2.テレーズの章

1.金の髪に願いを込め

金の髪に願いを込め 1


 そもそも式典といったものに興味がない。


 国内でも最難関だと言われる大学部の入学考査も、高等部以前から王立学院に在籍している者は外部生より優遇されるし、その上高等部の頃から大学の授業を受講する資格を得ていたとあっては、メールソー・テレーズにとって、王立学院大学部の入学式など、特に意味のある行事ではなかった。

 高等部までの入学式、卒業式とは違って、自分には何の役割もなかったので尚更だ。

 ということで、大学部の入学式に出席はしたものの、最初から式の開始時間ぎりぎりに大講堂へ入り、入口付近の後方の席で寝ることしか考えていなかった。

 案の定、夢うつつで聞いていた今年の新入生挨拶や、総長挨拶など、更に眠気を増すだけの内容でしかなかった。



「おまえ、本当にこういうの嫌いだよな」

 式が終わり、さっさと大講堂から出ようと席を立ったテレーズに、同じく立ち上がった隣の席にいたルナン・テオドールが呆れた。

 高等部時代のダブルのブレザーとは変わり、真新しい黒のテイルコートを着た彼は、どこかしゃちほこ張っていて可笑しい。テオドールと、もう一人一緒に連れ立って歩くラサーニュ・ユージェーヌの制服のリボンタイは焦茶、ウエストコートの色はテイルコートと同じく黒だ。

 だがテレーズの制服は、テイルコートとズボンの色は彼らと同じでも、リボンタイは臙脂でウエストコートはベージュだった。


 周囲をぞろぞろと歩く新入生の中にも、ちらほらとテレーズと同じ恰好の者がいる。その恰好は、高等部からの進学者である内部生なら高等部での成績が、大学部からの入学者である外部生ならば入学考査での成績が優秀だった者だけに許される姿だ。

 しかし、幼年部時代からずっと成績が学年最上位だったテレーズにとっては、今更感慨を抱くほどのものではない。

 講堂から出た瞬間にタイを緩め、両手をズボンのポケットに突っ込む。


 無骨ないかつい外見をし、一見したところ寡黙そうな印象を与えるテオドールであるが、実際は口やかましい上にかなりの世話好きである。彼は、本音では言いたいことが山ほどあるのだろうが、もう十年を超えるテレーズとの付き合いの中で、テレーズに言ったところで無駄に過ぎない事柄もよくわきまえてしまっていた。

 入学式が終わって早々のテレーズのこの態度にも、溜息をついて肩をすくめただけで済ます。

 テオドールと同じくユージェーヌもテレーズとは幼年部時代からの付き合いだ。

 彼がテレーズの態度に対して何とも思うことはない。だが、自分達の周囲の様子にくすりと可笑しそうな笑いを洩した。


「やっぱり目を惹いているね、おまえ」

「どうでもいい」

 テレーズはぶっきらぼうに応えた。

 自分でも、人目を惹くのに充分すぎるほど顔が整っていることや、目的があって伸ばしている腰まである長い金髪に、臙脂のタイのこの制服が非常に目立つことは自覚している。こちらの姿を初めて目にする外部生達から注目を集めていることも気づいていたが、興味のない相手からの視線など、ユージェーヌに言った通り心底どうでもよかった。


 そんな有象無象のために、光のようだと形容されたこの金髪を伸ばしているのではない。自分の興味の対象となり得ない人間が、こちらについてどう思おうと知ったことではなかった。

 ただ、自分の邪魔さえしなければそれでいい。

 昔から変わらないテレーズの答えに、テオドールは呆れて鼻で息をついたが、ユージェーヌは再度笑った。

「事務局でシラバスの配布があるけれど、テス、おまえはどうする?」

 ユージェーヌからの質問にテレーズは肩をすくめた。事務局で、また学生達の群れに混じるのはまっぴらだ。

「俺のも取ってきてくれ。このまま研究室に行く」

「解った。後で持って行くよ」

「ありがとう。じゃあな」

 二人に軽く手を上げると、テレーズは講堂周辺の人だかりから離れて、理工学部研究棟へ足を向けた。


 春の花咲く構内だが、新学期の授業はまだ始まっていないので、今日は大学の新入生以外は、研究室に通う学生や院生、高等部や中等部も含めたクラブ活動の者達がいる程度である。

