ユキちゃんVS喫茶店の人々

(あ、あのう……)

 そういって、呼びとめる声がありました。ひと足遅れて、ねつれた砂糖菓子のような甘ったるいかおりもやってきました。男性がふり向いたそこにはどうしてか人影はなく、少しうつむくとようやく、あやな衣装に身をつつむ10幾歳かの少女が、懐値手ポケットティッシュを手わたすすがたがあったのです。

「おにい?」

 少女は男性に声をかけました。稍々長髪セミロングの空色のかみ桔梗ききょうの花の飾りでゆい上げた、よりそのあどけなさを引き立たせる二頭絡毛ツインテールをぶら下げて。

「えっ……あの、

 しかし、黒目に触れんばかりの長い前髪を動揺どうようにそよがし、男性は通りすぎて行きました。

「お、にい?」

 少女はまた別の男性に声をかけました。中華炉利チャイナロリータとでも形容すべき身だしなみ――それは、日満装チャイナドレスのごときちみつ錦繍きんしゅうのはなやかな上衣に、密着腰物タイトスカート煙布腰物シースルー・スカートを組み合わせた現代的な下衣だった――をし、恥じらいのこもった表情で。

「……いえ、

 けれども、首絮ファーのついた厚手あつで錚倪内モッズコート遊着ジーンズあわせ、かかとをすり減らした遊靴スニーカーでこつこつ鳴きながら、男性は歩き去って行きました。

「おに、い?」

 少女はめげずにまた別の男性に声をかけました。ひざをもたず、底だけ残った苦麦酒ビールびんあしでどうにか車椅子の台座シートの上に背のびしながら。

「…………。」

 やっぱり、贅肉ぜいにくがなくすらっと伸びてきれいな足は大股おおまたに運ばれて、男性は一言も発することなくきえて行きました。

 誰も、彼女のよそおいについてめたり、足を止めてながめてみようとしたりすることはありませんでした。もれなく睥睨へいげいし、かわり映えのしない風景と決めつけて相手にしなかったのです。

 その日女の子は、「ユキちゃん。ちょっと~お休憩きゅうけいしようか」とある開店間もない仮装コスプレ喫茶きっさで、値手ティッシュ配りの賃金労働アルバイトにはげんでいました。きっかけはほんの数日前のことです。


         ◆


 ある朝、女の子はおうちの二階南側にある「使われていない部屋」にいました。というのも、そこはかつての住民が使っていた家具類や食器を一時避難させるための場所として長く利用されていたのですが、最近になりカスミさんのものぐさが発動して、単なる避難区画から、ちらしとか古新聞とかのいらない書類のたまり場となってしまったのです。女の子はそのなかから、先日カスミさんが見失ったという預金通帳を探していました。ああいう小物は紙類のあいだによくはさまってみえなくなるので、一度なくすともう一度手元にもどって来るには相当な時間がかかります。「どうしてちゃんと管理しなかったの?」「なんで毎日そうじをしないの?」そんなふうに聞いたところで、カスミさんに関しては馬耳東風、また同じ失敗をするにちがいないのはわかりきっていますから、女の子が探し物をするしか方法はありませんでした。

 ややもすれば当の犯人は、一階で家事に忙殺ぼうさつされていました。どんかちゃんかと、豪快ごうかいな金属音が下からあがってきます。女の子はうんざりしました。

 20分後、女の子のてのひらのなかには長方形の通帳がしっかりと収まっていました。さすが、もの探しの名人です。これまでにもカスミさんがなくした車の免許証、回覧板、愛用の長財布ながざいふなど、数々の物品をここ掘れわんわんと見つけ出してきました。もはや女の子は、その手の職業に自分はくべきだと思えるほどの自信にみなぎっていたのでした。

「おっにっにーっ!」

 るんるんとはずんだ心で、女の子は階段に向かおうとしました。すると、そのときふと、足元に転がっていた小さな布製ぬのせい値手覆物ティッシュカバーに目が留まってしまったのでした。

「いにお?」

 若干伸びてきた、貝がらのようなつめのさきから、そのおおいを手に取りますと、またたく間に女の子の神経になんともこころよい感覚が行きわたったのです。中身は当然およそ十枚ていどのちり紙でした。それなのに、女の子はとてもおどろいたのです。その紙の取り出し口の周りに、手芸と思わしき丁寧ていねいながら(人の温かみがあるという意で)手垢てあかじみたりがなされており、そもそも布の入れ物自体、既製品きせいひんにはない独特の味わいをびていました。一方で、値手覆物ティッシュカバーは既製品のように折目おりめ正しくありました。女の子は感動したのです。

