少年と愛と虫

古新野 ま~ち

第1話

 雑務をこなす飯浜氏のスーツがプレスされたのは数か月前のことだろう。彼の後ろを通る女性社員は顔を斜め下にむけて速足で過ぎ去る。タバコの臭いが染みついている。だが、それを加味しても、異様な臭いであったからだ。


 飯浜氏はディスプレイにうつる彼女の仕草にため息をついたものの、自分がすさまじい臭いであることは知っていた。いつからかと問われれば明確に答えられる。昨日だ。


――


 バス停を降りると雑草を踏まないようにしなければならない。マナーの悪い飼い主が放置した糞がこの辺りにはよくある。単独犯であっただろうに堕落が連鎖して毎日のように見かける。木々が風に揺れる音、川のせせらぎ、それらが散歩コースにふさわしいからであろう。愛犬家を頻繁にみかける道である。

 橋を渡り住宅街のなかにあった古い家を軒並み潰し出来上がったアパートが彼の家である。竹林の際に建っているため、薄茶色の細長い枯葉がベランダに積もることを除けば、共益費のなかに水道代が含まれる好条件であった。


 その夜は熱風が吹き脂汗で汚れた髪がじわりと痒く肌着が張り付くような日であった。だからか、ベランダに枯葉がたまりそれが湿気くさくてたまらない。窓を閉めると蒸し暑く、網戸の向こうでは掘り返した土のような異臭。どちらにせよ苦痛である。諦めた飯浜氏は、その枯葉をゴミ袋に詰めて林に捨てる

ことにした。意外なほど積もっていたようで、これは嫌がらせにでもあったのかと憤りを感じた。

 

 革靴で、じゅくじゅくの山道に足を踏み入れることに抵抗を覚えたが、靴はこれしか持っていなかった。風で散っても厄介であるから、すこし分け入り投棄にうってつけのところを探した。枯葉ががさがさ動くのはカナヘビのせいだろう。鼻をつまみたくなる林をのぼっていくと窪地になっている箇所を見つけた。ようやく見つけたと近寄れば、窪みと思ったところは、黒い闇が固まっているのであった。


 野犬か何かが寝ているのだろうと近寄るのをやめた。しかしその塊は生物というには水面のように揺れていた。テレビで観た原油を連想した。鈍重なヌメリ、光沢のある表面、それは彼の好奇心を刺激するに充分であった。

 近くよれば、それは、無臭でありひとまず安心した。しかし正体がわかったわけではない。次に彼は、靴先でつついた。そういえばと、磨いたばかりの靴にも似ているなと意識した。彼の靴は砂汚れや傷が目立つ。すこし、ふれる。

ゴキブリやカブトムシのような感触を想定していたが、ちがった。むしろこれは哺乳類の柔らかさであった。彼の経験で最も近いのは、デリヘルで現れた肥えた女の腹に触れたときの感触であった。


 瞬間、彼のなかで、もしかすれば制圧可能なものではないかという考えがよぎる。自分より柔らかいものに劣ると思えなかったのだ。袋を手放し、黒い塊の頂点を握りしめた。菓子パンやスナック菓子の袋を破るように力をこめると、裂ける音がした。排便を想起させる気味の悪い音であったものの、中身が確認できるまで裂け目を拡げた。


 少年だ、と判断した。裸で、抱えられるくらいの大きさであった。


 拾い上げると、首が俯いたままであった。少年の顔を月に向かわせた。


 少年の眼球は無かった。赤黒い粘液が頬をつたっていた。


 ……ッ。声も出さずに少年を投げ捨てた。早鐘をうつ心臓と震えはじめた腕。ふいに自由を失った身体は、それにも関わらず、少年を見ようとするのだ。

腐葉土の上で、落下死体のごとく雑にころがる少年の顔が月に照らされ浮かび上がった。飯浜氏が腰を抜かして座り込むと、指の間に搔痒を覚えた。手の下には幼虫がいた。

 気が付くと、ミルワームやヤスデのような虫たちが少年に向かって這う。何百、何千という小さなうねり、土から発芽のように這い出して少年を食べるためなのかと、緊張で硬直した視界で瞬きもできずに見つめていると、虫たちは少年の口や鼻から侵入していく。


