ユキちゃんVS町劇団
11月02日。今日わたしは、ユキちゃんが脚本を手がけた
「命数募金」とは、とてもせつない
わたしには、ユキちゃんがどうしてこんな話を思いついたのか、これを脚本にしたかったのか理解できない。上演後もできていないままだ。けどこれが、ユキちゃんの見ている世界なんだということだけは、今もはっきりわかっていた。
自分の見え方や考え方を、劇とか小説とか漫画とかとりあえずなんでも、他人の
あとから、今度はもっとぱっとしたものがいいと思うよ。シンプルなほうが他人ウケするのに。なんて、サク者であるユキちゃんの気持ちなんてお構いなしに言ってしまった。でも
とにかく、ユキちゃんはすごいことをしてみせたんだ。今回は初演で不発ぎみだったけど、ユキちゃんならもっとすごいことができる。わたしはそう確信している。これからもあの子のやりたいことを後押しできるような……わたしはそんな
◆
ある日の暮れ方、カスミさんたちは
「あんな都会でも、演劇ってほとんどやってないんですね」
もっとも、カスミさんが演劇を観賞したのは今日が初めてでした。
「おもしろかったですよ、
「カスミちゃんって本当に一度も観劇したおぼえがないの?」
長生さんは食事を終えたあとだからか、どうにも眠たげな声音をしていました。
「はい。あーでも、『星の王子さま』なら二回くらい観たことありますよ」
「なんで二回? しかもそれ
駅前の
その衝撃で助手席にいびきをかいて寝ていた女の子は目を覚ましてしまったのです。
「おにい……?」
「ユキちゃん。もうすぐ家よ。身だしなみととのえておきなさい?」
「におおにい……」
ユキちゃんもまた夢うつつの調子に返事し、胸元の
そして、それは翌々朝のことでした。珍しいことにカスミさんたちのおうちの前には長生さんと、さらに見たこともない男性が立っていました。前髪は長めだけれど後ろ髪は刈り上げた比較的に
「あのー! ここに! ユキちゃんさんはおられますでしょうかーっあ!」
文面では伝わらないでしょうけど、それは小学校の防災訓練で聞く
「だあもううるさいな!」と、たまらずカスミさんは縁側から外に飛び出していきました。
「これは失礼はじめまして!
「知ってます! だから早く入って! うるさい!」
結局カスミさんのせいで、男性を屋内にまねき入れるまでうるささが止むことはありえませんでした。
「すみません、私、元気だけが取り柄なものでして。ところで演芸路さんは?」
「叔父さんは去年引っ越しましたよ。今はわたしが家を借りてるんです」
「そうでしたか……あっ! そういえば、ユキちゃんさん、」
男性はきょろきょろしました。そのうち、
「あなたがユキちゃんさんですね! 父から話は聞いています、脚本を書きたいんですよね? どうか、うちの劇団のために一筆したためてください!」
「あのですね、文章ってそんな
「ならどうか、うちの劇団のために一発ぶちかましてください!」
初対面の男性の気迫に
すると、
当初、
「うちは基本、
男性は
「そもそも、ユキさんはどうして脚本を書きたいと? 作家志望ですか?」
「おにい……」
女の子に、胸の内の事情を説明しうるほどの表現力はそなわっていませんでした。
「まあ、何にせよ私の劇団では、
「お、おにいっ!」
「え?」女の子の発言に、男性は
そのとき、男性や長生さんは冗談を聞いたときの表情を浮かべるだけだったのですけど、
「ユキちゃん、あんまりへんなこと言って困らせたらだめだろ。それに、文章書くのだって別に慣れてるわけじゃないし!」
「におにおっ!」
「ははは、でもユキさん、それはちょっとやりすぎなんじゃ……ていねいに作ってもらったほうがうちらとしても嬉しいので……」
そういってカスミさんにどやされても、男性にお茶を濁されても、最後まで女の子は発言を取り消しませんでした。
「じゃあ、きょう一日で『あらすじ』だけでも作ってみたら? それができるんなら、1週間で仕上げるってのもばかにはできないだろうし」
このやりとりがあった次の日同じような時間に、カスミさん
一枚目の紙の上には横書きの題名とあらすじ、二枚目は登場人物概要という構図でした。
まず、手っ取りばやく彼女の
「ユキちゃん、いつのまにうまくなったの? すごいね……」
「ええ。たった数行の内容だけで、この作品のおもしろさが伝わってきます」
「ところでこの
「おに?」
「いや、なんか、ものごとの
女の子はその言葉がどうにも不服だったのです。
「うん! これならいけますね。伝えたいことが簡潔で……何より、言葉のはしばしからユキさんの豊潤な人間性を感じられます。がしかし、世界観や時代背景などはいかがしましょう? それによって衣装も決まってきます」
「そもそも、これにユキちゃんは出演できるんですか?」
意外な質問でした。演劇に詳しくない女の子にさえも、それがわかりました。だから、同じくらい演劇に
それから、その日のうちに
「ユキちゃん、ずっと熱心に書いてるよね。でもあんまり
カスミさんや、たまに様子を見に来てくれる
このときの創作不良を、具体的に言いあらわしますと、頭のなかでははっきりとした
「ほら、言わんこっちゃない。根詰めすぎて、考えが煮詰まったちゃったんだよ」
カスミさんがいつものようにしようもない
「いっしょに出かけようよ? 気分転換にさ。この時季、名前はわかんないけど、どっかの公園で紫色の花が一面ぱーって咲いてて
彼女は
ところで、女の子もまた一人のときに外出して気分転換する方法は思いついていました。どうしてかそのときは実行に移そうという気になれませんでした。けれど現時点、カスミさんの能天気さにふれたことで、女の子はとある妙案にたどり着いたのです。「おにい、おっ!」
