、そんなんじゃないんだからねっ! 許すのは、四葉の気まぐれなんだから、か、感謝しなさいよね!」


 仮病、使ったんだ、四葉ちゃん。


「なら、薬飲まないとな。」

「あ、何だか体調、治ってきたみたい。」

「嘘つけぃ!」

「お、お兄ちゃんこそ、嘘つきでしょ?」

「僕がいつ、何処で嘘をついた? 証拠は?」

「し、証拠は……ない、けど……」


 昔から薬嫌いだな、四葉ちゃん。と、そんな事を頭に巡らせていると、隙ありとばかりに四葉ちゃんが奥へ逃げ込んだ。——僕は慌てて追いかけたのだけど、時すでに遅し、——四葉ちゃんは僕の部屋に閉じこもってしまった。


 可愛い妹に束縛されてるこの感覚は悪くないけれど、何故、四葉ちゃんはこんなに……年頃の女の子は扱いが難しいってことかな。

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