第18話 数字が見える朝比奈さん
放課後。
場所は文芸部部室。
今日はかがみんも用があるとかで、部活を休む連絡があった。だから、朝比奈さんとじっくり話をするにはちょうど良かった。
「で、朝比奈さんも頭上に数字が見えるの」
「うん。家に帰ったら突然見えるようになったの」
「はへぇ」
なんて偶然だろう。ご愁傷さまと言おうか。
俺達運が悪いねと言えばいいのか。このまま人間達は人の頭上に数字が見えるようになる。俺達はその前触れ。漫画や小説の導入部分を体験していると思えばいいと、励ませばいいのかわからなかった。
「俺はテストが始まる少し前ぐらいから見えるようになったけど……朝比奈さんは?」
現状認識の意味を込めて発生時期の特定から入る。
なんでもない質問だと思ったのだが、朝比奈さんは言いづらそうにモゴモゴする。
「あ、あの、その……月見里君と、キスした日の夜?」
「ごめん……」
キスをしたときに触れた柔らかい唇の感触が鮮明に蘇ってくる。それは朝比奈さんも同じようなようで、お互い顔が真っ赤になる。そして、それに呼応するように、朝比奈さんの頭上の数字は振動していた。
オーケー。現状を把握しよう。
俺がまず数字が見えるようになって、キスした日の夜に朝比奈さんも見えるようになった。
…………あれ?
これって俺のせいじゃない? 移ったとかそういう感じで。
風邪やウイルスじゃないんだし、キスで移るとは考え辛いが、そう考えた方が自然な気がする。
「ってなんで月見里君土下座してるの!?」
「キスしてごめんなさい」
「別にあれは事故だったから!!」
「違います。それとは違います。ごめんなさい、ごめんなさい、ごめんなさい、ごめんなさい、ごめんなさい」
「頭をあげて~~っ!!」
落ち着くまで数分かかった。
朝比奈さんはやはり聖女だった。死ぬべきはずの俺を許してくれた。
「あの、その……月見里君はこの数字の意味を知ってるんだよね?」
朝比奈さんは照れくさそうに頭上の数字を指差す。
「うん。確定じゃないけどね」
ちょっと盛ってみました。
これじゃないかなという仮定は二、三あるのだが、どれが本当なのかまだわかっていない。
だが、朝比奈さんの手前、わかりませんとは口が裂けても言えなかった。
「朝比奈さんもわかってるんだよね?」
「うん……」
相手に喋らせるというテクニックがある。
いかにもこちらはわかっていますという素振りを見せながら、本当は相手から正解を引き出すのである。
朝比奈さんは数字の意味が見当ついているようで、恥ずかしそうに俺に目を逸らしながら頷いた。
モジモジと身をよじりながら答える姿は可愛らしい。数字が振動してるのは少し謎だが。
「そっか……じゃあ朝比奈さんの数字が他の人と比べ……」
なんとなしに呟いた言葉。言葉の先を考えていなかったため途切れただけだった。
だが、俺の呟きに朝比奈さんは目を丸くする。
「えっ!? 月見里君は他の人の数字が見えるの?」
「え!? うん。見えるよ。というか、朝比奈さんも見えるよね?」
だから数字の話をしているでしょう。
そう振ると、朝比奈さんは呆然と首を横に振った。
「私は自分の数字しか見えな……えっ?」
「他の人は?」
「見えない。月見里君のも、他のクラスの人も」
「俺の数字は俺も見れない」
不思議だが。数字が見えない人はいる。俺と乙藤先生とか。他にもいるのかもしれないが、この学園では例外はその二人だけだった。
「えっ? えっ? じゃあ月見里君は他のクラスメイトも……」
「うん、見えてるよ。朝比奈さんの数字が一番高くて心配してた」
これも考えなしに言った言葉だった。数字が高い人は悶々としていて、数字の低い人は逆に曇り空のない快晴の天気のように快活としていたから心配になったと言っただけ。
当たり障りのない発言だったはずだ。
だが――――
「違いま……違うの!! 私が特別エロいってわけじゃないですからねっ!! ふ、普通だし! 数字が減らないから変なの! 朝起きたら勝手に増えているの!」
えっ?