 値手のうらがわを見ると、東の都市まちに今年できたばかりの仮装コスプレ喫茶の広告が付属していました。――いえ、本来はそちらが目的物のはずです。しかし女の子にとって、それは単なる値手のおまけにしか考えられませんでした。

「おにいっ!」

 彼女はいそいで階をり、一階にいるカスミさんのもとへ向かいました。

「どうした?」

 カスミさんは、盛大せいだいなお洗濯の途中で手を止めて、女の子のほうに注目します。

「ににおにおにい、におにおにい」

「なるほど。わからん」

「おにい……」

「要するに、ユキちゃんは自主労働アルバイトがしたいのね?」

「いにっ、」

 そのとき、女の子はたしかに違うと言いかけました。もちろん言いかけたというばかりで、早とちりをしたカスミさんへ言外のところまでは伝わらず、「いいよいいよ。大賛成! 賃労バイトだろうと公務員だろうと、お金をかせごうとする心に貴賤きせんはないっ! すぐ行こう! さあ!」と、満面の笑みで背中を押されてしまったのです。今や女の子ただ一人だけがこれから千尋ちひろたにに突き落とされるかのような錯覚をおぼえていました。

 そして、経糸たていとは彼女の当番シフト2日前にうつります。

 東の都市の百貨店ショッピングモールから北に8分・駅から南に3分という立地に目的のお店はありました。女の子は午後のねむたい時分、傍目はためにも乗り気でないことが見て取れる自然でぶなんな衣装を着て、「ミーティングカフェ persona《ペルソナ》」なる看板タイトルをかかげた門前までやって来ていたのです。それからおそるおそる、派手色のとびらを開けはなちました。

「いらっしゃいませ~え」

 すると女の子の入店とほとんど同時に、受付のあたりから仮装喫茶の店員らしき少女がたいへんにのびやかな声で出迎えてくれるのでした。

 彼女は典型的な日本にっぽん給仕衣装メイド服すそを引き、愛想よい笑顔をつくりました。

 その、あまりにこなれた立ち居振る舞いに圧倒されて、「お、おにい!」照れくさそうに両目をふせてしまいましたが、女の子は確かにあのとき家で見つけた値手覆物ティッシュカバーを、勇気をおこして同じくらい目線の低い彼女に手渡します。そのときの女の子はまるで有名人に署名サインを乞うかのようにかしこまっていました。

「おや~あ、これは、わたくしがお作りしましたものでは……」

「おにい……」

「ん? もしや賃労バイト希望でいらして?」

「にい……」少女に確認されて、女の子はびくびくした表情でうなずきます。

「ううむ、それは困りましたね~え」と、対して少女のほうは本当に困っているようにみえない緩慢かんまんなしゃべりでした。「ほんとうのほんとうに大困おおごまりですよ~お。だってお店には賃労者アルバイトさんを甘受かんじゅできるような財力はなく、こっちとしても値手ティッシュで客引きっつうのがせいいっぱいってわけですからね~え……」

 最初、そんな給仕服の少女からの言葉をうけて、女の子は大喜びするものだと思っていました。しかし実際は異なり、その場はちんうつな空気につつまれたのです。そこで、女の子が働けるための二の矢がはなたれました。つきそいとして来店していたカスミさんが威勢よく声を上げたのです。

「あの、そもそもここってどういう喫茶店なんでしょうか?」

 大人びたカスミさんに影響され、少女のほうも少しだけ表情をおだやかにしました。

「はい。ここは、看板にあるとおりミーティングカフェなので、あんまり人に聞かれたくない相談ごとや内輪うちわばなしを気がねせず話せる喫茶店カフェ、というのが要諦コンセプトになります~う。が、しか~し! それは世間しのび、ひっそりと生きるための仮の姿――そう、仮面ペルソナ! 真相は、可愛かわいいまたは綺麗きれい仮装専門職コスプレーヤーさんとつながりたい店長てんちょさんが経営してらっしゃる、下心したごころ満載まんさいで、いかがわしさ百点満点のお店なんですっ!」

