揺れる尻尾とピンクの甲羅

 四月八日、

 新学期が始まった。

 ……始まった、のだけど、僕の生活に変化はない。相変わらず部屋は占拠され、寝床もリビング。勿論、四葉ちゃんは絶賛引きこもり中だ。

 アパートを出るといつもの自動販売機、——児童に優しい自動販売機がポツリと哀愁を漂わせている。

 ——コイツ、あんまり人気ないのかな。


 すると、僕の視界にピョンピョン跳ねる二本の尻尾が映った。一歩、一歩、歩く毎に、ピョンと跳ねる可愛らしいそれの少し下には、それまた可愛らしいピンク色の甲羅を背負っている。

 そんな愛らしさの塊は、僕の視姦に気付き、くるりんと振り返る。そして、


「ひゃぁっ!? ち、近寄らないで下さい!?…です! ま、まさか本物とは思わずっ、ほ、本能を刺激してしまってごめんなさい、では、わたしはこれで!」


 何故だろうか。いつもあんなに懐いてくれていたのに、まるで汚物を見るかのような表情で僕を見たナツナツだった。

 ナツナツは可愛らしいツインテールをピョンピョンさせながら、ピンク色の甲羅、ではなく、ランドセルを揺らし走り去ってしまった。——その際、ナツナツが一冊の本を落としていった。

 僕は慌てて呼び止めたんだけど、ナツナツは遥か向こうまで凄い勢いで走り去ってしまって、……つまりは、僕の声は彼女に届かなかったということ。


「これ、エロスの二巻じゃないか。」


 封は開けられている、読んでいる最中ということかな。……そうだ、……っ

「やっぱり、栞が挟まれている。」

 ……これは、何とかしてナツナツに返してやらないと、きっと続きを楽しみにしているに違いないし。ナツナツ、エロス好きなんだな。何というか、ませた小学生だよ。


 僕は、異世界チート勇者エロスを鞄にしまった。とにかく今は会社へ急ごう。



 ——

 そして午後五時。僕は慌てて帰り支度をして、朱里さんに挨拶をすると、すぐに会社を出た。駄菓子屋の前で黄昏れる、のじゃ子に一瞬、……ほんの一瞬、気を取られながらも、駆け足であの場所を目指した。あの柔らかそうな頬っぺを突きたい衝動を必死に抑えながらあの場所へ。

 ——あの場所、そう、朝、ナツナツと会った商店街の入り口付近だ。


 僕が現場に到着すると、そこにピンク色の亀さんがいた。地面で四つん這いになった彼女は小さなおしりをツンと突き出して、何かを探している様子だ。

 恐らく、いや、間違いなく、探している物は僕の手にあるのだけど。


「ナツナツ?」


「ひぃっ!?」と、ナツナツは振り返ると同時に尻もちをつき、それこそひっくり返った亀のように手足をバタつかせ、大声で叫び出した。


「ち、近づかないでくださいなのですーっ、さ、咲良兄さんが本物のロリコンとは思ってもなくて、えっと、わ、わたし、まだ小学生でして! ……え、だからその……まだ……小学生でしてっ……」


 ロリコン、だと? ナツナツは何を誤解しているのだろうか。……ロリコン、ロリコン、……まさか……いや、そんな訳、ない……

 そもそも、彼女は太陽の光に弱い。

 ——しかし、

 ……と、いうことは、あの視線も……? ……そうか、あの位置なら、あの場所から見ることだって出来たんだ。

 そもそもがあの時、眠っていた保証なんてないんだから。

 だからといって、どうして?


「ナツナツ、その……僕がロリコンだって、誰かに言われたのかい? ほら、手かしてあげるから、とりあえず起き上がって、話をしよう。」

「あぅ……このまま制服を引き裂かれ、ナツナツの胸は揉まれてしまうのです……」

「揉まないし、そもそも、揉むほどないだろ。……ほら、大丈夫だから、その情報をよこした誰かの特徴とか、教えてくれないか?」


 ナツナツは渋々、僕の手を取り身体を起こすと、目を合わさずに口を開いた。


「深く帽子を被っていたので、あまり顔は見えなかったんですけど……そう、確か……の女の人でした。この辺りではあまり見ない感じの。」


 茶色い髪。……栗色の髪、四葉ちゃん?

 ……でも、何故? 何故そんな事を?

