第7話 敗戦の代償

 ざわざわ・・・


 ざわざわ・・・


(・・・うるさいなぁ。疲れてるから静かにしてもらえませんか?)


 ざわざわ・・・


(何を騒いでるんですか?どうせなら聞こえるように言ってください。)


『なぁ聞いたか?あいつ、ドランさんにたてついて返り討ちにあったらしいぜ。』

『あぁ、馬鹿な奴だよな。』


(・・・僕のことを言ってるんですか?)


『馬鹿っていうか恥ずかしすぎるだろ?自分から勝負を挑んで返り討ちだろ?』

『俺だったら恥ずかしすぎて死ぬな。』


(・・・やめてください・・・)


『そういう意味じゃ親も迷惑被ってんじゃねーの?』

『だよなー。相手は村長の息子だからなー。これで確実に風当たり強くなるぜ。』


(・・・やめろ!)


『もう夜逃げだな。もう村に居場所ねぇもん。』

『だな。これから先のこと考えたら辛すぎるぜ。』


(やめろ!)


『それか自殺だな。これ以上迷惑掛けられねぇだろ?』

『全くだ。』

『アハハハハハハハ』

『アハハハハハハハ・・・・・・・』


(やめてくれぇぇぇぇぇぇぇぇーーーーー!!)


