ネオン
東京の空に星は見えない。
聞いてはいたが、これほどまで見えないとは思っていなかった。雪で浄化された空気の中で、オリオン座がくっきり見えたくらいで感動してしまうほどとは。
だがもう、挫けそうだった。
作業療法士とは、事故や病気の後遺症が残ってしまった人に訓練を行い、日常生活が行えるよう、社会復帰できるよう、いわゆるリハビリテーションを行う仕事だ。
フラストレーションの溜まった患者さんから、あたられることもある。今日はついていなかったが、ちょっとしたイントネーションから関西出身であることがバレ、そこにマイナスな反応をされてしまったのはくやしかった。
関西弁を嫌う人もいるから標準語で話すようにと先輩に言われていた。望実も気をつけていたつもりだったが、番号の数え方など、ほんのちょっとしたことでわかるらしい。
「もう1年、頑張ってきたのにな……」
夏休みに会った地元の友達に、話し方が変だと笑われたことを思い出す。
故郷にも、東京にも、自分の居場所はどこにもないような気がした。
気がつくと、ベンチの反対側に犬を連れた男の子が座っていた。犬はまだまだ歩きたいとでも言うように、男の子の足の周りをウロウロしているのだが、男の子は一向に立ち上がるそぶりを見せない。
少し奇妙に思い、望実は立ち上がり、後ろを気にしながら家路についた。
男の子がついてくることはなかったが、こちらを見ていたような気がした。
翌日も、望実は河川敷にいた。勤務先からの帰り道、ここで空を見上げるのがもう日課になっている。相変わらず星は見えない。
気づけば今日も、あの男の子が反対側に座っていた。グレーのパーカーにハーフパンツ。散歩中の休憩か、時間潰しでもしているのだろう。今日は気にせずにいることにした。
桜が散ったあとの東京は、過ごしやすい気候で夜風も気持ちいい。
少しだけリフレッシュできた望実は、立ち上がり、帰路についた。
明日から休日になる前の日、その日もまた、望実は河川敷に座っていた。今日は仕事で辛いことがあった。患者さんのために必死でメニューを考えて、一日でも早く日常生活を送れるようにと願っているのに、訓練の痛みは時として患者さんに猜疑心を持たせる。
望実は星のない空を見上げた。涙が耳の真横を通り、髪の毛の中に消えていく。
自分はこの仕事に向いていないのかもしれない。だからと言って、別の仕事ができるとも思えない。
星一つ見えない空は、望実の悩みに何も答えてくれなかった。
「ちょっと、お姉さん!」
突然声をかけられて、望実は声の方向を見た。いつの間にか、いつもの男の子が犬を従えてベンチに座っていた。
「今日ちょっと長くない? 僕もう帰らないといけないんだけど」
「…………」
望実は何を言われているのか全くわからなかった。
「お姉さん、毎日ここにいるでしょ。余計なお世話かもしれないけど、一人でいるなんて危ないよ」
男の子は話続ける。話し方からして、中学生の男の子だろうか。
「いつもはお姉さんが帰るまで待ってたけど、今日はもう僕帰るから。お姉さんもすぐに帰るんだよ!」
そう言って、男の子は足元をちょこまかと走り回る犬を連れて走り去っていった。
冷え切っていた心に火が灯った。
男の子を追いかける視線の先に、対岸のマンションの明かりが、涙で滲んで光って見えた。
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