転ばせたはなし
幸せな夢を見た。夜に食べた高級な白いトウモロコシをもう一度食べる夢。めちゃくちゃ甘かった。もう最高。銀貨八枚も費やした甲斐はあった。ケチ臭いオッサン去間はちょっと嫌そうな顔をしていたけど。
そして目覚めた。別に普段貧乏な生活をしている訳でもないのに、夢に出る程美味しさに感動してしまったのだろうか。そんなこんなで村滞在四日目、ソエリオ祭まであと一日となった朝である。
今日は浮島が先に起きていたので、二番目だった。去間のベッドからいびきが聞こえてくるのでまだ時間がかかるだろう。私も用意に手間取るので、さっさと起きて準備を始めた。寝巻きの裾が少し破れた。やべ直さなきゃ。耳聡い浮島がそのオトに気付いて、またやらかしたかと言わんばかりに視線を向ける。笑顔で誤魔化して、先に着替えを終わらせる事にした。少し時間を置けば浮島も忘れるだろう、まったくもって適当な予想だが。
丁度丸一日前に降りた階段を今日も降りる。同じ宿にしたから、その光景は見覚えがあるのだった。マウスは昨晩宿に戻った時には新しい、あるいは代理の奴が来ていた。女将さんは今日も笑顔で営業中だ。おはようございます。
ここの食事はそれなりに美味しいのでとても嬉しい。美味しいご飯は士気に関わる。勿論、昨日の銀貨八枚大盤振る舞いの高級なものよりは劣るけれど。ああいうのは時たま食べるから良さが分かるのだ。そして平凡なこの食事の美味しさも。ケチじゃない。それは浮島だ。
何となく、またしても同じ席に腰を下ろす。一緒にやってきた浮島とくだらない話をして注文と水とついでの去間が来るのを待つ。パーティを組んでからよく見られる光景だ。眺めている見物人なんていないけど。
さて、去間よりも先に食事がやって来た。温野菜でもないので冷める心配も無く、私は犬型亜人用のフォークを取る。お先に頂きます。皿にひびを入れないよう力を抑制しながら、それをレタスに刺して口まで運ぶ。途中で飾り付け用に乗っていた黒い何か(多分刻み海苔)が音も立てずに落ちていった。ひとくち。新鮮だと思う。水の味がする、噛んでて美味しい。口の中から聞こえるオトが心地よい。カチカチと遊びながら、じっくりとサラダを味わった。
浮島は魔法を使ってフォークを翼の先付近で浮かせている。さも翼で使っているように見せるのは拘りなのだろうか。亜人で物を掴むのに適していない手を持つ種族は、大抵握っているように魔法で見せかけるか、大人しく自分達用に作られた食器を使うかのどちらかだ。私は魔法を使いたくないので、当然後者である。
……さて、この後去間が来る前に私が朝食を食べ終えてしまって微妙に怒られたり、部屋に戻って数えてみたら最近使ってない筈の銅貨が三枚足りないことが発覚したり、あの苦痛で仕方ない客引きの仕事を長時間したにも関わらず誰も来てくれなかったり、とそれなりにどうでもいい事が起きたが、どうでもいい事には変わりないので割愛しよう。と言うか、今ので大体説明になってしまった。銅貨は私が上着のポケットに入れたまま戻すのを忘れていたというオチだし。
やはりソエリオ祭だろう。祭だ、観光客も増え、村が活気づく。当然事件や依頼も増える。そう今日こそは!
