ユキちゃんVS町劇団

 11月02日。今日わたしは、ユキちゃんが脚本を手がけたげき、「命数めいすう募金ぼきん」を観賞した。……こうして、あとから文字に起こしてみると、ことさら変な話だなと思えてくる出来事だ。とはいっても、会場は(西の)隣町とのあいだにある小さな町民会館だったから、もちろん動員数は少なかった。舞台に立った演者たちの芝居もあんまり上手じょうずじゃなかった。またストーリーに凄絶せいぜつさなんて無くて、とてもシンプルで静かなものだった。それなのに、上演までのユキちゃんや町劇団の頑張りをただ見ていたというだけで、わたしは劇の終わりに際しては、まぶたに熱いものをおぼえていた。

 「命数募金」とは、とてもせつない人情物語ローファンタジーだ。一人の、母親を亡くした女の子がいて。一人のうらぶれた男の子がいて。女の子は「母親の生前のいのちの二乗分、1225年を集めれば、生き返らせることができる。だからあなたの1年をわたしにください」と言う。女の子は男の子に出会うずっと前からこうしたことを続けてきて、たいてい相手にされないだけだが、なかには1年をあげるかわりに性交渉をせまったり暴力をふるったりする大人も少なからずいた。けれど、女の子はそれらのあつかいにも喜んで応えてきたという。すべてはまた母親と幸福な毎日を送るため。そんな女の子を、男の子は否定した。「自分の1年は、ほかのひとにとっての1年には成り代わらない」そう言って、でもぼくにはきみと1年を分かち合うことができるからと、いのちをつのる活動に参加した。二人はたくさんのわけありの人々に会って、今生きているという実感の大切さやとうとさ、死の意味、それらがなぜあるべきなのかということ、様々さまざまな考え方を知っていく。最終的に、女の子は自分がしぬまで募金をやめなかったんだけど。

 わたしには、ユキちゃんがどうしてこんな話を思いついたのか、これを脚本にしたかったのか理解できない。上演後もできていないままだ。けどこれが、ユキちゃんの見ている世界なんだということだけは、今もはっきりわかっていた。

 自分の見え方や考え方を、劇とか小説とか漫画とかとりあえずなんでも、他人の閲覧えつらんできるような形にするというのはほんとに素敵すてきなことだと思う。それは、わたしたちがおたがいなんにも知らない仲から、いつか何ものも理解し合える関係になるための第一歩。同時に創作者につきまとう譲歩。それに、妥協。でもユキちゃんには一切そういうのがなかった。思うと今回、(小学生以下無料ってふれ込みだったし、)子どものお客さんが多いなかでこの内容を行ったから、観ているこっち側じゃ寝ている人が続出だったうえに、展開もあんまり起伏きふくがあるわけじゃないから、わたしや年長者たちさえ中盤になってやや退屈さを感じるほどだった。

 あとから、今度はもっとぱっとしたものがいいと思うよ。シンプルなほうが他人ウケするのに。なんて、サク者であるユキちゃんの気持ちなんてお構いなしに言ってしまった。でもなみださそわれたとはいえそれは感動というより泣き落としって雰囲気だったわけだし、しかたないよ。

 とにかく、ユキちゃんはすごいことをしてみせたんだ。今回は初演で不発ぎみだったけど、ユキちゃんならもっとすごいことができる。わたしはそう確信している。これからもあの子のやりたいことを後押しできるような……わたしはそんな大人おとなでありたい。


         ◆


 ある日の暮れ方、カスミさんたちは夜蛍やけいのかがやき出した街道かいどうのうえを、車で走っていました。車窓ごしに見下ろした先には時季いみ無い建物電飾イルミネーションがそこかしこでまたたいていました。そんな景色がしばらく続いたあと、東の都市まちに入ってくると、どうにも視界が色あせたような錯覚におちいりました。カスミさんは後部座席から、運転席の長生ながえさんに一言こぼしたのです。

