昼のうつつ 夜の『夢』 2

「君がこの王立学院大学を受験したのは、私が君を推薦したからだったが、たとえ王立学院の教授の推薦であっても、入学考査の判定にそのことは加味されない。入学考査に合格したのは、間違いなく君の実力だ。そのことに誇りを持って、この学院での学生生活を送って欲しい」


 実力だと言われても、誇りを抱くほど何をした訳でもない。

 最終的に王立学院大学の受験を決め、入学試験に合格し、こうやってヴィレドコーリに出てくることにしたのは自分の意思だが、そこに至る経緯は、祖父が自分とこの教授を引き合わせ、そして推薦も取り付けてくれたというものだ。

 一体何に誇りを持てと言うのだろう。


 そもそも王立学院大学の学生となることが、自分の誇りとなり得るのだろうか。

 しかしそれが、この学院の教授であるグィノーに言うべきことではないのは理解している。思いを表情には表さず、無表情で「はい」とハツキはグィノーへ頷いておいた。


「チグサ君、君は臙脂のタイだと聞いたよ」

 淹れたての香り高い珈琲を運んできたボードリエが、祖父と父親の前に珈琲を置き、ハツキの前にも丁寧な仕草でカップを置きながら、人懐こい笑顔で尋ねてきた。

 その質問の意味が解らず、再度ハツキは首を傾げる。グィノーの前にも珈琲のカップを置き、応接卓の真ん中にクリームと砂糖を用意して立ち上がると、ボードリエはまた笑った。


「王立学院大学の制服は、一般の学生は上は黒のテイルコートにウエストコート、下は同じく黒のズボン、そして焦茶のリボンタイなんだけどね、成績上位者はちょっと違うんだよ。ウエストコートの色はベージュ、リボンタイは臙脂色になるんだ。だから学内では成績上位者のことを『臙脂タイ』って呼んだりするんだよ。で、君も入学早々その臙脂のタイの持ち主だろう?」


 確かに実家に送付されてきた王立学院大学の入学に関する書類には、その色の制服を揃えるように記載されていた。

 それを思い出し、改めて問われたボードリエからの質問には黙って頷いて返した。

 ハツキの返答に、珈琲を運んできた盆を手にしながら、ボードリエが嬉しそうに笑う。


「ああ、やっぱり凄いね。入学時から臙脂タイっていうことは、内部からの進学者だったら高等部での成績が、そして外部生の場合は入学考査の成績が優秀だったということなんだよ」


 続けて彼がそう言ってきたが、ハツキは自分が難しい試験を受けたとは思っていなかった。

 先程グィノーは、試験の結果に教授の推薦であることは関係がないと言っていたが、ハツキの正直な感想ではあの試験問題自体が一般の入学考査のものよりも易しかったのではないかと感じていたので、ボードリエに対してハツキはまた首を傾げた。


「……それこそ、教授が私を推薦して下さったからではないのですか?」

 ハツキの質問に、ボードリエの運んできた珈琲を飲みながら会話を聞いていたグィノーが、カップをソーサーに戻した。

「それが考え違いだ、チグサ君」

 淡々としたグィノーの言葉に、首を傾げたままハツキは視線を教授へと向けた。

 こちらを見つめる榛色の、こわい意思を宿した瞳と目が合う。その視線に、ああ、この方は下手な誤魔化しなどはなさならない人物なのだと、自分が勝手に思い込んでいただけらしいグィノーに対する印象を改める。


「私は、たとえ国の重鎮であられるカザハヤ公から相談を受けたのであっても、君自身にこの学院に来るに相応しい能力があるのだと判断出来なければ、君を推薦することなど決してしなかっただろう。そして先程も言った通り、教授の推薦があるからとはいえ、入学考査の結果に加味もされなければ、試験問題が一般入試に比べて易しい訳でもない。私から推薦を受けたこと、試験に合格したこと、そしてその結果成績優秀者として遇されること、全ては君の実力だ」


「私が言うと自慢だと思われるばかりですが、私の孫の中でもこの子とサネユキは本当に良く出来る子達でしてね」

 サネシゲの言葉にグィノーは笑った。

「事実、優秀なお孫様です。サネユキ様の噂も聞き及んでおります。彼と並ぶカザハヤ公の至宝の一方をこうして当学院に迎え入れられることが、我々にとってなんと喜ばしいことか。私をはじめとする王立学院大学部の教員一同、彼のような優秀な学生をご紹介いただたき、非常に感謝しております。彼の将来が実に楽しみです」


 グィノーが祖父と会話を始めたので、ハツキは自分の前に供されている珈琲にクリームを入れて混ぜ、両手でカップを持ち上げるとそっと目を伏せた。

 グィノーが嘘を言っている訳ではないことがちゃんと理解出来るようになったからこそ、今度はそのようにサネユキと同等に手放しで褒められることが面映ゆく、また将来を嘱望されているらしいことに申し訳なさを感じる。


 ここでは自由だと身内の皆は言う。

 そして実際自分も自由に過ごさせてもらおうとは考えている。

 けれどそれがいつまで続けていられるのだろうか。


 よしんば、無事に学生生活の四年間を過ごすことが出来たとしても、大学卒業後は、たとえその頃の立場がどのようなものであったとしても、自分はベーヌに戻らなければならない。

 自分の恩師になるだろうこの教授が期待するような将来は、決して自分には存在していないのだ。


 ──この方を騙しているようなものかもしれない。

 おそらくその事情も、祖父からこの教授に伝えられているとは思うけれども。

「ハツキ」

 珈琲を口にしながら考え込んでしまっていたハツキを祖父が呼んだ。

 我に返って顔を上げ、目の前に座る祖父に視線を向ける。 祖父の横では、おそらくまた砂糖を沢山入れ、甘いに違いない珈琲を手にしながら、父親が困った顔で笑っているのも目に入った。

 祖父は穏やかな顔でハツキを見つめてきていた。

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