顔を赤みは最高潮に。熟れた林檎とはこのことだぁぁ!! と言わんばかりに顔を真っ赤にさせて朝比奈さんは抗議をする。
俺としては何に抗議をしているのかはわからないのだが、そんなことお構いなしに、いや興奮で目に入っていないのだろう、必死に首や手を振りながら耳まで真っ赤にさせて俺に抗議をする。うわっ! 数字の振動スピードが過去最高だ。ドルゥゥゥゥな感じだ!
「数字に操られてるの!! ムラムラしちゃうのもそのせい! 決して私がエッチなわけではないの!! 信じて!」
「信じるから、信じるから落ち着いて!!」
「月見里君の目が変! 絶対この子エロい娘だって思ってる!! 脳内でムッツリって呼んでるよね!!」
被害妄想だ。
「絶対、朝比奈ってエッチだよな! って東郷君やクラスの男の子達に言うんだ! そして、私を羽交い締めにして男の子の筋力でものを言わせてっ……ああっ!!」
ええええっっっ!!??
だが、朝比奈さんは止まらない。顔の赤みはそのままに、ついでに振動速度はピリオドの向こう側までと言わんばかりに上昇し続けて止まらない。もう、ブレすぎて数字がまともに見えないよ!
「言わないから、他の人に言わないから!!」
「他の人に言わなくても、きっと私を脅すんだ。バラされたくなかったら、俺の言うことを聞けって! 自分の部屋に連れて行くの。助けは誰も来ない密室空間! 逃げることもできず、助けを呼ぶこともできない! 月見里君のにおいが染み付いたベッドで私は座り込む。自分の未来が嫌でもわかるの。まな板の鯉。あとは食べられるだけ! でもっ! それでも、月見里君は意地悪で! ねっとりと時間をかけるの! キスをして! 口内を散々
想像力豊かすぎない!?
というか、生々しくて願望みたいに聞こえるんですけど!?
あと、俺は上着から脱がせたい派閥なんですが!?
「一回だけって約束なのに何度も何度も蹂躙されて、嫌だった行為なのに私は抱かれるのを受け入れちゃうんだ。逆らえないことが、いつの間にか逆らわないことになって、最後には我慢できずに自分から「今日は……しないの?」って聞いちゃうんだ……!」
「あの!?」
「せめて、最初は優しくしてぇぇぇ、最初だけでいいからぁぁぁ……えぐっ、えぐっ」
覚悟完了!?
いや、まずは落ち着いて!!
俺は勃たないんだから、朝比奈さんの望む通りにはできないし! ……って違う!
考えがまとまらない! まずは落ち着かせよう!
さっきとは立場が逆になったかのように、俺は朝比奈さんを必死に落ち着かせた。
「はぁ……はぁ……はぁ、ごめんなさい」
「いえ……」
落ち着くまで数分かかった。
朝比奈さんを必死に落ち着かせるのには時間がかかったが、その時間のお陰で俺もまた色々考えることができた。
……しかし、目の前で自分以上にテンパる人を見たら逆に冷静になるって本当のことだったんだなぁ。
「まずさっきのことは忘れて、情報を整理しよう」
「はい……」
負い目のお陰で、反論はなかった。朝比奈さんは恥ずかしそうに頷く。
クールダウンしたことで頭上の数字の振動も緩やかで落ち着いている。
「まず、この数字は……エロさを表していると」
「違います!!」
失礼。
どうやら違ったようだ。
「まず、私から聞きたいのだけど……他の人の数字って、ど、どのくらいなの?」
それが一番大事ですと言わんばかりに朝比奈さんは問いかける。聞くのは怖いような、でも聞かなくてはならない。そんな使命感に震え、朝比奈さんは手をギュッとスカートの前で握りしめる。
「大体3とか高くても4だね」
「ええっ、嘘! 信じないよ!! そんな低いわけあるわけじゃないですか!」
まさかの現実拒否!
