「わたし」VS長生
去年の冬に引っ越してきたカスミさん、そしてその妹さん。お二人の住まいの周りにはひじょうにたくさんの二階建て住宅が、広い庭と
ご近所さんといえば、今も昔も
そう聞いていても立ってもいられなくなったわたしは、実際がどうであるのかを確かめようと思い外へ出ました。ちょうど今日は、長生さん所属の町内会主催の(ややこしい……)地元小学校の
長話はこのくらいにして。長生さんがこわい気持ちも少し
わたしは校舎の玄関側、200
ただし、興味本位の若者よりも
「――ふうっ、」
しばらくすると、そんな気の抜けたため息が聞こえてきたのです。同時に聞き馴染みのある「おにい……」という心配そうな声も。
わたしが横を向きましたら期待どおり、
しかしわたしは、二人がこちらに気づいていないのをいいことに、声をかけることをためらってしまったのです。
単純に、彼女たちをとおして見た先に
◆
「あれ、いらしてたんですね」
そう言って、わたしを薄暗い小学校の玄関でむかえてくれたのは、町内会の会長さんでした。ごま塩頭の、わたしよりもっと
「ええ。今年は野球部が頑張っているようですから、少しでも力になれればと」
「それは、子供たちもよろこびます」
男性はひとのいい笑顔で言います。
「ああそうだ。ちょうど、男手がほしかったところなんです。お
「構いませんよ」
わたしは、ぺたぺたと
その手数とは、清掃作業の参加者たちにこのあとふるまわれる、すいかの
「しかしまさか、三玉も用意するはめになるとは思いませんでしたよ」
重労働から解放されて、少しばかり
「おや……?」
と、一方でそのときのわたしの目には疲れも吹き飛ぶおもしろい光景が映っていました。
それは
するとそこにあの長生さんがしかめっ
(ああ、怒られちゃう……)
ひどくあせりました。しかし彼女が、困っている女の子に対して掛けた言葉は、
「ほぅらユキちゃんっ! あたしがすいか押さえといたげるから。左手で包丁の
すうっこん、というのがすいかの切れたときの音に近い描写です。まさにこれがしっくりくるほどにわたしのなかでの長生さん像が直後、真二つになっていました。
「……
「そうですね……」
急に男性から同意をもとめられたので、わたしはきっとまぬけな返事をしてしまったにちがいありません。自覚してからすぐごまかすように「そういえばその
男性はうれしそうに目を細めると、「これ、長生からもらったんですよ。ユキちゃんに
「うん? あなた……」
と、女の子に夢中だったはずの長生さんは前後無しにわたしを見つけ、ずんずん歩いてきました。そうして、お湯待ちの
「さっきはどうもー……ところで顔色悪いわね? 何かやましいことでもあるのかしら?」
「い、いいえ……」
つい今しがたわたしのなかで
「そう? まあ、いいわ。外の人たち(を)休憩だって呼んできてちょうだい」
委縮したわたしに遠慮せず長生さんは強気に言い、そして頼みごとついでにわたしの右肩をなでるように
「……ああ。そういえばあなたこのあいだ回覧板1日遅れでまわしてたでしょ」
張り詰めた声で言われた「このあいだ」というのは、約1カ月前のことでした。
「あなたここに住んで一体何年になるの? わかるでしょ? 回覧板一つで今日の予定が丸つぶれになることだってあるのよ。今日はたまたまうまくいったけど。わかった? 今後は
「……はい」
それから家庭科室を出た長生さんは、おそらくお手洗いに向かわれたのでしょう。肝に命じられたわたしはその横を
◆
それから
「お疲れ様です」
「ご苦労さん。それにしても今日はいい天気ねえ。ああそうだすいかがあるから」
「本当に。草刈りのあいだずっと
いいとしをしたわたしが隠れている場所の、裏側――そこが一階の家庭科室でした――ではちょうど、一仕事終えてもどって来たカスミさんと
「最近どう? まあ最近って言っても1週間以内には会ってるんだけど」
「昨日なら服買いに行きましたよ」
「へえ。カスミちゃんもユキちゃんもお
カスミちゃん?