そう意気込んで目を覚ますと、村は普段よりも静かだった。亜人の出歩く気配が少ないのだ。気になって窓から道を見回してみると、店すら始まっていなかった。不思議極まりない。今回は寝坊されても困るので、尋ねるついでに頭を叩いて去間を起こす。浮島が何事かと訝しげに見てきたので、ヤツにも聞こえるように大声で話すことにした。
「なあー、村が全然元気なくて不気味なんだけど、今日ソエリオだよな?」
「ア……う、あぁー……」
去間から返ってきたのは情けない呻き声で、オッサンが萎びた姿をつい思い浮かべてしまった。昨日はしゃぎすぎて眠れなかったのだろうか、そう感じてしまうくらい元気がない。今日はソエリオだというのに。自信がなくなってきたが。
心配になってしまって、頭を叩き続けると効果があったのか、やがて飛ぶように去間は起き上がった。
「痛ェし煩ェんだよ朝っぱらから! このバカ!」
勢いで潰されそうだった。馬鹿野郎ばかやろうと続けざまに罵られる。いつもの罵声なので気にしていないが、それよりも質問に答えて欲しい。催促の為に再び聞くと、代わりに浮島が答えてくれた。
「今日は、ソエリオ祭だからこそ、あの人が言ってた与花の時間が終わってからどのお店も始まるんですよ」
その答えは、叱り叱られていた私達二人が同じ表情をしながら納得してしまうものだった。それなら開いてない理由が説明出来る。ふむふむ。
「ははァ、成程。どうして浮島知ってるの? どこで聞いたんだ?」
感心ついでに降ってわいた疑問をそのままぶつけると、浮島はあっけらかんと答えた。
「聞いてないですよ。そうじゃないかなって。予想です」
……それでよく断言出来たものだ。呆れを通り越して笑いそうになって、やっぱり呆れた。
結局浮島の予想は当たっていたのだが、それは自分達が世話になっていた宿ですら範疇に入ってしまうことは誰も考えてなかった。「部屋に残るのは良いが食事は出せない」と取り付く島もなく言われてしまえば、反論も出来ず、すきっ腹に切なくなりながら準備をして宿を出る事しか出来ないのだ。きっと与花とやらが終われば豪勢な食事が待っているんだと思いたい。お金出すから食べたい。お腹が空いた。
ソエリオ祭がどのように進行するか、全く予想が付かない。それを楽しみの一つとするか逆に流れを把握しておくか、まず三人で話し合った。多数決で後者に決まる。内訳は私が前者、二人が後者だ。何が起きるか分からない方が楽しいと言うのに。
村長邸の近くまでやってくれば、案の定ソエリオ祭の実行委員会本部が出来ていた。覗いてみれば、一昨日の依頼人さんも慌ただしくしているようで。やっぱり可愛い、頑張れと聞こえない応援を心の中で送ってから、もう少し暇そうな人を探し始めた。これが難しく、誰しも忙しく動いている。遠慮する訳ではないが、相手の名前も知らないので、個人を呼び止めにくいのだ。
結局本部近くで立ち尽していた私達に気付いて話しかけてくれた役員の亜人さんに話を聞くことになった。曰く、開会式でもある与花の時間は午前の十時から始まるらしい。あと一時間とニジュン程度。それまで食事も食べられず、暇を潰す店もなく、そう考えると辛い時間が始まりそうだ。
「どうしよう、どうするんだ? ニジュンかヨジュンならまだ何とかなるけど、更に一時間もあるぞ」
二人に名案があることを請うたが、そんな都合良く話がまとまる筈もない。何もせずにだらだらと喋っても、恐らくニジュン経過が限界だろう。それでもニジュンが三回分、つまり一時間は残っていることになる。このままじゃいけない!