「え、でも朝比奈さんも普段は4くらいで高くても6くらいだよね?」
ついでに今も6だ。観測史上二番目に高い数字とも言える。
「言わないで~~!!」
俺の口元を手で塞いでくる。目が本気だ。というか、言っては駄目なのか。別に恥ずかしいことでは……うん、恥ずかしいな。反省。
「違うの! 私が欲求不満じゃなく、数字が勝手に増えてその影響でエ……そんな風になっちゃうの!!」
数字の意味が理解できてきました。
可能性はあるけど、まさかなぁと思ってたやつだ。
「朝比奈さん!!」
「は、はいっ!!」
また暴走しそうになった朝比奈さんの肩をガシッと掴み、固定する。俺と朝比奈さんの目と目が合う。瞳に映るのは強い不安と恐怖、そして何かを期待するような媚びるような情欲。
俺は勃たない。俺は勃たない。脳内で念仏のように呟きながら、俺は朝比奈さんを落ち着かせるためにわざとゆっくりとしたトーンで言う。
「まず、朝比奈さんのことは置いておいて。数字の意味と他のことについて話し合おう」
「は、はい……」
なんとか朝比奈さんは落ち着いてくれたようだ。
羞恥心から俺から目を逸らしながらも、頷いてくれた。
「あの、肩……」
「ごめん」
朝比奈さんの華奢な肩を掴んでいた手を離す。うん、落ち着かせるためにした行為だが、少し恥ずかしいな。思えば、学園のアイドル的存在が今目の前にいるわけで。それをとっさのことだったとはいえ、肩に触れ見つめ合っていた。純情と評判名高い俺には顔から火が出るほど恥ずかしい行為だった。
「まず数字は……置いておいて……振動については」
数字と言うと朝比奈さんがビクッと反応したので、後回しに。
「あの、その……数字って振動するの?」
「うん……ってああ、朝比奈さんは自分の数字しか見れないからわからないか。数字が携帯のバイブレーションみたいに震えることがあるんだ」
数字の振動は興奮状態を示す。俺がかがみんのとの触れ合いで得られた結論だ。
朝比奈さんは自分の数字を見るには鏡に映らないといけない。鏡に映るときに興奮している人はまずいない。そりゃ特殊なプレイでもしていたら別だが、日常においては考えられない。だから、朝比奈さんも気がつかなかったのだろう。
「あの……それで、振動の意味は」
「興奮状態を示してるね。もっと言えば性的な興奮を感じるときに一番振動している気がする」
スポーツ観戦とか、友達との会話でテンションが上がっているときには振動せず、男女の間において興奮状態だと振動していた。
「あ、あの………もしかしてなんですけど。私の数字、振動して………た?」
「うん。
「あぁぁぁぁ、違います、違います、違うんです。エッチな気分なんてなってません!? 月見里君の推測が間違ってます!? 間違ってるのぉぉぉぉ!!」
頭を抱えながらしゃがみんで現実を拒否する朝比奈さん。
スカートがえらく捲れ上がってます。
「死にたい。死にたいよ。殺してぇぇぇ、私を殺してよぉぉぉぉぉ」
「い、いや、エロいことを考えている興奮じゃなく、男女の恋愛的な興奮要素? 異性のドキッとした瞬間にも振動するから! そ、そっちのほうが多いし!!」
「ほ、本当……?」
俺のフォローに捨てられた子犬が助けてと人間を見るように。朝比奈さんがうるうると瞳を潤わせて上目遣いに問いかける。
あの、言いたくないのですが、自分のお腹に手を置いているせいでスカートの位置的に際どい状況です。パンツ見えそうです。早く立ってください。あ、一瞬チラって見えた! 黒だ、黒!
「う、うん……本当。性的って言ったのがまずかったね。異性間における適応反応的なものだね、振動って。自然な反応だと言えなくもないような気がする」
朝比奈さんの下着が気になってしまって、自分でも何を言っているのかよくわからないが、とにかくそういうことにしよう。嘘も方便だ。
振動じゃなく、振動するスピードにも意味があるけど、その話題も今度にしよう。未来の自分にぶん投げる。うん、今話をしたら朝比奈さんが受け止められない気がするしね。
「私がエロいってわけじゃなく、ただ男女関係についてウブなだけだよね」
「うん」
むしろ、そうなのと聞きたいが、俺も空気が読める男。
はいそうですと心を無にして頷く。
「男の子と付き合ったことがないし、うん。私もそんな気がしてきた」
朝比奈さんは自己完結したようで、立ち上がる。
どこか現実逃避な気がするが、聞き逃がせないことがあった。
「あれ? 朝比奈さんって今まで誰とも付き合ったことがないの?」
あれだけ告白されるのだから、過去に一度くらい付き合ったことがあると思ってた。そりゃ、この学園に来てから不沈艦と称されるくらい誰の告白も受け入れていないのは知ってるけど。進学する前の学校では恋愛経験があったかもとは思っていた。過去に酷い失恋があったから、恋をしたくないとか。そう考えると、朝比奈さんが誰とも付き合わないのも納得できる。
ほらっ、早い人だと小学生とかで恋人ができるとか、どこの国の話だと思いたい話があるでしょ。中等部でも恋人ができたとかチラホラと聞くし。
朝比奈さんくらいの美少女なら小学生時代といえども男子は放っておかないだろう。いわんや中等部の思春期男子なら。
だから、過去に恋人がいた可能性は否定できない。むしろ彼氏がいたことがあるという方が自然な話だ。
しかし、その仮定を受け入れるのは心にダメージがくる。聞くのさえ怖くて本人に聞けなかった。それでも、いざ現実に降り掛かってきたときのために俺は想定していた。
だが、朝比奈さんは、
「な、ないよ!!」
恥ずかしそうに首を振って否定してくれた!