女の子は脱兎のごとく
女の子はまるで競走でもするみたいに、ものすごい速度で車椅子の車輪を回しながら、町の駅へと向かいました。カスミさんが追ってくるようなことはきっとありませんでしたけれど、それでもなるべく早く電車に乗り込みたいなと思っていました。やがて数両の電車がぎちぎちぱんぱんに人を詰めてやって来ましたから、女の子は本日が日曜日だということを思い出し、ならば、弁当でも
手元には地図なんかありません。それなのに、女の子がかわいた
「いまは、庭仕事の最中ですので、少々お時間をくださいな」
澄みきって、男性特有の
「ここへ来るのは初めてでしょう? よろしければ、わたしのお茶につき合ってくれませんか。手記同様、日課なんです」
50代だから成せるしっとりした
外の様相と異なり、客間は思いの
「おにい」
「すみません、主人のちょっとした都合により、ごぶさたしておりました。カスミさんは元気にしていらっしゃいますか?」
「おにい! においにおにお、おっお」
ふだんあまり無表情を
「いつか、また会うことになると確信しておりましたが、
と、男性が言いましたから、女の子は脚本を書くことになった経緯を身振り手振りで話したのです。にこやかであり続けていた男性は、途中「命数募金」の内容を聞くとやや顔色を悪くしたのですけれど、総評では「なるほど。それは、ユキちゃんらしい、優しいおはなしですね」と好印象をのべてくれました。
「それで、どこが書けないのですか?」女の子は、主人公の少年と少女の「いのちを
「ただ、
と、男性はまるで自分に説き聞かせるかのように言いました。
「すみません、知ったような口をきいて。しかし、作品のために聞いてください。それは、また人の死でごまかしてはいけません。ユキちゃんが
「お。お、にい……」
「ユキちゃんは優しいですね、本当に。自分が盛り上げられなければ、劇団の方々に迷惑がかかるということから、たしかに目を逸らしていてはいけませんよね。そうですね。ですがわたしは、作家という生きものが第一に大事にするべきものが、他人からの共感の
そこで、男性は熱気のこもったせりふを
「わたしに助言できることといえば、脚本の形式的な書き方についてだけですよ。そうしてそれも、あくまであなたの表現したい
「おにい?」
「いいえ。本当にそうなんです。所詮、わたしには考えの
男性との会話は、ほんの30分で終了をむかえました。そのあとで男性は書斎を貸してくれて、さらに執筆上の留意点だとか(劇団員をふくむ)観客への
今や女の子のあたまのなかには、もう二日とかけずに原稿を書き終えるだけの
◆
約束の期日からしばらく経ち、いよいよ町劇団の本部である西の町の町民会館で、劇団員たちの
とはいっても、正直わたしにはこまかな知識などありません。
ところが実際に
また演者さんたちが何を気にして何度もおんなじ
台本がかれらの手に渡ってからというもの、稽古はほとんど休みなく続けられていたのです。いつか女の子は、自分が
「ほら、言わんこっちゃない。やっぱり劇に出たほうがよかったんだって。そうすれば、退屈することもなかっただろ?」
こういうとき、すかさずカスミさんは女の子を見つけて、小言を言いに来るのです。
女の子は
「……自分の書いたものが、大勢の人の目にふれるのって、どういう気分?」
カスミさんは真横に腰掛けてきます。
「これがやりたかったんでしょ」
「おにい」
女の子は不安顔ではありませんでした。
「恥ずかしい、」と、カスミさんがききます。「それとも、嬉しい?」と、カスミさんはまたききます。女の子は気持ちの正体をあらわす言葉をもたなかったので、黙ってしまいました。それを、カスミさんなりにくみ取った言葉が、次のようなものでした。
「自分のことなんてほうっておいて、作品に夢中になってもらえたのがうれしいんでしょ。素直に言ってもいいんだよ」
別に、それで、女の子の視界がぱっとひらけるようなことはありませんでしたし、心の動くようなこともありませんでした。わたし同様彼女の
おもえば万古不易、それでいてこの瞬間にもたえず生まれ続けている星の数ある創作物のなかで、この町の劇団員10数名――上演日には
わたしにはこのようにしか
カスミさんは言葉を聞き取ることで精一杯のようでした。
◆
上演当日、40人いるかどうかという観客を動員した本会場では、西の町演劇団特有のあの大きな声が
「まず、みなさんへの感謝を申し上げたい。今日はご多用のなか、こうして時間を作っていただきありがとうございます。同時に、予定日としておりました10月19日を大幅に過ぎてしまい、皆様に多大な迷惑をおかけしたことを深くお詫び申し上げます。しかしこのたびの演目、『命数募金』は両脚がない16歳の女の子が寄稿してくれた作品で、言葉選びに
ふだん平明できっぱりした物言いの劇団長は、そうして舞台挨拶のときばかり堅苦しくて長ったらしい文句をたれるので、早く切り上げろと舞台袖の仲間たちにばかにされるというのが恒例のやりとりだそうです。お客さんたちも理解しているのか、はたまた諦めているのか、終始おだやかな表情でいました。
「とにかく
だから、できうる限りのことで構いません。今この
だから、改めて感謝を述べたいと思います。このたびは本当に、みなさん、ありがとうございます。長くなりました。どうか楽しんでいってくださいませ」
導入が止み、
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