カスミさんVSユキちゃん
その町に大雪警報が発令されて、間もなくのこと。
その町は、毎年の冬にたくさんの雪が降るほかに、春夏秋冬のどの季節をとおして見ても
そんな町でしたから、積雪量がはやくも1
さておき、女性のお客さん、と
女性は
「……とっ、待ち合わせはこの辺のはずだけど」
そうと途中で足を止め、右手に持った懐中時計をなんども確認しながら彼女は
空模様の晴れないなかに
駅にはいまだ除雪作業にはげむ町の人びとと、
女性の顔には諦めの色が浮かんでいました。もう今日はどうしても会うことができないのではないか、そう考えているのでしょう。すると一瞬のうちに雪ははげしさを増しました。女性はたまらず
「どうしよう……」不意な弱音に女性自身の気分がわるくなっていきます。
そんな女性の水気を帯びた防寒着の
「ユキちゃん……!」
目線の先には小学校高学年くらいの背丈の女の子がいて、さらに女の子は女性が待ち望んでいた相手でした。この時点で女性がカスミさんであることはわかってもらえたでしょうか。雪と風はうなるように吹き荒れていたことが根本から嘘だったかのようにしんと静まりかえりました。そして、しゃんしゃんという擬態語が今にもきこえてきそうなほどにせつなげに、二人をよけて降り続いていました。
「
カスミさんはそれらについて本当に
「あんた、名前は?」
「……おにい」
女の子は一言だけ吐き捨てるように口にして。「あ?」
「おにい!」
「ちがうっ、わたしは『お
「おにいいぃ!」
「だあっ。ちがうっつってんのにさあ……」
「まあ、いい。これからはわたしと一緒に住むんだよ。ユキちゃん?」
「…………」
右のことから、女の子はきまり悪く口を閉ざしてしまったのです。また、その「一緒に住む」という場所の住所や何も知らないというのに、ひとり勝手に車輪を進め出してしまったのです。カスミさんは「こらっ!」といそいで追いかけました。彼女たちの
◆
「ほら、脱いで」
その家の洗面所にて。下着のみになったカスミさんは、女の子のお姫様みたいな
「あれま」おめかしをすっかり取り去り、すっぽんぽんになった女の子のようすにカスミさんははたと気づきました。
「
車椅子を下りてすぐにも自立して歩き出した女の子でしたけれど、よくよく思い返せば歩き方が少しだけおかしかったのです。両の手を交互につき出して、それこそ這うような形でした。緩衝材としての
「なあ、ユキちゃん。脚を綺麗にする手術受けてみなさいな。そのほうがずっと歩きやすい」
カスミさんは半身を、女の子を胸にかかえて湯船に浸しながら提案しました。女の子は
「何、痛そうだって、こわいって? 大丈夫。麻酔で、歯あ抜くのよりもずっとらくなもんさ」
カスミさんの主張はいやに楽観的でした。とてつもなく怖い、屁理屈なことを言っているにもかかわらず、彼女の態度は無責任そのものでした。女の子にはそれがまたくやしく感じられました。しかしどうしてでしょうか、くやしさは振り切るとやがて
「……おにい」
「はあ……あんさ、どーせユキちゃんには興味ないことだろうけどよ、わたしの名前はカスミっていうのよ。あんたとおんなじ
二人はおふろを出てそれぞれ着替えると、手すりつきの階段から玄関との間に位置する
「わぷっ! ……はあ。ユキちゃんてさあ、もしかして
食事机から、とおく離れた
「……まあ特に服がなくて、こまることはないか。寒けりゃわたしの上着着せてやりゃあいいわけだし」
と、服たちは意外なことに、すぐにも女の子の私用の
カスミさんは枝葉末節こまかなことにあまりこだわらない人でした。洗面所でぬいだ服を洗濯機に入れるだけ入れて放置したり、食器を洗うのがめんどうだからといって
しかし、カスミさんと今日を一緒にすごすまで、女の子はこの町の養護施設で育ってきました。
翌日からカスミさんは家事を始めました。これまで両親に任せきりだった炊事洗濯と
このころはまだ二人とも、ご近所さんとの関わりを持つことはなかったようにおもいます。といっても、家事と仕事に奔走し、また一方で社交にまだ不安が残るあの二人ならばしかたがなかったのかもしれません。
そんな彼女たちに生活の転機……と、果たしてすればいいのでしょうか、変わらざるを得ないような出来事が起こります。カスミさんの母親が重い病をわずらってしまい、隣町の病院に入院することになったのです。大雪の降るなかに彼女たちが出会ったあの日から、およそ2月が経過していました。ちょうど、
