第17話 男、月見里義之。覚悟を決めますっ!!

「失礼します」


「どうぞ~」


 昼休み。

 お決まりとなりつつあった社会科準備室に入る。

 普段の教室とはまた違った雰囲気がする先生の居城。最初入るときは緊張したが、他の先生もいないこともあり、二度目以降は気軽に入れるようになった。

 だが、今日だけはいつもと違っていた。


「お、お邪魔します……」


「あれ? 朝比奈さんも来たの?」


 俺の隣、朝比奈さんを見て乙藤先生は目を丸くする。まず朝比奈さんの顔を見て、目線を下に、彼女の持つ弁当箱を一度見て、また朝比奈さんの顔に戻る。


「は、はい。だ、駄目でしょうか?」


「ううん。別にいいよ。ね、月見里くん?」


「……は、はい。ソウデスネ」


 乙藤先生はいいよと言いながらも目が笑ってない気がするのは被害妄想だと思いたい。あと、これには事情があるんです! 朝比奈さんと食べたいなとか先生と食べるのは緊張するからついてきてとか朝比奈さんを誘ったわけではないです! 信じて!


「じゃあ、食べましょうか」


「うん……」


「はい……」


 社会科準備室はソファーと机があるのでそこで三人お弁当を並べて食事することになった。先生の自室でもあるので、学生たちでは使用の許可されていない電気ケトルを自由に使うことができ、温かいお茶を飲むことができる。

 食事にはやっぱり温かいものがないとね!

 ……ということで。あの、今更ながら帰ってもよいでしょうか。実は部室にも先生達に内緒で電気ケトルあったりするので。


 対面には乙藤先生。そして、隣には朝比奈さん。

 本当なら美女二人と食事。男としてウハウハな気がするのだが、背中を伝う汗はなんなのだろうか。

 あと、朝に感じた性欲は今は完全に落ち着いており、小康状態を保っている。どうやら波があるようだ。いっそ朝のアレは一過性のもので気にする必要はないのではないか。そう思わせるほど俺は悟りを開いた修行僧のように落ち着いている。

 二人の美女が近くにいても冷静に振る舞える自信があるほどだ。

 ……はい、嘘です。あの緊張するんで、やっぱり帰ってもいいですか? 何を話せばいいのかわからないし。あと、ちょっと朝比奈さんの距離が近くないですか? 膝と膝が触れそうなほど近くに寄っているのですけど……。


「じゃーん! 本日はカツサンドがメインです! 男の子っていったらお肉だもんね♪」


「いつもありがとうございます」


 バスケットに入っているのはカツサンドだけではなく、たまごサンドやハムサンドなど色とりどり。勿論、全て手作りだ。


「朝比奈さんのお弁当箱も大きいね。あ、まさか……」


「いえ、その……」


 確かに朝比奈さんの弁当箱は乙藤先生に負けず劣らず大きい。一人分ではなく、軽く二人分の量が入りそうな弁当箱。

 そして、俺が朝比奈さんをここに連れてきた理由でもある。


「私も月見里君の分も……作ってきました。その、利き腕が使えなくて不便そうだなって」


 恥ずかしそうに朝比奈さんが言う。

 確かに、乙藤先生と食事をしているといっても、乙藤先生の手作りの弁当を食べていることは他の人には内緒にしているし、朝比奈さんは学校を休んでいた。だから、俺が乙藤先生と食事をしていることは知らなかったのだろう。

 だから、朝比奈さんが悪いというわけではない。

 うん、俺も悪くないので乙藤先生、ジト目で見るのはやめてもらえませんか? いや、本当に告白を断られましたし、隠れて付き合ったりもしていませんので、はい。朝比奈さんが色っぽい空気をだしているのも俺が原因ではありません。この時間じゃなく、登校したときからそんな感じでした。はい、クラスの男子が証人です。一人で何か考えているとき、艶っぽいため息を吐いたりして男を惑わせてました。



「あっ美味しそう……」


 朝比奈さんの弁当を開けるとご飯のサンドイッチというべきものが弁当箱に敷き詰められていた。海苔の黒ご飯の白に挟まれてキュウリやトマト、人参やお肉、ツナや卵といった様々な色の具材が輝いて見える。