そこだけを切り取ると清純な女子学生だ。下着は黒でアダルティな感じだけど。
い、いや、下着の色で人を判断してはいけないな、反省。
「というと、エッチなことも……」
「な、ない! と、当然じゃないっ!!」
振動がものすごいことになっている!?
すごい興奮度だ!
「ついでに聞くけど、誰とも付き合わない理由とかあるの? 昔、離れ離れになった幼なじみとか」
「幼なじみ? 離れ離れ?」
「ごめん。忘れて」
ゲームだったら定番だったが、現実世界ではありふれてないらしい。
かがみんに話すノリで喋ってしまった。数字の振動も一瞬で停止してしまった。
「あの、その、私には夢があるの。お母さんが行っていた大学に行きたいの。だから、恋愛にうつつを抜かしてたら、駄目。私は頭がよくないから人より何倍も勉強しなくちゃならないの」
後に教えてもらったことなのだが、朝比奈さんが男の人に興味を持つのは遅かったと。恋人を作るより友達と遊ぶ方が楽しいと思っていたそうな。そんな小学生時代だったから恋人ができなかったと。そして、中等部に入り、自分の将来について考えるうちに恋人なんて作ってられないと思うようになっていったらしい。
「そっか……ところで、その……大学名を聞いていいの?」
成績優秀者である朝比奈さんでも、自己評価は高くない。朝比奈さんで頭がよくないなら、他の人はどうなるんだと思うが、そう言っても朝比奈さんは自己の評価を変えないのだろう。だから、慰めることはしない。そうなんだと受け入れる。
「あ、無理なら言わなくてもいいよ。興味本位で聞くだけだし、もし知っているところなら協力できるかもしれないし」
朝比奈さんは俺の言葉に少しだけ微笑み、教えてくれた。
「あそこかー」
朝比奈さんの言った大学は国公立の名門校。当然偏差値は高い。朝比奈さんが現役で入るのも難しいと言うはずだ。
「だから、誰とも付き合えの……誰とも」
「変な現象に付き合わせてごめん」
頭上に数字が見えるようになったのは、多分俺のせいだ。
勉強に集中したいのに、今現在進行中で違うことに時間が取られている。朝比奈さんは最初許してくれたが、それは場の勢いやよく事情を理解していなかったせいだ。普通に考えれば、こんな現象に巻き込まれて百害あって一利なし。俺に恨みを抱いてもおかしくない。
「えっ!? いえ、その、それはいいの!」
「いいの!?」
えっ? 許してくれるの!?
やはり、朝比奈さんは聖女のような女性なのか。駄目だ、信仰心が芽生えそう。
「いえ、よくないけど!? 数字に振り回されるし、少し! 少しだけ! エッチな気分になるけど……そのっ……悪いことだけじゃないから」
少しを強調しながら朝比奈さんは言う。
「その悪いことじゃないってとこ詳しく!」
「ええっ!?」
数字はエロさ、欲求不満度を表す。振動は興奮を。振動数というか振動スピードは興奮度を意味する。
ただいずれの意味も状況を示すだけだと思っていた。その人がどのくらい欲求不満が溜まっているのかがわかるだけ。わかったところで意味のないもの。
見れないほうが絶対いい。むしろ、数字が見れることは呪いみたいなものだ。
そう思っていた。だが、朝比奈さんはメリットもあると。
メリットがあるなら教えてほしい!