間もなく、カスミさんたちはちょうど空の晴れているときをねらって、母親のお見舞いに行きました。隣町の病院は雪の町に唯一ある診療所とは比べ物にならないほど大きく、清潔感があってなにより病室がたくさん並んでいました。
そこで、二人は二階のとある廊下で迷子になっていました。
「あー……すまない、ユキちゃん。わたし方向音痴なうえに矢印とか見ない性分なんだ……」
カスミさんはにわかに笑いながら謝罪しました。言行に、これだけ性分を連ねると、いつか大将軍でもなりおおせてしまいそうな勢いを感じられます。
そして、女の子はお馴染みの車椅子(実は、この病院から彼女の養護施設へ貸し出されたものだったのです)をカスミさんの歩く速度に合わせて進ませながら、これだからきらいなのよ、というような表情を浮かべていました。
「受付のおねえさんは『二階の203号室です』って言ってたんだけどねえ」
と、正確な部屋番号まで分かっているくせに、今……、通過したばかりの案内図には目もくれずたったと歩を進めていくカスミさんはやはり荒肝をもった女性です。
「あー、誰か、知り合いとかに会えねえかなー」
「おにい、おにいっ!」
女の子は、院内で声を張り上げたカスミさんに対して強く叱りつけます。つい、二人とも声が大きいですよと言いたくなったのですけど、ここでは胸の内におさえておきましょう。
やがて白磁のような廊下の先に、カスミさんは見憶えある背中と出会いました。「ああ。
「
「うーん。あんまり体調がよくないみたいで、今日は面会できないって」
男性はこけた頬に手を当てて言いました。
「そっか。あ、この子が」
「もしかしてユキちゃんっ?」
すると急に男性は声を
ちいさな視点から
「ひゅうー! ユーキちゃん!
「おいおい、そんな子供あつかいはやめてやれよ……」
とはいえ軽はずみに止めてはいけないような気がして、カスミさんはそばに
「あれまあ、かわいい
それを聞きつつ、約2
「おとうさん、声が大きいですよっ」
ついでに、しー、と口に指を当てて。
男性はぼっと赤面されて、すぐに女の子を元の場所にかえしました。それからお詫びのしるしに二人に
「さっきはおどろかせてごめんね、ユキちゃん」と、
「いいよ。それに、言えなかったわたしも悪かったし」
カスミさんは真んなかの女の子を、優しくなだめるようにその頭へ手を添えました。
「ぼくとカスミとユキちゃん、初対面だけど実は家族なんだ、血の繋がった、ね」
「……おにい?」
「まあね。『お兄』じゃないけどね! 何べんも言うけど!」
「ぉおにーい」女の子は男性のほうを見ました。
「ははっ、ユキちゃんはおもしろい子だなー」
「おにい……?」
首をかたむけている女の子に、男性は目を
「わたしは、別に父さん似でよかったと思ってるよ。まあ、髪の遺伝については、毛え太いし色濃いから
「彼氏はできたの?」
「なんでそんなこと聞くんだよ……引っ越したばっかで、そんな、男作る余裕なんてあるわけないでしょ」
「そうかな? 2か月もあったら、ぼくならニ、三人くらい全然いけると思うんだけど」
「父さんは節操がないんだよ」
「男なんてそんなものさ。ぼくは、カスミに彼氏や旦那ができても、それでいいと思ってる。いちいち
「じゃあユキちゃんは?」
「それはだめだっ!」
「がっつきすぎだって。見っともない……」
二人の言いぐさに挟まれて、女の子は終始めいわくそうな顔を浮かべていました。
「それでも、ユキちゃんはこれから色んな人たちと関わって、違いを認め合って、いつか自分の容姿に自信をもってほしいとおもう」
「別に、ユキちゃんは脚ない
「そうなの?」
「おにい?」
「父さんはともかくユキちゃんまで疑い出さないでくれ」
それから、カスミさんは男性に、女の子の両脚の長さを等平にする手術を受けさせてあげたいということを伝えたのです。カスミさんにはすでに両親へ、生活費や交際費の
「ごめん……でも、ありがとう」
「ははっ。相変わらず、カスミには金の払いがいがあるなー」
「それどういうこと?」
「すっきりしてるってこと」
「なんだよ、やっぱ根に持ってんじゃん……」
そう言って口をとがらせてはいるものの、カスミさんの目つきや息づかいは男性の言葉にとても安心しているように見えました。経済的に親離れのうまくいっていない自分に対して、彼女が負い目を感じているそぶりはこれまで一度もなかったのですけど、同時にまったく気にしていないという開き直った雰囲気もありませんでしたから。
と彼女をいろいろまじまじ眺めていた女の子の、小さな手に乗せられたカスミさんの爪のきれいな手の上に、男性は自分の
