航空工学研究室 2

 

「テレーズ。君は授業に出てきているの?」


 デュトワの話を聞いて、ハツキが胸の中に生じた質問を口にする。

 ハツキの質問に、淹れたばかりの飲み物のカップと菓子を乗せた盆を持って来ながら、テレーズは決まり悪そうな表情で笑った。

 デュトワの机に珈琲のカップと、小皿に分けていた菓子を置き、残りのカップと菓子は盆のまま応接卓に置いて、ハツキの隣に腰を下ろす。

 クラウディアも伸びをしながら近づいてくると、ハツキ達の向かいに座って早速菓子に手を出した。

 彼女とハツキの前にそれぞれの飲み物を置き、黙ったままテレーズが自分の紅茶のカップを手にして椅子の背に凭れる。


 せっかくテレーズが淹れてくれた紅茶なので、ハツキも早速カップを手に取った。

 この研究室は上質の茶葉を用意しているようで、カップからは良い香りが立ち上っている。

 一口飲んで、ハツキは隣のテレーズに目を向けた。


「入学式の時から気になっていたから、僕もいつも確認していたんだ。でも昨日あのお店で君に出会うまで、教室では君のことを見たことがなかったんだよね。君のその見事な金髪、同じ教室にいたのなら気づかないなんてこと絶対ないのに」

 更に続けてそう言うと、意外なことにテレーズは気まずそうに口ごもった。

「いや……俺、教養課程の単位は半分以上取れているから……」

「テレーズは幼稚舎から王立学院でね」


 言い澱むテレーズの言葉を引き継いだのは、勢いよく菓子を食べていたクラウディアだった。

「ここの学校、成績優秀者は上の学年の授業も受けることが出来るのよ。だからテスも、何だかんだで高等部までにそれだけの単位を取っちゃっているの。こんな見かけでも、この子もれっきとした臙脂タイの成績優秀者だからね」

 ハツキに説明をしながら、彼女は自分一人で菓子を食べていたことに気づいたらしい。ハツキにいくつか菓子を分けてくれた。テレーズにないのは、欲しければ自分で取れとのことのようだった。


「凄いね」

 紅茶のカップをテーブルに置き、渡された菓子を手に取って封を開けながら、ハツキは感嘆の声を洩した。

「何言ってるんだ」

 しかし、テレーズはクラウディアの前から自分の菓子を取りつつ顔を顰めた。

「おまえだって臙脂タイじゃないか。教授の推薦を受けて入学したおまえの方が、よっぽど凄いと思うぞ」


 容姿のことは他人から褒められても当然のように受け取るのに、成績に関してはそうではないらしい。

 クラウディアに褒められて照れているらしい彼の姿を可愛いなと思いながらも、ハツキは彼の言葉に首を傾げた。

「僕は運が良かっただけだよ。でも、テレーズ。大学に入学するまでにそれだけの単位が取れるくらい優秀なんだったら、入学式の挨拶は君がしていてもおかしくなかったんじゃないの?」


「ああ、それはね」

 このハツキの質問には、自分の机で奥の部屋から持って来た資料を読みながら珈琲を飲んでいたデュトワが笑いながら答えてくれた。

「新入生代表の挨拶は、一般入試で首席の成績だった学生が行うことになっているんだよ。だから、たとえ臙脂タイの持ち主でも、君達には最初から資格がなかったんだよね」

「高等部の卒業式までは、ずっと挨拶をする羽目になっていたので、俺はほっとしましたけどね」

「そうなんだ。……でも、残念だったな」

「何で?」

 ハツキが溜息をついて椅子の背に沈み込むと、テレーズは片眉を上げて振り返ってきた。

「何でって……」椅子の背に凭れたまま、ハツキはテレーズの顔を見上げた。


 すぐ傍に、きらきらと光る彼の長い金髪がある。


 ──やっぱり、綺麗だな。


 何気なく手を伸ばしその金髪の幾筋かを指に絡め取った。

 見るだけではなく実際に自分の手で触れてみて、つるりとした硬質の、編み癖などつきにくそうな髪だなと感じた。

 手触りの良い感触にずっと触っていたい気分になる。


 自分の髪に触れられて、テレーズが小さく息を飲んだことにハツキは気づかなかった。


「そしたら、君の名前も学部もすぐに解ったのに。昨日まで、僕は君の名前も知らなかった」

 これだけ目立つ外見をしたテレーズのことなど、同じ教室の周囲の人間に訊けば、その中には王立学院高等部から大学部に進学して来た内部生もいるので、すぐに解ったことだろう。

 だが、ハツキには、昨日あの喫茶店でテレーズと出会うまで、自分から他人に話しかけるという意識が全くなかった。


 それでも、ハツキ自身にとっては、自分で出来る限りの全力でテレーズを探していたのだ。

 追い求めていた光を、この金髪をやっと手に掴むことが出来たと口許に寄せる。


 そしてテレーズの髪から手を離すと、身体を起き上がらせた。

 卓上に置いていたカップを取り上げ、口に持って行く。

 その後ろで、テレーズが軽く握った拳を口許にあて、少しふくれたような表情でハツキから目を逸らし、耳まで真っ赤にさせていた。けれどハツキは、そんな彼の表情には気づいていなかった。


「テス、あんたはハツキ君と約束があって、ここまで来てもらったんじゃないの?」

 正面の席で菓子を食べながら、こちらの様子を観察していたらしいクラウディアが、冷静な声でテレーズに声をかけた。

「ああ」彼女の言葉にテレーズが返事を返す。

「ハツキはまだヴィレドコーリに詳しくないんで、案内するって約束したんだ」

「あら、そうなの?」

 今度の質問はハツキに向けられていたので、ハツキも頷いて返す。


「ふうん。じゃあ、今日は片付け、私がしておいてあげる。お茶を飲んだら、ハツキ君を案内してあげたらいいわ。あんたは、もう十年以上もここに通っていて、学内も良く知っているんだから、構内を回ってみるのもいいんじゃないかしらね」

「あー……うん。そうだな。ありがとう」

 ひょこりと頭を下げて、テレーズがクラウディアに礼を言う。


 それを横目で見て、ハツキはカップに残っていた紅茶を全部飲み干した。

 テレーズも自分のカップの中身を飲みきると、カップを卓上に置き、応接椅子の背に引っ掛けていたテイルコートを手に取った。

「ハツキ、行ける?」

「うん。ご馳走様でした」

 ハツキが礼を言って立ち上がると、デュトワは軽く手を振ってきた。

「どういたしまして。チグサ君、いつでも遊びに来てくれていいからね」

「ありがとうございます」

「じゃあディア、ありがたくお言葉に甘えさせてもらうな。先生、明日の朝、授業の前にこちらに伺いますので」

 立ち上がってテイルコートを纏いながらテレーズが伝えると、デュトワは彼にも軽く頷いて返した。


 グィノーと仲が良いとのことだったが、雰囲気は随分と異なっている。今まで、他人に興味を抱くことなど殆どなかったハツキだが、これは何となく面白いなと思った。

 明日からグィノーの様子ももっと注視してみて、この教授との違いを見つけてみようかと考える。


 そんなことを思いながら、クラウディアにも礼を言って、そしてテレーズに促されてハツキは航空工学研究室を後にした。

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