「じゃあ帰ろうユキちゃん」

「待ってください~い! 店長さん事情がそうでもお店事情はちがうんです~う」

 少女はからだの凹凸おうとつがうまくはまりそうなくらいに隙間すきま無くカスミさんに抱きついてきたのです。

「ちょっと、はなれなさいよ……」

「ぐへへ、そんな定番テンプレじみたせりふのたまったって、わかってるんですよ~お? ほら、ここがええんやろ? ここがええんやろ?」

「やめろーっ! まじでやめろ! 採寸するな!」

「ばすと71、うえすと64、ひっぷふめい」

「ばらすな~あああああ!」

外~い」

「…………」その地獄絵巻じごくえまきのような光景を目の当たりにして、女の子はただだまるしかありませんでした。これだから、若者文化サブカルだとか大衆文化ポップカルチュア領分りょうぶんにはかかわるべきではない、とも。


         ◆


 結局、説明書きは説明書きとしての価値をしませんでしたけれど。その後女の子は、お店が貸し出す衣装をみずからが着て、さらには障害者であることを付属的に誇張すること、つまり広告塔になることを提案したので、2日間の賃金労働を少女に約束してもらいました。ちなみにその少女というのが一県隣の服飾ふくしょく専門学校にせきをおく2年生の逆木さかさぎさんといい、今は服飾ふくしょく意匠デザインについて勉強しているんだそうです。印象と違って全然「少女」ではありませんでした。

「ユキちゃ~あん、お疲れ~え。どう? あんまりかんばしくない?」

 お店の奥の控え室にて。汗をぬぐう女の子に、逆木さんが言いました。控え室は同じ空間内に服飾工房もそなえていて、そこではなんと、逆木さんを含む四名が(費用はきゅうされるそうですが)自分たちでお店の衣装を作っているのです。ちょうどいま空色二尾ツインの女の子が着ている中華炉利チャイナロリータも、彼女の横でこまやかに裁縫ちくちくしている逆木さん自身の給仕衣装メイド服も。

「――おにい?」

 と、女の子は気にかけました。そして、どうしてこのようにったものを作る技術があるにもかかわらず、逆木さんはずっとそのようなありふれた扮装コスプレのままでいるのか、ということを聞いたのです。

「ん? やっぱり気になった?」女の子がうなずきます。「そっか~あ。かしゃかしゃっ……やっぱりユキちゃんてさ、普段からお洒落しゃれしてるだけあって、見てるところ違うね」逆木さんはなんとなく写真機カメラ開閉器シャッター音みたいに耳に残る笑い声をあげて、それから言いました。

「そうね、なんていうか、これには愛着あいちゃくみたいなものがあってね、服だけに。高校入学前の春休みのあいだに作ったんだけど……あのときはおどろいたものよ! だって、今まで人と足並みそろえて生きてきた自分にだって、こんな売れ物になる(大した)服が作れたんだからさ~あ! もう、服作りしか、自分に向いてるもんはないなってった瞬間、だったよね……」

 逆木さんは、つやがありにおやかな漆黒しっこく形層短髪ショート・レイヤーに、日本美人にほんびじんと形容するのにふさわしいはだとまつ毛と鼻筋をもって、とても端整たんせいな顔のつくりをしていました。だからこそ娯楽市場エンタメショップなどで易々やすやす手に入るような簡素でわかりやすい服装を、彼女がこのんで着ていることへの違和感はいまだにぬぐい去ることができませんでした。

「も一つ言うと~おその中華炉利チャイナロリも、あたしが作ったんだよ。あるとき店長てんちょさんがどっからともなく仮専レーヤーさんの写真撮ってきてね、『ごれをづぐっでぐれえ、だのむゔ』ってあの人とんでも砂嵐ハスキーボイスでさ、たのまれて、調子乗ったらそ~うんな感じ。現実感うすくていいできばえでしょ~お?」

「お、おにいっ」

 反射的に女の子は密着腰物タイトスカートのおかげですっかり輪郭の浮かびあがった両脚を、裾のかし模様があざやかな煙布腰物シースルー・スカートでかくそうとしたのです。

「おい、ちらし!」

 そのとき、朝から代わり映えのしない店先のほうより、無垢むくらしくえわたるような響きでありながらも、充分すぎる怒気にたけった女声じょせいが飛んできました。

「ありゃりゃ、あの子は今日もあらぶってるねえ~え……かしゃっ」

 声の主は入着いれきせさんという、車椅子のうえで震え上がっている女の子と二つしかとしの違わない少女だったのですが、実際はとんでもなく横暴おうぼうな性格をしていました。それでいて横着さもかね備えていたので、さっきの「ちらし」というのも「ちらしを早く配れ」という意味なのです。

