上演中

@araki

第1話

「決まりましたか?」

 沙智は首を横に振る。

「ごめんなさい。もう少しだけ時間を」

「承知しました」

 何度となく繰り返したやりとり。支配人は恭しい礼をして元の位置に戻る。いたって平然としているが、内心彼も飽き飽きしているに違いない。

 ――集中しないと。

沙智は改めて目の前に意識を戻す。正面の壁、そこには5つの台本がマグネットで留められていた。何枚かのA4コピー用紙をクリップで挟んだ簡素なもので、それぞれの表紙にはタイトルと簡単な説明が記されている。


『産声』――誕生の瞬間。空き二人(母、助産師)。

『あんよが上手』――初めての二足歩行。空き1人(母)。

『挙手』――授業参観。空き0人(観客ならば可)。

『一等賞』――運動会の徒競走。空き3人(保護者)。

『桜の咲く時』――卒業式。空き7人(保護者、クラスメイト、教師)。


 全体のテーマは『少年の成長』。そのハイライトを独善的に定めて脚本にしたらしい。今並べられているのは沙智の要望に添ったシーン。このうちの一つにエキストラとして出演できる、そういう取り決めになっている。

どれも素朴な題材で、分かりやすく目を引く作品は見当たらない。にもかかわらず、沙智はどの台本にも狂おしいまでの愛着を抱いていた。

「二つ以上…というのは無理なんですよね」

「残念ながら」

 支配人はすぐさま申し訳なさそうな表情を浮かべた。

「お一人につき一つ。それが当劇場の決まりですので」

 選択から逃げる選択肢はない。そう悟った沙智は自身の要望を洗い直し始める。

 ――まずはのめり込めること。これが第一条件。あとはできる限り長く触れてたいかな。だったら単純に時間で決めちゃえば――。

 内一つに沙智は手を伸ばす。けれど、すぐに引っ込めてしまった。

 ――何やってんだろ、わたし。

 こんなことをしても意味はない。最初から気づいていたことだった。

『なんでこんなこともできないの』

『阿呆らしい』

『あんたなんか生まなきゃよかった』

 脳裏に次々と言葉が過ぎる。全て沙智の言葉だ。沙智自身が、我が子に対して口にしてしまった言葉だった。

 後悔してもしきれない。もっとちゃんとできた。やれるはずだった。

だからこそ、この劇場で理想の自分を演じたかった。現実にはできなかったことをやり遂げて、少しでも自信をつけたかった。

けれど今更演じたところで、これまでの失敗が帳消しになるわけではない。どれほど完璧に振る舞っても、どうしようもない自分はいつまでも残り続けるのだ。

そもそも昔できなかったことが今できるはずも――。

「時間切れです」

 不意に聞こえた声。いつの間にか俯いていた顔を上げると、支配人が壁から台本を取り外していた。

「さすがにもうお待ちできません。お帰りください」

「いや、待っ――」

「そもそも」

 支配人は沙智の言葉を遮る。そして振り返った。 

彼は微笑みを浮かべていた。

「あなたの舞台はまだ続いている。別の役を演じている暇などありませんよ」

 なぜだろう、その笑みはいつかのあの子に似ていて――。


 目を開くと、頭上には見慣れた天井があった。

固い床から身体を離した時、沙智は手元に違和感を覚える。見れば、一枚のチラシを握っている。劇団員募集の公告だった。

 今見たものは全て幻だった。そういうことだろうか。

「………」

 沙智は近くに置いてあった携帯に手を伸ばす。そして空で覚えている、けれど一度もかけたことのなかった番号に電話をかけた。

 長い発信音が続く。

 ――……だよね。

 電話を切ろうとしたその時、音が途切れる。

画面には『通話中』と表示されていた。

「……もしもし」

 声が震える。それでも沙智は、伝えるべき言葉を最初に口にした。

「ごめん」

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