「あんな都会でも、演劇ってほとんどやってないんですね」

 もっとも、カスミさんが演劇を観賞したのは今日が初めてでした。

「おもしろかったですよ、沙翁シェークスピアのえっとー悲劇……」

「カスミちゃんって本当に一度も観劇したおぼえがないの?」

 長生さんは食事を終えたあとだからか、どうにも眠たげな声音をしていました。

「はい。あーでも、『星の王子さま』なら二回くらい観たことありますよ」

「なんで二回? しかもそれ訴劇ミュージカルよね」

 駅前の丁字ていじに差しかかって、長生さんは勢いよく輪桿ハンドルを右に切りました。

 その衝撃で助手席にいびきをかいて寝ていた女の子は目を覚ましてしまったのです。

「おにい……?」

「ユキちゃん。もうすぐ家よ。身だしなみととのえておきなさい?」

「におおにい……」

 ユキちゃんもまた夢うつつの調子に返事し、胸元の留総タッセルで飾られたボタンなどを留め直したりしました。姫装束ドレス膝元すぐ近くには、今日の演目の小冊子パンフレットがくしゃくしゃになって落っこちていました。

 そして、それは翌々朝のことでした。珍しいことにカスミさんたちのおうちの前には長生さんと、さらに見たこともない男性が立っていました。前髪は長めだけれど後ろ髪は刈り上げた比較的に活動的スポーティーな印象の容姿に、よれた上衣シャツと丈の短い立襟上着スタンドジャケットというせいにおやかないでたちの男性でした。自分たちにどうした用事だろうと、女の子は二階の自室の窓からながめ下ろしていました。

「あのー! ここに! ユキちゃんさんはおられますでしょうかーっあ!」

 文面では伝わらないでしょうけど、それは小学校の防災訓練で聞く警報器サイレンと同じくらい大きな音なのです。耳が裂けるかと思いました。男性はそのあとゆっくり周辺を見まわし、家の玄関でもってふたたび声をあららげたのです。「お久しぶりです、演芸路えんげいじさん! わたしです! 出てきてください!」

「だあもううるさいな!」と、たまらずカスミさんは縁側から外に飛び出していきました。

「これは失礼はじめまして! わたくしこう見えても町劇団の団長でして、」

「知ってます! だから早く入って! うるさい!」

 結局カスミさんのせいで、男性を屋内にまねき入れるまでうるささが止むことはありえませんでした。

「すみません、私、元気だけが取り柄なものでして。ところで演芸路さんは?」

「叔父さんは去年引っ越しましたよ。今はわたしが家を借りてるんです」

「そうでしたか……あっ! そういえば、ユキちゃんさん、」

 男性はきょろきょろしました。そのうち、居間リビングの入口に隠れていた大変たいへん小柄な女の子を見いだし、目が合うやいなや駆け出して、その手を取っつかまえたのです。

「あなたがユキちゃんさんですね! 父から話は聞いています、脚本を書きたいんですよね? どうか、うちの劇団のために一筆したためてください!」

「あのですね、文章ってそんななまやさしいものじゃないんですよ……」カスミさんが言いました。

「ならどうか、うちの劇団のために一発ぶちかましてください!」

 初対面の男性の気迫にされ、女の子は何も言葉をかえすことができません。何なら向こうの言っている意味もわかりませんでした。

 すると、長生ながえさんは困惑している女の子の横に立って、興奮する男性をたしなめました。さらに長生さんは女の子のほうに事体のあらましを説明してくれました。それによると沙吉比亜シェークスピアをやった劇団の団長さん(長生さんのお友達だとか)に女の子が「劇の脚本を書きたい」とじか談判だんぱんして断られた後日、劇団長仲間たちにその話題が広がり、長年舞台の伝統マンネリ化に悩まされてきた町劇団の団長さんが復興のため、女の子の存在に目をつけた、というのです。自分のしたいことと相手の望むことが一致しているとわかったので、女の子はすなおに男性の協力を願い出ました。

 当初、喧噪けんそう混沌こんとんたる空気のなかにあった居間も、今ではある一つの目標を達するための白熱した誠実さにつつまれていたのです。

「うちは基本、訴劇ミュージカルです! ですが訴劇の脚本を書くというのは、しろうとのユキさんには少々厳しい話だと思います。うちの劇団でも、時間の制約があり、これまで既存きそんの作品を上演することしかできませんでした。訴劇というのはただの演劇とちがって、複合芸術ですから、いちから作るには台本に加え歌謡かようの指導・おどりの指導もろもろの経験が団員全員に必要とされるのです。っそういうわけでわたくしらのようにしょせん有志をつのっただけの小劇団では、内容によって、完ぺきを期することが難しいんですよ。本当に、お恥ずかしいはなしですがっ!」

