第20話 朝比奈さんが優等生と言われる所以がそこにはあった
「数字が減らないの!?」
数字が赤色になった次の日の朝。
朝比奈さんが俺の姿を見つけると、駆け寄ってきてそう言った。
数字は3。
「マジかぁ……」
色は赤のまま。
「というと、赤の状態の時は減らないのかな」
「も、戻るの?」
「多分? 時間を置いたら……?」
以前、黄色だったのが青色に戻ったのを見たことがある。
確証はもてないが、時間経過で変化すると思う。
朝比奈さんから見たらずっと白色のままらしい。
ここまでくると、色の変化は減少値に関係があると言っていい気がする。
青色の時は減少値が高く、黄色は少なく、赤色はほとんど減らない。
「抱きしめるのは……やめる?」
「うん……」
残念と思うのは酷いだろうか。
いや、健全な青少年としては普通だろう。学年でも屈指の美少女を治療行為とはいえ抱きしめることができるのだから。
邪な気持ちはないし、朝比奈さんを自分のモノにしたいという気持ちもないが、ただ朝比奈さんに触れるだけで癒やされるので残念に思う。
朝比奈さんセラピー万歳。
その日は結局、何もしなかった。
授業中チラチラと朝比奈さんの視線を感じたが、それだけだった。
そして、翌日。
「い、色は!?」
開口一番。
朝比奈さんが詰め寄ってきた。
「き、黄色です……」
あまりの迫力に丁寧語になる。
朝比奈さんは俺の言葉によかったぁぁぁと安堵する。
朝比奈さんの数字は5。なかなか高い数字だ。
「ど、どうする?」
抱きしめるか否か。
今抱きしめても焼け石に水しか効果はなさそうだけど、それは俺の主観。朝比奈さんの意志が重要だ。
できれば断ってほしいが……受け入れてほしい理由もあったり。
「が、我慢する。明日まで我慢したら青になるよね?」
「多分……」
絶対とは言えない。だが、藁にもすがる思いなのだろう。朝比奈さんは俺の言葉にうんと頷き決意をみなぎらせる。そうだ、朝比奈さんが一番辛いんだ。俺の個人的事情は後にしよう。
「明日、土曜日だけど学校に来てほしいんだけど、大丈夫だよね?」
土曜日は学校が休みだ。運動部や委員会でもなければ学校に来る人はいない。文化部である文芸部の活動はないし、クラブに入っていない朝比奈さんも休みで学校に登校しない。何も約束をしなければ会うことはないだろう。
まさか見捨てるの、捨てないでとでも言うように朝比奈さんは上目遣いに俺に訴えかける。
「う、うん。大丈夫」
抱き合っていたお陰なのか、朝比奈さんとの距離が以前より近くなった気がする。今も、ちょっと手を伸ばせば触れ合うような距離。朝比奈さんの顔もアップに映る。
「よ、よかった。ごめんね、土曜日なのに」
「いや、朝比奈さんが大変だからね。俺も気になるし」
ポリポリと頭をかきながら、誤魔化すように俺は言う。これが恋愛上級者なら、ついでにご飯食べに行こうよとデートにでも誘うのだろうが、チキンな俺には無理な所業だ。
気の利いたことも言えやしない。
「で、時間はいつにする。十時くらいでいい?」
休日なのだから、ちょっとくらい遅くてもいいだろう。
だからといって、昼過ぎでは遅い気がする。
朝の爽やかな時間にサッとやって帰るのが健康的ではなかろうか。
「うん、それでお願いします」
朝比奈さんも問題ないようだ。
時間は決まった。後は……。
「場所はどうする? 教室か……文芸部の部室だけど。どっちがいい?」
部室なら人目につく恐れもないので、俺として部室の方がいいが、それを強要するのはマナー違反だろう。
人目につかないことは裏を返せば、誰も助けに来れないことを意味する。密閉空間で俺が暴走すれば朝比奈さんに危険が及ぶ。
そんなことをするつもりはないが、それを信じるかは朝比奈さんだ。
決定権は朝比奈さんに。俺は従うだけ。
朝比奈さんの返事を待つ。
「えーえっと……」
朝比奈さんは照れくさそうに髪型を直しながら、視線を左右に彷徨わせる。
「考えがあるんだけど、私が先に文芸部の部室で待ってていい?」
「ん? 別にいいけど」
部室の鍵は俺もかがみんも持ち歩いている。
だから、朝比奈さんに貸すのは問題ない。むしろ、あっさり流しているが本当に部室でいいんだろうか。思ったより俺は信頼されているのかな。
それと、念のためにかがみんは明日部活に来ないよう伝えておこう。かがみんも鍵を持っているので、来ようと思えば部室に来れる。家では禁止されている漫画やゲームをやりに土曜日であろうが学校に来るということもなくはない。人見知りなこともあり、朝比奈さんと鉢合わせしたら説明が面倒になりそうだ。
「あ、ありがとう」
朝比奈さんに鍵を渡すと、顔を少し赤らめながら大事そうに受け取った。
緩やかだが振動しているのはなんでだろう。
その日はそれで終わった。
授業中や友達との会話をしていると、じーっと朝比奈さんが見てくることがあった。気がつかないふりをしたが、本当になんだろうね。見られると恥ずかしいし、性欲が戻ってきてるのでやめてほしかったり。あと、朝比奈さんの様子の変化に目ざとく気づき、誠一郎が茶化してきたので殴っておいた。