 女の子は逆木さんと別れて、颯爽さっさと持ち場にもどりました。

 ちょうどそこでは、不満爆発させた入着さんとなぜか仮装コスプレをさせられたカスミさんとが言い合いになっていたのです。内容は以下のように。もっと女の子に優しくしろとカスミさん、こっちは金でやとってるんだから文句をいうなと入着さん、あんたが支払ってるわけじゃないだろ、なんだと、じゃあその服はぼくが作ったものだ、だから返せ、こんなところで脱げるかよ……こうして丁寧ていねいにいちいち切り取っていても、仕方がないほどのものでした。入着さんという人は生来せいらい人間嫌いなのか口数が少ない印象で、そうだとおもえば口火が切れた途端とたんはかなげで清楚せいそな雰囲気の美貌びぼうからは予想もつかないはげしい言動を取りました。

「悪いけど、ぼくはデザイナーとして多忙でね。あんたみたいな燐寸マッチりの相手はしてらんないのよ」

 そう吐き捨てると、詰襟つめえり軽衣シャツ制服エプロン姿の入着さんは女の子を押しのけて店内へともどっていったのです。

「学生のくせに、もう職人気取りかよ……」少々腹立たしげな表情で、カスミさんはつぶやきました。

 現在の彼女は、日常の生活感あふれる装束しょうぞくとはかけ離れただしなみ――一見しただけではただの白の一繋ワンピース、しかしその腰回りを硬紐ベルトで締めあげくびれを強調し、やぼったい丈長腰物ロングスカートは一部分を幅細はばぼそ学生腰物プリーツの切り替え布にすることでおしゃれアップ! 足元はおなじみ遊靴で身軽に。すこし寂しい頭の装飾には洒脱シンプル髪金ヘアピンが大活躍。いつもより数歳若返ってみえます――でした。(こうも悪質あくしつに書きつらねてしまったのはそのためなのです。ご寛恕かんじょください)

 さて、カスミさんに見蕩みとれるあまりすっかりその存在を忘れてしまっていた入着いれきせさんを追って、女の子も車椅子をすべらせ工房へと引き返しました。彼女はもう、手籠てかごの中身の値手ティッシュがぜんたいどのようになっているかも想像し得ないで、今はとにかく入着さんと仲よくなりたい一心にとらわれていたのでした。

「おにい!」

 女の子は従業員出入口に立ちはだかり、手前で作業する逆木さんと、奥にある事務机にどかんと座っている入着さんを外に出すまいとしました。彼女を見た逆木さんは楽しそうに開閉器シャッターを切ってふくみ笑いをしており、かたや入着さんは長い足を上下に揺さぶってまさに地震じしんのごとく机を振動させています。このときの轟音と不快感は筆舌に尽くしがたく、今でもかんぺきに描写することができません。「……に、にい、」

 入着さんは女の子をにらみつけたまま、表情筋を少しも動かしませんでした。

 しばらく無言の時間が続きました。それをどうにかしようと、逆木さんが軽妙に切り出します。「入着いれけせちゃんやあ~、なんでそんなにかたらせてんの? おむねの成長~おかんばしい?」

逆木さかさぎ、こんな賃労者アルバイトを雇わなくたって、ぼくたちの名前は遠くまで聞こえているじゃないか。ペルソナもぼくたちを高く買ってくれている。なのに、どうして? そんな、ちまちまと値手覆物ティッシュカバーなんかって。どうにもならない。君は、もっと自分の才能を光らせるべきじゃないのか?」

 入着さんの言葉は、たしかに実際の正しさをつらぬいていました。逆木さんも困ったようすでだんまりを決め込んだもようです。

「お、おにい!」

「部外者はだまってて。これはぼくたちの沽券こけんと、未来にかかわる問題で、」

「おにっ、においに、いにににお! おにい……」

「なんだよ、その言い分。あんたはぼくらの将来、保証できるの? 障害者だからって、図に乗るなよ。ぼくも君も同じ人間なんだ。苦悩は分かち合えない。だから君なんか、べつに燐寸マッチ売りのままでいいんだ」

「こらこら~あお二人さん? 仕事中よ。これいじょう私語しごやると、勤怠管理紙タイムカード切るからね?」

「やぶへびじゃないか……」

 と、やけにくやしそうに入着さんは言いました。

 そのあと、専門職を目指す人たちの辛辣シビアな一面を垣間かいま見た女の子は、まったく和解もできていない入着さんと二人きりで、店先へと追いだされてしまったのでした。

 カスミさんといえば気分転換に、東の都市まちの大きな駅で値手を配りに行っていました。「そもそも、personaのまえでpersonaの広告をしていても、無意味なんじゃ……って、まあいいか」入着さんはなかば宣伝文句のようなひとりごとを小さくこぼしながら、出入口そばの屋外装飾デコレーションをあおいでいます。鬱金ターメリックで染めたような黄色の粒粒つぶつぶの花、にわとりの骨で作ったみたいな灰色の太いくきが一面敷きつめられて、壁紙にさえそれは見えたのでした。

