汽車は春の丘を越えて 2

「ハツキ」

 呼びかけられ顔から腕を離して目を開けると、テーブルの横に父親のアリタダが立っていた。


 ヤウデン系としては標準的な身長で、いささか肉付きの良いがっしりとした体型と、朴訥とした雰囲気の顔つきの父親は、体型も顔立ちも母方のカザハヤの特徴を引き継いだハツキとはあまり似ていない。

 けれどもハツキは、自分が小さな頃よく頭を撫でてくれた、父の農作業で節くれ立った無骨な手や、林檎の木を見上げる自分を乗せてくれた大きな肩が大好きだった。


「前、座るぞ」

 そう言ってアリタダはテーブルを挟んでハツキの向かいに座り、テーブルの上に手にしていたシードルの瓶と二つのグラスを置いた。


「これ……」

「ああ。うちから持って来て、冷やしておいてもらったんだ。……ベーヌを出てから、おまえと飲みたくてな」


 言いながらアリタダは瓶の機械式詮をぽんと開け、各々のグラスにシードルを注いだ。注ぎ終えて一つをハツキに差し出し、もう一つを己の手に取ってハツキに向けて掲げてみせる。

 父親の姿にハツキは小さく笑い、差し出されたグラスを受け取って父親と同じように掲げた。

 そのグラスにアリタダが自分の手にしたグラスをかちんと合わせる。


「ハツキのベーヌからの門出に」

一時いつときのことだよ。大げさだなあ……」

「いや、人生何があるか解らんぞ? ほら、飲んだ飲んだ!」


 父親に急かされ、ハツキは苦笑してグラスを傾けた。チグサの林檎畑で採れた林檎を使って、チグサの醸造所で造られたシードルだ。

 汽車の中で飲む馴染みの味に、少し気分も晴れ自然と笑みが出る。自分のグラスの中身を一息に飲んだ父親も、満足そうに息をついていた。


「うちのがやっぱり美味しいね」

「だろう? 王都のカザハヤ屋敷にも多く入れさせていただいているから、あちらでも飲めると思うぞ。まあそれより。おまえとは今までこうやって二人で一緒に飲むことも出来なかったから……やっとその機会が訪れたと思うと、嬉しくてなぁ」


 父親の言葉にハツキの視線が落ちた。

 テーブルの上、両手で抱えたグラスの中で、金色の液体が微かに泡を揺らす。


「……ごめんなさい」

「こら、こら!」そう言ってアリタダは手を伸ばし、俯いて謝罪の言葉を口にしたハツキの頭をくしゃくしゃと掻き回した。それでも俯いたまま顔を上げない息子の姿に、手を引っ込めて溜息をつく。


「俺は嬉しいって言ったんだ。それを解ってくれ。変に気を回しすぎるな」

「でも、お父さん」

「でもじゃない。そりゃ、うちでおまえとこうすることが出来なかったのは残念だったが、それは決しておまえのせいじゃない。俺はうちの自慢の息子が、そうやっていらん気遣いをして俯いてしまっているほうが嫌だぞ」

「…………」


 そこまで言われると仕方がなく、ハツキは躊躇いがちに顔を上げた。表情は浮かないものの顔を上げたハツキのグラスにアリタダはシードルを注ぎ足し、自分のグラスにも手酌で酒を注いだ。今度は一息に飲み干すことはせず、一口飲んでゆっくりとグラスを回す。


「今回のことはサネユキ君を初めとしたカザハヤの皆様のご尽力があってのことだが、俺はおまえがヴィレドコーリに行くことが出来るのが本当に嬉しいんだ。他人から親ばか扱いされようとも、俺はおまえがベーヌに埋もれたままでいるのは惜しいと昔から思っていたからな」

「え……? それは僕だって言いたいよ。だって、僕は大層なことなんて何もしていないもの」

「うちの息子は何を寝言を言うかなぁ」呵々とアリタダが笑う。

「つまらないからと言って学校の授業には全く出なかったのに、試験の成績は在学中見事に毎回首席だっただなんて人間は、そうそういるもんじゃないぞ!」


 父親に笑って指摘されたことが事実であるために、ハツキは再度父親から視線を逸らして口を閉ざした。

 解りきったことばかり教える授業がつまらないだけでなく、教師も含めた周囲の人間の態度も気に食わなくて、昔からハツキは学校が大嫌いだった。それでも両親があくまで自分をチグサの子として育てようとしていたことを解っていたので、小学校はまだ渋々と通学した。

 けれど中学校に入る頃になるといよいよ耐えがたくなってしまい、そのため中学校以降は定期考査の日以外は一切学校に登校しなくなってしまった。代わりにハツキは、野外に残る過去の遺構やカザハヤの屋敷の図書室、また自分が自由に出入り出来るベーヌの神殿で興味のあることを調べたり自習したりしていたのだった。


 しかし父親はこうやってハツキのことを笑うが、中高六年間のハツキのこの態度を放任していたアリタダや、母親のユウコもただ者ではないと言えるだろう。


 そもそも自分をチグサで育てようと決めてくれたことが、ベーヌでは前例のないことだったのだ。


 そんな自分の親に何を言い返したところで、軽くいなされてしまうだけだ。ハツキは無言のまま小さく首を傾げると、シードルのグラスを口許に運んだ。

 林檎の香りと柔らかな酸味が心地よい。


「あ、父様と兄様、いいもの召し上がってる」

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