翌日、土曜日。
九時五十五分。
念の為に制服で登校したのだが、部室に行く前に意外な人物とばったり会った。
「あれ、月見里くん、どうしたの?」
「お、乙藤先生!?」
土曜日といえど、学校には誰かがいる。
受験戦争を生き抜くための特別授業を受けている生徒や階段を使ってトレーニングをしている運動部だったり、生徒会や委員会活動をしている生徒だったり、図書館に通う生徒だったり。そして、それを監督する先生達。
乙藤先生がどこかのクラブの顧問だったというのは聞いたことがない。
だから、土曜日に会うとは予想していなかった。特別授業でも受け持っているのだろうか。
「もしかして、先生に会いに来た?」
「違います」
「ぶー」
冗談めかして聞いてきたので、否定したら拗ねられた。
子どもみたいに頬を膨らませ、唇を尖らしてくる。可愛いらしいと思うが、貴方先生でしょうとツッコミたい。
「じゃあ、なんで?」
「あ、の、その……忘れ物をしまして」
想定の範囲外の事態に狼狽え、誤魔化すように俺は嘘をついた。
うん、別に悪いことはしてないんだけど、後ろめたいのはなんでだろう。
俺の言葉に乙藤先生は、あ、そうなんだと納得してくれた。肘の調子も聞かれたが、大丈夫と答える。俺の怪我を気にしてくれる先生に対して嘘をついてしまった。罪悪感が心を黒く侵食する。
「せ、先生はどうして?」
土曜日にいるのでしょうと聞くと、
「お昼に会議があるから、その資料作りなんだよ~」
にっこりと笑って教えてくれた。
「はは、大変ですね」
「うん、大変!」
「それでは」
「じゃあね~。忘れ物を取ったらすぐ帰るのよ。怪我人だから安静に!」
「はい!」
話は終わり、乙藤先生はじゃあねと俺の横を通り過ぎた。
「……あ、乙藤先生」
気がついたら、立ち去ろうとした乙藤先生に俺は声をかけていた。
「ん? どうしたの?」
「……………」
乙藤先生が振り返る。
呼びかけた理由はなかった。
子どもが構ってほしくて声をだしたのに近い。
一瞬の沈黙。
乙藤先生はなんだろうと小首をかしげる。
何かを言わないと変に思われる。だが、何も思いつかない。
言わなきゃ、何かを言わなきゃ。
「が、頑張ってください、会議!」
出てきた言葉はそれだった。
なんのひねりもない、なんで呼び止めたのかもわからない言葉だったが。
乙藤先生は鳩が豆鉄砲を食ったように一瞬だけ呆然とした後、
「うん♪」
満面の笑みを浮かべた。
「ふふふ~ん♪ ふにゃらりたーほー♫ 頑張るぞー!!」
そして、鼻歌を歌いながら足取り軽く去っていった。
よくわからないが、ご機嫌らしい。
乙藤先生の機嫌がいい理由を考えながら、階段を上がり文芸部の部室へ。
時間は九時五十九分。約束の時間ギリギリだ。
鍵は朝比奈さんに貸しているので、そのまま扉を開けようとドアノブを捻ると、
「あれ?」
ガチャガチャと扉に鍵がかかっている音がする。
朝比奈さんまだ来てないのかな? と思ったら、
「あ、鍵しめたままだった!! ちょ、ちょっと待ってね!」
と部室の中から朝比奈さんの声が聞こえ、ドタバタと物音がする。
あ、パイプ椅子が倒れた音と悲鳴が聞こえた。
焦らなくていいのにと思いながら待つこと数秒。
鍵、開けたよーとの声が室内から聞こえ、俺は扉のドアノブを握る。
そして、扉が開き、はにかみ笑いをしている、朝比奈さんに出迎えら――――
「お、お待た……」
────バタンと、扉が閉じられた。
「せ……え、え!!??」
正しくは……。
現実を受け入れることができず、開かれた扉を俺が閉めたのだった。
「………………どうやら俺は疲れているらしい」
文芸部の部室に入ろうとしたら、別の場所に入ったみたいだ。
横目で部屋のネームプレートを見ると、文芸部と書いてあるが。
まさか違う世界線に入ったのだろうか。平行世界って考えられないことが当然のように起こるって聞いたことがあるもんな。そうじゃないと説明できないものが目の前にあった。
「え、え、え、え!?」
中から朝比奈さんの声で戸惑いが聞こえる。
ここで帰るわけにもいかず、俺は意を決してまた扉を開けた。
現実よ、こんにちは。
「おはようございます」
「お、おはよう」
まずは朝の挨拶をする。
同じクラスになって何度も交わした挨拶の言葉。
朝比奈さんからも同様の返事が来る。
「……………」
「なんとか言ってよぉぉぉ~」
違うのは朝比奈さんの姿。
最近夏服になったので、ワイシャツにスクールベストを着ていることが多かったのだが、今目の前にいる朝比奈さんは出で立ちが違った。
ウサギだ。
ウサギさんだ。
頭の数字が勢いよく振動して恥ずかしがっている一羽のウサギがそこにいた。
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