第2話透明の春――僕の彼女の友達


沼咲はどうやら虐められていたらしい。

下駄箱に虫やゴミが入って、教科書もボロボロに破られたことがあるほど。主犯はよくわからないらしく、その空気はじわじわとクラスの皆を巻き込んで沼咲さんを壊していった。クラスには仲のいい友達はいなかったらしい。庇う人もいない。誰も自分を守ってくれる人がいない。多分僕よりも辛く耐えられないだろうそんな状況でも彼女は僕に告白してきた。

それがよくわからなかった。

そんなに彼女は強かったのか、と。虐められてもなお恋をする余裕があったのは。少なくとも僕にはない。人間不信に陥り、恋なんてとても考えられるものじゃなかった。

一応、沼咲の担任の先生にも虐めについて聞いたが、自殺した人の事を興味本位で探るのは、たちが悪いと怒られてしまった。流石に先生にまで彼氏宣言は恥ずかしく、ここは下がった。


「いや、もうここで下がるべきなのか?」


沼咲さんはむしろ、いじめの事は秘密にしておきたいだろう。僕でもそんな嫌なこと秘密にしたくなる気持ちもある。


「……やめるか?」


自分のクラスへ戻り、帰りの支度をすためふと気づく。透明のカバーをした手帳がカバンの中にあったことを。



家に帰ると、私服に着替え、僕はその手帳を開いた。




初めまして、私の名前は沼咲麗子といいます。

うまく名前や想いを伝える自信がないので初めに書きます。

私はあなたのことが好きです。付き合ってください!


「おぉ……」


 まさか二度目の告白をされるとは思わなくて出だしでびっくりした。



いきなりでびっくりしますよね。私は同じ中学校で、一度も喋ったことがないです。顔を見るのもこちらが一方的で、想いも一方的でした。知らないやつにずっと見られていたというのはなかなか気味の悪いものだと思います。なのできっかけとして私があなたを好きになったように、私のことを知ってほしいと物語を書いてみました。うまく書けている自信はないけれど、よかったら読んでください。

その次のページをめくると「透明の春」と書かれたタイトルで物語は始まった。

突然の小説に戸惑ったがとりあえず読んでみることに。

最初は人の事を信じられない主人公、マイナスなことを考え独りぼっちの彼の心情を読むのは自分の心の中の読んでいるみたいで鬱屈とした。しかしそこで出会った一人の彼女。その子のおかげで徐々に心を開き主人公は前を向いて歩く。という簡単に説明するととても単純でテンプレな作品だったが、言葉ひとつひとつの言い回し、にやりとでてしまうギャグセンス、ちょっとだけ目の奥がツンとする痛みの悲しさが詰められ読み終わった後もう一度読み返していた。

そしてこれを僕だけの為に書いてくれたのかという照れ臭ささと不思議な胸の熱さを感じた。

 そして続く彼女の言葉。

実は私、中学生の頃にあった夏休みの自由研究で出したあなたの小説を読んで好きになりました。最初は小説だったけど、だんだんあなたのことも気になりだして……だから高校も同じでびっくりして二年間この気持ちを伝えるのに悩みましたが私もこんな形ですがこの想いを伝えられたらと……。今はまだお返事をもらってないまま書き進めましたが、もし恋人が無理でも友人としてこれからも長く付き合ってほしいです。

本を閉じ、考えることなどなく僕は確信した。



――これは自殺する人が書く言葉じゃない……



次の日が土曜で学校が休みだったこともあり、もう一度あの小説を読んでから眠りについた。朝目が覚めると、今までかかっていたモヤがなくなったようなスッキリとした感覚、自分が今から何がしたいのか体が動いた。食パンを食べながら着替えを済ませある所へ向かった。それは衝動的で、行こうか迷っていた気持ちを全部夢の中へ置いていったような勢いさだった。


「ここか」

 

そこは彼女が飛び降りたビルだった。もし自殺じゃなかったらここに何かがあると思った。

もう使われてないであろう、窓ガラスの何枚かが無く、古く白いペンキがはがれかかった壁。取り壊されてもおかしくなかった。

自殺した人が出たということがあってか、ゆるく階段のところに板が打たれていたが体を縮ませれば難なく入れた。7階分の階段を上り、あまり運動してない弱った体に鞭を打ち手すりを掴みながらゆっくり上っていく。この階段を彼女は上って行ったんだ。


「意外と強いなぁ……」


ゼーゼーと息を切らし、やっと着いた屋上の扉のノブを持つ。ふと、


「……?」


何か違和感を覚えるも、頭をひねり、ノブを回した。

青い空、少し遠くの方まで見渡せるその屋上に人影がいた。髪を一つに結ったその髪が風でなびく。錆びたドアの開く音に反応し、勢いよく向けたその目には涙を流していた。


「君は……」

「お前、なんでここに……!」


沼咲さんのクラスに行ったとき僕に不審者と言ったあの子がいた。


「君こそ何でここに……まさか」

「まさかお前がやったのか!?」


僕がいいそうになった言葉を彼女が叫んだ。


「……? やったってどういうこと……君もまさか、彼女が自殺したって思ってないのか?」

「君もって……お前一体なんだよ!?」

「僕は……彼女の彼氏だ」


 それを聞いてさらに声が大きくなる


「じゃあまさか麗子の好きな奴ってお前!??! まじ!? 私てっきりふられて自殺したのかと……」

「いや、むしろ彼女からもらった手帳には、付き合いが無理でも友達からって書いあったくらいだし……」

「そうなのか…… その手帳今持っているか?」

「いや、持ってきてないけど……」


少しムスっとした顔をする。


「な、なんだ?」

「その手帳の中身は、好きな人の為だけに書いた物語があるからって私には見せてくれなかった」

「じゃあお前は沼咲の友達か」

「友達じゃないわ、友達だったら……虐めを助けることもできたし、自殺だってさせなかった!」


キッと睨みつける。


「あんたはなんでここにきたの?」

「僕は……自殺なんてしないって思ってそれで……」


それでなんだ? 何かでてくるのか? 警察だってちゃんと調べたこの場所に、何が出るというのだろう。



「私も……自殺なんてしないと思った。だってあんなに強い子だったから!」

 

 くるりと手すり寄りかかり、下を見下ろす。


「あの子、何故か分からないけど虐められて、でもそれには鈍感でいこうって言っていて……あんたの告白のためだって半年かけて小説書ききって、私はすごいなって思った。」

「……」


顔も上げられない程、恥ずかしがり屋で、自信がないように見えて、自分の創作した小説を好きな人に渡す度胸がある沼咲さんは確かに僕も凄いと思った。そもそも、その小説を僕が他人に晒すという恐怖もなかったのか。そこがまた鈍感といわれるのも納得がいく。


「ここで……飛び降りたんだよな」


暖かい春の日差しが屋上一面に当たり、陽の光が心地よい。なぜここを死に場所として選んだのか不思議だった。


「ここはさ、私と麗子がよく来ていたんだ。夏は暑すぎて、秋は秋風が、冬は雪とちょっと厳しかったけど、春は絶妙に暖かさがあって心地よくて、お互い好きな本を持ち寄って喋りにきたわ」

「そうか……」


好きな本か……。そういえば昔、暖かい外の屋上で本を読んでいた気がする。どこだったかは忘れたけど……。

先ほど暖かいと言っていた彼女は鼻をズズっとすする。流れる涙を袖で拭い、深くため息をする。しかし僕はというと、未だ彼女のイメージはあの手帳の中が全てで、彼女自身を思うことは難しかった。いや、物語そのものが彼女自身で僕の中で、彼女は死んではいないイメージだった。でも物語は続きがあるから生き続け、なければ死と一緒なのだ。そう思うと、完結された作品でもこの作品は死んでいるのと一緒なのかもしれない。


「なぁ……また明日もここにこないか? ちょうど日曜で休みだし、明日沼咲さんの手帳も持ってくるよ」

「それは、いいことなのか? 麗子がお前のために頑張って書いたんだぞ」

「あの作品は僕だけの物にするには勿体ないから。でも確かに他人に見せびらかすのも嫌だし……だから明日その作品を読まないかな? もう僕たち他人じゃないから」

「いいのかな……」

「それに僕も知りたいんだ」

「?」

「僕は沼咲さんの彼氏なのになにも知らなさすぎるから……だから友達の君に持ってきてほしいんだ。沼咲さんが好きだった本を」

「えぇ……うん! わかったわ!」


 今まで怒った顔しかみたことのない表情から嬉しそうにほころぶ笑顔。ぴょんぴょんと跳ねる髪を揺らし彼女は手を振ってこう言った。


「空波(からなみ)! 私の名前よ! あんたは明日ここにきたら教えて頂戴!」 


階段を降りる音とともに感じたかつてないほど嬉しさ。なんだ自分だって普通に人と話せるじゃないか……。もしかして僕はただ単に、自分の心に鍵をかけすぎて、人を見ないようにしていたのかもしれない。だから今こうして人と接しようと意識すると、こうも世界が違って見えた。彼女と一緒で僕も屋上を後にしようとする……ふと振り返り思う。


「この景色、どこかで……」


とても懐かしく、苦しく、胸が痛くなるような……。彼女が死んだ場所だからか? だけどそれよりずっと昔に懐かしいと感じたこの場所は……。


「んなわけないか」


何かが思い出されそうな記憶と一緒に、さび付いた屋上のドアを閉めた。


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