1.汽車は春の丘を越えて

汽車は春の丘を越えて 1


 高く汽笛が響く。


 ベーヌ地方を出るまでは山間部の川沿いを走っていた汽車だが、一晩明けるとベーヌを出て、色とりどりの花々が競うように咲く、ルクウンジュ国内の一般的地形であるなだらかな丘陵地帯に入っていた。


 未だ雪の深いベーヌとは異なり、新芽萌ゆる若草を食む羊や山羊の群れがいる丘を、ベーヌでは未だ蕾が固い房アカシアの黄色、白木蓮の白、桜の薄桃色などが彩っている。その景色が、春の暖かい陽光と霞がかった淡い水色の空の下、眠気を誘わんばかりのうららかさで続いていた。


 皆で朝食を摂った後、ハツキは一人で談話室の席に着いて彼の緑の瞳を車窓から外に向け、そんな春のルクウンジュの景色を眺めていた。


 受験のために王都に向かった前回の往復もそうだったが、今回も往路を貸し切り運行としているこの汽車には、一緒に王都に向かう家族の他には乗務員しかいない。贅沢だなと思いつつも、カザハヤの祖父の気遣いによるこの環境は嬉しかった。高校が春休みであるので今回のヴィレドコーリ行きに一緒についてきた妹のサホは、汽車に乗り込んだ昨晩から大喜びで編成の中を走り回っている。


 ベーヌを出る前日に自宅で切ってもらった髪も軽い。「貴方は、貴方のしたいようにしたらいいのだから」

 切り落とされたばかりのハツキの長い黒髪を揃えながら母親は言った。その髪は、今度の秋の大祭のためのかもじにされる予定だった。

「心置きなく楽しんでらっしゃい」

 きっと、母こそが一番それを望んでくれている。

 そのことを解っているからこそ、そう言って自分を抱き締めてくれた母親の腕の中でハツキは黙って頷いて返したのだ。そして昨夕、出発の前に寄ったカザハヤの屋敷で会った曾祖母も、髪の短くなったハツキの頭を撫でながら出立を言祝いでくれた。


 ハツキも王都ヴィレドコーリでの新しい生活に不安はあるが、それでもそれを上回る期待も持っていた。ほんの些細なことでいい。何か楽しいことがあってもいいだろうという希望もある。


 いつしか葡萄畑が広がっていた景色から目を離し、ハツキは座席の背に凭れて腕で両目を押さえた。


 周囲にどんな思惑があろうとも、最終的に今回の進学を決めたのは自分自身だ。そのことに後悔など一切ない。

 けれど抗いきれないものがあることもまた、ハツキにははっきりと解っていた。


 そんな懸念に加えて、昨晩は慣れない汽車の中でろくに眠ることが出来なかったので頭が重く、目覚めからずっと気分が良くない。

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