第19話 今日も今日とて朝比奈さん
「0だね」
「うん」
翌日の朝、朝比奈さんの数字は0になっていた。
肌艶もよく、太陽のように笑顔が眩しい。
「で……そのアレで効果あった?」
抱きしめたと
朝比奈さんは頬を少し赤く染め、俺の視線から逃れるように目を逸して……頷いた。
「……うん」
「ということは、一件落着かな?」
学校のある日だけだが、毎日一回朝比奈さんを抱きしめる。
それだけで平穏無事な日々を送れるようになる。
デイリーミッションとしてはイージーではないだろうか。
誰ともお付き合いしていない男女が異性と抱き合う。普通に考えたら難易度が高い行為だと思うけど……っ。
エロい気分になってしまうのに、抱きしめるだけで解決してしまうのはモヤモヤするというか、そのっ。
いや、そのキスとかしちゃったわけで、もう一回キスしたいな、ワンチャンあるかもとか思ってないよ? これ以上の発展性がなさそうで残念に思っているわけじゃないよ?
数字の影響とその治療法の差にちょっと驚いているだけだから!
「うん……そうかな」
「えと、今日も……する?」
「お、お願いします」
恥ずかしそうにうつむきながら朝比奈さんは頭を下げた。
以前の俺に言っても信じられないだろう。
朝比奈さんが抱いてと頼み込む立場になるとは。
「…………っ!」
そして、うつむきながら手を広げる朝比奈さん。
顔を真っ赤に染めて恥ずかしがっていて、まともに俺を見ていない。
今ですか!?
「……どうぞっ!!」
戸惑っている俺に対して、急かすように朝比奈さんは声をだした。
いや、本人的にはいっぱいいっぱいでそれどころではないのだろう。
確かに、横山くんが登校するまでにあまり時間がない。この時を逃すと、いつ抱きしめれるかわからない。誰もいない朝のこの瞬間がベストタイミングだと言えよう。
「では、失礼をして」
ぽふっと、朝比奈さんを抱きしめる。
「はふっ」
気の抜けた声が朝比奈さんから漏れ出る。
前回より身体の密着が増し、朝比奈さんの体の熱が直に感じられる。
密着度が増したのは肘の怪我がよくなったから。右手を自由に動かすのはまだ難しいが、少々ぶつかったくらいには痛みを感じなくなった。三角巾も外してある。あれをしてたら窮屈だ。
昨日は右手を気にして体を離して抱きついたが、今はその制限もない。
ただ、右手は満足に動かせないので自分のお腹に手を当てるポーズのまま抱きつく。
当然、背中に手をまわせないので朝比奈さんのお腹に当たっている。
柔らかい女性らしい感触。そして、鼻孔をくすぐる甘い朝比奈さんの香り。女性ってなんでこんな良い香りがするんだろう。いつまでも嗅いでみたいと思わせる香りだ。
そして、それでも反応しない俺の息子。静まりかえってます。性欲もそう。昨日のことが嘘みたいに男の本能が消失したような……駄目だ。考えていたら悲しくなってきた。
「…………離すよ」
「…………う、うん!」
朝比奈さんに一言伝えて、体を離す。
時間にして十数秒。朝比奈さんと抱き合った。
朝比奈さんの数字は緩かやに振動を繰り返す。
「これで大丈夫かな?」
「た、多分」
「数字が減らないのは時間差があるのかな」
今現在の数字も0だ。
昨日抱きしめたときは6だったが、そのときも変化がなかった。
「寝て起きたら0になってたの?」
「う、うん……そうです」
朝比奈さんは目を逸しながら頷いた。
まだ恥ずかしがっているようだ。
ふむ。寝て起きたら数字が変わっているということでいいのかな。キスする前は数字がその場で揺れ動いてたが、キスした後だとまた法則が違う? 毎日+2されるのもそうだし、他の人は頻繁に数字が上下していない気がする。
「で、朝比奈さん。色のことなんだけど」
「色?」
それまで数値しか重視していなかったが、気になっていた部分について話を振ってみる。会った瞬間から気づいていたが、今まで話をするタイミングがなかった。
「えっと、数字に色をついてるよね?」
「え、うん……白だね」
「え?」
「え?」
俺の目には黄色に見えるが、朝比奈さんは白に見えるらしい。
なんでだ。
「黄色だよね?」
「え? 白じゃないの?」
携帯のカメラを取り出して、朝比奈さんの写真を撮る。
「ほらって……写ってない」
新たな発見。
鏡には数字が映るのだが、写真だと駄目らしい。
理由については考えてもわからないし、数字が見えること自体が超常現象に近いものなので、考えても無駄な気がする。そういうものだと思っておこう。
「とりあえず、この画像は保存してっと……」
「ええっっ!!?? 消してよ!」
朝比奈さんが俺の携帯を奪おうとするが、それどころじゃないと携帯をポケットに入れる。変な意味ではないです。写真に数字が表示されないという実証記録です。え? 自分で撮る? 俺が持っておく必要はない? 今から撮るのは二度手間でしょう。それどころじゃないのです。ええーい、女、子どもは引っ込んでおけ!