 少年の指が、脚が、そして首が動くと四つん這いで飯浜氏のもとにきた。耳や鼻のような狭い入口でもがくそれらがアクセサリーに見えなくもなかった。吐息が当たるくらいになると、少年の目があるべきところに視線が行った。何匹ものミルワームが団子状のもつれあっている。しかし、観察していれば動きが落ち着こうとしているのがわかる。赤黒かった眼窩が埋まった。そして、黒い眼のようなものが浮かび上がったが、それは幼虫たちの口元がこちらを向いたからだろう。


 そして少年は、飯浜氏の唇を奪い、彼の舌を吸い上げて生温かい息をおくる。口蓋や歯茎を丹念に嘗めまわす。飯浜氏は想定していなかった感覚に思わず身震いした。そして、よく見れば少年の顔の造形が整っていることに気が付いた。血中のなかに麻酔のようなものが流れていく気がした。無意識に少年をか

き抱く。裸の少年の股間が膨れ上がるのを、飯浜氏は愛おしくみつめる。


 額にかかる髪をあげて純白の額に口づけをすると、鼻の穴から虫が見え隠れしている。飯浜氏は少年の鼻の頭を舌先で三度つついて、今度は彼の方からキスをした。

 

 少年の耳の後ろが土で汚れているから、泥を舐めてこそぎ落として虫たちが光を恐れるように奥に逃げていくから嗜虐のこころがうずいた。耳たぶから耳輪、三角窩、そして微香をはなつ穴へと舌をはわす。か細い少年の腕がピクと震えるから、こわくないよ、と飯浜氏は囁いた。

 

 目と目で通じ合うたびに心拍の鼓動は速くなる。未発達な少年の胸部を指でなぞると、少年は快感からか微弱に震える。飯浜氏は我知らずのうちに怒張した男根をさらした。少年にはどう見えているのだろうかと考えた。白磁のような柔肌にうつる、自分の肉棒の影がおかしかった。


 少年は、必死になって咥えた。

 「もっと、もっと奥に」飯浜氏はあえいだ。

 少年の口内は無限の可能性で満ちていた。虫が亀頭を齧るのではないかというのを危惧していたが、むしろ虫たちが中で潰れた粘液が心地よかった。

 流す涙がないはずの少年の目はうるんでいた。喉の奥の肉壁に何度もうちつけた。

穢れのしらない少年に自分は何をしているのかという自責の念とともに、射精した。 唇のはしからこぼれる粘液は温かい。

 「マズかったら、吐いてもいいんだ」と少年の肩を叩くと、小型犬が水を飛ばすがごとく首を振って、大きく口をあけた。精液と潰れた虫たちの体液や千切れた手足や砕けた羽の混ざったものを誇らしげに開陳する可愛さに飯浜氏の心が動いた。そして少年は悪戯ごころが働いたのか、その粘液を共有するかのように飯浜氏の口内に舌をいれた。苦くて痛いそれを飲み込んだ。


 少年のチンコが固くなっていることに気が付いた飯浜氏は、膝枕をして、上着を彼の顔にかぶせた。そして、彼のものを握りしめ、小指から人差し指まで順に握り、上下にふった。チンコに自分の唾液をたらして何度も何度も刺激を与えた。服の下で、少年がどのような顔をしているのか想像した。飯浜氏の顔

に笑みがこぼれた。大きく震えた。射精、のようなものだった。手についた数百のイトミミズたちを飯浜氏は咀嚼して呑み込んだのは、彼への礼儀のような気がしたからである。生ぬるくて、生臭くて、美味であった。


 「いいから」と飯浜氏は自分の尻の穴を少年に向けた。少年は、飯浜氏の筋肉質の腹をかかえる。尻の毛が少年の股にこすれる。飯浜氏は、少年がどれくらい必死に腰を振っているか分からない。背中に落ちる少年の汗に、かつて経験したことのない多幸感が溢れていた。もうらめぇと呂律のまわっていない飯浜氏の叫び声は竹林の中にこだました。少年は一切の前触れもなく、飯浜氏の腸内に、ミルワームやミミズやヤスデやヒルやシデムシやクモやアリやムカデやゴミムシやカナヘビやヘビやカメムシやバッタやカマキリやシロアリやハサミムシやカゲロウやナナフシやシミやトビムシやダンゴムシやナメクジやハエやカやシャクトリムシ、それから少年の精液が放出された。飯浜氏の人生ではじめて「愛」を生身で感じ取った、生涯最高の夜であった。

 振り返ると少年はどこにもいなかった。


――


 夜が明けてすぐさま会社に行った。愛は彼の中で消えはしない。しかし身体に残った臭いは、迂闊であった。

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