 男性はさっきと打って変わって長文ちょうもんで、そして笑いごとのように指摘しましたけれど、対面する女の子にとってそれは今さら議題に上げるほどのことがらでもありませんでした。なぜなら、書く内容はすでに演劇、動きの少なくてだれもが世界観に触れようとすることができるものというように頭のなかで決まっていたからです。

「そもそも、ユキさんはどうして脚本を書きたいと? 作家志望ですか?」

「おにい……」

 女の子に、胸の内の事情を説明しうるほどの表現力はそなわっていませんでした。

「まあ、何にせよ私の劇団では、若手わかて大歓迎ですから。ゆっくり時間をかけていものを作ってくださいよ」

「お、おにいっ!」

「え?」女の子の発言に、男性はおどろき目をしばたかせました。「1週間、で作る、脚本を?」

 そのとき、男性や長生さんは冗談を聞いたときの表情を浮かべるだけだったのですけど、退屈報道テレビを観つつ長椅子ソファに寝っ転んで会話を傍聴していたカスミさんだけは、「はあ、どゆことっ?」と声を大にして、横槍よこやりとうじてきました。

「ユキちゃん、あんまりへんなこと言って困らせたらだめだろ。それに、文章書くのだって別に慣れてるわけじゃないし!」

「におにおっ!」

「ははは、でもユキさん、それはちょっとやりすぎなんじゃ……ていねいに作ってもらったほうがうちらとしても嬉しいので……」

 そういってカスミさんにどやされても、男性にお茶を濁されても、最後まで女の子は発言を取り消しませんでした。

「じゃあ、きょう一日で『あらすじ』だけでも作ってみたら? それができるんなら、1週間で仕上げるってのもばかにはできないだろうし」

 このやりとりがあった次の日同じような時間に、カスミさんの食卓では印刷済コピー用紙を二枚だけ持った女の子と相対する大人たちという光景がありました。「命数募金」という作品タイトルは実にこのとき初めて筆者以外の人目に触れることになったわけです。

 一枚目の紙の上には横書きの題名とあらすじ、二枚目は登場人物概要という構図でした。

 まず、手っ取りばやく彼女のととのった文藻ぶんそうにおどろいてみせたカスミさんが、一言述べます。

「ユキちゃん、いつのまにうまくなったの? すごいね……」

「ええ。たった数行の内容だけで、この作品のおもしろさが伝わってきます」

「ところでこの武十たけと要人かなめ(主人公)ってさ、最近のユキちゃんみたいだよね」

「おに?」

「いや、なんか、ものごとの分別ふんべつに敏感なところとか、みょうに大人びたところか」

 女の子はその言葉がどうにも不服だったのです。

「うん! これならいけますね。伝えたいことが簡潔で……何より、言葉のからユキさんの豊潤な人間性を感じられます。、世界観や時代背景などはいかがしましょう? それによって衣装も決まってきます」

「そもそも、これにユキちゃんは出演できるんですか?」

 意外な質問でした。演劇に詳しくない女の子にさえも、それがわかりました。だから、同じくらい演劇に造詣ぞうけいが深いわけでもなかったカスミさんが、そのようなことを口走ったことが信じられなかったのです。「そうですね……申し訳ありませんが、私らもお客様からのご援助をたよりに上演している身なので。町民大会イベントか何かのときにでも、またご助力ください」女の子みずからが否定するまえに、(別に悪いことはしていないのに)悪びれるような表情の男性が訂正しました。

 それから、その日のうちにあらかた方向性を定めた「命数募金」は、1週間という期限つきで脚本制作が開始したのです。女の子はつねに一人で書かなければなりませんでした。必要な知識や書き方は図書館にいって調べました。さらに背景の勉強のために町のなかを散歩したり、登場人物キャラクターたちの服装の勉強のために東の都市の百貨店ショッピングモールで買い物したりもしました。