退屈で死んでしまうのは避けたかった。好奇心は乾を殺すのだ。どうしたものかと必死に考えを巡らせて、ひとつ思い付いた。その瞬間、堪らず発言をする。
「仕事をしよう!」
「は?」「何ですって?」
去間が顔を顰め、浮島が呆気に取られた声を上げる。二人とも私の言葉を理解していないような顔。大いに失礼であるが、そこにツッコむと話が進まないので見逃そう。
つまるところ最初の一言に集約されるのだが、この時間から依頼人を探すのだ。イズィのマジックボールはあっただろうか。
私の提案に二人は文句を出すことも無かった。どうせ食事を済ませた後の予定がそれだったのだ。多少勤務時間が延びただけだ。それに依頼が早ければ早い方が良い。時間が余れば夜の祭りを楽しめるだろうし。
結局ボールが見つからなかったので、浮島がイズィを使うことにした。少し空を見つめて、視線を逸らしながらその名前を唱える。途端に彼の頭上に色雲が浮かび上がった。青い煙が浮かんでいく。そういえば魔法を使うのはセーフだろうか。景観を損なると文句を付けられても面倒臭いものがある。面倒臭いというか、腹が立つと言った方が正解だが。
「まあ、祭りなんだから助けを必要とするヤツも多いだろ。叱りゃしねーさ」
去間が飄々と口にして、次いで声掛けを始める。まだ亜人もまばらであるから、効果は薄いかもしれない。恐らく何かしていないと落ち着かない性格なのだろう。私も似た部分があるので、共感のようなものを覚える。一方で浮島は効率性を意識するから、ゴミを見るような目で去間の様子を眺めていた。無駄でも楽しければ良いと思うんだけどなあ。
大通りを歩き始めるとやがて他の亜人たちも顔を出し始めた。その周辺で店を構えていた亜人が多かったようで、一斉に出店の準備を始めていく。祭やその後の雰囲気が好きだと思っていたが、楽しい事が待っていると強く実感できる前の時間も、中々好みかもしれない。機嫌を良くして、鼻歌を歌い始めると、すぐさま浮島から皮肉が飛んできた。
「随分ご機嫌ですね。まだ仕事も見付かってないのに」
「浮島のイズィを信頼してるんだよ。お前の魔法なら依頼人が走ってやって来るさ」
「誰がやっても変わらないでしょう、煙出してるだけなんですから……」
はあ、と肩を落としたことで、浮島の着ていた鎧ががしゃんと音を立てた。今日も陽に照らされて輝く板金は、実に暑そうだ。まあ亜人は暑寒に強いから問題ないか。
流石に今日が本命の日であるし、それなりに規模があればそれなりに問題が起きるのは世の常なので私は心配していないが、浮島はどうしても最悪の方向に妄想を働かせてしまうようだった。それと、「一日依頼無し」という状況に遭遇すると気分が最高に悪くなるので、面倒臭いと言うか気難しいと言うか、生き辛そうなヤツだ。
しかし普段のことで今更指摘するのも億劫なので、鼻歌の曲を変えて視線を浮島から逸らす。そう言えばマウスの中でも飛び切り歌が上手いと評判な“歌姫”いる町が周辺にあった気がする。次はそこに行きたいなあ。見世物は好きだ。面白いものに限るけど。
「おぅい、乾ー。ボヤッとしてると置いてくぞー」
そんな事を考えていると、前方から声を掛けられる。去間が手招きをして呼びかけていた。いつの間にか足が止まっていたらしい、私らしくないことをしてしまった。
「ちょっと待て、今行く――」
から。そう続けて足を一歩踏み出す予定だった。頭で考えるよりも勝手に体が動いていただけなのだが。
兎に角、私は重心を前に移動させた、そんな時だった。
……立ち並ぶ家々を切り裂くような、鋭い、大叫声が村に響き渡ったのは。
「!」「ハァ?!」「魔物ッ」
その声はすぐ空気を震わせる巨大な唸り声の合唱に変わった。
確か太鼓という楽器があったと思う。中が空洞な樽に似た物体に、膜のような蓋をして、その部分を叩く楽器だ。それが鳴らされた時を思い出す、心臓にびりりと振動が届くような、多くの声が集まったオトだった。言葉で形容しようと努力するなら、低く、五月蠅い。