 息を飲む気配は、それこそ声のように。

 その華やかな光景に乙藤先生の怒りは一瞬で鎮火し、強い興味を引き出した。


「これって、おにぎらずだっけ?」


 聞いたことがある。一時期テレビでも話題になったやつだ。


「うん。片手でも食べやすいかなって」


 お米、具、海苔を使うところはおにぎりと同じだが、おにぎりの工程から握るという作業を省き、切るという工程を新たに加えたおにぎり、いやおにぎらず。

 お米や具を乗せて包んで切るだけという手軽さと切った断面が見えるから可愛いと話題になったレシピだ。


「乙藤先生もどうぞ」


「ありがと~。朝比奈さんもサンドイッチも取っちゃってね」


「はい、ありがとうございます」


 三人での食事が始まった。


「おいし~♪」


「乙藤先生のサンドイッチも美味しいです」


「本当? 嬉しい!」


 最初の緊張はなんだったかのように、和気あいあいの雰囲気で食事が進む。

 女性同士気が合うのか、互いに料理を褒めあっている。俺は会話には参加できず、うんとか美味しいですしか発言していない。


「おにぎらずって作ったことないんだ。本当に包んで切るだけでいいの?」


「はい。最初にラップを引いて、そのうえに海苔を。海苔の中心にご飯と具材を四角になるように作るのがコツです」


「うん。聞いただけでできそう。普通のおにぎりじゃ乗せない具材とかも使えて楽しそう」


「はい。スライスチーズやスティック状の野菜も入れられますから作ってて楽しいです」


「はへ~。あ、でも塩とかはどうするの? 最初にご飯に混ぜとくの?」


 確かに、おにぎりといえば塩を振りかけて握るものだ。おにぎらずの場合はどうするのだろうか。上から振りかけるのだろうか。いや、そうしたら塩がかかっている部分とかかっていない部分がでてきて均等にならない。乙藤先生の言った通り、先にご飯と塩だけを混ぜるのだろうか。


「それもありですが、おにぎらず用の塩付きの海苔が売ってますのでそれを使ってます」


「はへ~。今、そんなの売ってるんだ。便利だね~」


 うん、そうですねぇ。

 ズズズと温かいお茶を飲みながら、美女達の会話を聞くのも楽しいね。俺はむしゃむしゃ食べながらまったりと食事に舌鼓を打っていた。ここは喧騒を忘れた地上の楽園。昼休みという一時の癒やしの時間。そんな馬鹿なことを考えていると、


「ほら! 月見里くんも食べてみて! 美味しいよ~♪」


「あ!」


 対面から差し出されるおにぎらず。

 あの、俺左腕は自由に動かせるので一人で食べれるんですが。

 だが、食べて食べてとせかすように口元に差し出されるおにぎらず。

 ……俺は覚悟を決めた。


「あ、あ~ん」


「あーん」


 うん、美味しい。

 でも、自分で食べたときより味が脳に入ってこない気がするのはなんでだろうね。対面と横から視線を感じるせいかな? 美女達にじっと見つめられて緊張しているせいなのか? 不思議だね?


「ね? 美味しいでしょ! さすが、朝比奈さんだね! 料理上手!」


「そ、そうですね」


 にっこりと乙藤先生が微笑んでいるのは可愛らしいし、朝比奈さんを褒めているのは確かなので何も変なことはないはずなんだけど……横からの視線の圧力が強まっているのはなんなのか。怖くて振り向けない。


「ご、ごほん」


 審判から警告が入りました。

 うん、そうだよね! いくら先生といっても女性からあーんと食べさせられるのはよくないよね! わかった! 気をつけるよと勇気をだして横を見ると、


「あ、あ~ん」


 恥ずかしそうに顔を赤らめて、小さな声であーんとサンドイッチを俺の口へ差し出す朝比奈さんが横にあった。ご丁寧にも数字が振動してらっしゃる!?

