光る金の滝 2
あの光放つ金髪の人物を見つけることが出来るだろうか。
新しい教室に入るたびにそう思い、期待を持って教室の中を見回してはみるものの、一向にその持ち主を見つけることは出来なかった。
王立学院大学の授業自体は非常に興味深く楽しかったが、会いたい人物を見つけることが出来ない日々はハツキを憂鬱にさせた。大学の授業が始まった最初の一週目など、教室に入る度にその期待を裏切られたので、週の後半には授業の後は機嫌が悪くなっていた程である。
そして、入学式の日に予想していたよりは頻度は少なかったものの、休み時間などに何度か、他学年も含めたベーヌ出身者に呼びかけられることもあり、そんな時は一層機嫌は悪くなった。
教室ではベーヌ出身者以外の学生からも声をかけられることがあった。最初は自分に声をかけられているとは思いもしなかったので、呼びかけられていることに気づきもしなかった。そのため声をかけてきた相手を知らず無視する形になっていたが、自分が呼びかけられていると気づいてからも、興味のない相手と話をする気がなかったのでやはり誰にも返事をしないでいた。そのため、こちらはすぐに声をかけてくる人間はいなくなった。
けれど、自分の通うどの教室にもあの金髪の人物がいないことには気分を落ち込まされた。
入学式のあの時、どうして他人からの呼びかけに足を止めてしまったのだろう。あそこで足を止めたりなどせずに、あのまま追いかけていれば良かったのに。そうしたらあの時すぐにその人と出会うことが出来たかもしれないのに。
そう思わずにはいられなかった。
ちらりと目にした制服からすると、あの人物が男子学生であるのは確かだった。だが長髪の金髪の女子学生は教室内でも見かけるものの、癖のない真っ直ぐな金髪を長く伸ばしている男子学生など一人も目にすることはなかった。
ハツキの求めるその人は、教室のどこにもいなかった。
その日も、相手から近づかれることはなくなったとはいえ、構内を下手に動き回ってベーヌの人間に見つかるのが嫌だったので、特に味に満足をしている訳ではなく、ただ教養学部棟に近いからというだけの理由で昼食の場所にしている学内中央食堂での昼食をさっさと済ませて午後の大教室に向かった。
そして期待はしていないものの、この数週間のうちに習い性となってしまった教室内の確認をし、やはり求める人の姿のないことにつまらない思いをしながら窓際の席についた。
開け放たれた窓の外、教養学部棟の東側構内道路の向こうにこんもりとした森が広がるのが見える。森の周囲は、文学部研究棟と同じく、ヤウデン国から寄贈されたという紅葉の木が植えられており、
窓の傍の木の枝には数羽のコマドリがいて、まるで会話をするように囀り合っている。その姿が可愛らしく、またなんとなく可笑しさも感じ、心なし気が晴れるような気分がしたので、頬杖をつきながら窓の外の彼らの様子を眺めていた。やがて始業のチャイムが鳴り、担当教官が教室に入ってきた。
ハツキも彼らから目を離して教室の前方を向く。
授業の合間に再度窓の外へ目を向けた時には、もうコマドリ達の姿はなくなってしまっていた。
この頃になると、入学式の日から、講義のある日には授業の後にほぼ毎日通っているグィノーの研究室のボードリエにも、ハツキが落ち込んでいることを気づかれ、どうしたのかと尋ねられた。先輩の親切は理解したが、ハツキとしては人に話すようなことでもなかったので適当に言葉を濁して返事をしておくに止めておいた。
グィノー教授のことは師として尊敬出来る人だと感じていたし、ボードリエのことも良い先輩だと思っていた。
だがそれでも、ハツキは彼らと積極的に会話をしたいとは思わなかった。それだけに、おそらく祖父や父からこちらの話を聞いているからだろうが、課題や助言は与えるものの、ハツキのことを詮索することなく基本的に放任してくれているグィノーの姿勢は非常に有難かった。
研究室に寄った後、帰宅までの時間はヴィレドコーリの街を散策することにしていた。街を散策するといっても、自分一人では人の多い地区に足を向けることなどとても出来なかったので、行き先は人があまりいない場所に限られていたが、それでもベーヌとは違うこの街の空気が好きだった。
ベーヌではどんな店であれハツキが一人で入ることなど決して出来なかった。
ここではそれが自由に出来ることが何よりも嬉しかったのだ。
※
クルーヌ河沿いのその喫茶店も、学校近くを散策している時に見つけ、年代を感じさせる艶のある木の扉に惹かれて入ったのが最初だった。店の中の落ち着いた雰囲気や、珈琲や紅茶、ちょっとした茶菓子の美味しさが気に入って、それ以来学校帰りにはしばしば立ち寄って、ここで読書をすることにしていた。
店のカウンターに腰を下ろし、もう顔なじみになっているカウンター内のマスターに紅茶を頼んでから本を広げる。
カラコロンと扉に付けられた鐘が柔らかく鳴り、店に新しい客が入ってきたことを知らせた。
気にせずにハツキは持参の本を読み続けていたのだが、ふと目の端に、今でも夜『夢』では見ることの出来るあの光の粒が映った気がした。