私達は三様の反応を見せたものの、全員同じ方角を向いていた。オトの発信源。ここから南西の、入り口付近からその何かは存在を知らしめていた。
私は状況を把握する為に、地を蹴り跳躍する。適当な民家の屋根に降り立ち、一体何がやってきたのかを確認する。足を踏み外さないよう、注意しながら接近。そして目に入ったのは、巨大な黒い塊が、蠢くように道を闊歩している姿だった。ひとつ、ではない。群れが連なって進行しているのだ。
「ウッワ……」
つい呆然と立ってしまった私が次に知覚したのは、焦げた臭いだった。視覚による情報が強すぎて気付くのが遅れてしまった。その臭いの元を視線で辿ると、入り口とは真逆の、村の端から立ち上っている。赤い炎と共に。
民家が燃えていた。いや、燃え始めていると言った方が正確だろう、まだ半焼にも程遠いくらいの規模だ。このまま消えれば小火で終わるが、そう都合のいい展開にはならない。消火が必要なのである。
そう判断して、慌てて先ほどの道に降り立つ。去間と浮島の臭いを追って全速力で道を駆け抜ける。まだ道の端にある店の準備をしている亜人が多いだけで助かった。誰かにぶつかる心配も無い。
足を動かせ、全身の筋肉を使い、一秒の無駄もなく二人の元へ辿り着くのだ。呼吸と体の動作を一体化させる。地面を弾くように、自分が地に拒絶されて反射するように足を蹴り出す。やがてひゅっと息を吐いた後、二人の後ろ姿が見えた。
「浮島、浮島!」
一番最初に声を掛けなければならない彼の名前を呼ぶ。よくあの重装備で去間と並走出来るものだ、もしかしたら魔法で小細工を使っているのかもしれない。しかしそんな話はどうでもよくて、手を伸ばす。少しでも早く伝えなければ。
私は手を伸ばして浮島の肩に手を引っ掛ける。掴めないのが惜しい。引き裂かんばかりの勢いでそれを戻して、彼の体をこちらに向けさせた。去間も一拍遅れて私に振り向く。
「近付くと危険ですか?」
浮島なりに考えて尋ねてくれたのだろうが、残念ながら検討違いだ。首を振って質問に答える。あまり距離がなかったからか、全力疾走した割に息は少しも乱れていなかった。多少は疲れると思ったけども。
「違う。こっから真逆、村の端で火事が起きてんだよ。浮島は火消しに参加してくれ」
頼むよ、と締め括ると、時間がないことは分かっているだろうに浮島は渋い顔を見せた。気持ちは理解している。浮島は美しく力強い剣戟に憧れており、その方面で活躍したいのだ。だから私が魔法で火を消せと言っている事に素直に応えられない。
「でも、建て直せばいいでしょう。金になるとも限りませんし」
「対象がでっかければでっかくなる程、ヒァカトで何かを家に変えるのは面倒なのお前が一番よく知ってるだろ! 守銭奴も大概にしとけ。あと、正直魔物退治で不特定多数に感謝されるより火事何とかして個人から感謝される方が達成感あるぞ」
自分も詰まらない事を言っている自覚があったのか、無かったのか。兎も角浮島は、渋い顔を微妙にくしゃっとなった思案顔に変えて、少しの間沈黙した。そして何が決定打になったかは分からないが、やや不承不承の表情で、分かりましたと頷く。良く決めた、そんな上から目線の去間の言葉を無視して、浮島は私が教えた場所に走っていったのだった。
去間と目を合わせて、同時に走り出す。口を開くのはオッサンの方が早かった。と言うか走り出した瞬間だった。気が早すぎる。
「で、コッチには何が来てるんだ? 魔物の形ぐれえは分かったよな?」
黙って首を横に振ると、ハァ、という驚きと呆れを含んだ感嘆が去間から返ってきた。
腰のベルトに装備していた短剣を抜き、微調整を加えて馴染む持ち方を定めながら去間が訪ねてくる。
「どうして見えなかったんだよ」
「察してよ」「知るか、話せ」
「チッ面倒くせ。――見えたけど、判別が付かなかったんだよ」
