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「……で、あるからして――」

 午後の授業中、拓真は頬杖を付いて教師の話に耳を傾けていた。

 六限目の授業は倫理。初老の教師が教科書を読み上げ、それと全く同じ文章を黒板に板書していくだけという、つまらない授業だ。

 たぶん、教師の発言をちゃんと聞いているのは自分だけだと思う。

 教室の一番後ろの席である拓真からは、教室全体の様子がよく見えた。

 三十人居る生徒の中で、ちゃんと前を向いている生徒は数人。

 それ以外は皆眠っているか、内職しているかのどちらかだ。前を向いている生徒の中にも、おそらくボーっとしているだけの者も居る筈だ。

 気持ちは分かる。確かにこの授業、話を聞いてなくても範囲さえ間違えなければ、教科書の要点を覚えるだけでテストは突破できる。テストで点数を取るためならば、この授業は聞く必要が無いと皆は判断したのだろう。拓真もそう思っている。

 しかし、だ。もしかしたら、限りなく可能性はゼロに近いが、自分たちの三倍近く生きているこの教師の、現代社会に対する貴重な意見を聞けるかもしれない。という僅かばかりの期待を持ってこの授業を聞いているというわけである。

「戦後日本の法律は、GHQとネメシスの手によって大きく改変・整備されました。しかし、国民の平和を尊ぶ現代の法律に対しても多くの論争が存在します。その中の一つが銃規制です」

 教師が聞き辛い声で教科書を読み上げる。

「法整備後、一般人の所持が許されるのは三二口径以下の拳銃のみに制限されました。それも免許取得式という形によるものです。これは『咎人から己の身を守る』という点と『平和な国を目指すための武装解除』という点、この二つの立場の妥協点であった、と言われています。しかし、これは後に大きなジレンマを生むことになるのです」

 ここで初老の教師は間を置いて一つ咳払い。

 その音に驚いて生徒の何人かが顔を上げるが、やがて皆徐々に視線が下がっていく。その様子を拓真はぼんやりと観察していた。

「銃規制に対する意見は大きく二つに分けられます。一つは『所持できる銃の規制を緩和し、より強力な銃の所持を認めるべきだ』という立場。もう一つは『凶悪犯罪を減らす為に銃の所持は完全に禁止するべきだ』という立場。この二つです。前者では『口径の小さい拳銃では強力な咎人には太刀打ち出来ない』という意見が主で、後者では『銃を使用した凶悪犯罪が後を絶たない』という意見が主になっています。両者の意見はもっともであり、威力の低い拳銃では咎人を仕留めることは難しく、銃による犯罪の件数は減少の兆しが見られない、というのが現状です。この問題についてはこれまで何度も国会で議題に挙がりましたが、未だ改正には至っていません。……さて、ここで皆さんに宿題です」

 『宿題』という単語が教師の口から発せられた瞬間、生徒たちの顔が一斉に上がった。

 同時に校内にチャイムが鳴り響き、授業の終了が告げられる。

「今説明した銃規制について、皆さんの意見とその理由をノートにまとめてください。提出は来週のこの時間です。それでは今日はここまで」

 そう言い残すと、倫理の教師はゆったりとした足取りで教室から出て行った。

途端に教室内が騒がしくなる。

 その喧騒を耳にしながら、拓真はふと銃規制について自分の考えを巡らせた。

 答えはすぐに出た。銃の規制はもっと緩くすべき。というより、全ての国民に強力な防衛手段を与えるべきだと拓真は思っている。それが彼の意見だった。

 理由は単純。咎人からも犯罪者からも、自分と大切な人を守ることができるのは、自分自身以外にいないからだ。

 これは五年前の事件を経験した彼にとって揺るがない考えであり、改めるつもりはさらさらない。守る為には力が必要だ。幼い頃にその結論に至ったからこそ、拓真は神田の父が営む『訓練所』でほとんど毎日己を鍛えている。

