夢の中で異世界勇者

悠希希

一日目


「ここは……どこだろう」

 第一声がこれなのはどうかと思う。でもここがどこだか、本当に分からないのだから仕方がない。空に浮かぶのは無数の光の粒。大きな満月も沿うように浮かんでいた。ふわっと優しい風が吹き抜け、僕の髪が揺れる。かさかさと足元で音がなって、地面を見ると月明かりに照らされた草原が揺れていた。

 ますますここがどこだか分からなくなった僕は、記憶を整理することにする。もし記憶喪失にでもなっているのであれば大変だ。


 まず僕の名前は……優理ゆうり人吉優理ひとよしゆうり。よく女性と間違えられるが、れっきとした男だ。名前を覚えていることに少しだけ安心した僕は、次に進む。年齢は、二十五歳。社会にようやく慣れ始めてきたところだ。


 ここでようやく僕は直前の行動を思い出す。

 そうだ。僕は、自宅のベッドで眠りに着いたはずだった。でもどうしてこんなところにいるんだ? もしかして夢遊病……というやつなのか? ……だが、それにしてもこんな景色は見たことがない。家の周囲にもこんな場所はない。都会中の都会である僕の家の周囲は、家と家ばかり。少し歩けば繁華街があるし、電車に乗ればもっと都会に辿り着く。さすがにそれを超えた場所までそんな状態で向かえるとは思えない。周囲の風景が美しければ美しいほどに、ここがどこか分からなくして行く。

「ユーリ様!! こんな所にいらっしゃったのですか!!」

 背後から聞こえた女の声に僕は振り返る。目に飛び込んできたのは、大きな胸の谷間。……いや、見目麗しい女の子。

「……き、きみは」

「祝賀会の途中で姿が見えなくなったので気になって探しに来たのですよ!!」

「祝賀会……?」

「そうですよ!! 何をおっしゃってるんですか!! ユーリ様が勇者になられた祝賀会じゃないですか!! ……どうしたんですか? 様子がおかしいですよ?」

 この女の子が話している内容に全く身に覚えがない。そして何よりもこの子は僕の途轍もなく好みだった。

「あ、ああ……そうだったな」

「戻りましょう!!」

 とにかく話を合わせることにした僕は、彼女に引っ張られていくように草原をかき分けていった。


 背後を行く僕は、彼女を観察してみる。ここがどこなのか、分かるかもしれない唯一の手掛かりだ。黒色の髪は背中まで伸びていて、美しい。祝賀会……と言っていたが着ているのはドレスではない。美しい鎧、とでも言えばいいのだろうか。コスプレにしては出来過ぎであるし、ファンタジー映画に出てくる戦士に限りなく近い。その質感は本物だ。腰にぶら下げている剣がより、本物感を際立たせている。でも露出度は高い。上半身も下半身も結構な露出をしている。だが、細いと言うわけでもなく、肉付きはいい。かなり鍛えてはいるようだ。なんだかゲームか映画の世界に入り込んだようだ。……まさか本当に?

「どうかなされましたか……?」

「あ、いや、なんでもないんだ」

 僕の集中した視線に流石に気が付いたのか、彼女はいつのまにか振り返っていた。可愛い顔が僕を見る。顔だけ見ると年は十代後半と言った所だろうか。だけどその物腰は二十代半ばと言ってもいいくらいには落ち着いている。背丈は僕より低いがそれほど低いわけではない。女性の平均以上はあるだろう。

