5.光る金の滝

光る金の滝 1


 真新しい、前身頃が胸ボタンの下から曲線を描いて、丈の長い後身頃に繋がるテイルコートの上着という特徴的な制服に袖を通すのは新鮮な気分だった。



 ルクウンジュ国の中でもテイルコートを制服に制定しているのは王立学院だけだ。

 成績による制服の色の違いには興味を抱かなかったハツキとはいえ、新しい制服を身に纏うことには感慨を抑えきれられなかった。

「よく似合っている」

 そう言って、少し曲がっていたらしいリボンタイを直してくれながら微笑み、サネユキは入学式に向かうハツキを玄関で送り出してくれた。


 大学の入学式は、王立学院大学大講堂で行われる。

 新品の制服に身を包んだ、全学部の新入生が一堂に会する光景は壮観であると感じる人間もいるだろう。

 だが式の早々にしてすでに、ハツキは大講堂の一席に座りながら、早くこの式典が終了してくれないものかと願っていた。

 今までベーヌにおいては、学校関係の式典には一切出席したことがない。しかし、こういった区切りとなる式典の意義は認めていたので、ここがヴィレドコーリであることもあって今回は出席をしたのだが、これだけ多くの人間と長時間同じ場所にいるということが苦痛で仕方なくなってきたのだ。自分より前の席にいる学生の中に、後ろから見ても明らかに居眠りをしているような者を何人か認め、いっそ自分もそうやって意識を飛ばすことが出来たならどれだけ楽だろうかと溜息をつく。


 式が終わり、新入生はシラバスを受け取りに事務局へ向かうよう指示を受ける。

 席から立ち上がりなるべく早く大講堂から出ようとしたが、いかんせん真面目に時間に余裕を持って来たこと、こんな広い大講堂に慣れていなかったために出入り口から遠い席に着いてしまっていたことから、出口に向かう人の波に飲まれてしまってなかなか外に出ることが出来なかった。

 ようよう講堂内から外に出て事務局に向かう学生の群れから離れる。

 ハツキは大講堂正面のアーチの柱に手をつき、そこでやっと息をつくことが出来た。

 周囲の人の関心がこちらにないのは嬉しいが、やはりベーヌとは比較にならない人の多さには圧倒されてしまう。


 しかし実際は本人の思い込みとは異なり、ラティルト系が多い中、非常に整った端整なヤウデン系の顔立ちをしていることや、入学時から臙脂のタイの制服を身につけていることなどから、ハツキは周囲の目を多いに引いていた。

 ただ本人がそれに全く気づいていなかっただけである。

 ベーヌでのハツキの生活は、一歩自宅を出たら四六時中他人から一挙手一投足まで注目されるようなものだった。今更好奇心に満ちた視線程度では何も感じなくなっていたのだ。


 だが、そんな他人の視線とは別の、既に馴染みになりつつある気配を感じてハツキははっと顔を上げた。


 顔を上げた視界の端に、あの光の粒が煌めいた。

 ヴィレドコーリに来てから毎晩『夢』の中で見るようになった、あの大地から漏れ出す光の粒子。

 『夢』の中でサネユキと一緒になった時に彼に尋ねてみたが、彼もヴィレドコーリに来てからそれを目にはしていたものの、正体は解らないとのことだった。

 それが今、このうつつにもある。


「ハツキ様。チグサのハツキ様ですよね?」


 慌ててその光を追おうとしたハツキだったが、背後から声がかけられた。

 後になって、この呼びかけを無視しておけば良かったと、どれだけ後悔したことだろう。だがこの時ハツキは、渋々ながらも光を追うのをやめ背後を振り返った。

 そこにはハツキと同じく、今年の新入生らしい学生が数人いて、期待に満ちた目でこちらを見つめていた。


 彼らの姿を目にして、ああ失敗したと悟る。

 彼らの中の二人ばかりは顔立ちにヤウデン系の特徴が色濃く出ていたし、そもそもの呼びかけ時のハツキに対する呼び方も、彼らのその視線からも、彼らがベーヌ出身であることが明白だった。それにその集団の一番前にいて、おそらく声をかけてきたのは彼だろうと思われる、小柄で、そばかすの浮いた色白の肌と薄茶色をした柔らかそうな巻き毛以外はヤウデン系らしい造作をした学生の顔には見覚えがあった。