「で、色の話だけど」
「絶対、絶対、他の人に見せないでね!! 変なことに使わないでね!?」
俺の説得で朝比奈さんの写真は無事許されることになった。
変なことってなんですかーと意味がわかっていない純真無垢な俺は朝比奈さんに尋ねたのだが、教えてくれずポカポカと左腕を叩かれた。怪我した右腕ではないのは朝比奈さんの優しさだろう。
「で、色の話なんだけど」
再度、繰り返す。
「うん。もしかして私と月見里君は違って見える?」
「その可能性は高いね……昨日の色は」
「え? 今日と違ったの? 昨日もずっと白だったけど」
「マジか」
朝比奈さんが嘘を言ってる様子はない。嘘をつく必要もない。
つまり、本当ということだ。
これは何を意味するのか。
「昨日は青だったよ。透き通るようなブルー。それが黄色になってる。真っ黄色じゃなく透明がかった黄色だけど」
地味に透明っぽいので、視界の邪魔にならない。目に優しい仕様だと言えよう。
「えぇぇ、怖い」
見え方の違いに不気味さを感じ、朝比奈さんは自分の体を守るように両肘を抱くように手でおさえる。
「体に異常はないよね?」
「うん。数字の通りにいつもよりも体調が良いくらい」
ふむ。
数字は考察通りのようだ。値が小さいほど健康ということ。高いとムラムラする。
振動は色とは関係ないし……。
「とりあえず時間もないし、置いておこっか」
時計を見るともうすぐ横山くんが来る時間だ。
話はここまでと俺と朝比奈さんはいつのもように勉強を開始した。
「1」
「1だね」
翌日、朝比奈さんの数字は1になっていた。
「い、色は?」
「赤くなってる……」
「ええっ!!」
互いに顔を見合わせ、どういうことだ考える。
数字の増加と色の意味の関係性を。
だが、判断するには材料が少なすぎた。
「体調は?」
「うん。すごくいいよ。絶好調って言ってぐらいに」
「色は体調とは関係ないか。あくまで数字の値だけか」
朝比奈さんの頭上の数字を見る。小さく1と描かれた数字。透明がかった鮮やかな赤色。その色単体で見たらそこまで不吉には思えないが、なぜこんなに不気味に感じるのか。信号機の色を連想させるからなのか。そして、赤。この色の意味は警告にも使われる色。
「今日はどうする?」
抱きしめるかどうかの判断は朝比奈さんに任せる。
余談だが、俺のEDはそのままだが、あの獣じみた性欲はあれから収まっている。本当に一過性みたいなものだったのかもしれない。むしろ、以前より落ち着いている気がする。これは朝比奈さんを抱きしめるセラピーの効果なのかもしれない。
「え、えと……お願いしようかな。数字が増えたら嫌だし」
朝比奈さんからは数字の色は見えない。
だから実際に見える俺ほど深刻に思っていないようだ。若干の不気味さは感じるようだが、数字を減らす欲求には勝てなかった。
「わかった」
俺の言葉に、朝比奈さんは目をつぶった。三度目の抱きしめだが、朝比奈さんはまだ恥ずかしいらしく、頬が少し赤らんでいる。
顔を少しあげてギュッと目をつぶっている様子はキスを待っているみたいだ。
鉄の意志で俺は朝比奈さんを抱きしめた。
『ヘタレ』
『うわっ、ヘタレだわ……』
外野、うるさい!
俺は無理矢理は嫌なんだよ! いや、違った意味では好きですけど!?
「あ……」
抱きついた時、朝比奈さんから小さく声が漏れた。
その声に少し残念さが混じっていたような気がしたのはただの願望だろう。
俺の中の悪魔と天使が欧米人がするみたいに大げさに肩をすくめる姿が脳内に浮かぶが、頭を振って消滅させる。
俺は紳士、俺は紳士……。
「あの、その……もうちょっと強く、抱きしめてもいいよ?」
胸の中で朝比奈さんがそんなことを言った。
驚き、顎を下げて朝比奈さんを見る。至近距離で顔が近づいたことによって、朝比奈さんがビクッとして震えて、俺の視線から逃れるように目を逸した。頬の赤みが増す。
「月見里君の腕が痛くなければ……だけど」
俺の肘の痛みはほぼ取れたと伝えてはいる。
だから、朝比奈さんも遠慮しないでいいんだよと言うことだ。俺のことを気遣った優しいお方だ。
「あっ……」
俺は無言で朝比奈さんの体を抱く力を強める。
ギュッと昨日より更に体を密着させる。手の位置がまずかったのか、昨日と違いお腹に当たらず、朝比奈さんの胸に当たった。場所的には下乳。ふにゅっと柔らかな感触が拳に伝わる。まずくないかな、と恐る恐る朝比奈さんを見ようと手の力を緩めようとするが、朝比奈さんは駄目だと俺に体を預け、密着性を高める。
「……お疲れ様でした」
「ふぅ……」
短距離走を走ったかのような疲れと満足感がお互いにある。
朝比奈さんの顔は赤く。今、この瞬間誰かに見られていたら誤解されそうだ。
抱きしめていた瞬間はもうほかのことを気にする余裕がなかったが、少し不味いな。誰かに見られたら言い訳が思いつかない。付き合ってもいない男女が抱き合うとかどう言い繕ってもアウトだろう。医療行為ですとか言っても信じてくれない。
カップルなら問題ないとはいえないが、納得はしてくれるだろう。
だから、朝比奈さんと擬似カップルとなってしまえば話は早いが、俺から提案するにはハードルが高いし。もし、擬似カップルが成立しても、朝比奈さんに告白して断られたと知っているかがみんと乙藤先生になんと言えばいいのか。
朝の登校時間をいつもより早めてはいるが、横山くんの登校時間はたまに早い時がある。いや、他のクラスの人がこの教室を通る可能性もある。気をつけないと。
「こ、これからは今のような感じでお願いします」
顔の赤みはマシになったが、それでも少し赤い。朝比奈さんは照れながら俺に頭を下げた。
「あ、はい」
ここで気の利いた言葉が言えれば、彼女の一人や二人できていたかもしれないが、俺にはそんなスキルはなかった。
思いだしたかのように短く振動する朝比奈さんの数字を見ながら、俺はただただ頷くだけだった。
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