 ガバッと起き上がろうとして左の脇腹に激痛が走り、短くうめき声を漏らしながら起き上がるのを断念する。

 なんて目覚めの悪い夢なんだろう・・・

 目を開けると、そこには見慣れた天井があった。

 痛みに顔をしかめながら置かれている状況を整理する。

 暗い部屋にはろうそくが灯され、窓からは夜の星ルーメルの薄明りが差し込んでいた。

 どうやら僕は自分の部屋で寝ているようだ。

 痛みを堪えつつ周囲をうかがってみるとベッド脇に母さんが椅子に座って寝ていた。

 目じりには涙の跡も見られる。

 レティもいた。

 母さんの隣で膝を借りるようにして寝ている。

 伸びた手が僕の手をキュッと握りしめていた。

 どおりでさっきから右手があったかいわけだ。

 久しぶりに見たレティは少しやつれているように見えた。

 そして父さんは部屋の奥で椅子に腰かけ、腕を組んで寝ていた。

 あぁそうか。

 僕は模擬戦という名の勝負で負けた。

 負けた時のことを思い出して涙が溢れる。

 顔の右半分が大きく腫れあがっているようで、心臓の鼓動と同期して疼く。

 そして顔と胴体に包帯がぐるぐる巻かれて身動きが取れない。

 けじめを付けるなんて大見得切っていたのに、なんてみっともない姿なんだろう。


「うっ・・・うっ・・・」


 感情が高ぶり嗚咽が漏れる。

 その声に父さんが目を覚ました。


「オルト!気が付いたか?」


 父さんは母さん達とは反対側へ移動して持ってきた椅子に座った。


「うっ・・・ん、父さん・・・」

「あまり喋るな、傷に障るぞ。」

「うん・・・」


 みんなに謝りたい。

 さっき見た悪夢と同じことがこれから起こる。

 今まで以上に媚びへつらう生活になるかもしれない。

 いや、きっとそうなるだろう。


「・・・父さん、僕・・・」

「お前はよくやった。結果はどうあれ信念を貫いた。誰にだってできることじゃない。父さんはお前を誇りに思うぞ。」

「っ!」


 そこまで言うとそっと僕の肩を撫でた。

 蝋燭の明かりに照らし出された父さんの目は優しかった。

 何も言えなくなって涙を止めることができない。

 ただ心の中で父さんに謝り続けるしかなかった。


「もう寝ろ。しばらくは動けないだろうから、今のうちにしっかり休んでおくんだ。母さんたちには大丈夫だと伝えておく。」

「うん・・・」


 父さんと話して気が抜けたのか、強烈な睡魔に襲われ夢の中へ落ちていった。

 今は体を治すことだけを考えよう。

 今は・・・まだ何も考えられない・・・。


◇◇◇◇◇


 何日寝てたんだろう。

 次に目が覚めたときは昼下がりのようだった。

 お腹はすいているけど食欲はない。

 そんな時は食べないほうがいいんだろう。

 さすがにもう僕の周りには誰もいない。

 顔と体には新しい包帯が巻かれている。

 顔の腫れはまだ健在で、少し触っただけで未だに激痛が走る有様だった。

 ベッド脇のテーブルに置かれている吸い飲みに手を伸ばし、乾いたのどを少し潤す。

 顔と脇腹が重傷だが、それ以外は何とか動かせそうだ。

 とはいえ無理はするなと父さんに念押しされていたから、誰か来るまでは安静にしておこう。

 しばらく何も考えずに天井を眺めていたら部屋の外が何やら騒々しくなってきた。

 何人かの話声が聞こえる。


「先生、しょうが・・・残ったり・・・」

「うーん、こればっかりは・・・見てみないと・・・言えないな。」

「体は・・・として、手や・・・への・・・どうです?」

「頭を激しく・・・るからねぇ・・・」

「そんなっ!・・・うっ・・・うっ・・・」

「サシャ、まだ・・・いんだ。」

「だ、だってあなた・・・あの子・・・」


 何の話をしてるんだろう、扉越しでよく聞こえない。

 父さんと母さん、それに先生って呼ばれてる人がいるってことは、診療所のお医者さんが来ているのだろうか。

 吸い飲みが置いてあるし、その隣には茶色い粉が水に溶ける薬包紙に包まれて置いてあったからそうなんだろう。

 すると玄関の開く音が聞こえて、お医者さんと思しき人物が帰っていった。

 そしてしばらく母さんのすすり泣く声と父さんの慰める声が聞こえた。

 その後、お昼の準備でも始めたのかカチャカチャと食器の音がしたかと思ったら、ドアが開き母さんが顔をのぞかせた。


「オルト!あなた!オルトが目を覚ましたわ!」


 そういって母さんはベッド脇に駆け寄り僕をのぞき込んだ。

 父さんも小走りで部屋に入ってきて母さんの後ろに立つ。

 沈痛な面持ちだったけど、僕が目を覚ましたことを喜んでいるようだ。

 日の感覚がよくわからなかったので、まずはそこから確認させてもらおう。

 その前に伝えなきゃいけない言葉を口にした。


「父さん、母さん、心配かけてごめん・・・」

「ん?それはもういいだろう?」

「うん、でもちゃんと謝りたかったんだ。」

「オルト、良かった・・・ホントに良かったよ・・・」


 どうやら僕は父さんと話をした夜の後、二日間眠り続けたとのことだった。

 すぐに診療所の先生に来てもらって様子を診てもらったけど、目を覚ますまで待つしかないと言われ気が気じゃなかったと。

 「ただ・・・」と父さんが言いかけたときに玄関がノックされ、見に行った母さんがレティを連れて戻ってきた。

 目的を果たしたドランは本当にレティを解放したようだ。


「おにいちゃん!?」


 レティはベッドに駆け寄ると縋りつくような姿勢で僕の手を握り号泣した。


「ごめんなさい・・・ごめんなさい!わたしのせいでこんなことになっちゃって・・・」

「いいんだよレティ、謝る必要なんてないんだ。これは僕がしたかったことで結果こうなったってだけ。」

「でもっ!」

「でももだってもやめにしよ?あんな状況だったからレティが責任を感じてしまったんだと思うけど。それに僕も、僕なりに『かっこいいおにいちゃん』がしたかったんだよ。結果がこれじゃカッコ悪いばっかりだけどね・・・」

「そんなことないよっ!・・・実は見てたの、模擬戦。あの日の朝、もう用はないって言われて。」


 そっか、見てたのか・・・。

 最初の部分だけってことはないよね?


「倒れても最後まで諦めてなかったとこまでちゃんと見てたよ!・・・カッコよかったもん。」

「・・・」


 レティにはそう見えたようだ。

 でも実際僕はあの瞬間逃げ出したかった。

 この痛みから一刻も早く解放されたかった。

 なんてみっともない思考だろう。

 レティに悟られないように少し顔をそむけてしまう。

 そのやり取りを見ていた母さんが「あっ、そうだわ。レティちゃん、オルトにおかゆを作ってあげてたんだけど食べさせてくれる?」なんて言うもんだから、ものすごい勢いで台所まで走っていっておかゆを持って戻ってきた。

 あの勝負の後から今まで何も食べてなかったから、ちょっと塩のきいたおかゆはとてもおいしく、あっという間になくなっていく。

 おかゆを食べ終わるとレティは食器を持って立ち上がった。


「じゃあ洗い物したら帰ります。長居して傷に触るといけないから・・・。」

「うん、ありがとう。」


 そういうと少し名残惜しそうにしながら部屋を出ていった。

 洗い物を済ませたのかすぐに玄関の開く音が聞こえバタンと閉じた。

 するとなぜか急に部屋の雰囲気が変わっていることに気づいた。

 父さんと母さんは怪訝な表情を浮かべて僕のほうを見ている。


「ど、どうしたの?」

「・・・」


 二人とも急に押し黙って、何か言いづらそうにしている。

 しばらく沈黙が続いた後、父さんが意を決したように話し始めた。

 その横で母さんは両手をギュッと握りしめている。


「オルト。これから話すことは、今お前の体に起こっているかもしれないことだ。気をしっかり持って聞いてくれ。」

「う、うん・・・」


 そこまでいうと父さんは一息入れて、大きく息を吐き出した。

 様子からしてよほど重要な話なのだろう。


「まずは脇腹の傷についてだが、あばらが二本折れている。医者の所見では完治に時間はかかるが問題ないだろうとのことだ。」

「はい。」

「次が・・・その・・・問題なんだが・・・」

「問題?」


 かなり言い出しにくい問題のようだ。

 自分の体のことなので包み隠さず教えてもらいたい。

 父さんは強く拳を握り、そしてもう一度息を吐いて拳の力を緩めると重い口を開いた。


「オルト、今自分で右目がどうなっているかわかるか?」

「え?ちょっと今は分からないかも・・・包帯巻かれてて・・・」

「それもそうだな・・・はっきり言うぞ、もうお前の右目は無い。」


 ・・・


 ・・・え?