 小学校、そしておそらく中学校、高等学校も同じであっただろう人物だ。


 ──もう、見つかってしまった。


 内心で深い溜息をつき、表情を消す。

 ハツキの顔を見て、その学生達は嬉しそうに笑った。

「やっぱり! 御髪が短くなられていて驚いたのですが、まさかこちらにハツキ様がおいでになっているとは思いもしませんでした! この王立学院で共に学ぶことが出来るとは、非常に光栄です!」

 ベーヌで同級生だっただろう青年がそうまくし立ててくる。

 

 彼の言葉を聞いてハツキはますます憂鬱になった。彼に触発されて、一緒にやってきた学生達も口々に何かを言いだしたが、そんなものは聞く気にもなれなかった。

 ベーヌでは、こちらを畏れ、遠巻きにするばかりであった人間が、ここがベーヌを離れたヴィレドコーリであるからといって、どうしてこのような態度で接してくることが出来るのか。理解が出来ない。

 天之神道を信仰する人間が殆どいないからと馴れ馴れしく声をかけてこられるだけでも充分不愉快であるのに、そもそも彼らはこちらの行動の邪魔をしてきた。


 気分の悪さが募る。


 その上更に、ヴィレドコーリに進学して来ているベーヌ出身の学生の王都での住まいは、多くがカザハヤ家が用意している下宿になっていると聞いている。

 それを考えると、王立学院大学受験も、こちらに出てくることも内密にしていたにも関わらず、入学早々ベーヌの人間に見つかってしまったということは、今晩にでもハツキがヴィレドコーリに出てきていることがヴィレドコーリ在住の、王立学院以外の他校も含めたベーヌ出身の学生に広がるということでもあることが想像に難くない。

 ヴィレドコーリの街の人口全体から比べると、ベーヌ出身の学生の数などたかがしれたものであるし、王立学院内だけに限っても、学院全体の学生数に対してベーヌの人間の比率など大したことではないと思われる。だが、やっと手にしたほんの僅かな安寧の時間さえも、こうやって邪魔をされるのかと思うと気鬱なことこの上もなかった。



 ──君達の前にあるのは洋々たる未来だろう。お願いだから、こちらに関わってこないでくれ。



 その思いは、懇願だった。

「黙れ」

 ハツキの発した、はっきりとした拒絶の言葉に、声をかけてきた学生達が凍り付く。名

 前も知らない、ベーヌでは同級生だった学生は、あどけなさの残る顔を青ざめさせた。

 傲然と顎を上げ、そんな彼を見下ろす視線でハツキは冷たく言い放った。


「おまえ達が何を思おうとおまえ達の勝手だ。好きにすればいい。だが、私はおまえ達と関わりになどなりたくない」


 ハツキがそう言い切ると、元同級生は慌てて頭を下げてきた。背後の学生達も追随して頭を下げる。その光景に、講堂から出てくる他の学生達が怪訝な目を向けてきていたが、ハツキは自分に頭を下げる学生達を捨て置き、無言でその場を離れた。すぐにでもあの光を追いかけたかったのだ。


 しかし、ベーヌの学生達に声をかけられている間に、光は何処かに消えてしまっていた。


 一瞬だけ目にしたのは、それ自体が輝いているようでもあった真っ直ぐに伸びる長い金髪と、テイルコートの後ろ姿。


 光が去って行った方へ小走りに向かったが、もう視界のどこにもあの金の光の粒はなかった。

 途方もなく立ち止まり、落ち込みそうになったが、小さく息をついてハツキは気を取り直した。

 今日ここで見かけたということは、あの光の主は自分と同じ王立学院大学の新入生である可能性が高いということだ。だとしたら、この先も授業の教室で見つけることが出来るかもしれないと。

 そもそもつい先程まで、あの光を発しているものが何かすら解っていなかったのだ。それがこの学内にいる学生らしいと判明しただけでも非常な幸運だろう。


 もう一度息をつくと、ハツキはシラバスを受け取るために、学生の姿もまばらになった大講堂玄関の方へ引き返していった。


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