私の答えに、去間は黙って走り続けていた。理解が出来ないのだろうか。それとも、理解して言葉を失ったのだろうか。足を動かしながら自分も考えてみる。今まで説明した事柄だけで、正解を導き出せるか。ふむ、中々難しそうだ。
別に隠す理由も無いので、その結論に達して早々口を開く。
「群れなのは分かった、が、密集し過ぎてて何匹居るのか皆目見当も付かない。『形』は、相当、大きかった」
あの気持ち悪い光景を思い出しながら言葉を連ねると、去間の方からフンと鼻を鳴らす声が聞こえる。ああスイッチ入ったくさいな、と多少呆れた感情が生まれてしまう。宝石に変えられる量が多ければ多いほど良いとは思うが、それとは少し違う。恐らく去間はこの状況に「燃えて」いるのだ。自分が「そう」なるのはしのぎを削るような戦いなのだ。つまり無双は大して好きではない。
オッサンが葉巻でも咥えながら敵を薙ぎ倒していく姿を思い浮かべる。格好がつくのではと思うが、それに去間は気付いていないようで短剣以外を取り出すことはなかった。
「つーかそれならよ……浮島の言う通り、近づかない方が良くねえ?」
不意に思い浮かんだ、という声で去間が話しかけてくる。訝しげな視線だ。まあ、確かにその通りではあるのだが。
「べっつに、突撃してもしなくても死にゃしないだろ。去間なら」
一気にオッサンの表情が変わった。目を見開いて、私を眺めている。うっかり得物を取り落としやしないだろうか、一瞬不安になったが流石に阿呆極まりないミスは犯さなかった。とは言うものの驚いたことに変わりなく、次第に呆れがやって来たようで。
「おめぇさん、アホだよな……」
「去間に言われた!? 気に入らねえ!」
盛大な溜息と一緒に、私が思ってたことを返したのだった。
それからは会話もそこそこに現場へ到着するのを意識した結果、さほど時間を掛けずに敵の大群が目に入る位置までやってきた。これが首都のツヴェルト・ショーンならもっと時間も必要で、被害も増えていたと思う。
亜人の悲鳴は聞こえないものの、依然として敵から物々しい声が上がっているし、ここまで近くなるとそのばらつきも聞き分けられる。それでも何匹居るかは数えられない。数え切れない。
私達は敵に見付からない路地裏に飛び込んで、様子を伺う。進行スピードは遅いようだ。流石に村の入り口が見えない程度にやって来てはいたが、戦闘が始まれば足止めにもなるだろう。正直な話、やって来て数日のこの村に愛着がある訳ではない。けど、魔物を倒せば絶対褒められるし、復興の為にお祭が中止になっても嫌だし、ウヴァンリャとしてはこんな事件を待ち望んでいたし、あとついでにあの愛らしい犬型亜人のお姉さんが笑顔でお礼を言ってくれるだろうし! やるのだ!
「突撃しまーっす! 去間は魔法ブチ当てても良いけど、やる前には流石に一声くれよ!」
そう投げるように言い残して、ナイフを手に装着し黒いもやのような魔物どもに向かって走っていく。静止の声が聞こえたものの、当然無視。去間も理解しているのか、それ以上声を掛けることはなかった。
敵は全部同じ、熊型の魔物だった。体格は私より多少小さい程度、圧倒するには丁度いいサイズだ。道を塞ぐ右半分の奴らは自分が担当しようと決めて、その中心に向けてナイフを繰り出す。銀色が煌めいて、吸い込むように魔物の右目へと埋まっていく。すかさず角度を変え、下から切り上げるように頭を抉った。引き抜く。赤い液体が視界に映ってゆく。
その時初めて魔物から悲鳴が上がり、まとまっていた声が乱れ崩れた。刺された魔物には目もくれず走り抜けようとした別の熊型魔物に回し蹴りを放ち、進行を邪魔をする。遠心力のかかったそれは気持ちいいくらい鈍い音を立てて、その魔物の両目を塞ぐようにブーツが命中した。
空いた左手で転がっていた石を群れに向かって投げれば、運悪くぶつかった魔物が足を止め、それが柵の役割を発揮した。後ろに居た魔物がどんどん塞き止められていく。ああ訂正しよう、混乱を巻き起こす立場にいるという実感は中々心地いい!