「さっきのは……ぼくも、言い過ぎたと思う。でも、ぼくたちは創作人そうさくじんだ、行動の一つひとつにもほこりを持たなければならない」

 入着さんは視線を、自分の手元に落としました。

「たとえ、あの子がこの店で働くことをたんに楽しんでいるだけなんだとしても……ぼくは、デザイナーとして画然かくぜんらなければいけないんだ……」

「お……おにい?」

「ぼくの衣装? 扮飾コスプレしないのかって。ぼく匠だし、そんな生意気な真似まねはしないから。ていうか、この店、確かに女がこびっぽく接客しなきゃならない喫茶店だけど、女衣奴メイド喫茶きっさというほどじゃない。……仮装専門職コスプレーヤーになるには、拳闘家ボクサー並みの厳しい体型維持とか、作品愛がなくちゃいけないの。むしろ年がら年中、何かしら(の風変わりな服を)着ている逆木のほうがおかしいってことさ。まあでも、あの子はほかとはちがうからね、」

 長い双尾ツインの、生まれついた赤毛のような茶髪の一方を指にからめる入着さんの姿は、あまりにも美しくて、もうすでに孤高をきわめているかのようにうつったのです。もっともそれは彼女の服飾に対する真剣しんけんさから来る印象にすぎず、本来の彼女とは、誰かから認められたくて、認められたくて、たまらない人なのかもしれません。

 すると、そこに同様の軽衣シャツ前掛エプロンの恰好をした女性が小走りにやってきて、「入着いれきせさん、百貨店モールのほう、もうそろそろみたいですよ」と、彼女に口伝えしました。

 となりで聞き耳を立てた女の子が、入着さんに何かとたずねます。

「君のような一般人は知らないだろうけど、近ごろの吾児面アニメ映画には仮装コスプレをして参加する上映企画プログラムがあって。さらに、こんな田舎でもてはやされる程度にその知名度も高い。たとえ来場者たちに作品愛があろうとも、なかろうとも、仮装をする人たち全員がぼくらの理解者だから」

「つまり、ぼくたちの値手ティッシュ配りには絶好の機会ロケーションだ、と、入着さんの指示があったということですわ」

 無邪気チャーミングな笑みをうかべながら、さっきの女性がつけ加えました。女性は頭に利綿布バンダナを巻き、後頭部では亜麻色ブロンドの髪の毛を手絡てがらで蝶々結びにして、大きな赤ぶち眼鏡をかけた容姿でした。

「つね日ごろ、オウ日本文化ジャパニーズ・カルチャー最高サイコウ~という米国アメリカ人を目指す、正真正銘の日本人・百舌ももしたです!」

百舌さんした! みっともないまねはやめろ。もう行く!」

「はい~、おともいたしま~す」

「お、おにっ」また、ぎばやにへんな人が増えた……とあきれ半分に閉口しながらも、女の子は恭順きょうじゅんそうを見せ、我儘マイペースに歩いて行く二人の背を車椅子にて勢いよく追いかけていきました。

 そして、今日の女の子の就労予定スケジュールは14時から17時というふうに決まっており、百貨店モールの大玄関に移動してからでもまだ30分の余裕が残っていましたから、女の子は人一倍値手配りに積極的に取り組むことができました。車輪をこまめにあやつってどこかに異装コスプレをしている人を見つけると、足蹴あしげにされる覚悟で近寄って行き、どうぞと、何度も声かけをするのです。やっぱり大きな街のなかには県外やべつの町からやって来ている人もたくさんいて、一人ひとりがやさしく応対してくれるはずもありません。それでも女の子は、どうぞ、と言い続けて、逆木さかさぎさん手製の値手覆物ティッシュカバーをお客さんたちの目下に見せつけるしかなかったのです。