 僕がナツナツと話しているだけで、四葉ちゃんが怒った?そういえば、ナツナツと話した日の夕方、家に帰った途端に縛られて……

 ——あの時、四葉ちゃんは言った。


 お兄ちゃんって、ロリコンなの? ……って


 確かに言われた。僕が小学生の、ラノベを通して少し仲良くなっただけの夏野夏菜ちゃんと話していただけで、四葉ちゃんは嫉妬した? まさか……

 それは思い上がりも甚だしいってやつだろ。でも、それ以外は考えられないか。

 とにかく今は、ナツナツの誤解を解かないと。


「ナツナツすまん。……それは多分、僕の妹だ。」

「……妹、さん?」


 キョトンと首を傾げたナツナツに、僕は春休みに起きた事を簡単に説明して、四葉ちゃんと共同生活をしている事を明かした。

 すると、ナツナツは少し考え、


「……もしかしたら、それは嫉妬かも知れないのです。四葉姉さんは、咲良兄さんの事が大好きで、誰にも取られたくないから、嘘をついたのかも知れないのです。女の勘が、そう言ってます、です。」

「え? 四葉ちゃんが? それはないだろ。……風呂の度に、兄を拘束するような、色々ネジの外れた妹が、僕を好きな訳がない。そもそも、僕達は兄妹であって、お互いそういった感情は……」


「妹さん、いえ、四葉姉さんは『妹物』のラブコメを咲良兄さんに読ませている、つまり、それは妹物のラブコメヒロインに、自分を重ねているのです! ……ラノベに限らず、小説や漫画、そういったものを読む時、少なからず、主人公やヒロイン達に自己投影、感情移入するのはわかりますです?」

 ナツナツは僕の目を見て、至って真剣に、そして小学三年生とは思えない丁寧な解析をはじめた。


「……わかります、です。」

「そうですか……禁断の愛……ムフフ、それで咲良兄さんをロリコンに仕立て上げ、わたしから遠ざけようとしたんです! でもでも、こんな風に嫌がらせをしちゃっては、ヒロインどころか、下手すれば悪役令嬢です。何とか分からせてあげないと。」


 悪役令嬢? ……聞いたことあるな。

 俄かに信じ難いけれど、何はともあれ、ナツナツの誤解は解けたようで何よりだ。そうだ、これを返してやらないと。

 ……僕は鞄にしまっておいたエロスの二巻を、ナツナツに差し出した。


「あぁっ! ……咲良兄さんが拾っていてくれたのです? ……良かったです……あんなモヤモヤするところで、読めなくなるなんて地獄に等しい苦しみを味わうところでしたよ、です。」

「これで僕がロリコンではないと証明は出来たな。」と、僕はナツナツの頭をポンと撫でて愛でる。ツインテールがピョンと跳ねて、小さな身体をキュッと縮ませ、くすぐったいと笑うナツナツの笑顔に癒された僕は、空腹の四葉ちゃんが待つアパートへ帰ろうと立ち上がった。

 すると、


「咲良兄さん、朝は酷いこと言っちゃってごめんなさいです。今度、埋め合わせします、です。

 あ、そうです。良かったら、連絡先を交換しませんか? 四葉姉さん、妹さんにも一度会ってみたいです。ラノベ好きなお友達が欲しいのもありますし。……駄目、です?」


 四葉ちゃんにお友達? ……マジか! 思ってもなかった展開だ。……確かに、ラノベ好き同士なら仲良くなれるかも知れない。僕とナツナツの関係も、単なるラノベ好き同士だと、説明もつく。

 これは悪くない提案だ!


「駄目な訳ないさ、四葉ちゃんも喜ぶよきっと。」

「じゃ、決まりですねっ! 日時は、わたしの都合と、咲良兄さんの都合の合う時にしましょう! その時、エロスの二巻も持っていくのです!」


 ——

 こうして、何とかロリコンという称号を回避した僕は、後日、ナツナツを自宅に招く約束を交わした。

 とりあえず、四葉ちゃんには言及せず、様子を見守ってみるか。


 四葉ちゃんの意図は掴めないけれど、唯一の理解者でもある僕を、他の誰かに取られたくないのかも。

 ……可愛いところ、あるじゃないか。

 というか、顔も可愛いし、仕草も可愛いし、全部可愛いのは、今も昔も変わらない。

 ただ、生き方が少し不器用なだけ。僕は、四葉ちゃんに少し甘過ぎるのかも知れない。





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