「カスミは、ユキちゃんが好きかい?」
「ああ。じゃなきゃ父さんにこんなに手間掛けさせてないよ」
「母さんにもな」
言い終わると、男性は女の子の
「ユキちゃんは、カスミが好きかい?」
「おにい」
と、彼女はまっすぐ答えます。
「そう。じゃあ、これからはもっと仲良くなりなさい。きみはなんだってできる子だ。神様にだって愛されてる。でもきみを、愛してくれているのは誰よりもカスミなんだから、いつまでも、仲良くしてあげるんだよ?」
男性はほほ笑みながら言いました。すると、ふるりとからだを震わせて、こんどはずかしそうな笑みを向けてくるのです。男性はそろそろ寒さに耐えかねてしまったらしく、平然としたカスミさんたちに一言断りを入れて、女の子と帰路まで見送ってくれたのでした。
二人の懸念といえば、来しなに
カスミさんはなんでも楽観主義者だと思い込んでいたのですけれど、ほんとうのところは器が小さくて現実的な人でした。薄手の
「……おにい?」
「ああ。雪、降らないといいね」
それから女の子にすればたった10分、重量のある車椅子を押して歩いてきたカスミさんにすれば10分もの時間をかけて、二人は自宅まで帰って来ました。悪天候で目視することは叶いませんけれど、日は墜落する寸前なのか1
このような時間になっても、カスミさんは夕食を作ろうとしません。心労がたまっているせいかもしれないと女の子は
「おにい!」
すると、カスミさんはそっと顔を上げ、静かに聞いてきました。
「ユキちゃん。今さらだけど、脚の手術かってに決めちゃって、ごめん。もっといろいろ相談するべきだったよね」
本当今さらどうしようもないことを言う、しかたのない人でした。いえ、これから女の子が断れば、いくらでもどうにかすることができることです。けれどそれを最後に阻止したのは彼女の今の謝罪であり、女の子はせめてもの意趣返しに「あくどいな」と皮肉ってやりました。
「わたしさ、思うんだよね。母さんがユキちゃんをきらいなことも、ユキちゃんの足がないことも、全部どうしようもないことだろ、だから無理に取り
「……おおに」
あくまでもカスミさんの具体性のない理論でしたけれど、女の子の耳にずっと心地よく残っていました。彼女の明るさにふれていると、そうしてだんだんと手術の恐怖や嫌悪感がやわらいでいくように感じました。女の子は、そのとき「脚のない自分」を受け入れることに前向きだったのです。
◆
3月25日。わたしたちは町の河川敷に、花見をしに行った。
ロケーションは、というとおせじにも桜が
ユキちゃんの車椅子を押しながら、場所取りのために、わたしは桜並木の下のゆるい
唐突だけど、わたしはついに生来の茶髪をやめた。陰気な雲のことなんてこれっぽっちも知らないような、ユキちゃんの透明な空色の髪にあこがれたからだ。けどわたしは本当に父さんの血を強く引き継ぎすぎたみたいで、色濃く太い毛はやっぱりうまく染まらず、今のように晴れなのか
そんななかでの今日の花見だったから、さっきは色味が悪いみたいなことを言ったけど、やっぱりこの天気と一緒に見る桜はわたしにとって大事な
「桜、きれいだねー」
すでに昔から言い古されているようなわたしの感想なんか興味ないというユキちゃんの顔をのぞき込む。邪魔だ、と手で押しのけられた。そういうところはまだ子供だなと、わたしはひとり手元の弁当を
ふと振り返って、坂のうえの遊歩道にいる初老の男性を見た。わたしたちの引率の人だった。今はユキちゃんの車椅子を見守ってくれていた。
また、ドレスのユキちゃんに目を向ける。
「年度始まったら、ユキちゃんいっしょに買い物行こうね。海とかもいいな。あーでもわたし塩素だめだったか……じゃあ家のビニールプールとかであそぼっか。脚きれいになったらおしゃれとかも楽しくなるよ。ドレス以外にも着たいよな?」
わたしの確認に、ユキちゃんはいつもの無反応を返してくれる。たんにそっけなく見えるけど、案外わたしはそういう空気感が好きだったから、笑顔は絶えなかった。
するとユキちゃんはふるっと耳を
「……おにい」
「ん?」
「なんで、
「んー。それは、多分、ユキちゃんとおでかけしたかったからだよ。わたしたちは足がないと、あちこち行けないからね」
「そう……」
ユキちゃんは返事しながら、そのあどけない顔を、わたしの横で少しだけ
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます