4.昼のうつつ 夜の『夢』

昼のうつつ 夜の『夢』 1

 

 ルクウンジュ王立大学は、今から八〇〇年程前にルクウンジュ王家によって設立された、国内で最も歴史および権威のある大学だ。

 時代を下って大学付属の高等部、中等部、幼年部及び幼稚舎も作られ、現在では全てを合わせて王立学院と称されるようになり、一貫校としての特色も持つようになったが、それでも王立学院中の学生数も教員数も大学部の人間が大部分を占めており、今でもやはり大学部が一番の主であった。


 ヴィレドコーリに到着した翌日、祖父、父と共にハツキは王立大学文学部研究棟を訪れた。

 大学の正門までは、医学部を見学するサホと彼女の付き添いのサネアキも一緒に来ていたが、構内は徒歩で行くと言って彼らはそこで車から降り、正門からマロニエ並木の構内大通りを真っ直ぐに東へ進む大講堂の方へ歩いて行った。

 ハツキ達はそのまま車で、正門から二つ目の十字路を南に曲がり、蜂蜜のような色合いの石で造られた建物の間の道を進んだ。新しい建物の中にはレンガ造りのものもあるが、王立学院に古くからある建物はこの石で造られており、時代を感じさせる風合いが美しい。


 文学部研究棟の前に車を停め、建物の中に入る。

 王立学院も国内の他の学校と同じく春休みに入っているので、構内に入ってからも学生の数は少なかったが、文学部研究棟の中は更に閑散とした雰囲気だった。人気ない階段を上る三人の足音が石造りの建物の中に響く。

 目指すグィノー教授の研究室は研究棟の四階だった。


 階段から部屋までの廊下の窓からは建物の周囲の植樹を見下ろすことが出来る。

 建物のすぐ傍の木々は、冬の間落葉するいろは紅葉のようだった。ベーヌでは未だ芽が固いものが、ここではもう縁を朱色で彩る明るい黄緑色の若葉が芽吹いているのが見て取れた。またいろは紅葉の並木からそのまま続いている構内の緑地には、見事に茂る常緑樹が多く植えられ、春の午前中の日差しに緑の葉が柔らかく輝いていた。

 大学部には様々な学部があるので当然といえば当然なのだが、入学試験の時に感じたようにここの敷地は広いのだと再度思う。


 これだけの広さがあるのならば、自分以外のベーヌ出身の学生に会わなくて済むだろうか。淡い期待を持つ。


 前を歩く祖父が立ち止まったので、ハツキも足を止めて、すぐ傍の黒光りがするマホガニーの扉に目を向けた。扉横の壁に掲げられた表札にはグィノー・コンラドの名前がある。サネシゲが扉を叩くといらえがあり、中から扉が開かれた。

 昨年の秋にベーヌで会った、麦藁色の髪を丁寧に撫でつけ、榛色はしばみいろの瞳をした几帳面そうな初老の男性がサネシゲを見て礼をし、次いでハツキの姿に目許を綻ばせた。


「お待ちしていました」

「先生御自らお出迎えくださるとは……お忙しい中、お時間をいただき恐縮です」

「何をおっしゃいますやら。カザハヤ公に比べましたら、春休み中の教員など暇を持て余しているようなものです。さあ、どうぞ中へ」

 この研究室の主、グィノー・コンラドに招き入れられて部屋に入る。


 扉を開いたままのグィノーの傍を通る時、ハツキが軽く会釈をすると、グィノーは再度目許を緩めた。

 日の光が差し込む明るい部屋の中にはもう一人、栗色の緩く癖のある髪をした若い男性がいて、彼は客人を目にするとにこやかに微笑んで礼をした。

「彼は私の研究室に所属する大学院生のボードリエ・アルノー。来学期からはチグサ君の先輩になります」

 グィノーから紹介を受け、祖父と父親がボードリエに挨拶をする。

 その後ろでハツキも彼に会釈をすると、ボードリエは少し目を見張り、それから再度笑った。


「ようこそチグサ君。先生からお話を伺っていたし、君のレポートも読ませてもらって、会えるのを楽しみにしていたんだ」

「……ありがとう、ございます」


 頭では、ここはもうベーヌではなくヴィレドコーリであることは理解していた。

 けれど実際に、今日初めて出会った赤の他人のボードリエから何の気負いもない言葉をかけられ、最初に感じたのは困惑だった。


 果たしてここにいられる間に、こんな違和感を感じなくなる時は来るのだろうか。


 そう思いながらハツキはボードリエへもう一度頭を下げた。

「ボードリエ、お客様に珈琲をお出ししてくれるか」

「はい、先生」

 グィノーに頼まれ、ボードリエは手にしていた本を傍の机の上に置くと、部屋の隅の小さな流しに行って珈琲の用意を始めた。


 ハツキ達三人はグィノーにソファを勧められ、部屋の窓を背にしたグィノーの机の前にある応接椅子に順に腰を下ろした。奥の長椅子にサネシゲとアリタダ、手前の二つ並んだ一人掛のソファにハツキが座る。ハツキの横、扉側の椅子にグィノーが腰を掛けた。

 グィノーが隣のハツキに顔を向けてくる。 ハツキを見るその表情はやはり柔らかい。

 そうやって自分に目を向けてくる教授に、ハツキは小さく首を傾げた。

 応接卓の向こうで、父親と祖父が困ったような表情をしていたが、特に何も言ってくる気配はなかったので、ハツキは黙ってグィノーを見つめていた。

 ハツキの反応にグィノーが苦笑をしながら口を開く。

「チグサ君。まずは合格おめでとう」

 それは貴方が推薦をして下さったからではないかと思いつつも、ハツキは表面上は素直に「ありがとうございます」と頭を下げた。

 しかし、そんなハツキの心の内が解ったのか、グィノーは更に言葉を継いだ。

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