第316話 漆黒の女神


「そんな、馬鹿な……」


 目の前に現れたそれは、真っ黒なもやの集まりではあったが、紛れもなくフォリアの形を作っていた。


『……ウ……ァァ……』


 それは声を出した。微かな、俺にしか届かないような声だが、喋ろうとしている。


 形の良い唇が開きその奥が見えたが、中は深淵しんえんの闇のように真っ黒なうろだった。


 これはなんなんだ。


 黒い霧——グロスデンゲイルの残滓ざんしだろうか?でも声を出すなんて。


 フォリアの形をしているが、そのふちは黒く揺らめいて定かにはならない。その声も、ぼんやりと響くものだった。


『オ、マエ……ハ……』


 それは微かに絞り出すような声なのに、皆が振り返った。勝利の歓声はしおが引くように掻き消えて、皆がこちらを見ているのがわかる。


 フォリアが俺の背に向かって叫んだ。


『そやつは何だ?ヒロキ、下がれ!』


 俺は振り返ってかぶりを振った。そして漆黒のフォリアに向き直る。これは俺が向かい合わなければならないものではないだろうか。


『お前ェは……恨まなイの、か……』


 言葉がだんだんとはっきりしていく。


『お前、は……妬まない、ノカ……』


「俺?」


『そうだ、お前ハ、他人を、憎まナイのか……?』


 漆黒のフォリアが俺に向かって話をしている。


「俺だって、他人をうらやむことはあるよ。嫌ったりするし、もしかしたら憎むこともあるかも知れない」


 すると間髪入れず、奴は言葉を継いだ。


『そうダろう!お前ノ中にも、負の感情は有るダろう⁈何故なぜ我だけガ排除されるノか⁈』


 ああ、そうなんだ。

 コイツはコイツで、納得してこの姿でいるわけでは無いんだ。


『誰も彼もが持ツ負の力が、我ヲ形作る!我は必要なイと捨てられるのに、皆が我を否定スる!』


「……」


『我は間もナく消えるだろウ!だが忘れルな、お前の中にモ我はいるぞ!我は消エぬ——』


「知ってるよ」


 俺は微笑んだ。

 自然に笑いかけていた。


 漆黒のフォリアは驚いたように口を閉じる。


「俺は知ってる。俺の中に君が言う感情がある事を。だけどそれだけじゃない。俺の中には、その反対の気持ちもたくさん詰まってる」


 漆黒のフォリアはその形を大きく崩した。もう、形を保っていられないのだろう。


「誰かを大切に思う気持ちも、いろんなことに挑戦する気持ちも、前に歩こうとする気持ちもたくさんあるんだ」


 黒い霧のフォリアは足元からどんどん消えていく。


『ウウウ……そんナ……馬鹿な……我は…捨てラれる存在……』


「俺の中にも君はいるよ。でも俺は——俺達は君を抱えていても、笑って生きていくよ。乗り越えて行くんだ、俺達は」


 最後の最後に、消えゆく黒い霧は——グロスデンゲイルはフォリアの顔で笑った。にこやかな笑みを少しだけ浮かべて——夜明けの空に消えていった。



 つづく

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