「っていうかそもそも、誰がこんなに引き連れてきたんだ?」
先に進ませないことを重視し、ありとあらゆる妨害をしながら、気が付いた疑問に思いを馳せる。うっかり考えすぎると攻撃を食らいそうなので程々に。
敵の目を潰し、群れに突き返せば哀れ知能の無い魔物は先程まで共に走っていた仲間に突撃していく。哀れ渋滞が混雑に、そして麻痺に変わっていく。
そう、彼らに知能は存在しない。徒党を組むこともない。つまり、これだけの魔物を集めて意図的に村に放った犯人がいるのだ。何が目的だろう?
規模が大きい首都から小さい集落まで、管理しまとめる者は必ず出てきている。この村にしたって、狭いながら村長が仕事をしているのだ。そしてそれに亜人が反旗を翻すような事件はほとんど聞いた事がない。前にも言ったが、私達は生活に困窮することがない。大きな不満など、自分で解決してしまえるから、出ないのだ。
亜人管理所のヤツらが対処するのも、私以上の戦闘狂いか娯楽目当てで窃盗などを行う犯罪者が多いと聞く。軽犯罪が圧倒的多数を占めるのだろう。
ふと気になって去間の方を見ると、手をこちらにかざして真剣な表情で立っていた。魔法を使うつもりだろう。まあその方が効率も良い。
しかし問題は、私が相手取っているのは魔物半数だけなのだ。残りは何処へ向かっているのか分からないが、ひたすら直進を続けている。見るにそろそろ去間の元まで辿り着いてしまうようだ。間に合うのか、引き潰されやしないか、私がもう半数の足止めに急行すればいいのか。一瞬で様々な考えが脳を過ぎる。
が、まあ、多分大丈夫だろう。亜人はそう簡単に死なない。去間だし。ホラ、図太くしぶといイメージがあるのだ。
視線を戻してナイフを構え直す。魔物の血で汚れてもなおその形と美しさに変わりない。おお、終わったらすぐに綺麗にしてあげよう。これはこれで綺麗だけれど。
一度転んで起き上がろうとした魔物の頭をズブリと刺した。元の姿勢に戻ろうとした力と、私の繰り出したナイフの勢いが、可哀想なくらい魔物に深い傷を与える。泣くような叫び。悲鳴だからそりゃそうだ。引き抜くと同時に命が潰える体感を覚えた。
「――飛べ、ヒァロ・サンドッ!」
不意に、後ろから張り上げた声が飛んできた。ほぼ同時に魔法の気配を探知する。声は去間のもので、ヤツが魔法を使ったことは明らかだった。攻撃しようと目を付けていた魔物も何も捨て去って、瞬時にそこから離脱する。今日走ったどの瞬間よりも強く、つま先で蹴る。ヤツが攻撃魔法を使う時は、兎に角高威力で広範囲、理想は敵を一掃するものなのだ……!