 面倒くさい行事が終わって気が楽になったテレーズは、人通りの少ない石畳の道を、花を眺めながら機嫌良く歩いて行った。

 もう既に通い慣れた理工学部研究棟に来て、アーチの回廊から階段に入り、一段抜かしに三階まで軽快に上る。

 三階の廊下を進んで二つ目の部屋、航空工学研究室の扉を軽くノックして開けた。案の定、部屋の中には今年大学部の四年生になるオリオール・クラウディアの姿があった。

 彼女は、テレーズの姿を見ると可笑しそうに笑った。


「なんだ。けっこう頑張ったじゃない」

 彼女も幼稚舎から王立学院に通っている才女だ。

 また、彼女の父親はテレーズの父と共同名義で航空機製造メーカー、メールソー・オリオール社を設立した国内有数の航空工学研究者だった。彼女の兄も王立学院大学院を卒業し、父達の会社で開発者として働いている。当然メールソー家とオリオール家は、昔から家族ぐるみの付き合いがあり、彼女とテレーズも幼なじみの関係だった。

 そのためクラウディアは、テオドールやユージェーヌ以上にテレーズに対して容赦がない。

 笑いを含んだ言葉は、入学式に最後まで参加していたことに言われたようだった。

 テレーズは頭を掻きつつ、テイルコートを脱いで、教授の机の前にある応接椅子の背に投げた。


「途中で抜ける方が面倒じゃないか」

「まあ、そうなんだけど。あんたならしかねない」

「そんなことするくらいなら、最初から出席しないって。講堂でおとなしく寝ている方が、悪目立ちしなくていい」

「そんなに目立つ髪をしていて、よく言うわ」

 クラウディアに呆れられてテレーズは黙って肩をすくめると、自分が作業机にしている席に着いた。

 前回来た時に途中までになっていた作業のノートを広げる。

 今度行う実験の結果として予測される理論値を計算するのだが、他人ならば計算尺を使って時間をかける必要があるような数式の計算でも、テレーズは暗算もしくは計算用紙に多少換算する程度で簡単に解くことが出来た。


 右手で頬杖をつきながら鉛筆片手に早速計算を始め、作業に没頭するテレーズを見て、クラウディアは溜息をついた。

 演算能力の高さだけでなく、その他の学力についても、テレーズは間違いなく天才と呼ばれる種類の人間だった。

 それ故にか、単に元々の性格なのかは判断がつかないが、彼は基本的に人間関係に積極的ではない。メールソーの家での躾が行き届いているので、学院の教諭や教授、また研究室の先輩といった、彼にとって目上にあたる人間に対してはそつのない態度で接するが、クラウディアの知る限り彼が自分から他人に対して能動的に関わろうとしたことなど全くなかった。

 現在彼と付き合いがある人間も、高等部以前から彼と一緒で、それなりに彼の扱いを理解している同級生や、彼が大学部で受講していた授業で同じ教室になり、何となく気が合ったらしい少数の人間だけである。

 家柄や整った顔立ちだけでも目立ち、加えて何故か幼い頃から長く伸ばしている見事な金髪のために、どんな場所にいても大変に人目を惹くくせに、自分の姿に魅せられて寄ってくる人間には全く興味を持たない。それどころか、そうやって寄ってこられることが鬱陶しいとさえ考えているのだから始末に悪いことこの上もない。

 当然、彼の水際だった存在感に惹きつけられる人間だけではなく、反感を抱く人間もいる訳で、そんな人物とは無用な軋轢が発生することもある。

 それでもテレーズは決してその髪を短く切ろうとはしなかった。


 長い付き合いであるので、クラウディアも本人に長い髪の理由を尋ねたことがある。他人に寄ってこられるのが嫌なのなら、どうしてそんな目立つ恰好をしているのかと。

 クラウディアの質問に対して、テレーズは笑って答えた。

「見つけて欲しいんだ」

「そりゃそんな目立つなりをしていたら、誰の目も惹くし、誰にだって見つかるでしょ」

「いや、そんな誰でもじゃなくて、俺が見つけて欲しいと思う、その人にだけ見つけて欲しいんだ」


 正直何を言っているのだかと思ったが、テレーズは本気でそう考えているようだった。半ば呆れつつ、クラウディアが「いつか見つけてもらえるといいわね」と返すと、テレーズは嬉しそうに笑ったものだった。

 今年も外部生の新入生が多数入学してきた。その中には、地方からこの王都に出てきた学生も多い。そんな新入生の中に、彼の思うような人間がいたら非常に幸運だろう。

 けれど、危なっかしい弟を心配するような彼女の思いも知らず、当の本人は鼻歌交じりに機嫌良く目の前の計算を進めていっている。


 その姿を見ていると、心配するのも馬鹿馬鹿しくなって、クラウディアは再度溜息をついたのだった。

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