 そして、膝と膝と距離がついにゼロになった。そんなことは気にしないのか朝比奈さんは膝の位置を変えないどころか触れる面積を増加させていく。

 二重の意味で目を白黒させて朝比奈さんを見ると、


「お、乙藤先生のサンドイッチも、お、美味しいよ?」

 

 すぐさま食べない俺に、言い訳のようなことを言う。

 恥ずかしさで頬を赤くしていている。

 先生の見ている前だ。当然、あーんなんて恥ずかしいはずだ。

 だけど、朝比奈さんはそれでもやめなかった。

 サンドイッチを持つ手は震えようとも、やめはしなかった。


「あ……あーん」


 ……うん、断ることはできない。口を開けてかぶりつく。

 あ、あの……視界の端に映る乙藤先生がまるで能面のように見える!? 笑顔のまま表情が固定されて表情筋が動いてない気がするのですが、俺の目が一時的におかしくなっただけだよね!? あー寝不足のせいかなぁ!?  


「お、美味しいです」


「う、うん……」


 そして、感想を言うのは礼儀であるから美味しいと返事をする。

 そして、嬉しそうに頷く朝比奈さん。でも、サンドイッチを作ったのは乙藤先生。


「や、月見里くん! こっちのおにぎらずも美味しいよー! 食べて!!」


「え、いや、はい」


 対面からおにぎらず。


「はい! こっちのサンドイッチも!」


 横からのサンドイッチ。


「あ、いえ、うん」


 もう何がなんなのかわからない!

 両者に差し出されるままにおにぎらずやサンドイッチを食べ続ける。頬にサンドイッチのパンやおにぎらずのお米が当たるが、そんなこと関係ねぇと、交互に食べ、交互に食べ、おにぎらずとサンドイッチを食べ尽くした!

 俺はやり遂げたのだ!


「でも、本当に朝比奈さんのおにぎらず美味しいよね! 料理上手だね」


「いえ、挟んだだけですから。乙藤先生の方が料理上手ですよ。トンカツもちゃんと自分で揚げられて作ってますし、丁寧にサンドイッチを作ってらっしゃるのがわかります」


「ありがとう♪」


 えへへと笑う乙藤先生。

 一時はどうなることかと思っていたが、無事平和に食事が終わりました。

 互いの健闘を褒め合いながら、称え合う。

 ミッションコンプリート。めでたしめでたし。

 これが映画ならスタッフロールが流れているはずだ。窓の外から運動場で遊ぶ生徒の声が聴こえるのがなんともよいBGMのよう。


「でも、おにぎらずも美味しいかったね。ね、月見里くん♪ 朝比奈さんのおにぎらず美味しかったよね?」


「はい、そうですね。初めておにぎらず食べましたが、美味しくてびっくりしました」


「だよね~」


「いえ、そんな。先生の作ったサンドイッチには負けます」


「謙遜しなくてもいいのに。あ、じゃあ!」


 ポンと明暗が閃いたとばかりに乙藤先生は手を叩く。


「どっちが美味しかった?」


 そして、俺を見る。


「え?」


 え?


「私のサンドイッチと朝比奈さんのおにぎらず、どっちが美味しかった?」


「え?」


 え?


「…………………………」


「…………………………」


 平和な場所である社会科準備室は一転して、生死を司る法廷へと変化した。

 異議をたてず、裁判官に従う朝比奈さん。何かを期待するように俺を見ているのは気の所為だろうか。


「あの、ど……」


「どっちもというのはなしだからね♪」


 どっちも美味しいと言おうと、いや完全に言う前に遮られた。

 そして、うんと横で静かに頷く朝比奈さん。

 孤立無援という言葉が脳に浮かぶ。

 乙藤先生が見せる可愛らしい笑顔がなんと恐いことか。朝比奈さんの無表情がなんと感情めいているものなのか。


「ねー。朝比奈さんのおにぎらずの方が美味しかったよね?」


「いえいえ、先生のサンドイッチの方が美味しかったです」


 そして、言い終わると二人は揃ってこちらを見る。無言で。感情のない瞳はまるで幽霊がこちらを認識し凝視するかのよう。遠く、運動場から聞こえる喧騒が別世界の出来事に思える。

 

 乙藤先生にしても朝比奈さんにしても、互いが互いを褒めあっているのに、相手の言う通りに従ったら駄目な未来しか見えない。もし、これが国語のテストだったらどんな回答をすれば丸を貰えるのか! この時の作者の気持ちを答えなさいとか普段テストに出てくる問題が今この場に求められている解答に比べたらなんと簡単なことなのか! 