巻き添えになりたくない一心で、去間の背後まで滑り込んだ。先ほど言った通り、亜人は簡単に死なない。しかし去間の高火力魔法を食らったら少し分からないし、何より痛いのは別に好きじゃない。痛いから。
魔物の方に振り返ると、巨大な火で作られた矢羽が魔物の先頭集団に向けて走っていくところだった。地面に叩き付けるように着陸したそれは、強烈な爆発を起こして魔物を葬り去っていく。宝石候補が次々と脳ごと消えていくが素知らぬ振り。一度でこのレベルならば、そう、残り二本の矢が飛んで行っても全滅はしないだろうから。
「アレンジ、ってのも出来るんだなァ」
至極楽しそうに笑う去間からは、悦の文字が思い浮かぶ。
ヒァロは確か、火で出来た矢を作り出す魔法だった筈だ。今回はその後に「サンド」という言葉が付いていた。浮島から魔法を作成することが可能だと知って、やはり色々試していたのだろう。以前誰かが使っていたものよりも、大きい火の矢になっているような気がする。そこも修正を加えたのか。いやそんなことはどうでもいい。
「去間ァ、魔法使うなら教えろって言っただろ!」
「こっち見てたし察したかなァと思って」
「タイミングまで図れるかよっ! このニコチン中毒者!」
「ハァ!? ニコチンは毒じゃねえっつってるだろ殺すぞ!」
魔物が全滅してない以上、喧嘩に時間を割く暇はないのだが、言っておかねば気がすまない。カッコつけの精神で誰か犠牲になりそうで怖い。主に前衛の浮島とか、あいつが同じ目に合ったら解散言い出しそうである。
この機会に今までの不満をぶちまけたい気持ちはあったが、流石に今はそれをすべきじゃない。煙が去っていき、生き残った魔物が何匹いるかを確かめる。三十ちょい、当初はその三倍以上いたので削れた方だ。魔法は強いなー。
この数なら魔法ももう要らないだろう、と去間に睨みを利かせてから再び魔物の群れに突っ込んでいく。と言ってもまだ動ける魔物が点在しているだけなので、さっきより大分楽に戦うことが出来た。一匹ずつ素早く着実に仕留めていく。脳に刃を沈ませ、後ろ足の腱を切り裂き、口内から舌を捌く。
返り血で彩られたナイフが空を走り、線を描く。絵を描いている錯覚。絵を描いたこと無いけれど。魔物が上げる断末魔の数々は少し耳障りだから、雰囲気作りには適していなかった。
去間が対群でなく対個体の魔法を使ってくれるようになったので、気配と魔法の威力に怯える必要がなくなって伸び伸びと戦えたのは有り難かった。
敵の数が減れば減る程、余裕が出てきていつの間にか思考を巡らすことが出来る。この場に唯一居ない、浮島のコトだ。もっとも一番危険が少ない仕事をしているのはヤツなのだが。
それと気にかかるのは、この状況を引き起こした犯人が未だに姿を現さないことだ。計画的犯行を私達に阻止され憤りを感じていないのだろうか? ハイリスクローリターンでも厭わない亜人だったのか? 答えが出ないと思考が終わらない。せめて行動を変える切っ掛けがないものだろうか。残り僅かとなった魔物を遠慮なく仕留めながら、どんどん思案が膨らんでいく。
「ア痛っ」
明らかに気を抜いてしまった所為で、敵から攻撃を受けてしまった。腕に引っ掻かれた傷が出来る。熊の爪は勢いもあって中々強かった。よし、覚えた。正直な話をするとアイタじゃ済まされない程度の傷で、痛みもそこそこ強いのだが、去間の手前痛いいたいと喚くのも恥ずかしい。意識を先ほどの悩みに向けて、血の流れる自分の腕は目に入らないようにした。
ともあれ熊型魔物はつつがなく一掃された。途中に障害物として位置してしまった民家や商店は被害を受けたが、ヒァカトやら修繕魔法(名前を忘れてしまった)使えば問題は解決するだろう。去間が周囲を見渡して、残党がいないか確認をする。こちらに頷いて見せたので、不安は解消されたようだ。ナイフを仕舞って彼に駆け寄る。
「この魔物を引き連れた犯人、居たと思うか?」
尋ねてみるとすぐ苦い顔をされたので、返答を察する。
「感知出来なかったな……気配隠しでもされてるなら話は別だが」
芳しくない答えに、こちらも難しい顔をしてしまう。どこかで騒ぎでも起きていればそちらに急行するし問題解決に向けて働くが、大群の熊型魔物襲撃だけで終わってしまうと、停滞してしまう。
