カザハヤの百合 2
まずは黙って頷いてサネユキに返答をする。
それから口の中のものを飲み込んだ。
空豆の香りが口内に微かに残るのが心地よい。
「入学式で見かけて、ずっと気になっていた人に、帰りに寄る喫茶店で会うことが出来たんだ。その人、とても楽しい人だったんだよ」
「ああ、そういえば言っていたな。長い金髪の持ち主だったとか。てっきり、金髪が珍しいだけかと思っていたが」
確かにベーヌでは金髪の人間は多くない。
元からの山岳ラティルトも濃色の髪の人間が多いし、ヤウデン系もそうだ。
だがハツキはサネユキの言葉に首を横に振った。
「……違うよ。あの人が特別。それに実際間近で会ってみたら、長い金髪が見事なだけでなく、顔もとても綺麗な人だった。瞳は若葉色で」
「おまえがそんなに手放しで褒めるなんて。随分と恰好良い相手だったんだな。本当に素敵な出会いだ」
当初からサネユキには、ハツキの探している相手は男性だと話している。
テレーズに対するハツキの感想に、サネユキは面白そうにくすくすと笑った。
「そこに居合わせた人間も、幸運なことだ。そんな恰好のいい人物と、美人のおまえが一緒にいたなど、眼福以外の何物でもない」
サネユキの言葉に、ハツキは眉間に皺を寄せた。
テレーズにも言われた単語だが、誰が言おうともその単語はハツキにとってはからかいとしか受け取ることが出来なかった。
サネユキやサネアキ、姉妹に又従兄弟のサダスミ等、自分に近しい人間にも昔から散々言われて来ているが、どう考えても納得がいかない。
手放しで美人と言われるのにふさわしいのは、身内では今目の前にいてこちらにそれを言ってきたサネユキと曾祖母のフウコぐらいのものだろう。
瞳の色以外に、自分の顔に人の話題になるような要素などない。
それでも、と表情を緩め思い返す。
最初は戸惑った。けれど今日、あの時、彼のあの声で。
──やっぱり綺麗だ。その瞳の色、翡翠の翠の翠色だよな。ハツキによく似合っている
彼が言ってくれた、彼のあの言葉がとても嬉しかった。
彼以外の他人に言われても、戸惑いか不快感しか得られなかっただろう。
入学式の時から気になっていた、あの光のように輝く金髪の持ち主だったからか、明るい春の光を浴びる若葉のような瞳のせいか、それとも彼自身が纏う雰囲気のせいか。
理由は解らない。
けれど、耳に心地よい彼のあの声で、彼に言われたからこそ嬉しかった。
「……僕の瞳の色を、綺麗だと言ってくれたよ」
ハツキの言葉にサネユキは破顔した。
「嬉しかっただろう?」
「うん。明日もまた会う約束をしたんだ」
「じゃあ、明日も遅くなるかもしれないな」
食事を済ませ、給仕に食後の緑茶を注がせながら、サネユキが軽快に笑う。
しかしハツキは給仕から湯飲みを受け取りながら、彼に小首を傾げた。
「テレーズはヴィレドコーリを色々案内してくれるって言ってくれたけど、明日はそんなに遅くならないようにするよ」
「何をつまらないこと言っているんだ。早速デートなんだろう? ゆっくり楽しんできたらいい」
「だから、そんなんじゃないって」
ハツキの反論にサネユキはやはり笑い、それから笑いを収めると優しい表情でハツキを見つめてきた。
「本当にいい人に出会えたんだな。その彼との関係を大切にしていくんだぞ」
「……うん」
サネユキに言われるまでもなく、ハツキ自身もっとテレーズと一緒にいたいと思った。やっと掴めた関係を壊すようなことはしたくない。
頷いたハツキに微笑むと、サネユキは湯飲みの緑茶を飲みきった。
湯飲みを置いて一息つき、食卓から立ち上がる。
「ハツキ。おまえ、この後は?」
ハツキも緑茶を飲み終えると、ご馳走様と手を合わせてから立ち上がった。
「稽古と授業の課題」
「そうか」言いながらサネユキは食卓を回ってハツキの横にやって来た。右手でハツキの前髪を優しく梳き上げる。
彼の手の温かさにハツキは目を細めた。
「あまり遅くならないように。おまえは集中すると周囲が見えなくなるから」
「大丈夫だよ。稽古は型稽古だけだし、課題も期限まで余裕あるもの」
「油断は禁物だな」
ハツキの髪を梳き上げていた手で、サネユキはハツキの頭をぽんぽんと叩いた。そうされて、ハツキがむっと瞳に僅かな険を上らせる。それを見てサネユキは笑みを零し、そして悪戯っぽくハツキの顔を覗き込んできた。
「だから、今日は俺も付き合おう」
サネユキの言葉に、ハツキの不機嫌な気分は瞬時に吹き飛んだ。
「本当に?」
嬉しさと驚きで、自分を覗き込んで来るサネユキの黄海松茶の瞳を凝視する。彼を見つめるハツキに、サネユキは再度微笑んできた。
「ああ。俺もちゃんと稽古をしておかないと、ベーヌに帰った時が恐ろしい」
彼が恐ろしいと言った相手の顔がすぐに脳裏に浮かび、ハツキもくすくすと笑った。
サネユキも笑うと、再びハツキの髪を指で梳き、頭を軽く叩いてきたが、今度はハツキも機嫌を悪くしたりはしなかった。
「一服したら、着替えて離れに行くから。後であちらでな」
サネユキが軽く手を振りながら食堂から出ていく。
それを見届けるとハツキは息をつき、サネユキが触れていた頭に手をやって俯いた。
やはり彼は、優しい。
家族がどれだけ思ってくれようと、家族以外の親族がどれだけ心砕いてくれていようと、それらを否定する気は全くないが、サネユキだけが自分にとって特別な人だ。
けれど。
──ごめんなさい。
先程は途中で止めた謝罪を、また胸の中で繰り返す。
彼の優しさに何も返すことが出来ないだけではない。
果たして、彼が望んでくれているこの先にさえも、自分は応えられるのか。
……応えられる可能性が低いことも、彼は知っているのではないか。
それでも、彼や皆の言葉に背を押されてヴィレドコーリに来ることを決めたのは自分だ。
出来うることはする義務がある。
ハツキはふるふると頭を振った。
──綺麗な瞳だな。
そう。どれだけ嫌いであろうとも、この瞳を言い訳にしたくはない。
呪わしく思おうとも、これと共にあることが自分の人生だ。
その人生を否定出来るものか。
瞳に力を入れて顔を上げる。
部屋に戻って、稽古着に着替えよう。せっかくサネユキが時間を割いてくれるというのだ。その時間を無駄にするなどもったいない。
再度軽く息をつくと、部屋に向かうためハツキも食堂を出た。
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