2-2
暗い廊下を、拓真と響華は縦に並んで進んでいた。
身体はまだ本調子とは言い難いが、ゆっくりと歩く分には問題ない。
時折、響華がこちらの身を案じて振り返ってくれる。その度に拓真は手を挙げて「大丈夫」とゼスチャーを返した。
東京都綾杉市の真中にそびえ建つ、ネメシス極東支部の高層ビル。
二人はその上層部の廊下を歩いていた。
先ほど部屋と違って、この廊下はマメに掃除する人がいないため汚れが目立つ。ところどころ天井の蛍光灯が切れており、頻繁に点滅しているものも少なくなかった。フロアの中心を通っているためか、窓が無く日光も届かない。全体的に薄暗い雰囲気があった。
やがて二人は、大きな扉の前に辿り着いた。
これまで見てきた扉とは明らかに違う。重みがあり、両開きで、その色はシックな焦げ茶色。どこか西洋の屋敷の玄関のようだ。
響華はそれを三回ノックし。
「支部長。梧桐です。緋織拓真を連れて来ました」
彼女がそう告げた数秒後。
「響華ちゃん? 開いてるよ、入って入って!」
と、中から気の抜けるような緩い声が聞こえてきた。想像していたものと全然違う。
「失礼します」
響華が押すと、扉が重みのある不気味な音を立てて開く。薄暗い廊下に扉の向こうから光が溢れ出した。差し込んだ光に目が眩み、拓真は思わず表情を顰める。
白くなった視界の向こうから、こちらを歓迎する声が聞こえてきた。
「やあ、よく来たね」
徐々に目が慣れて、視界が色と形を認識し始める。
拓真は扉の奥の、一人の男性と目が合った。
この場所に来るまでの道中、響華は「一番偉い人ですよ」なんて口にしていたものだから、顔が厳つくて濃い皺の刻まれた初老の大男をイメージしていたのだが。
響華の後に続いて拓真は部屋に足を踏み入れる。
無駄に広い部屋の中心に大きな黒いデスクがポツンと置かれており、部屋の入口の反対側の壁には大きなスクリーン。それ以外には何も無く、真っ白な床と壁と天井が続いているだけであった。先ほどの病室よりも殺風景で何もない部屋。
無駄に巨大なスクリーンをバックにして、巨大なデスクの向こうに座る男は、チャラチャラとした若い男性だった。
パーマの掛かった金髪は無駄に前髪が長く、耳には複数のピアス。スーツをだらしなく着崩しており、ネクタイはピンク色で派手だ。ネメシスの人間というより、繁華街で客寄せするホストのような身なりだった。
「待ってたよ。えっと、緋織くんだっけ?」
「初めまして……」
こういう系統の人があまり得意ではない拓真は、目上の人間に抱くそれとは違った意味で緊張を露わにした。ぎこちなく頭を下げる。
「そんなに畏まらなくていいよ。あ、私の名前は芙蓉。一応、半年ほど前からネメシス極東支部の支部長やってます。芙蓉、とか支部長、って呼んでね!」
芙蓉はニヤリと人懐っこそうな笑みを浮かべる。
ノリはかなり軽いが、見た感じ悪い人ではなさそうだ。
「四月二十八日生まれの牡牛座。血液型はA型。歳は今年で三十四歳。え? そうは見えないって? よく言われるよ。見た目の若さが私のチャームポイントだからね!」
聞いてもいないのに、芙蓉は口を高速で動かして自己紹介を進めていく。
別段興味も無いので適当に相槌を打っておく。
確かに、その見てくれで三十四歳というのは驚いたが。
そしてそれよりも、僅か三十四歳という若さで日本のネメシスのトップに座しているとい事実には衝撃を受けた。
つまり彼は、日本のネメシスの職員十万人の中で最も地位と権力のある人物なのだ。
見た目によらず、彼はとんでもなく優秀で偉大な人物なのかもしれない。本当に、人は見かけによらない。
「好きな食べ物は響華ちゃんが作ったハンバーグ。嫌いな食べ物はファミレスのハンバーグ。トイレは洋式派で、座右の銘は『おっぱいは両手で揉む為に二つある』。好きな女の子のタイプは私を甘やかしてくれるナイスバディなお姉さん――」
「支部長?」