何か痕跡は無かったのだろうか。魔物を集め村に向けて放つにはそれなりの準備期間が必要な筈だ。今こうして姿を見せないでいるのは、自分の犯行だと露呈したくなかったから。身を隠す場所を探したり、大量の魔物の気配を悟らせないようにしたり、時間をかけたのではないのか。それを自分は目撃していないか。
この村に滞在した数日間の記憶を遡る。巻き戻す。回想する。
――それは、思ったより早く見付かった。
「あ、分かったわ、犯人」
つい口に出すと、去間が心底驚いて呆れた顔になる。「ハァ?」と「嘘だろ?」のどちらを言おうか悩んでいるような。
この発言は確実な正解を導き出した推理でなく、思い付きに近い。もしかすると、程度の可能性だ。なので詳細を話すことは、その仮説の真偽が判別出来てからにする。そもそもそいつを見付けないと話にならない。
先に浮島の様子を見たくなったので、去間に声を掛けて歩き出す。不服極まりない顔だが、恐らく私の言葉に確証が無いのを察しているのだろう。理解の早い仲間を持って有り難い限りだ。話すのが面倒だし。
村の端から端へ移動するのは、大変ではないが手間である。瞬時に浮島と連絡でも取れれば良いのだが、そんな便利な魔法は今のところ聞いた試しがない。一刻も早い開発が望まれる。と言うことで牛歩でも無いが駆け足でもないスピードで、浮島の元へ歩いていく。いつの間にか煙は消えているので、消火は無事に完遂されたのだろう。家主が浮島にいたく感謝していることを望む。
途中で犯人が現れないか探索しつつ進む。私の考えが正しければ、一度姿を目撃した事があるのだ。それは一昨日のはなし。……速足で駆けていく亜人は、そう、路地裏に駆け込んでいつの間にか姿を消していた。出来る限り人目を避けたかったのだろう。加えて奴からは魔物の臭いが漂っていた気がする。あの時は同じウヴァンリャかな、と思ったが。この朝、問題が一番発生しそうな祭の朝に、私達以外の同業者は見かけない。
下手すると同日朝に見かけたイズィのボールも何らかの合図だった可能性がある。仲間が居るのだ。同じ匂いを思い出したいが、流石にそこまで印象に残った訳ではないので、難しい。
「尻尾を捕らえられれば良いんだけどなあ」
中々壮大なことをやらかしている気がする犯人集団に思いを馳せる。何が目的か分からないが故に、面白い。待ち望んでいるものは何なのか。ひとかけらしか見えない霞がかった存在に、じわりと興味が沸いた。
発火していた家の場所を思い出しながら村の端まで移動すると、空からおういと声がかかる。顔を上げると浮島が屋根から呼びかけている姿が目に入った。彼が地面に降り立ち、三人が集合する。円を描くように三人で向かい合って、自然と報告会が始まった。
「消火は滞りなく終わりましたよ。被害も軽度です。あと期待していたより感謝されませんでしたね」
「そりゃ残念だったな。こっちは熊型魔物が沢山来たけど、多分掃除出来た。よな?」
「ああ、サテミィアには引っ掛からなかったな」
索敵魔法まで使ったのなら一先ず安心だろう。魔物に魔法は使えないのだし。そうですか、と軽く頷く浮島に怪しい亜人は居なかったか尋ねてみる。もしかすると浮島の方の様子を伺っていたかもしれない。しかし、理想的な答えは返ってこなかった。黙って首を横に振られる。
「僕も犯人が居ると思って辺りを警戒していたんですけどね。見物客くらいしか居ませんでしたよ。ところで乾が言った程、家主から感謝されなかった件ですけど」
「しつけぇ!」「冗談ですよ」「分かり辛いんだよ……」
芸人のようなやり取りを経て、不意に全員が黙り込む。これからどうしたものか、悩んでいるのだろう。魔物の処理と宝石の摘出は第一に行われるだろうが、その後だ。
問題が発生した、問題が解決した。しかし根本的問題は何も変わっていない。去間の疲れたような目線が、浮島の静かな視線が私に向けられる。意見を求められていると気付いた。しかし二人とも私に関する理解はまだ未熟らしい。こんな状況で私が下す結論など一つしかないと言うのに。
「取り敢えず魔物の脳味噌宝石に変えて、そっから考えようぜ。思い付かないんならやれるコト終わらせるしかないだろ」
困ったコトは先送り。うむ、これに尽きる。
二人は兄弟みたいに揃って、困ったような表情をしつつそれで良いかと妥協して私の提案を飲んだ。
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