 姉さんは絶対に自分が守る。それが拓真の決意だった。その為ならどんなに辛いことでも乗り切ってみせるし、何だって犠牲にできる。その覚悟があった。

 早めに宿題を済ませてしまおうと、拓真は自分のノートに考えを書き連ねていく。



 このとき、拓真はまだ知らなかった。知る筈もなかった。

その強過ぎる感情が己の身を滅ぼし、外道へと堕ち果ててしまうという結末を。


◆◆◆


「遅い……」

 ポケットの中のスマホを取り出して時刻を確認し、呻き声を上げた。

 放課後、手際良くトイレ掃除を終わらせた拓真だったが海咲はなかなか現れず、かれこれ半時間以上校門の前で待ちぼうけを食らっていた。

 最近は日も短くなり、既に太陽は大きく西に傾いていた。眩い赤の光線が校内に植えられた木々の間を抜けて拓真を照らし、東側に濃く長い影を伸ばす。

 顔に当たる眩い光に、彼は思わず顔を歪めて目を細めた。

 不意に緩やか風が駆け、拓真の前髪を揺らす。この時期の夕風はやや肌寒かった。

 自分の影に視線を落としてぼんやりと時間を潰していると。

「緋織?」

 後ろから突然声を掛けられ、拓真は半分だけ振り返って声の主を確認する。

思っていたよりもかなりの至近距離で、綾杉高校の黒いブレザーに身を包んだ少女がこちらを見ていた。

 それが誰か認識すると同時に、拓真は再び視線を外して自分の影に視線を落とす。

「なんだ、柊(ひいらぎ)か……」

「なんだ、とはご挨拶ね。もう少しくらい愛想良くしなさいよ」

 やや頬を膨らまして抗議した後、柊は小さな溜息を付いた。

「まあ、そのうちな……」

 拓真は仏頂面でぶっきらぼうに応じる。しかし実際のところ、周囲に聞こえるんじゃないかと錯覚するくらいに彼の心臓は早鐘を打っていた。

 彼女の名前は柊善子(よしこ)。拓真の友人にして、神田の幼馴染である。

拓真を視界に認めるや否や何かと難癖つけて絡んでくるのが、彼女の性分だった。

 まず目に入るのはその豊かで長い髪。その色は純粋に美しい黒。毎日丁寧に手入れされているのが分かるくらい整えられていて、絹のように美しかった。

ニーソックスとスカートの間からは白くきめ細やかな美肌が覗いている。

 顔は信じられないくらい整っており、切れ長で睫毛の長い目元はとても色っぽい。しかし、大抵は眉間に薄い皺を寄せて不機嫌そうに押し黙っている為、なんとなく近寄り難い雰囲気がある。高嶺の花、といった印象だ。

 そして何を隠そう拓真は、実は柊にゾッコンなのである。

「あんた、人と話すときくらいちゃんと相手の顔見なさいよ」

 相変わらず不機嫌そうな顔でそう口にすると、柊はぐいっと拓真に近付いて来た。

思わず仰け反ってしまう。

 柊は女性にしてはかなりの高身長であり、故に他の女子と比べて拓真とかなり目線が近い。その上、天然なのか計算なのか知らないがパーソナルゾーンが非常に狭いときた。目の前まで迫った柊の顔を直視できず、拓真は視線をあちこちに泳がせる。

それが気に食わなかったのか、柊は更に拓真に密着してくる。同時にシャンプーの良い香りが彼の鼻孔をくすぐった。

「目が泳いでるのよ。何かやましいことでもあるわけ?」

「やましいことは、ない」

 いや、「ない」と言い切ってしまうのはさすがに嘘だ。

 こんな美少女に密着されれば誰でもドキドキするし、それが想い人ならば尚更である。しかも、拓真の腕には何やら柔らかい感触がずっと当たっていた。

 柊は高身長でスレンダーな体型だと思われがちだが、着痩せするタイプなだけで実は胸のボリュームが物凄い。

 それを無意識に押し付けてくるもんだから拓真は気が気でなかった。

 さすがにこれ以上は精神が持たない。それに、自分の馬鹿デカい心臓の音が柊に伝わっているかもしれなかった。

「もういいだろ? 悪かったって」

 許しを乞いつつ、柊の両肩を掴んでゆっくりと自分から引き剥がす。

 柊は納得いかない様子だったが、「仕方ないわね……」と口にして拓真から離れた。

「まあいいわ。さあ、早く行きましょう」

 拓真に背を向け、柊は校門の外に向かって歩き出した。彼女の後ろを長い影が追う。

 しかし、その言葉と行動の意味が分からず、柊の後姿と影を見比べながら少し思考を巡らせる。が、それでも答えは出ず、拓真はその場に突っ立っていた。

 拓真が付いてこないことを疑問に思ったのか、柊は振り返って催促する。

「何してるの? 早く行くわよ」

 しかしやはり彼女の意図が分からず、拓真は疑問を言葉にした。

「……どこに?」

「え?」

 二人揃って、頭の上にクエッションマークを浮かべる。

 これはどうにも、話が噛み合っていないようだった。

「どこって……、訓練所でしょう?」

 拓真が通っている、神田の父親が営む『訓練所』。柊はそこの古株の生徒だった。

余談だが生徒の中で彼女の右に出る者はいない。事実、拓真もこの五年間で一度も、組み手で柊に勝ったことはなかった。最初の頃はそれが気に食わず、一方的にライバル視して何度も勝負を挑んでいたのだが。