「数字が小さいほど、集中力が高まるの。それもマイナスの時は、自分が自分じゃないみたい。頭の霧がなくなったみたいに、思考がはっきりとして深く集中して勉強ができたの」
この前言っていたゾーンというやつかな。
スポーツの漫画で出てくる驚異の集中力だ。それが勉強にも起こったと。
「ふむ。数字が減ると集中力が増し、増えると集中力が落ちる。そんか効果があると」
「うん」
朝比奈さんが触れてほしくなさそうにしているので、あえて言わなかったが、正式には数字は煩悩というか肉欲に直結している可能性が高い。
数字が0に近づくほど、煩悩に支配されず、数字が増えるごとに煩悩に左右される。そして、マイナス。これは煩悩の世界から離れ、明鏡止水のように澄み切った心になると。
その人の性的な欲求不満度が数字になって表示される。
この推論はまと外れじゃない。むしろ、正解に思えるくらいしっくりくる。
だけど、それをそのまま朝比奈さんに当てはめるのは何か……違う気がする。
パズルのピースが噛み合いそうで合わないもどかしさ。あっているように見えるけど、実は違うみたいな。
今まで色んな人の数字を見てきたが、マイナスになった人は朝比奈さんしかいなかった。朝比奈さんだけが例外。これは偶然か? たまたまなのか。
何か別の力が働いている気がする。
勿論、ただの推論。当てずっぽうだが、俺はその考えを捨てることはできなかった。
「次、数字が減る手段だけど……」
「うん」
「まず確認したいんだけど、数字って毎日大きくなるの?」
朝比奈さんが三日休んでいたから、その間どうなっていたのかわからない。まぁ、風邪で学校休んでいなくても土日があったから朝比奈さんには会えなかっただろうが。
現在は6だから、8増えたことになる。
「うん。毎日2ずつ増えちゃうの」
「そっか。じゃあ、減るにはどうすればいいの」
「え、えっと……わかりません」
じゃあ、俺から目を逸らすのはなんでだろう。
これは知っている可能性が高い。
「なにか特別なことはした?」
「と、特別なことは……して、してないかなぁ……」
「……うん。嘘は言ってないな」
「わかるの!?」
「なんとなくだけどね」
「探偵みたい。きっと、月見里君に嘘は通用しないんだ。私の秘密を暴かれちゃうんだ。隠していたいこと全て、暴かれちゃうんだ……」
あの、変な気分になるんで、熱のこもった瞳で見ないで。
若干だけど、期待してない?
「あ、あの……お願いがあるの」
「ん……何かな」
頬をほんのりと紅潮させながら朝比奈さんは言う。
瞳の熱はそのままに、潤んだまま俺に艶を含んだ声で言う。
それはまるで告白のよう。
気を抜くと変な気分になりそうだ。
俺は勘違いしないように、若干警戒しながら朝比奈さんの提案というのを聞いてみる。
「私を、抱いて……」
ワタシヲダイテ……。
脳がその言葉を受け入れ、認識するまで一秒もの時間がかかった。
だが、現状を把握し、彼女が欲している行動を察知するのには、刹那の時間しか掛からなかった。
場所は文芸部部室。時は放課後。学校にいる生徒は少ない。
扉は閉じられていて密室空間。この甘酸っぱい空間に俺と朝比奈さんしかいない。
目の前には欲求不満の美少女が。頬を染め、何かを期待しながら彼女は恥ずかしそうに目を逸らす。
視線の先、俺達の直ぐ側には横になるのにちょうどいいソファーが。
艶のある、色気を含んだ声で美少女が恥ずかしそうに懇願する。
……抱いて、と。
脳が先程の朝比奈さんの言葉をリフレインする。
ムードがあり、場所も申し分がなく、相手の了解もある。
押せばやれるという状況ではない。
押さなきゃ男じゃないと言われているに等しい。
……。
…………。
……………………。
………………………………………ガッ!!
こ の 世 に 神 が い る の な ら !
俺 は 今 ! 初 め て ! 神 の 存 在 を 呪 っ た ! !
