第47話 ジローちゃんとサキさん

 鍵を閉めて戻って来た女性が、乱れた髪の毛と服装を直しながらジローに挨拶する。


「改めて、ご挨拶しますね。私の本名は、佐々木愛です。愛は、ラブの日本語版です。仮想世界でのプレイヤー名は、カタカナでサキ、と名乗っています。既にお気付きの様に、苗字の短縮名です」


「あ、初めまして。仮想世界の会社で、管理担当をしています。漢字で書くと、二郎、ですが、皆んなジローと呼びます。ちなみに、僕は一人っ子です。でも、ジローです。父親の名前はイチロウです。だから、父親は、僕にジローという名前を付けたそうです」


 ここで一呼吸置いて、二人の顔を見渡す。二人とも『意味がわからない?』といった顔をしている。そこでジローは話を続ける。


「ほら、良く外国人にはいるでしょう、ワトソンJrと書いて、ジュニアと呼ばせる。あれです」


 そこまで言うと、二人とも『あー、そう言うことか』という顔になる。これで『つかみ』はオッケーだろう。


「だから、もしも僕が結婚して男の子が生まれたら、その子の名前は、サブローにするでしょう。そうすれば、ルパン三世と同じです」


 これが『落ち』だ。


「うふふっ。あ、ごめんなさい。お名前で笑ってしまって。気になさったら謝ります。お名前って、人によっては重荷になることありますものね」


 少し笑いかけた後で、彼女は気がついたように口元に手を当てる。


「私も『愛』って名前が好きになれたのは本当にごく最近なんです。親は、私の事を本当に大切に思って、一生懸命考えて付けてくれた名前だというのは分かっているんです」


 そこで一瞬目を伏せてから、ジローの方に向き直して話し続ける。


「でも、思春期の多感な時には、結構重い言葉なんですよね『愛』っていう言葉は」


「え? 佐々木さんって、もしかしてまだ女子高生」


「はい、今はまだ高校生です。あ、ジローさん、あまり無理に苗字で呼ばなくても良いですよ。呼びやすいなら、プレイヤー名のサキでも良いし」


「いやーそれではお言葉に甘えて、サキさんで良いかな。その方が緊張しなくていいかも」

 そういいながら、お兄さんの方をちらりと見る。


「あ、僕の事は気にしなくていいからね。今日の僕は、あくまでオブザーバーでしかないから。ジロー君に来て欲しいと言ったので、愛の方だから」


 お兄さんは、僕が買って来たケーキを、それぞれのお皿に取り分けながらそう言った。


「お兄さん、すみません。わざわざ、お皿に取り分けていただき、ありがとうございます」


「あはははは。ジロー君、僕は君のお兄さんじゃないからね。愛が君と結婚したら、義理のお兄さんになるけどね」


 その言葉を聞いて、サキさんの頬が一瞬だけ赤くなったのを、僕は見逃さなかった。


「僕の名前は、佐々木優。やさしいって字を書くんだよ。僕の回りの人に言わせると、全然優しくないらしいけどね」


 佐々木優は、ケーキの載ったお皿をジローの前に置く。


「僕達の親は、子供に一文字で意味の分かる名前を付けたかったらしいね」


「あのー、ご兄弟の御両親は今日はいらっしゃらないんですか?」


 ……


「父も母も、既に亡くなっているんだ。旅行中の自動車事故で二人同時にね」


 彼は、ジローの質問に一瞬間を開けてから答える。


「僕は、その頃大学で仮想世界へのフルダイブシステムの研究で忙しかったので旅行には行かなかったんだ。愛は、その事故を起こした車の後ろの席に乗っていた」


 紅茶のカップにティーパックを入れてから、お湯を注ぐ。


「居眠り運転の大型トラックとの正面衝突だったらしい。運転席と助手席は、跡形もなかったんだそうだよ」


 紅茶のいい匂いのするカップを僕の前のケーキ皿の横にソッと置く。


「ただし、運転席と助手席がつぶれた衝撃で、後ろの席は奇跡的に無傷だった。そのおかげで、僕は大切な妹を失わずに済んだんだ」


 妹の方をチラリと向いてから、次の紅茶カップにティーパックとお湯を注ぐ。