「本当に様子がおかしいですよ……? もしかして幻術をかけられましたか!? ……いやでもこの辺りには魔物は出ないはず」

「魔物?」

「……まさか、ユーリ様ではない?」

 大きな丸い目が細く、睨むように釣り上がる。

「……いや、待ってくれ。優理なのは間違いない。だけど僕は、ここがどこか分からないんだ」

 もう白状するしかないと思った。彼女の手は柄に掛かっていて、このままでは間違いなく切られてしまう。流石にそれは不味かった。


◼️


「……と言うことはあなたはユーリ様だけど、ユーリ様ではないと」

「……そういうことになります」

 近くの大きな木の根元に座らされた僕は、彼女に全てを話した。僕は仕事を終えて、家に帰っていつも通り寝るとここにいた、と。

「……何かしらの魔法が働いた可能性。でも私の眼はあなたがユーリ様であることを告げている」

 鎧を脱いだ彼女は木の前を行ったり来たりしていた。

「私の眼……?」

「私の眼は、真実を見抜く眼。魔法で私を騙すことは出来ない」

 赤い瞳が怪しく光ったように見えた。

「しかし、特別、僕はなにもしていないのです……」

「……大人しそうな性格もユーリ様と変わらないわね。あなたにユーリ様のふりをしてもらうしかないわ」

「そ、そんな、僕に勇者とやらのふりをしろと!?」

「それしかないわ」

 少しだけこの世界を聞いたのだけど、どうやらこの世界には魔物という存在がいて、それを統べている魔王がいるとのこと。勇者は唯一その魔王に対抗することのできる存在。……つまり僕が勇者のふりをするのであれば、いずれ魔王と戦わなきゃいけない。

「でも、僕は戦いの経験なんてないですよ!?」

「あなたしか……いないのよ」

「ぼ、僕しか……?」

「百年以上待ち続けた勇者の登場なの。……待ちに待ったね」

 僕の仕事はいわゆるエンジニア、だ。剣を持ったこともないし、剣道や武道の経験なんて皆無。況してや運動は苦手だし、走るのもめちゃくちゃ遅い。そんな僕が待ち続けられた勇者をするなんて無理に決まってる。

「む、無理だよ!! そんなの!! 」

「でも、私たちにはあなたしか……」

 女性経験に乏しい……いや、皆無な僕にとってその寂しげな顔は、僕の心を抉った。とても卑怯だなと思った。少しの沈黙の後、耐え切れなくなった僕は言葉を吐き出すことにする。

「……分かりました。僕の負けです」

「本当に!?」

「……はい」

「やった!!」

 抱きつく彼女の柔らかさが僕の身体に伝う。中高男子校かつ、理系大学出身の全く女性耐性のない僕は撃沈する。

「……あ、えっと、ごめんなさい」

 固まる僕に気が付いたのか、彼女はすっと離れ立ち上がる。

「……祝賀会に戻りましょうか。私があなたにずっと付いているので、私に話は合わせてください」

「……わかりました」

 差し出された手を取って僕は立ち上がる。

「あれ?」

「どうなさいましたか?」

 目の前が揺れる。聞き覚えのある音が僕の耳に飛び込んだ。規則に沿った音楽。何度も何度も繰り返し、僕の耳を穿つ。うるさい。早くこの音を止めなければ。僕の頭の中をその音を止めることで渦巻いていく。

「いや……なんだか……めまいかな……」

「え!? 大丈夫ですか!?」

 僕の視界を埋めていた美しい世界と彼女の顔がぼやける。彼女が何かを言っているが、もう何を言っているかすら分からない。そのうるさい音が僕の頭を視界さえも塗りつぶして行く。


◼️

◼️

◼️

◼️

◼️


 次に目を開けると見慣れた天井だった。……戻ってきた。いや、夢だったのか。周囲を見渡すと間違いなく僕の部屋だった。うるさい目覚まし時計を止めると僕はベッドから立ち上がる。なんだか少しの寂しさを覚えながら僕は、着替えて仕事に向かう。その夢を思い出しながら。……可愛かったな彼女。そういえば名前も聞いてない。もう一度会いたいな。でもそれが夢だと言うならばもう一度会える可能性は、ある。電車に揺られながら僕は一つの言葉を調べていた。……そうだ、明晰夢だ。夢の世界を自分の思い通りにすることが出来る。もし明晰夢が見れたならば、もう一度あの場所で彼女に会えるかもしれない。それだけを考えながら仕事に向かう僕であった。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

夢の中で異世界勇者 悠希希 @yukis777

★で称える

この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。

フォローしてこの作品の続きを読もう

この小説のおすすめレビューを見る