3.ルクウンジュ国
ルクウンジュ国
ルクウンジュは光神ユーウィスが拓き、民に与えた国だった。
ルクウンジュ国は北半球最大の大陸、セーリニア大陸の最西端、ラティアナ半島の全土を占めていた。国の地理的の特徴としては、南北と西を海に囲まれ、大陸とは、年中厳しい気候に覆われる標高五〇〇〇メートルを超す雪と氷に閉ざされた峻険なネイジャブリ山脈と、その南方に広がる熱風吹きすさぶ苛烈なアルダン砂漠によって遮断されていることが上げられる。
だが周囲の気候状況とはうらはらに、国内は気候が穏やかで、国土は肥沃な大地が広がってた。
ルクウンジュの国民の大多数を占めるラティルト人は、ラティルトにラティアナの大地を与え、現在はルクウンジュ北西・クラオン平野にそびえる霊峰バランス山に
言語はルクウンジュ語を使用し、外見的特徴は、彫りの深い顔、色の薄い肌、がっしりとした骨格等が挙げられる。また髪の色は金髪から茶色、赤、黒と多種多様であり、瞳の虹彩の色も明るい青色から緑、暗い茶色とこちらも様々な色を持つ者がいた。
しかし、このルクウンジュ国内でも、東部山岳地帯の盆地に位置するベーヌ地方では、いささか特殊な人種構成及び宗教となっていた。
ルクウンジュは険しい地理に阻まれ、また半島のつけ根を挟んだ隣国エィラームとは宗教上の対立があったため、陸上での他国との交流は活発ではなかったが、代わりに三方を占める海に向けての海上貿易が盛んであり、古来より遠く他大陸まで船を送って、人や物の行き来が行われていた。
その中でも、セーリニア大陸の南東クィールム洋を渡り、赤道も越えた先にあるヨーデア大陸に位置するヤウデン国とは、文化の違い等はあるものの人種的な気風が互いに合ったのか、数百年の昔から友好的な関係を保ち続けていた。ヤウデン国は現在でもルクウンジュの最大の貿易相手国である。
そのヤウデン国において三〇〇年程前、内乱が勃発し、最終的な終息をみるまでに十年以上各地で戦乱が続いた期間があった。その時代に、ヤウデンでの戦乱を逃れるため、またルクウンジュにはないヤウデンの技術をもってルクウンジュの発展に寄与するためにこの国へやって来た一団がいた。
ヤウデンとの貿易港の一つを有する大貴族、ヴァロワール領主メルシエ公爵の口添えによって、技術移民としてやって来た彼らに、当時の国王はベーヌの地を与え、ベーヌを実り多き土地にするように命じたのだった。
その頃のベーヌは、狩猟を主とするラティルト系山岳民が住まう、農業については発展の遅れたルクウンジュ内でも貧しい地方であった。ヤウデンからルクウンジュに渡ってきた一団は、ヤウデンの優れた灌漑技術と、またヤウデン原産でベーヌのような冬の寒さが厳しい寒冷な高地でも育つような植物の苗木をもってベーヌを実り豊かな土地にすることを期待されたのである。
彼らはメルシエの領地である北部ヴァロワールの港から、プリヴァ河を上ってベーヌに入り、一団を率いるカザハヤ、ヤウデン国教
そしてルクウンジュ国王の期待通りにベーヌを豊かな土地にしたのだった。
その功績が認められて、カザハヤは国王よりベーヌの領主権を与えられ、またルクウンジュ貴族に叙され現在に至っている。
そのベーヌにおいては、移民の初期の段階から、旧来の山岳ラティルトとヤウデンからの移民との間の融和が積極的に行われていた。
そのためヤウデン国からの移民の末裔とは言え、現在ではその氏名の特徴にのみ名残を残し、外見は山岳ラティルトとほぼ同じになっている者が多数である。だが、ルクウンジュの他の地方とはダインリューの険しい山々に隔てられていることもあって、ヤウデン人の特徴を残している者の比率もまた、国内他地方に比べて高かった。
中でも、カザハヤをはじめとする移民を率いてきた氏族のいくつかは、移民以来の数百年、ラティルトとの混血は一切行わず、今日でもヤウデンの血をそのまま残していることが知られている。
人種としてのヤウデン人はラティルト人と比較して骨格は細く小さく、肌は黄褐色を帯び、顔立ちの彫りが浅い。また頭髪の色も、多種多様なラティルト人とは異なり黒からせいぜい焦茶、瞳の色も茶色から暗い褐色であるのが特徴だった。
宗教に関しても、ベーヌではもともとユーウィス教の中でもベーヌを囲む山々の中で最高峰であるセーハイネ山に坐すといわれる、精霊セーハイネが山岳ラティルトの中で信仰されていた。
しかしヤウデン人の入植以降は、ユーウィス教教会がルクウンジュ国民の信仰の自由について宗教的寛容をもってある程度認めていたこともあって、ヤウデン人が持ち込んだ天之神道もベーヌのヤウデン系に信仰される宗教として生き延びることとなった。
その天之神道がセーハイネを崇める山岳信仰及び精霊信仰と結びつき、現在ではベーヌ独特の宗教としてベーヌ州内で広く信仰されるようになっていた。とはいえ当然ユーウィス教を信仰する者達も多いので、域内にはユーウィス教の教会もある。
信仰に関わりなく、祭の時などには天之神道の社にもユーウィスの教会にもベーヌの人々は詣でるがごく一般的だった。
ベーヌの交通の便に関しては、古くはヤウデンからの移民達がとったようにプリヴァ河を使う方法が主流であった。
ベーヌから王都ヴィレドコーリへの行程も、ベーヌからヴァロワール地方・サンヒナ湾に注ぎ込むプリヴァ河を下り、そこから海に出て、西に突きだしたチュール半島を回って南下し、イズネー湾に流れ込むクルーヌ河の河口から河を上るという船を使ったものが一般的だった。
ベーヌから西方、王都方面に向けて広がるダインリュー山脈を越える街道も存在していたが、こちらは険しい山の中を行くために難所が多く、貨物の運搬に適さないばかりか、毎年山越えの事故が絶えない道だったのである。
ヤウデン人がヤウデンから持ち込み、ベーヌの特産とした林檎及びその加工品であるブランデーやシードル、また同じく持ち込んで生育に成功した漆を使った工芸品などは海路によってヴィレドコーリに運ばれ、王都においても高く評価されるものであった。
しかし海路は大変な大回りとなり日数も要するため、ダインリュー山脈を越える鉄道の開通がベーヌの住民からは長く望まれていた。
先代ベーヌ領主カザハヤ・サネシゲの尽力もあり、ベーヌ・ヴィレドコーリ間の鉄道が開通して十余年。
正歴一八一九年の現在。ベーヌ・ヴィレドコーリ間の人や物の流れは本格的なものなってきていた。
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