「まあでもよごしちゃったんで、今日は据え置きです」
「残念見てみたかったわ。ていうかうちの
「本当ですか? それはうれしいなあ」
「うふふ。カスミちゃんにもいくつか
洗い物を終えた手をぬぐい、それを口元に当てて笑う長生さん。
それにしても、カスミちゃんですか……。
「そうだ、さっき虫に刺されたんですよ。ほら、ここ」
と言って、カスミちゃんはおおげさに
「あとここも、」
カスミちゃんは肌着の片方の肩を落として、鎖骨のあたりにも噛み跡があることを見せつけました。こちらとしてはむだに
「なんとか隠したいんですよー」
「隠すだけなら
「暑いし、第一蒸れませんか……?」
「あたしにはユキちゃんに
「まあ、ですけど……」
「わかるわ。あの子なりのまわりへの配慮なんでしょう? 可愛らしく着飾って
当初、井戸端会議というていを取っていた二人の雑談は、やがて女の子の将来を危ぐするものへと変わっていきました。
「わたしの母親は、ユキちゃんが公然と
「そうやって『若い人』は経験論を語りがちだわ。仲間外れになるからとか才能がないからとか言って自分の考えを押し殺す。かと思えば
「まあ、確かに、」
「でもそれはあなたのお父さんの方も同じじゃない? 男はいつだって
「それは……っ!」
こうまで言われて、カスミさんがだまっていられるわけがありませんでした。
しかし長生さんもただ歳を取り
それでもわたしは、言い出すことは叶いませんが、心のなかで彼女に対し「
「ごめんなさい言い過ぎたわ。……でも脚が無いからって知的障碍もあるとは限らないから。ユキちゃんにはきっと勉強したい気持ちも
「それは、そうですよね。ユキちゃんが、恋か……」
――カスミさんは想像したことでしょう。姫装束とはべつの意味で
「ユキちゃんは、学校に行きたいって言ってました?」
「(今さら)言えないでしょうね。でも……最初は行きたくない人なんていないわよ」
そのとき、わたしは
「そうだ。カスミちゃん、」
「はい?」
包丁を持った長生さんはどうしてか晴れやかな表情を浮かべ、その
「夜間学級って知ってる?」
「ああ。中学のやつですね」
夜間中学校とは、やはり第二次大戦により中学校へ行くことのできなかった今の大人たちへ、もしくは外国籍をもち、日本の義務教育課程をおさめていない子どもたちへ向けた教育体制というべきものでしょうか。
「それにしてもユキちゃんって、何考えてるかわかりづらいとこ、ありますよね。進路とかどうするつもりなんだろ、」
「話したことないの?」
「だって、あの子口べたじゃないですかー。聞いてもいいのかわからないんですよ」
「そう……おたがい大変よね」
と、長生さんはどこか皮肉めいた口振りで、カスミさんに答えたのです。
「まあどちらにしても
「……はい!」
彼女を見送ってから、長生さんはすぐに
そして、わたしと目が合いました。おどろくことに――いや、なんとなくそう思い込みたかったからかもしれませんが、わたしに対して彼女は怒っている雰囲気ではありませんでした。
「盗み聞きみたいな真似させて悪かったわね」
「いえいえ……」
「それにしたってしゃりしゃりごりごり聞こえてるのよ……(恐らく後半は種の音だと)。まったく。空気を読んだか知らないけど
「すみません」
わたしは彼女を目前に、薄ら赤くなっているはずの口元を拭きました。「はあ……そのすいかはお気に召したかしら?」と、あきれ顔の長生さんに聞かれます。
「ええ、何せあの子が切ってくれたすいかですから」
「それ。今どき本人のまえで言ったら
「おっと、」虚を突かれわたしの右手はすぐにひたいへ。生まれつきの
「今年はすいかだったんですって」
「ああ、そういうことでしたか」小学生が生活科の授業でそだてる作物のことです。ちなみに一年生が
「ん? ちょっと待ってください。……三年生って、生活科(の授業)ありましたか?」
すると、長生さんは「いいや」と、とぼけるように返事しました。
「特別学級の子たちがね。去年は
「ああ……」
それで、わたしはあのときの長生さんの
「どれくらいか昔に、家の窓から女の子が登校する姿を目にした記憶があります。今のように車椅子では無かったはずですが……」
「いいえ車椅子だったわよ。
「わたしが見かけた日だけ車椅子じゃ無かった可能性は?」
「知らないわよ。何年前のことだと思ってんの」
と、わたしは長生さんに叱られてしまいました。
また気まぐれに振り返り校庭を望むと、女の子がカスミさんや、大勢の大人たちに混ざって草むしりにいそしんでいる光景があります。女の子は上半身に長袖を着、下は(多分借りものの)
白くてまろやか、まるで焼かれる前の
「果たしてわたしは、彼女(カスミさん)のように手をさしのべるべきなのでしょうか?」
そんな思いやりある言葉を口にしながら、わたしは頭では、視野に二人をとらえ続けることしか考えなかったのです。
「具体的にはどうして?」
「それは、何をするのか、ということですか?」
「そうよ」
「わかりかねます……なぜならわたしは、彼女たちを見守るように
「つまらない答えだこと……」
「しかし、彼女たちはとてもしたたかです。誰に手を借りるまでもなく、
わたしたちの目指す将来とは、なんでしょうか?
辞書を引くと「これから先」「ゆき先」というふうに書かれています。わたしも
現に、
空から降るお
「わたしは、あの子たち
「そうね……」
長生さんはつよく共感するように、しみじみとため息をついたのです。
「でもカスミちゃんもいいとしだから無理しないでほしいわ。自分の将来のことも少しは……」
「いつだって、彼女の
清掃活動の終了時間まではあと20分もありませんでしたから、わたしは長生さんと別れて校庭へともどりました。
すでに、中央から、どこを見やっても地面はつるつるです。
まったく、感心したわたしがそこに立ち尽くしていると、あのごま塩頭の町内会長さんがやってきて、「すみません。また、お手伝い願えますか?」とわんぱくな笑顔で聞かれました。わたしは一つ返事に引き受けます。
「さあ……もう一仕事だ!」
年甲斐もなく息まいてから、わたしの足は人びとのほうへと向かったのでした。
◆
――7月29日。○○小学校の草むしり。カスミさんとユ……以下略
――8月03日。百貨店内で偶然二人と会う。帰り道にプ……以下略
8月09日。最後に日記らしく。これは、
今、あなたを立たせてくれている足は誰のものですか?
今、あなたを歩かせてくれるその足は誰のものですか?
今、もしも、そのどちらをも自分のものであるときっぱり言えるあなたであるのなら、そう言いきることのできない誰かのために、どうか自分の足を貸してあげてください。
「他人を認めるということは、肯定したり共有したりするのではなく、自分とはまた違う一つの立場として横に肩をならべることである」
そうしてわたしのこの言葉を受け入れてくださるのなら、あなたはほかのだれより人想いの人になれるはずです。
伝えたいことはそれだけです。恩人を、待たせてはいけませんから。このくらいで。わたしのしたかったことは、すべて果たされました。ぴーえす・伝えたいこととは別に書くべきことは書いておきましたから、もし不備や理解困難な
◆
小学校に行った日の夜のこと。カスミさんは入浴中湯船のなかから、からだを洗う妹に夜間中学校の話を持ちかけました。つとめて陽気な口調で。
「ユキちゃん、中学行ってなかったでしょ? 今どきねえ夜でもやってる中学校があってね。そこにはおじいちゃんもおばあちゃんも、障碍者も普通の人も、とにかくいろんな生徒がいるんだって! どう?」
「……おーに、におにい」
と、女の子は無視までしませんでしたがふきげんそうにつぶやきました。
カスミさんはそれに対抗して言います。
「行きたくないのはわかったけどさ、ユキちゃん、これからどうする? 将来何したいとか決めてたりするの?」
「おっ……お、にぃ」
「ふーん……」
女の子にはぐらかされ、カスミさんの顔もふきげんそうにゆがめられました。また、左肩と鎖骨の間の
「おにっ、」
「どうした? わたしの顔、なんかおかしい……?」
ふっとカスミさんは女の子の正面にある鏡へと向かいました。次の瞬間、そこへ映し出されたものを目の当たりにして、カスミさんが笑わずにいられるはずもありませんでした。その
そしておそらく本日、
このように彼女たちのある平日は日中草を抜いて、長生さん
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