 そのライバル心がいつの間にか恋心に変わっていた、というのが拓真の恋愛事情である。

「俺、今日は休むつもりなんだけど……。言ってなかったっけ?」

「えっ!? 聞いてないんだけど……」

「そうだったか、すまん。……まあ、そういうことだから」

 数メートル離れたところにいる柊に向かって、「頑張ってこいよ」と軽く手を振った。

 しかし当の本人は挨拶に応じず、ただ一人でテンパってあたふたしていた。

「え、ちょ、ちょっと待って……」

 こちらに向かって掌を突き出して「待って」の仕草。もう片方の手を額に当てて思案すること数秒。不安そうな表情を浮かべた彼女は真っ直ぐとこちらを見つめ。

「私のこと待っててくれたんじゃないの……?」

 恐る恐る、といった様子で聞いてくる。

「え? 姉さんを待ってるだけだけど」

 柊のその反応が理解できず、拓真はキョトンとした様子で返答した。

 すると、柊の真っ白な肌が夕日の下でも分かるくらいに紅潮していき、耳の先まで茹蛸のように真っ赤になった。必死に恥辱を堪えているといった面持ちである。

「~~~~~~~~~~~!」

「柊、顔真っ赤だぞ」

「う、うるさい!!」

 柊が上擦った大声で叫んだ。

「べ、別に……。待っててくれて嬉しかったとか、一緒に帰れてテンション上がっちゃったとか……。そういうのじゃ全然ないんだからね!?」

 彼女は早口で捲し立て、必死にこちらの誤解を解こうとしてくる。

「そんな必死に弁解しなくても、分かってるって……」

 そんな柊を見て拓真は苦笑を浮かべ、「勘違いされるのがそんなに嫌かよ」と彼女には聞こえないくらいの小声で呻いた。

 拓真自身、あまり柊に好かれていないことはよく分かっている。なんとも悲しい事実だが、正直に言うと自分が彼女に好いてもらえるというビジョン全く見えない。

 でも。もし仮に、本当にそうだったとしたら。それは滅茶苦茶嬉しいことなんだけど。

「もういい……。帰る」

 拓真の態度に気に障ったのか、柊の表情が露骨に歪み始めた。

「なに怒ってんだよ。分かってるって――」

「うっさい! バカ!」

「いてっ!?」

 学生鞄で拓真の頭を殴ると、柊はさっさと踵を返して去っていく。

 頭部をさすりながら、拓真は彼女の理解できない行動に首を傾げた。いつもよく分からない行動や発言ばかりする柊だが、今日はいつにも増して酷かった。

 ひょっとして、本当に一緒に帰りたかったのだろうか?

「いつもは目の敵にしてるくせに……。今日はそんなに一緒に行きたかったのかよ。どういう風の吹き回しだ……?」

 肩を怒らせて帰っていく柊の後ろ姿を呆然と眺め。

「乙女心はさっぱり分からん……」

 誰に言うまでもなく独りでにそう呟いた。


「あ、たっくん! おまたせ!」

 柊の姿が見えなくなるのとほぼ同時に、後ろから声を掛けられた。徐に振り返る。

 視線の先には、少し小走りでこちらに向かって近付いて来る海咲の姿。

やや申し訳なさそうな笑顔を浮かべた彼女は拓真の傍まで来ると、身体の前で両手を合わせて小首を傾げた。

「ごめんね。待った?」

「うん。本当に待った」

「そこは『俺も今来たとこ』でしょ! そんなんじゃ女の子にモテないよ?」

「遅れてきた癖になんて言い草だよ」

「もう! そんなに怒らなくたっていいじゃん!」

 予想していた返答が返って来なかったからだろうか。少しご機嫌斜めになった海咲は、頬を膨らませて抗議する。だが、その姿や面持ちは怖いというより、その子供っぽい仕草と小柄な体格のせいもあって可愛らしく見える。

「怒ってるわけじゃないよ。ただ――」

 先ほどの柊とのやり取りを思い出した。

 怒っているわけじゃないが、少しテンションが低いのは事実だ。その原因も分かり切っている。だが、実の姉に「好きな女の子と上手に会話できなかった」なんて、馬鹿正直に相談する思春期の男子がいるわけがない。

「もうちょっと早く来てほしかったな……」

「?」

 何も知らない海咲はキョトンした表情のまま、拓真の顔を見つめ返すばかりだった。

「いや、なんでもない。早く行こう。日が暮れるよ」

 渦巻く感情の全て胸の奥に強引に抑えつけて、拓真は校門の外へ歩き出した。

「変なたっくん……」

 ボソリと呟いた海咲は、先に歩き出した拓真の背中を小走りで追いかけた。

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