 Q.乙藤先生と朝比奈さんの心を傷つけず、二人が納得する言い方を答えなさい。ただし、二者択一。どちらが美味しいかを選ばないといけないとする。


 A.無理です。設問が間違ってます!


 俺の灰色の脳細胞が悲鳴をあげる。


「えっと……そうですね」


 両方美味しいというのは禁じられた。

 実際、甲乙つけがたく同点な気がするが、それでは乙藤先生も朝比奈さんもその答えは日和見的で納得しないのだろう。

 乙藤先生のサンドイッチは俺が飽きないように毎回丁寧に具材を変えたり、調味料を変えたりしている。ひとくちにパンと言っても、ソフトなものからハードなものまで、バターにしても具材によって有塩、無塩、発酵バターを使っている。

 繊細な気遣いは頭が下がるほど。毎度感謝して食べている。


 朝比奈さんのおにぎらず。おにぎりとは違う角度から作られたレシピ。そして、おにぎりでは普段使われない具材を使っている。味もさることながら、新しい料理を食べた満足感も味わせてもらった。そして、こちらも俺のために様々な具材を用意して作ってくれた。

 その優しさには頭が下がるほど。感謝して食べた。


「いずれ菖蒲あやめ杜若かきつばたと言いますか、春蘭しゅんらん秋菊しゅうぎくともに廃すべからずと言いますか……」


「それって両方って意味だよね♪」


「オゥ……レアリィ?」


 さすが、先生。

 言葉に厳しい。

 というか、難しい言葉を使って有耶無耶にする作戦が一瞬で潰されてしまった。


「ほとんど同じでも、少しくらい差があると思うの」


「うん。後学のために私も教えてほしいな。男の子に料理を作ったの初めてだから意見が欲しいの」


「うんうん。どちらが月見里くんの好みなんかなぁって知りたいだけだし」


 戦線が狭まってきました。

 言葉の裏の意味が読めないわけではない。どっちにしても自分の作った料理を褒めてほしいと思っているはずだ。

 乙藤先生は期待したような目で、朝比奈さんは希望を捨てきれないような目で俺をじっと見つめる。

 嘘やその場しのぎでは駄目か……。

 覚悟を決めて、口を開きかけたその時、


 キーンコーンカーンコーン。

 

 間延びした鐘の音が鳴った。予鈴の音だ。

 気勢が削がれたのは俺だけじゃなかったようだ。

 乙藤先生は一瞬動きを止めたが、ふぅとため息をついて、


「うん。次の授業が始まっちゃうし。解散しよっか」


 と先生らしくその場をしめた。


「はい」


「乙藤先生。ご飯ありがとうございました。ごちそうさまでした」


 俺と朝比奈さんは礼を言って、社会科準備室を出た。

 

「朝比奈さんもありがとうね」


「ううん。怪我をしたのは私を庇ってだし」


「それでも美味しかったから、ありがとう」


「いえいえ。お粗末様でした」


 教室に向かいながら朝比奈さんと話をする。

 俺達の教室に近づいたとき。


「朝比奈さん?」


「うん?」

 

 俺の少し先に行っていた朝比奈さんが振り向く。


「頭上に数字が見える件は放課後話そう」


「えっ!?」


「といっても、俺にもよくわからない現象だけどね」


「えっ、えっ!?」


「じゃあ、そういうことで」


「ちょっ!? や、月見里君!?」


 硬直している朝比奈さんを通り過ぎ、俺は教室に入る。

 遅れて朝比奈さんも。

 うん。逃げていたら駄目だよな。

 そう決心しながら、授業中俺をじっと見つめて時々赤くなる朝比奈さんを、放課後だから、放課後にちゃんと話すからご勘弁を、と勉強に集中するフリをして朝比奈さんと目を合わせないようにする俺であった。

 あぁ、今から憂鬱だ。放課後なんて言おう。

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