「ユキちゃん、ずっと熱心に書いてるよね。でもあんまりこんめすぎたらだめよ」

 カスミさんや、たまに様子を見に来てくれる長生ながえさんからの心添えに感謝しつつ、女の子は昼夜を問わず執筆しっぴつに専念したのです。結果、いまだ2日と半分しか経過していなかったにもかかわらず、女の子は創作不良スランプにおちいってしまいました。

 このときの創作不良を、具体的に言いあらわしますと、頭のなかでははっきりとした光景イメージが広がっていて、それを目に通し手指を通してみると、まったく違ったものとしてしか文面上に生み出されない。だからまだ好調だったころの自分を見つめ直し、今の文を卑下することで、全削除リセットする。これを繰り返す。いつかのころと元通りになるためにまた、不良品を型取かたどって、捨てて、型取って、捨てて、というのをえまなく続けるうちに、どうしてわたしはこんなことに無為むいに時間をいているんだろう、なんて考え出し、結果として心身不調スランプは長期化する。そんな状態にあるのです。しかし女の子はこの魔の循環ループを早い段階で自覚したために、作品への思索はお休みにして、今はこれへの対処策を考えていました。

「ほら、言わんこっちゃない。根詰めすぎて、考えが煮詰まったちゃったんだよ」

 カスミさんがいつものようにしようもない駄洒落だじゃれを言って、部屋に入ってきました。女の子は二階北側の便所トイレね場所として占領していましたから、彼女へ早々に出ていくよう言いました。

「いっしょに出かけようよ? 気分転換にさ。この時季、名前はわかんないけど、どっかの公園で紫色の花が一面ぱーって咲いてて綺麗きれいなんだよねー。ほらどうっ?」

 彼女はこころいてお弁当までこしらえたらしく、鼻を高くして自慢げに、女の子の目の前で青い包みをかかげてみせました。これほどまでにその笑顔がおさなく思えたことはありません。

 ところで、女の子もまた一人のときに外出して気分転換する方法は思いついていました。どうしてかそのときは実行に移そうという気になれませんでした。けれど現時点、カスミさんの能天気さにふれたことで、女の子はとある妙案にたどり着いたのです。「おにい、おっ!」

 女の子は脱兎のごとく便所トイレから飛び出していました。さらにカスミさんのつまらない洒落ギャグと小言の意趣返しに、弁当箱だけ疾走ダッシュで奪取し、階段をすべり降りたのです。そのままのいきおいで北側化粧室、東側通路という順に折り返したのは車椅子をせしめるためでした。女の子は今日に限って姫装束ドレスを着ておらず、このごろの残暑に対応して、五分ごぶそで大番上衣オーバーシャツ(空色の髪を引き立てる黒の無地。硬紐ベルトでくびれの演出済)に、濃紺の遊布デニム短小腰物ミニスカートという自然ながらも涼しげで瀟洒シックな身なりをしています。そして若干さびしい首元には飾りつきの頸輪チョーカー、両脚に町内会で作ってもらった護謨ゴム靴下くつしたを履いていました。実際はもういつでも出かけることができるようにしていたのです。

 女の子はまるで競走でもするみたいに、ものすごい速度で車椅子の車輪を回しながら、町の駅へと向かいました。カスミさんが追ってくるようなことはきっとありませんでしたけれど、それでもなるべく早く電車に乗り込みたいなと思っていました。やがて数両の電車がぎちぎちぱんぱんに人を詰めてやって来ましたから、女の子は本日が日曜日だということを思い出し、ならば、弁当でもまみながらあと10分くらい待ってやろうという気分になりました。そして次の電車で西の町へと到着したのです。

 手元には地図なんかありません。それなのに、女の子がかわいた刃状表面アスファルトの上を数往復しただけですぐにも馴染なじみある表札は見つかりました。邸宅ていたくは、そこに現状一人しか住んでいない事実をすっかり忘れてしまえるほどに巨大で、広い敷地を有していましたから。洋風造りで優雅エレガントと言えるでしょう大門もすでに開いていました。

