第4話 懐かしい本の匂い-旺文社文庫

 前回、辻邦生さんの本の匂いについて書きながら、別の匂いを懐かしく思い出していた。旺文社文庫だ。


 中学生のとき(1970年代)、夏休みには必ず読書感想文が宿題に出た。もちろん、自分の本や、図書館で借りた本、一般の本屋さんで買った本でもいいが、おすすめ本が学校で売られていた。強制されたわけではないが、ほとんど全員が学校で買っていた。


 毎年、夏休み前のある日、体育館の一角にテーブルが組み合わされてセットされ、旺文社文庫がずらりと山積みになっている。他の出版社の文庫は、1冊もなかった。その当時、私の田舎の中学校は、旺文社(あるいは地元の本屋さん)と、とても仲がよかったようで。最寄りの本屋さんがある街まで、中学校から数キロメートル(!)は離れていたので、便利と言えば便利だった。販売員は、先生だったかな、本屋さんだったかな。


 私が体育館で買い求めたのは、『十五少年漂流記』とか『坊ちゃん』とか『あすなろ物語』とか『車輪の下』だった(なんという昭和の中学生的・古典的ラインナップ!)。タイトルに惹かれて『日はまた昇る』も手に入れた。どん底から這い上がるようなヒューマンな物語を想像していたら、まったく違っていた。当時はあまりよくわからなかったけれど、それまで読んだ本にはない「大人の世界」が垣間見られて、夢中になって読み終えたものだ。


 その頃の旺文社文庫は、緑色の紙の函に入っていて、本体のカバーも緑色だった(その後、いつからか函なしになり、さらにいつのまにやら文庫自体がなくなっていた)。函のちょっとざらざらしたさわり心地と、本体のつるっとした感触の落差が絶妙だった。そして、とてもいい匂いがした。あの頃の夏休みの思い出と混じり合った、少し青臭いような匂いだったなー。


 記憶にから蘇る文庫本の匂いは、昔のことだから印象が増幅しているのかもしれないが、出版社それぞれ、いまよりも個性があった気がする。金子みすゞさんではないが、みんな違って、みんなよかった。


 昔の講談社文庫もお気に入りだった。カバーや表紙のデザインが、現在とはぜんぜん違っていたが、そのクリーミーというか、甘酸っぱいような匂いに包まれながら、五木寛之さんの『青春の門』を読んでいたことを思い出す。


 まあ、あんまり本の匂いを嗅いでいると、うっかり近づきすぎて鼻が本とくっついて、それが夏だったりすると、鼻のアタマの汗のシミができてしまったりするのは、困る。


 次回は、かつての隣人、「ミスター・ファッキュー」について。

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