街の煌めき遠く溢れ 4
ハツキはこの後もサネユキと一緒にいて話をしたかたのだが、彼はこちらの顔を覗き込みながら微笑して言った。
「おまえ、汽車の旅で疲れているだろう。明日もおまえの先生となられる方との面談なんだ。今日はもう風呂に入ってゆっくり身体を休ませておけ」
「汽車の中でもちゃんと眠ることが出来たよ」
事実を告げることで彼に反論をしたが、彼は笑みを深くしてあしらっただけだった。
「アキがいたんだ。出来ていなければ困る」
そう言って兄に対する信頼を垣間見せ、サネユキはハツキを抱き寄せた。
「明日からはいくらでも時間が取れて、またおまえと一緒に過ごすことが出来る。わざわざ急ぐ必要など、どこにもないだろう? 今日はおとなしく俺の言うことを聞くんだ」
彼の言うことも、ある一点を除けば真実だった。これ以上の反論は出来ない。
彼の匂いを深く吸い込み、気持ちを落ち着かせる。
ハツキがようやく素直に頷くのを見て、サネユキはハツキの頬にキスを寄せてきた。
キスをした後ハツキを離しながら、サネユキが近くにいた使用人に、この後外出をするので彼の護衛の者に車を用意するよう言伝を依頼する。
それを目にしハツキは、昔と違い今は彼には彼の予定もあるのだと己に納得をさせるしかなかった。
サネユキに言われた通りおとなしく風呂に向かい、温かく心地よい湯にゆっくりとつかって旅の疲れを癒やすと、ハツキは部屋に戻った。
カザハヤは王都の住まいも広大な屋敷なので、主人風呂、家人風呂、客人風呂、使用人風呂とあるだけでなく、主人風呂以外は男女で浴室が分かれている。
女性の多い実家とは異なり、女性用の客人風呂を一人で気兼ねなく使えることにもサホは非常に感激していた。ハツキと同じように、彼女も食後すぐに風呂に行ったが、多分まだ長々と入浴中だろう。
ハツキは部屋に入ると、明かりを点けずベッドの横を通って西側の窓へ向かった。
窓を開け、用意されている外履きを履いてバルコニーに出る。ベーヌよりは暖かいとはいえ、ヴィレドコーリの
湯冷めをしないように、寝間着の上から羽織った厚手の肩掛けの胸元を合わせ直しながら、ハツキはバルコニーの手摺の傍まで向かった。
夜の闇に暗い影となった庭の木々の向こうに、明るく光るヴィレドコーリの中心地を見ることが出来る。
太陽のある日中の景色だったら、周囲を標高の高い山々で囲まれた盆地になっている故郷ベーヌの風景が好きだ。
だが夜の景色は、まるで地上に天空の星の煌めく夜空が広がるようにも思われる、この場所からのヴィレドコーリ中心地への眺めが好きだった。
あの光の一つ一つに人の息吹を感じることが出来る。
自分がその中に交わることが出来ないと解っていても、解っているからこそ、かけがえのないそれらが愛おしい。
それが夜のヴィレドコーリの景色が好きな理由の一つであるのかもしれなかった。
しばらくそうして街を見つめていたが、不意に小さなくしゃみが出て身体が震えた。
ベーヌほどではないとはいえ、やはり夜の屋外は冷える。
すん、と鼻をすするとハツキは部屋に戻った。
セントラルヒーティングで暖められた室内の温度にほっとしながら、真新しいシーツで用意されているベッドに腰掛けて天井を見上げる。窓から入る庭園灯の明かりが、天井にぼんやりと窓枠の影を映し出す。
昼間汽車の中で休んだので、特に眠気はない。
本でも読んで時間を潰そうかと視線を動かし、視界に部屋の書棚が入ってきた。
キミノリが用意してくれたその書棚には、既に何冊かの本やノートが入れられている。しかし暗がりの中それを目にしても、何の食指も動かなかった。
それによって自分の神経が昂ぶっていることに気がついた。
おそらく、ハツキも自覚していなかったこのことを見抜いて、早めに休むように指示をしたのだろうサネユキの慧眼に、今に始まったことではないとはいえ畏れ入る。
昨年の
実際に成年を迎えられたとはいえ、自分がベーヌを、あの土地を離れられるなど、ほんの半年前までは想像もしていなかったことだった。
もう、自由になっていい。
サネユキをはじめとする家族や親族が、そう言ってハツキに自分のしたいようにしたらいい、自分の人生を生きたらいいのだと、今回のことをお膳立てしてくれた。
そのことは言葉では言い表せない程に有難く感じている。
ここにこうやって、本当に自分がいることは、知らず興奮してしまっていたまで信じがたいほどに嬉しい。
けれど。
不意に我に返ると、昂ぶりは霧のように消えていった。
虚ろになった胸の内を持て余し、天井を見上げたまま、ぽすんとベッドに上半身を倒す。
──果たして、いつまで。
悔いのない大学生活を送りたいと思っている。
また、自分をヴィレドコーリに送り出してくれた、自分を思ってくれている人達の望みが叶えられたらと願ってもいる。
真実願っているのだ。
目を閉じ、右腕で両目を押さえる。
──けれど、神がこれを与えることを望まれた。
どんなに請い願っても、叶わない現実が厳然とここにあることを忘れることは出来なかった。
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