隣から漂う、凍えるくらいに冷えた空気。それに寒気を覚えて弾かれたようにそちらに目を向けると。そこにはその眼を鋭く細め、ゾッとするほど深くて底の見えない瞳で芙蓉を見つめる響華の姿があった。今の彼女に、先ほどまで拓真に向けられていた可憐な笑顔と、柔和な雰囲気は影も形も無い。
「僕たちは無駄話をしに来たわけじゃないんです」
響華はそう口にしているが、彼女は無駄話に自体に腹を立てているわけではなさそうだった。彼女が芙蓉に向けているものは、もっと、根本的に悍ましく研ぎ澄まされた刃物のようで。例えるなら敵意とか殺意とか、そういうものだと感じた。
「うむ。響華ちゃんを怒らせると怖いので、前置きはこの辺にして……。そろそろ本題に入ろうかと思います」
響華の刺さるような視線を受けて真正面から受けても、芙蓉は全く動揺する気配すら無く。のんびりとした口調を崩さずに、拓真に向き直った。
「さて、緋織くん……。君は既に人間ではなくなった。それは響華ちゃんから聞いた?」
改めて言及された事実に、拓真は思わず生唾を呑み込んだ。頷く。
「単刀直入に聞こう。君はその手に入れた力を使って、私の下で働く気はないかい?」
ここでようやく、芙蓉が真剣な表情を見せた。突然言い渡された誘いの言葉を、頭の中で何度も反芻し、拓真はその言葉の意味を悟った。
「それは……、俺に執行官になれ。ということですか?」
咎人と日常的に、終わりの見えない戦争を続けているネメシスが抱える、対咎人戦闘員『執行官』。真っ黒なスーツを身に纏い、武器の扱いに長けた彼らは、その驚異的な身体能力を以ってして咎人に対抗しうる唯一無二の存在だ。
その約二割が免罪人であると言われている。
「ただの執行官じゃない。私専属のの執行官として働かないか、という提案だ」
芙蓉の妙な言い回しに、拓真は少し警戒する。もう少し情報を引き出そうと考え。
「どうして、俺なんですか?」
「それは君が特別だから、だ。……これでは理由にならないかな?」
いまいち納得がいっていない様子の拓真の反応を受けて、芙蓉は顎に手を当て、何か考えるような素振りを見せ。
「少し意地悪な話をしよう」
芙蓉の口端が薄く弧を描いた。
「御し切れなくなった感情の量に比例して咎人がより巨大に、強靭になるように。免罪人の感情は生み出す武器の量・性能に比例する。それは知っているよね?」
「……。はい」
「響華ちゃんから報告を受けたとき、私は感動しちゃったよ。溢れ出した情炎で身を焦がし、自我を消滅させる寸前まで達しながら尚、免罪人として覚醒する人間がいるなんて。甲冑を纏ったなんて話も、初めて聞いたよ」
「支部長、その辺りにしておきませんか?」
響華の横槍が入って芙蓉は一瞬彼女に目を移したが、それを露骨に無視して続ける。
「別に恥ずべきことじゃないんだよ。それだけ君がお姉さんのことを大事に想っているってことだからね。素晴らしいじゃないか。きっと――」
「支部長。いい加減にしてください……」
部屋の温度が急激に下がる。
その発言は芙蓉に対して有無言わさぬ強さ――否、殺気があった。その矛先は違うにも関わらず、拓真は首筋に刃物を突き付けられたような感覚を味わった。背筋が凍る。
その身を裂くような緊張感に流石の芙蓉も観念したのか、眉をハの字にして苦笑。
「この話はやめよう。響華ちゃんに殺されちゃいそうだ」
その響華は殺気を引っ込め、既に芙蓉に背を向けていた。
「ごめんね、緋織くん。今日のところは諦めるよ。でも何日だって待つから、その気になったらいつでも訪ねて来てね。良い返事を待ってるよ」
「分かりました。では、失礼します」
軽く頭を下げると、芙蓉はそれに笑顔で応じる。
拓真は踵を返すと、一足先に部屋を後にしてしまった響華を追いかけた。
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