 たしかに今は包帯でぐるぐる巻きの状態だから右目じゃ何も見えないけど、右目がないとはどういうことなんだろう。

 理解が追い付かないことを伝えると、その時の状況を説明してくれた。


「ドランくんの盾がお前の顔に直撃したとき、運悪く盾のスパイクが目を抉ったみたいでな。」


 盾のスパイクが右目を抉り眼球そのものが消失したというのだ。

 あまりの衝撃に意識がぐらついた。


「で、だ。今見えている状態はどうだ?変に見えたりしてないか?」

「・・・あ、ごめんなさい、ちょっとぼーっとしちゃって・・・」

「あぁ、大丈夫だ。今見えている風景はおかしく見えてないか?」

「うん、それは大丈夫みたい。」

「そうか、それはよかった。」

「うん・・・」


 頭を強く打ったからその弊害で視覚に異常が出る可能性があるんだろう。

 潰れてしまった右目の状態はあまり考えたくないが、残った左目は問題なさそうだ。


「これで最後になるが、体はどこまで動かせそうだ?例えば手や足は動かせるか?」


 そう聞かれて全身に意識を張り巡らせてみる。

 脇腹が痛くてあれこれ動かせないけど、両手両足共に動かせている。

 ただ。


「少しだけど動かせるよ。ただ・・・左手と左足がちょっと痺れてるような感じ。」

「・・・そうか。その痺れは今後治るかもしれないし・・・最悪不随になるかもしれない。」

「っ!」


 父さんはまた強く拳を握り、母さんは僕を直視できないのか顔を背けて肩を震わせている。

 その時、突然ドアの向こうで何かの割れる音が聞こえた。

 慌てて父さんがドアを開けると、そこには青ざめて無表情になったレティが呆然と立ち尽くしていた。

 そのレティの足元には小さな花瓶と黄色い花が散っている。

 そして瞳からひとすじの涙がこぼれ落ちた。


「あ、あの、わたし・・・ご、ごめんなさいっ!」

「レティ!」

「レティちゃん!?」


 そう叫ぶとレティは家を飛び出した。

 母さんも続けて飛び出す。

 僕も追いかけたかったけど、今は体がいうことを聞いてくれない。

 あの様子だと全部聞いてしまったんだろう。

 僕も自分のことだからショックは大きかった。

 でもレティのことだ。

 自分を責め続けるに違いない。


「レティちゃんのことは母さんに任せておけ。それよりも今は治療に専念しないとな。」

「でも!」

「今は!・・・傷を癒すことが先決だ。」


 そういうと父さんは部屋を後にした。

 一人残された部屋の中で天井の一点だけを無意識に見つめる。

 父さんからもたらされた情報をあれこれ整理してみたが、自分のことなのになぜかしっくりこない。

 この感覚、何といえばいいだろう。

 そう、現実味がなかった。

 ようするに右目は潰れてなくなり、左半身は最悪麻痺する可能性があるということ。

 ちょっと前まで当たり前に見えていた景色やできた動作が制限される。

 これを言われただけですんなり理解できる人がどれだけいるだろうか。

 少なくとも僕にはもう少し時間が必要そうだ。


 そうだ、まずは体を治すことだけ考えよう。

 日常生活に不便は出るだろう。

 でも自分で招いた結果だと考えよう。

 あれこれ考えようとしたけど思考がまとまらない。

 そこに追い打ちとばかりに睡魔が訪れて思考が中断してしまった。


◇◇◇◇◇


 次に目が覚めたのは夕方。

 周囲は薄暗く、じきに夜のとばりが下りる。

 にもかかわらず家の外が騒がしく、窓越しに松明の明かりがちらほら見え隠れしている。

 何事かと聞き耳を立てようかと思っていたところに、大きな声が聞こえてきた。


「捜索については了承した!できればすぐにでも出発したいが、行先に見当はつくか?」

「いえ、確かではないのですが森へ・・・」


 声の主は父さんと・・・誰だろう?聞いたことのない声だな。

 内容から察するに村の誰かが行方不明になっているらしい。

 それは確かに一大事だ。

 しかももうすぐ夜。

 ただ、なぜか胸騒ぎがする。


「いなくなったのはレティという女の子で間違いないんだな?」


 ・・・え?

 レティが行方不明?

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