社会科で学びたかったもの

「社会科」と聞いて何を思い浮かべるか。地理、日本史、世界史、公民、倫理、政治、経済、現代社会…。あまりに多種多様で、改めて「他の科目と比べて概観が掴めない」「結局何を学ばせたいの?」というふうに感じる。


そして、わたしはかねてよりずっと疑問に思っていることがある。

なぜ、日本の社会科は法を教えないのか。


確かに、憲法前文の暗記や三権分立をかじる程度の授業はあった。また、多くの人が、授業以上の難しいことは法曹関係者を目指す人が勉強すればいいと認識していると思う。わたしもそうだった。

しかし、真剣に法の勉強をはじめて、少なくとも憲法については国民がもっと議論できるレベルの教育を施されるべきだし、民法や刑法についてもまるで知らない人の方が多い世の中であってはいけないと思うようになった。十分な教育的措置がなされない中で、選挙権取得が18歳に引き下げられたことにも、このままでいいのだろうかと不安になった。


法律とは国の説明書みたいなもので、「当たり前のことが書いてあるだけ」「普通に生きてたら破ることはない」と思っていた。

でも、当たり前の権利を守るために様々な論争が繰り広げられていたり、信じがたい当たり前がまかり通っていたりすることを知って、まだまだ勉強したい、しなくちゃいけない、と思うようになった。


1192年の日本で何が起こったか、米の生産地1位はどこか、そうした知識も人生を豊かにするかもしれないが、自らの身を守り、他人との調和をいかにはかっていくかが問われる世の中で、法を学ぶことは不可欠だと思う。

窮地に立たされたとき「法の不知はこれを許さず(=法律を知らなかったという主張はできない)」の原則を知っている人が一体どれだけいるだろう。


法を社会科の重要科目に位置付けるとするならば、超えていかなくてはいけない壁もある。

まず、権利というのはデリケートで複雑なものであるからこそ、法を教えることを容易に扱ってはいけない。法を教えることになれば、教員が学ぶべきことはかなり増えることになるだろう。それは教員たるものに質的な変化をもたらすかもしれない。

さらに、専門家間ですらまとまりえない論争の中で何を抽出して教えるか、その内容の選別も大きな課題となるだろう。教科書検定制度が存在する中で、時の政府の影響をなるべく受けないように配慮する必要もある。


社会科はその存在形態が不明確であり、変化の大きい科目でもある。

「あの歴史上の人物の名前が教科書からなくなった」「あの分野が大学入試でいらなくなるらしい」などといったニュースもしばしば話題になる。

法について学ぶことを積極的に検討し、議論される日が来たらいいと思う。

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