「……きみ。まだ、手持ちあまってるの?」

 女の子のもってきたポケット値手の数がようやく三分の一減ったというときに、入着さんはまた無表情を張りつけて、女の子へ嫌味を言いにきました。

「そんなしじゅう動き回ってるくせに、まだ配り終わらないんだ? やり方がはんぱなんだよ。顔もぎこちないし。……ほら、半分くれ。手本見せてあげる」

 入着さんは女の子のかごから値手を水のように流して自分の籠へと移し替えると、すぐさま人混みのある広場におどり出ます。間髪いれず、「値手ティッシュどうぞ~っ」と元気よいあいさつが聞こえてきました。思わず目を引かれたのは女の子だけにとどまりません。おそらくその声を耳にした老若男女全員がもれなく、入着さんという魅力的な女性のことを意識していたのです。

「お、おにいぃっ……(満面の営業えいぎょう一笑スマイル……)」

 もしかすると、これをやれということなのでしょうか。そうに違いありません。女の子もほおをこねて一番自信のある笑顔を作ってから、入着さんのいるところにけました。そこで、どうぞの声かけに、本当にただ愛想よい表情を和算プラスアルファしただけでしたが、命中率といいましょうかお客さんが気にかけてくれる確率は幾分いくぶんもましになったのです。

 女の子は勤務時間を終え、入着さんのもとにお礼をしに行きました。

「……何? まだ1日目なんだけど。明日はこんな雑用じゃなくて、れっきとした接客業務に骨を折ってもらうから」

 入着さんは、声を張り上げていた余韻よいんにほんの少し疲労をにじませたようすをしながら、当てこするように言いました。

「百舌もいますよ~?」

 突飛エキセントリックな彼女はその実、今日いちばんの値手配り功労者だったのです。

「まあ、でも、あと一日の付き合いだから、せいいっぱい我慢しなよ。それと、一度駅に行って君のネーちゃんを連れもどして来るように。もうぼく、帰るから……」

 そこで、彼女たちと別れた女の子は、約10分をかけて駅まで行きました。

 駅周辺を見て回っていると、カスミさんもとっくのまえに仕事を済ませていたのでしょう、仮装のまま、大好きな便利屋コンビニの一角でお茶を飲んでいるのです。散々さんざん見知らぬ人にみじかくも媚びっぽい声かけをし続けた弊害へいがいに、一人でくつろいでいるときの彼女はとてつもなく幸福そうに見えました。

「あら~、ユキちゃん? お疲れさま~あ」

 溶けた声音こわねで言われましたが、ここが公然とした場所でなければ「そんな恰好でうろつくな!」と叱っているはずの女の子は、だまって赤面しながらカスミさんを外に連れ出したのでした。

 カスミさんは喫茶店ペルソナにかえる道中、女の子に今日一日働いた実感を聞いていました。

 女の子いわく、賃金労働アルバイトとはつねに本人の自主性と積極性から始まっていて、お金をもらうというただそれだけのこと以外にも、多くの学びと人間関係を得ることも、じつはとても大事なことなのではないか。自主労働アルバイトをする現場にはたくさんの働きやすい配慮があって、周囲の人たちも、自分をなるべく手助けしようとしてくれるから、そこに「心亡いそがしい」ことはあり得ないのじゃないか、と。女の子はそう考えていました。

「そっか。そうだよね。今日はまるで流鏑馬やぶさめみたいな日だったね」

 どういうこと?

「よくよくねらって、そんでもって体感すぐに過ぎ去っちゃう、そんな日だったってこと」

「おにい……」

「ユキちゃんも、その服よく似合ってるよ~? あつらえたみたいで」

「にいに……」なんとなく、カスミさんのそのおふざけは心地よく、耳に残っていました。

 お店に着いた二人は、店先でお客さんとおもわれる綺麗な女性と相対しました。女性は二人の服装コスプレを一目見ると、にこやかに笑いかけたのです。そのあと一足先に店内へと入って行ったのですが、肩にげた小物鞄ハンドバッグの外側に、電車か乗合車バスの定期券をいれたあの値手覆物が、上品にゆらめいていました。

「……おにいっ、」

「ん?」


         ◆


 8月24日。アルバイトをしに行きました。

 お世話になったのは「ミーティングカフェ persona」。

 なんとはなしに選んだはずのお店でしたが、店員のみなさんは並々ならぬ大きな決心をいだいて、業務をしていました。だからこの場所にきめたのかもしれません。

 あそこのかたがたには文章で表現したくないくらい大切なことを教わった気がします。また自分から、いろんなことを経験していくべきなんだと。まだ生涯はもっとずっと長く、たどりつく先というか、どうやって終わればいいのか全然わかりませんが、今日やこれからの実感をたよりに進んでいきたいです。大人おとなになることの素晴らしさを彼女に伝えてあげたいから。





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