妹、降臨



 ある日、家に帰ると、妹が降臨なさっていた。



 ——とりあえず、時は、少しばかりさかのぼる——



 夕刻、僕は仕事帰り。


 カラスが鳴くから帰りましょう、……そんな童謡があったっけ? 違った、

 カラスと一緒に帰りましょうだっけ? どうでもいいか。もう夕方だけれど、空は明るいままだし。

 ——カラスもいないしな。


 高校卒業して早一年——

 僕は大学に進学する事なく、小さな町工場に就職した。そしてそのまま実家を離れ、ここ『夢咲町』へ引っ越して来た。——理由は……そう、一刻も早く家を出たかったから。あともう一つ、会社が近いから、

 ——それだけの理由。


 とはいえ、実家は隣町だから目と鼻の先なんだけど、とにかく一人暮らしに憧れていた僕は、密かに貯金していた三十万という大金を惜しみなく使い、1LDKのアパートに入居した訳だ。

 家賃は月、六万円。——少し割高だけど、新築だけあって内装も綺麗で気に入っている。


 ここ夢咲町は少しばかり辺鄙へんぴではあるけれど、住む分には申し分ない。——少し歩けば商店街があり、その先にはこの町唯一の大型ショッピングモール、夢咲モールがドンと構えて建っている。

 町の若者は決まってその夢咲モールで放課後を過ごす。僕もよく利用する。

 ……それ以外は、そうだな、図書館もある。中にはカフェも併設されていて、町のショボさからは考えられない規模の大きな図書館だ。

 ——

 現在、時刻は午後五時半、春だけあってまだ日は高い位置にあるしカラスも鳴かないけれど、本日も無事に一日を終える事が出来たみたいだ。


 僕は帰り道、夕食を買う為コンビニへ。

 ——確か今日はアニメ『異世界チート勇者エロス』の最新話更新の日だ。先週いいところで終わって、この一週間どれだけモヤモヤさせられた事か。

 揉むのか、揉まれるのか……

 ……あ、月刊クリティカルも発売日か。

 ——表紙、ニャンシス結城ゆうきさらちゃんじゃないか。ニャン妹、『ニャンニャンシスターズ』という、地域密着型アイドルグループで、最近人気が急上昇中。そして表紙のこの子、実はこの町に住んでるって噂だ。あくまで噂だけど。


 ——

 買い物を済ませて間もなく我が家へ到着。僕の部屋は二階の角部屋。部屋番号は二○六。

 まだ綺麗な鍵を鍵穴に差し込み、それを左に捻ると、ガチャっと音が鳴る。……筈だったのだけど、……鳴らない。

 もしかして、閉め忘れたのかな。

 ……難なくドアは開いた。

 というか、開いちゃった。ま、いいか。


「ただいま~」


 僕は一人暮らしだけど、いつも『ただいま』を欠かさず言っている。——まぁ、ただの癖なんだけれど。——別にさみしい訳ではなくて、あくまで癖で。

 すると、

「おかえり……」と、返事が返って来た。


 今のは僕じゃない。いくらなんでも、一人で『ただいま』と『おかえり』は言わないさ。

 ……流石の僕でも。

 なら、——

 今の声は誰の声だ? ……と、そう疑問符がつくのは至極当然の事であって、僕は我が家だというのに恐る恐るリビングまでの短い廊下を歩いていく。

 まるで他人の家に忍びこんだ、所謂『悪い人』になった気分。——空き巣に入る人は、いつもこんな気持ちなのだろうか?

 そんな馬鹿な思考は横に置いて、僕はいよいよリビングに繋がるドアに手をかけた。


 ドアを開けると、消してきた筈の電気がついていた。十畳ほどのリビングの至る所に段ボール箱が散乱している。テレビもついていて夕方のニュースが流れている。

 また事故のニュースか…

 いや、今はそれよりも……それよりもと言うのはなんだけど、それよりも重大な問題がある。


「あ…」

「……よ、四葉よつは……ちゃ…?」


 今年から中学二年になる妹が、僕の部屋にいる。しかも部屋着でくつろいでいる。

 これはどういった御冗談だろうか。


「…ひ、久しぶり…お兄ちゃん…」


 確か、先日母さんからラインが届いていたような。内容は、……そうだ、『近いうちに四葉が行くからよろしくね』とか。

 その時は意味がわからなかったけど、確かに来たみたいだ。しかも驚異的な大荷物でお越しになられたご様子で。


「えっと……よつ、は…ちゃん?」


「……四葉が…お兄ちゃんに会いたいとか言った訳じゃないんだから…パパとママが、春休み中だけお兄ちゃんところでお世話になりなさいって……だから……仕方なく、きっ…来てあげただけなんだからね! か、勘違いしないでよねっ!」


 ——いや、そこでツンデレ風に頬を染められても。というか、春休み中? ——全く、うちの親はいつもこうだ。仕事だのなんだので父さんも母さんも忙しいのはわかるけど。

 ……気が付けば四葉ちゃんの面倒は僕が見ている事が殆どだった。

 まぁ、あの頃は星子ほしこもよく手伝ってくれてたんだけど。

 ……いや、それは今も同じか。


 とはいえ……僕と四葉ちゃんはここ一年くらいはまともに会話してなかったな。

 四葉ちゃんの声、久しぶりに聞いた気がする。少しオドオドした、それでいて綺麗な鈴の音のような澄んだ声。懐かしいな。そして愛らしい。

 明るめな栗色の長い髪、大きな瞳に白い……というか少し病的でもある真っ白な肌、スラリとした細い身体に、申し訳程度に膨らんだ小さなお胸、どこをどうとっても可愛いの一言だ。

 しかし、色々と問題も無くはないのだけど。


「な、何? ……ジロジロ見ないで……」


 中学生になって少しませたかな?

 とりあえず親に抗議の連絡だ。

 そう思いスマホを取り出すと同時に、ピコーンと着信音が鳴る。母さんからのラインだ。

 なになに……——


 パパと、旅行に行くから、二人でお留守番よろしくね! 愛しの咲良さくらへ、ママより。

 お土産期待しててね~ん!


 ……やられた! 先手を取られた……



 こうして僕、高野咲良と、妹の四葉ちゃんの春休み限定共同生活が始まってしまった。

 出て行けとも言えないし、四葉ちゃんは大事な妹だから、泊めてやらない訳にもいかない。

 そして何より、可愛いし。


 僕が買って来たコンビニの袋を、穴が開くくらいの熱視線で凝視する妹、四葉ちゃん。そんなに見つめられたら、あげない訳にはいかない。

 と、いう訳で、

 僕は冷蔵庫の片隅に眠る賞味期限ギリギリの、きゅう○のキューちゃんをポリポリと食べる事に……

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