思わず本から顔が上がり、視線がそちらに向かった。
まず目に入ってきたのは、その人の頭頂から肩、そして腰の辺りまで流れ落ちる、店内の橙色の明かりで鈍く光る見事な金髪だった。
カウンターの、ハツキから一つ空けた隣の席に彼が腰を下ろした時に揺れた金髪の光がハツキの視界に入ってきたのだろう。
艶やかに光り輝き流れる、長い金髪を持つ青年。
自分と同じ王立学院大学の臙脂のタイの制服を纏った彼の横顔から、ハツキは目を離すことが出来なかった。
癖のない輝く長い金髪は元より、春の陽光にきらめく若葉のような色をした瞳を持つ涼やかで切れ長の眼、ラティルト人らしい彫りの深い眼窩から整った鼻梁、そして形良い顎までに描かれる美しいライン、姿勢良く背の高さもうかがえる体格良い肢体。
そんな個々の特徴が造り上げるその青年の存在そのものに心奪われた。
サネユキも美しい人だ。だがこの青年は、彼とはまた種類の異なる美しさをその身体に湛えていた。世の中にはまだ、こんなに綺麗な人がいるのだと、感銘すら覚えて息をつくしかない。
それから気づいた。今、直接目に見る彼からあの光の粒子が現れている訳ではない。それでも入学式の日に見つけあれから探し求めていた、長い金髪が光るように見えていたあの人は彼なのではないかと。
あまりにもハツキがまじまじと彼を見つめていたからだろう。カウンター内のマスターにブレンドの珈琲を注文すると、彼はこちらに顔を向けてきた。
若葉色の瞳と目が合う。
ハツキと視線が絡んですぐに彼は目許を緩めた。
顔を向けられる瞬間、知らない人に対して不躾なことをしてしまったと後悔したハツキだったが、青年のその微笑に後悔は霧消した。彼の笑みにつられて、ハツキの表情も緩む。
そうやって、何か用がある訳でもないのに自分から他人に声をかけるなど、初めてのことだったかもしれない。
「綺麗な金髪だね。まるで輝いているみたいだ」
刹那、金髪の青年は驚いて瞠目したように見受けられた。
しかし、ハツキがそれをどうとも思う前に彼は更に笑みを深くした。
秀麗な
「ありがとう」
笑顔のまま礼を言ってきてくれた青年と会話をしてみたいと思い、ハツキは手許の本をそっと閉じた。
「その見事な金髪──
「自分で言うのも何だけれど、目立つもんなこの髪。きっとそれ、俺だ。俺は理工学部の一年だよ。君は──……」
「チグサ。チグサ・ハツキ。文学部だ」
ハツキがそう名乗ると、彼はカウンターに肘をついて掌に頬を乗せ、先程とは雰囲気の異なる口角を上げた悪戯っぽい笑みを浮かべた。
そんな表情といい、気安い口調といい、見た目の上品さとは違って意外とぞんざいな性格なのかもしれない。けれどその仕草は逆にハツキに親しみを感じさせた。
「文学部のチグサね。俺はメールソー・テレーズ。同じ王立学院ってことでよろしく。でさ、早速だけど、せっかくなんで席、そちらに詰めていいか?」
明るい調子で挨拶をして、メールソーはハツキと彼の間、一つ空けた席を指して訊いてきた。彼からの問いかけにハツキは軽く首を傾け、笑って答えた。
「どうぞ、メールソー君」
「俺のことはテレーズでいいよ」
席を替えながら気安くテレーズが言う。
ベーヌでは身内以外にこんな気安げに声をかけてくる人間はいなかったし、ヴィレドコーリに来てからも他人から馴れ馴れしい態度で接せられるのは不快だったが、何故か彼の振舞には全く嫌悪を感じなかった。
いや、と思う。教室ではついに見つけることが出来ずに気落ちしていた、自分が探していた人に、偶然とはいえやっと出会え、話をすることが出来ているのだ。嫌な気持ちになどなる訳がない。
むしろ心躍るほどに嬉しい。
嬉しい気持ちのまま、彼の名前を口にした。
「だったらテレーズ、僕のこともハツキでいい」
そう言って彼の顔を軽く覗き込み、金色の睫毛に縁取られた若葉色の瞳を見つめて微笑んだ。
彼の落ち着いた低めの美声は、自分の名をどのように呼んでくれるのだろう。期待に胸が高鳴る。
ハツキに見つめられたままテレーズが小さく笑った。
「解った。じゃあハツキ、改めてだけどよろしく」
新たな嬉しさに息をつきたくなったが、その言葉と共にテレーズはハツキに向けて片手を差し出してきた。
咄嗟に何か解らず、ハツキは容姿に見合った長い指と形の整った爪をした彼の手をまじまじと見つめてしまった。ハツキの反応に、テレーズが怪訝そうに小首を傾げたのを目にして、やっとその行為の意味に気がつく。
そうしてハツキも手を出して彼の手を握った。テレーズの温かい手がハツキの手を握り返す。
「よろしく、テレーズ」
人がしているのは目にしたことがあるし、その意味も知識として知ってはいたが、自分が握手を求められることなど、今まで一度もなかった。ベーヌでは自分は人から握手を求められる存在ではなかった。
ここはベーヌではない。改めてそれを実感する。
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