「父と母が身を挺して娘を守った。僕にはそう思うしかなかったよ」


 紅茶カップとケーキ皿を、今度は妹の前に並べる。


「大型トラックを管理している運輸会社の社長さんが良い人でね。通常の保険金以上の額を僕達交通遺児に支払ってくれたんだ。また、当然父と母の生命保険もあったしね」


 最後のカップにはコーヒー粉と粉末ミルクを入れてお湯を注ぐ。


「そのおかげで、僕は大学での研究を止めないでいられた。妹には、その分苦労をさせてしまったがね。小学生が両親をいっぺんに失った上に、兄貴は大学に籠ったままだったからね」


 最後に自分の場所にカップとケーキ皿を置いてから、妹の横の椅子に腰掛ける。


「今日、妹が眠ったまま帰ってこなかったら、僕はどうなっていたか、想像も出来ないよ」


 お兄さんは僕の顔をじっと見ている。


「だからこそ、僕の方こそ、ジロー君に感謝の気持ちで一杯なんだ。あ、話しがそれちゃったかな。妹がジロー君と話しがしたいからと言って、呼んだのにね。ごめんね」


「もー、お兄ちゃんたら。暗い話はそこまでにしてね。私だって、まだ立ち直れたわけじゃあ無いんだからね。今日は、私がジローさんにお礼をしたいからお呼びしたんだからね。お兄ちゃんは、向こうの部屋で待ってて」


 サキさんにそう言われたお兄さんは、しぶしぶ、ケーキと入れたばかりのコーヒーを持って椅子から立ち上がった。

 部屋から出ていくときには、こちらを何回も振り返っていたが、サキさんの視線が痛いようで、最後は名残惜しそうに部屋を後にした。


「うーん、やっとお兄ちゃんが居なくなりました。これで、本音トークが出来ますね。ジローさん。やっぱり、兄が居たら話ずらいでしょう?」


 サキさんは、緊張感を紛らわそうと軽く伸びをする。


「いえいえ、大丈夫ですよ、お気になさらずに。サキさん」


 サキさんに向かって両手をブルブルと振る。


「ホントを言うと、兄がいると私が緊張しちゃうんです。ですから、ジローさんを出汁だしにして、お兄ちゃんを追い出したんです。では改めて、今日は本当にありがとうございました」


 ケーキに付いている透明ないビニールをソッと剥がしてから、丸めてお皿の上に置く。それから、ティッシュで指を拭く。細めで綺麗な指だ。


「仮想世界の中で、何回アクションを取っても、ログアウトするために必要な自分の端末が出ない時のあのショックは、本当に今考えても恐ろしかったですもの」


 あの時のことを思い返したのか、自分の腕で自分の身体を抱きしめる。


「あの時、ジローさんが向こうからひょこひょこと表れて、私に声をかけてくれた時には、本当にジローさんの後ろから後光がさしている気がしましたよ」


 ジローの方を軽く見てから、紅茶を軽く口にする。化粧気のない薄い唇が可愛い。


「ログアウト出来ないという事が、仮想世界でどれだけ恐ろしい事か、現実世界に戻ってきてから実感しました」


 ケーキをフォークで少しだけ分けて、ソッと口に運ぶ。それから口の周りをティッシュで拭く。


「本当にありがとうございました。私は、この御恩を一生忘れません。このお礼は、いつか必ずしますから」


 両手を膝の上にチョコンと置いて、ジローに深々と頭を下げる。


『それでは、一日だけ女子高生の制服姿のサキさんとデートさせてください』

 心の声でジローは言った。


「ところで、ジローさんを呼んだのは、お礼をするだけではないんです」


 紅茶をもう一口飲んでから、サキさんは話し続ける。


「そう言えば、お兄さんからも、サキさんから質問があるって言ってたけど……」

「そうです。ジローさんに質問があるのです」


 サキさんは、ジローの顔をジッと見つめながらこう言った。


「ジローさん、あの『銃の世界』で私と会ってませんか?」

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