なぜ、俺にこんな試練を与え給う!! 俺が一体何をした!? 健全な青少年になんの恨みがある!? 人生を何度やり直そうとも得られない
「ご、ごめっっ! 俺、勃たない……」
泣きたくなってきた。泣いていいんだよね。
ごめん。俺、童貞捨てるチャンスふいにしちゃった。
誰に謝っているのかわからないが、謝らずにはいられない。
「え、あっ!! ち、違うの、そ、そういう意味じゃなくて……え、勃たない?」
「うん、俺は勃起不全なんだ。息子が反応してくれないんだ。役立たずなんだ。ごめん。力になれなくてごめんなさい」
「え、その……ええっ……」
朝比奈さんも俺のことをなんと言えばいいのかわからないようで、腫れ物に触るように接してくる。そうだよな。この若さで勃たなくなる人は少ないよね。さぁ、初めてのエッチをしようとして
EDは誰にでも起こる可能性がある病気で、馬鹿にしてはいけないものだ。パートナーがいるなら協力して乗り越えるべきもので、相互の理解と愛情が大事と言われている。
だが、愛を育む前の段階だと勃たないことは大きな障害になってしまうのは否定できない。
「きっと朝比奈さんは俺が勃たないんだって他の女子に言いふらすんだ! そして、他の女子達と共謀して俺を女子更衣室に連行して、縛って脱がすんだ。ほんとだー、大きくならないー、可愛いーとか言ってガン見して罵倒して笑うんだっ!! 触ったり、蹴ったりもしちゃったり!? そして、本当に勃起しないか確かめるために自分達も服を脱いで……」
「ちょっと月見里君!? 落ち着いて!! 生々しくて願望っぽくなってるよ!?」
「なんでわては勃たないんや……そもそも、EDってなんなんだよ……ぐすっ」
国際基準のED判断基準があったりするが、その判断基準は厳しく、一度の性交もしたことがない人はEDの可能性があると無慈悲な判定をされてしまう。ついでに性交したことがあろうが国際基準を守って判定すると、程度の差はあれほぼ全ての人がEDの可能性があると嘘のような診断結果になってしまう。
「えええええええっ……」
「……………………」
「……………………」
「で、抱くって抱きしめるの意味でいいの?」
自然な感じで聞いてみた。
「…………急に普通になるよね。月見里君って……」
あの、何かに目覚めそうになるので呆れた目で見ないで!
途中で朝比奈さんが言った意味に気がついて、二重の意味で恥ずかしいのを誤魔化しているだけだから!
「や、やまな……あん!」
誤魔化すように俺は朝比奈さんに近づき、彼女の了解を得ずに抱きしめる。
「ごめん」
何に対しての謝罪かはわからない。
ただ、謝る必要があると思ったから。抱きしめているお陰で顔が見られなくてよかった。
「うん……」
俺の謝罪に朝比奈さんは小さく頷いた気配がした。
異性を抱きしめるなんて初めての経験だ。それも彼女でもない女性を。
ドクンドクンと鼓動が鳴る。心臓が車のエンジンのようだ。朝比奈さんにバレていないか気になってしまう。片手を怪我しているから密着していないとはいえ、至近距離だ。伝わっているかもしれない。恥ずかしい。
ただ、朝比奈さんも恥ずかしがっているのが首元からもはっきりとわかった。俺の背中にまわす手に力が入り、ギュッと服を掴むようになっている。それは抱きしめるというより柔道の試合のように相手の服を掴むかのように。息を止めて、呼吸が苦しくなって吐き出す音。朝比奈さんの頭は俺の胸に。呼吸をすれば嫌でも俺の匂いがするのだろう。はーふーと息の音と吐息の勢いが俺の胸に伝わる。
恋愛経験のなさのせいで、俺はこんなときどう動けばいいかわからなかった。硬直する。抱きしめたまま動けない。
「ふぅ……」
「はぁ……」
どちらともなく自然と体が離れた。
「月見里君って男の子なんだね……」
「何を今更……」
「うん……そだね。あ、ありがとう……」
「うん……」
付き合ってもない男女が抱き合っていた。
ありえないシチュエーションに俺も朝比奈さんも顔が真っ赤になった。恥ずかしくてお互い顔を見ることができない。
「え、えと、今のでよかったの?」
「うん……多分」
「あ、じゃあ本日は切りもいいし、ここまでにしと……く?」
「そ、そうだね……結果は明日にならないとわからないもんね。うん」
「え、じゃあ……帰る?」
「……う、うん。帰る……しか、ないもんね」
「そ、そうだね……それじゃ?」
「……お疲れ様でした」
「……お疲れ様でした。また明日、学校でね」
終わりたいような終わりたくないような。
一緒にいたいけど、一緒にいる理由を見つけられないような。
後ろ髪を引かれながら、俺は朝比奈さんと別れた。
翌日。
朝比奈さんの数字は0になってました。
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