「いまは、庭仕事の最中ですので、少々お時間をくださいな」

 澄みきって、男性特有の渋味しぶみのある声と、ざっと土を踏みしめる音がしました。正門の横を見やるとむらさききいだいだいいろどりゆたかな秋桜コスモスが、人為の水と自然の太陽を受けて小躍りしている景色に視界全部を埋め尽くされたのです。カスミさんが言っていたものはこれだと思いました。

「ここへ来るのは初めてでしょう? よろしければ、わたしのお茶につき合ってくれませんか。手記同様、日課なんです」

 50代だから成せるしっとりした物腰ものごしで、男性は微笑みかけてくれました。

 外の様相と異なり、客間は思いのほかに気軽で小さな空間でしたから、案内された女の子は男性に気がねをする必要がなく、安心していられたのです。

「おにい」

「すみません、主人のちょっとした都合により、ごぶさたしておりました。カスミさんは元気にしていらっしゃいますか?」

「おにい! においにおにお、おっお」

 ふだんあまり無表情をくずさない女の子ですけど、男性の前ではかなりのおしゃべりになって、またそれを恥じ、気休めに洋茶碗ティーカップへ口づけするときにも、終始何事かの感情を顔にあらわしていました。男性とはしばらくたわいもない雑談を楽しみました。

「いつか、また会うことになると確信しておりましたが、明日あしたより早くなるとは思いもつきませんでした。だから、喜ばしいのです。それにしても、今日はいったいどういった用向きで、ここをたずねて来られたのですか?」

 と、男性が言いましたから、女の子は脚本を書くことになった経緯を身振り手振りで話したのです。にこやかであり続けていた男性は、途中「命数募金」の内容を聞くとやや顔色を悪くしたのですけれど、総評では「なるほど。それは、ユキちゃんらしい、優しいおはなしですね」と好印象をのべてくれました。

「それで、どこが書けないのですか?」女の子は、主人公の少年と少女の「いのちをつのる活動」のうちに、やがて恋が芽ばえるべきか否かと悩んでいました。「なら、どちらでもいいんだと思います」男性の言葉は、いつでも気儘きままながらに思いやりがあるものなんです、でも、いつもどこかで見放したような空虚さと、余計な皮肉ユーモアを覚えてしまえるものでした。

「ただ、しんの感情を、愛や恋でごまかしてはいけませんよ」

 と、男性はまるで自分に説き聞かせるかのように言いました。

「すみません、知ったような口をきいて。しかし、作品のために聞いてください。それは、また人の死でごまかしてはいけません。ユキちゃんが登場人物かれらをぞんざいにあつかうことをいっとき認めてしまえば、誰も後世こうせい彼らを愛してくれなくなります。そうなるとかわいそうでしょう?」

「お。お、にい……」

「ユキちゃんは優しいですね、本当に。自分が盛り上げられなければ、劇団の方々に迷惑がかかるということから、たしかに目を逸らしていてはいけませんよね。そうですね。ですがわたしは、作家という生きものが第一に大事にするべきものが、他人からの共感の容易よういさや筋書すじがきなどではなく、作品への敬意なのだと信じて、今日まで生きてきたんです。なんていったって、作品のなかの人々の意志はおかされざるべきものじゃありませんか。受けとる第三者わたしたちよりまずさきに、着想主ユキちゃんが作品を愛してあげなければ……」

 そこで、男性は熱気のこもったせりふをかえりみたのか、不必要なほど慎重にせいしたのでした。

「わたしに助言できることといえば、脚本の形式的な書き方についてだけですよ。そうしてそれも、あくまであなたの表現したい宗旨ところをねじ曲げずに行うための骨格でしかありません。それ以上のことを、わたしには口出しすることができません」

「おにい?」

「いいえ。本当にそうなんです。所詮、わたしには考えのくらい人に学びを唱導したい――いえ、これはたんに昨今さっこんのわたしの流行語なのです――そんな、ばくぜんとした、身のほど知らずの望みがちらつくので、人様に日本的娯楽エンターテインメントを提供することなんて、できるはずもありません。だからもしも、いつかユキちゃんがお客さんを笑わせられるような作品をつくりたいとおもったときには、ぜひに、わたしのところへは来ないでくださいね」

