二度目の結婚式
「ああ、いい気持ちだ」
先程までの足先のかゆみも、床ずれの痛みも全く感じない。
ベッドの脇では子供や孫たちが「おじいちゃん!」と少し恥ずかしそうに、でも懸命に、声をかけている。
皆の顔を見回したいが、大きな目やにで視界がぼやける。
目やにを取るために手を持ち上げる体力も、気力も、もう残っていなかった。
もういいんだ、ありがとう。こんなにたくさんの人に囲まれて、幸せな人生だった。
一成は温かな陽射しに包まれてふわふわと浮いているような気がした。
ありがとう。ありがとう。声にならない言葉を頭の中で穏やかに繰り返した。
ああ、やはりもう一度、皆の顔をよく見たい。そう思って目をこする。合わなかった焦点がふいに合った。
一成は美しい草原の中にいた。
一成はもう一度目をこすった。しわくちゃで皮膚の余っていたはずの手が、若々しくゴツゴツとしたものに変わっていた。
ああ、もう俺はこの世とは違う世界に来てしまったんだな。
随分とあっけなく、しかし幸せな幕閉じだった。
遠くから、日傘をさしてやってくる白いワンピースの女性が見えた。見覚えのあるその姿。「みつ……」口元が緩むと共に涙が目に浮かぶ。まさかもう一度会えるなんて。一成は立ち上がり、震える手で彼女を出迎えた。
「一成さん」
出会った時、恋に落ちた時の
「一成さん、長い間お疲れ様でした。ずっと待ってたんよ。ここで」
一成は声を出せず、美都子の左手を両手で握った。
ある日事故であっさりと、そしてあっけなく目の前から消えてしまった美都子。ずっと会いたくて堪らなかった。
「みつ、僕と結婚してください」
若かりし頃の美都子を前に、口から言葉が飛び出た。
「いきなり何言いよるん?」
美都子は笑った。
「私ら結婚してたやないの」
美都子の左薬指には一成と交わした結婚指輪が長年の月日を越えて鈍く光っていた。
二人は見合い結婚だった。遠縁の親戚から紹介された美都子に一成は一目惚れだった。だが、当時の一成には日頃の感謝も、溢れ出る美都子への愛情も、口に出すことができなかった。
「みつ、今の結婚式を知ってるか? 三三九度だけじゃないんだぞ。ちょうどこんな、緑の溢れる協会で友達を呼んでわいわいしたり、二人だけで式を挙げてもいいんだぞ」
一呼吸おき、一成は震えながら言った。
「みつ、ここには牧師もいないし、俺にはここがどこだかもわからないが……。健やかなるときも、病めるときも、喜びのときも、 悲しみのときも……ずっと、みつと一緒にいることを誓うよ」
子供や孫の結婚式で覚えた言葉をできる限り言った。
「ひと目見たときから、好きだったんだ」
美都子は笑う。
「そんなん、とっくの昔から知っとうよ」
二つの影が日傘の中で一つになるのを、風にゆれるたんぽぽが見ていた。
光 しゅりぐるま @syuriguruma
★で称える
この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。
カクヨムを、もっと楽しもう
カクヨムにユーザー登録すると、この小説を他の読者へ★やレビューでおすすめできます。気になる小説や作者の更新チェックに便利なフォロー機能もお試しください。
新規ユーザー登録(無料)簡単に登録できます
この小説のタグ
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます