痛みを知らない民
「痛みのない国」というところから逃亡してきた民がいた。
箱庭の記録官が話を聞く。
《会話記録1》
ええ……誰でもいい、というより、私じゃなくてもいい、んです。
えっと、誤解しないように申し上げますと。思考したり、発言したり、行動したり、そういうのは唯一無二で”私”にしかできない、”私”しかもっていない個性だということは、わかっているんです。
けれど、それは「私じゃなくてもいい」。
”私”と同じように、思考して発言して行動できる、私以外の誰かでもいいんです。
ええ、それでも私にだって価値はあります。私以外と私では何か違った選択をすると、そうであってほしいとは思っていますから。それでも、「価値がない」と言ってしまったのは。価値を見失ってしまったのは……
……あの日、私は、私を見てしまったんです。
《会話記録2》
私はきっと、困難に立ち向かう側ではない。
能力はもちろんのこと、どうやら私には直面した危機を乗り越えるだけの「精神力」というものが備わってないんでしょう。
普通、私みたいなのがあんなにいっぱいいたら思考より先に死んでも逃げろ!となりますよね。そこのところ身分相応というか、進化してないんでしょうなあ。今でも感覚のない手足が震えてる気がしますよ。
そう、だから……それを乗り越えていってしまう人が恐ろしい。私がどんなに危険視したものであっても、どんなに素晴らしいと思ったものも、それこそ何の価値のないもののような目で、軽々と踏み倒し乗り越えていってしまう人間が、恐ろしい。
《会話記録3》
これは承認欲求ではありません。人間の思う、自分の価値を見いだしたい、見つけたいなどという感情とは違うのです。
……しいていえば、鏡。
自分はここにいるんだと、私が誰よりもよく知っているのに、鏡に姿が映らない。それは、とても不安で、恐ろしいことだとおもうのです。
あなた方が他人に見つけてもらえないことは、それはそれは心細くて怖いのでしょう。
しかし、自分がここにいることを自分が見つけられないというのは、また違った、底知れない恐怖なのです。
だから、私は私の価値がわからない。
手足の感覚がなければ、物の重さも、痛みも、返ってくるものがありませんから。
観測記録 動物
テーマ「蟻」
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