 男性との会話は、ほんの30分で終了をむかえました。そのあとで男性は書斎を貸してくれて、さらに執筆上の留意点だとか(劇団員をふくむ)観客への訴情発論メッセージの伝え方なども教えてくれました。豪邸からの帰りぎわに女の子は男性から「ご笑味しょうみください」土産物みやげもの果加菓ブラウニーをもらいました。女の子が提案としてこれを劇団の方々に配って親交をふかめたいと言いましたら、男性は「ぜひに」と答えて、喜色満面で見送ってくれました。

 今や女の子のあたまのなかには、もう二日とかけずに原稿を書き終えるだけの明瞭めいりょう知恵レシピが浮かんでいました。だから男性に手わたされた色々なものをかつぎながら、できるかぎりの速さで家路を急いだのです。


         ◆


 約束の期日からしばらく経ち、いよいよ町劇団の本部である西の町の町民会館で、劇団員たちの稽古けいこがはじまります。

 とはいっても、正直わたしにはこまかな知識などありません。はぢを承知で、ある情報拠点ネットサイトによれば、稽古には台本を覚えることが目的のもの、立ち回りを覚えることが目的のもの、そして衣装や演出などを加えた本番に近いものの大まかに三種類あるらしいのです。そして団長さんいわく、今回の上演は稽古場である小体育館の隣の大体育館になるので、前述の三番目にある稽古は無くいわゆる舞台稽古リハーサルになるそうです。このような具合いにはっきりとした見地にりかかったり事寄ことよせたりしておきながらも、女の子は脚本というつながりを持って、劇団でのれっきとした「自分が参加している感覚」を味わえるものだと思っていました。

 ところが実際にると、女の子にこなせる配役しごとといえば、休憩時間にはいった劇団員たちの気晴らしのおしゃべり係とか掃除係とか、良くっても脚本原作という立場からの演技指導だけだったのです。

 また演者さんたちが何を気にして何度もおんなじ仕草しぐさをやり直しているのか、かれこれ2時間見つめていましたけれど、いっこうにわかりそうにもありません。この厳粛な場では演技への助言をしなければいけないのに、女の子はかれらの真剣さに魅入られてしまって、どういうわけかすでにお芝居を観ているような気分にありました。だからおのずと、稽古けいこに参加しようという意欲は彼女のなかでうすらぎ、やがて失効されていきました。

 台本がかれらの手に渡ってからというもの、稽古はほとんど休みなく続けられていたのです。いつか女の子は、自分が脱稿だっこうするのを遅らせたせいだと心配して、劇団長さんにあやまりに行きました。劇団長さんはまともに取り合わずに、芝居の完成にはなみの劇団でも最低1つきはかかるものですと言って、しかしそれどころではありません、他人に余命よみょう1年を寄付する感覚とはいかがなものなのですか、なんて、反対に演技指導を乞われてしまいました。だれかのために時間をついやす感覚に神経をそばだてることよりも、女の子は今の自分がおかれている状況への処理のほうがまったく追いつかないと、この時気がついたのです。

「ほら、言わんこっちゃない。やっぱり劇に出たほうがよかったんだって。そうすれば、退屈することもなかっただろ?」

 こういうとき、すかさずカスミさんは女の子を見つけて、小言を言いに来るのです。

 女の子は大体育館劇場の観覧席にすわっていました。

 降光スポット脚光きゃっこうさえ無い暗黒な舞台に、形をもたない何かを見つめていました。

「……自分の書いたものが、大勢の人の目にふれるのって、どういう気分?」

 カスミさんは真横に腰掛けてきます。

「これがやりたかったんでしょ」

「おにい」

 女の子は不安顔ではありませんでした。

「恥ずかしい、」と、カスミさんがききます。「それとも、嬉しい?」と、カスミさんはまたききます。女の子は気持ちの正体をあらわす言葉をもたなかったので、黙ってしまいました。それを、カスミさんなりにくみ取った言葉が、次のようなものでした。

「自分のことなんてほうっておいて、作品に夢中になってもらえたのがうれしいんでしょ。素直に言ってもいいんだよ」

 別に、それで、女の子の視界がぱっとひらけるようなことはありませんでしたし、心の動くようなこともありませんでした。わたし同様彼女の語彙ごいもまた稚拙ちせつなのです。だけれども胸ににじむようなその感覚、カスミさんの匂い、劇場内の小さなひかりであっても過敏に取り込もうという眼のはたらきのすべてが、少なくても今だけ、女の子の溜飲りゅういんを下げるという効果があったことはいなめませんでした。

 おもえば万古不易、それでいてこの瞬間にもたえず生まれ続けている星の数ある創作物のなかで、この町の劇団員10数名――上演日には裏方スタッフや観客も合わせて、もしかすると1千人を超えてしまうかもしれません――たちは、わずか16歳のしろうとのあらわした作品のために一生懸命になっています。その事実は何があっても変わりません。かれらは「命数募金」の主役ヒロインクリスに言わせれば約1月=740時間=2,679,000秒という余命を使ってまでも、女の子の想像した世界を再現しようとしてくれているのです。わたしたちがだれかのためにはたらくとき、かならず自分のなかに限りある命の時間を使わなければなりません。彼女の作品を総覧した劇団員たちは知っています。それなのにぐち一つ言わずに全力をもって、現在も稽古をしてくれていました。

 わたしにはこのようにしかえがき出せないけれど、そうしたことを、女の子は全身のばくぜんとした感覚で一瞬にして理解しました。そして1秒でもむだにしたくないからこそ、カスミさんに問いかけました。「あなたは、表現しないのか」と。

 カスミさんは言葉を聞き取ることで精一杯のようでした。


         ◆


 上演当日、40人いるかどうかという観客を動員した本会場では、西の町演劇団特有のあの大きな声が送話器マイクを介して轟々ごうごうとひびきわたっていました。

「まず、みなさんへの感謝を申し上げたい。今日はご多用のなか、こうして時間を作っていただきありがとうございます。同時に、予定日としておりました10月19日を大幅に過ぎてしまい、皆様に多大な迷惑をおかけしたことを深くお詫び申し上げます。しかしこのたびの演目、『命数募金』は両脚がない16歳の女の子が寄稿してくれた作品で、言葉選びに犀利センスがあり奥ゆかしく……とにかく将来有望なんです! 彼女は、これまで既存の訴劇ミュージカルしかやってこなかったわたしたちに、あたらしい視野をくれました。まあでもそれが一番のくせものでして、完ぺきになるまでに時間がかかってしまったという次第で――あれ? 前口上まえこうじょうが長い? しかたがありません、もう少し待っててください!」

 ふだん平明できっぱりした物言いの劇団長は、そうして舞台挨拶のときばかり堅苦しくて長ったらしい文句をたれるので、早く切り上げろと舞台袖の仲間たちにばかにされるというのが恒例のやりとりだそうです。お客さんたちも理解しているのか、はたまた諦めているのか、終始おだやかな表情でいました。

「とにかくわたくしは興奮しています! 今回でみなさんに、想像することのすばらしさ、そして一人ひとり人間のさりげない配慮こそが日々のしあわせにつながるものなんだっ、ということを、伝えきりたい! ……それでも、私たちではまだまだ力不足。この作品にとって私たちが役不足なのではないかと感じています。最後になっても、みなさんの期待に応えることができないかもしれません。

 だから、できうる限りのことで構いません。今この舞台ステージにいない彼女の見せたかった世界を、みなさんの感動と想像する力で、どうか完成させてください。観客みなさんがいなければ作品はでき上がらないんです。わたくしども表現者は、いつでもみなさんの力によって存続していられます。文化を生み出そうとすることができるんです。

 だから、改めて感謝を述べたいと思います。このたびは本当に、みなさん、ありがとうございます。長くなりました。どうか楽しんでいってくださいませ」

 導入が止み、あらしの前の静けさといいましょうか空気が落ち着いたころ――しゃんしゃんと、切なげに降る雪の音がきこえはじめました。それは街をさまよっていた少年・要人かなめが目の虚ろな少女・クリスを見つける出逢いの記憶シーンだったのです。





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