第14話 間章『朝比奈夕凪の述懐』

 月見里義之君は私、朝比奈夕凪にとって言葉にできない存在だと言える。

 特別スペックが優れているわけではない。外見も二枚目の端に引っかかるかなぐらいで、彼より格好いい男の子は学園にいる。頭がいいと言っても、普段あまり勉強しないせいか学校の成績は平均ぐらいだ。あの勉強量で平均が取れるのは頭の良さ以上に要領がいいのだろう。そして、集中力の高さは目を瞠るものがあるが、それが取り柄になるかは微妙だ。個人的には嫉妬してやまない事柄だけど。あと、集中しているときの目は格好いいと思う。

 運動神経にしても平均以上はあるけれど、騒ぎたてるほどではない気がする。少なくとも女の子の話題には登ったことはない。

 総合的なカタログスペックは中の上あるいは上の下と判断されるのではないだろうか。

 私にとっても路傍の石とまではいかないが、ただのクラスメイトと言って差し障りのない程度の関係だった。そう、告白される前、月見里君と一緒のクラスになった直後くらいの時期は。


 クラスの男の子達にはよく弄られたり、罵倒されたりしているが、そこにイジメといった負の空気はない。愛されているという言い方が一番正しい気がする。

 弄られているなと思ったら、いつの間にか月見里君を罵倒していた男の子達が彼を胴上げしようとしていたこともある。


「なんでそう、んんっ! な、なるんですかっ……! んっ!」


 ……今思い返しても、どういう経緯でそうなったのかわからない。未だに目を離したのを後悔してたり。月見里君にそれとなく聞いてみたのが、言葉を濁して教えてくれなかった。むぅぅぅである。秘密にされると気になるのが人の性分だ。いつか、教えてほしい。


 これが告白前、月見里君と一緒のクラスになって数週間頃の話。

 まだクラスメイトの一人であり、私の頭の中の劇場で、登場することもなかった頃の話。


『義之は、まぁ……付き合っていけばわかるかな。変な言い方だけど、それ以外言い様がないな』


 月見里君と仲がいい東郷誠一郎君が彼を評して言った言葉。

 これもどういう経緯でそういう話になったのかわからない。ただの雑談から派生したと思う。この言葉も雑談の範疇であり、東郷君も深く考えて言った内容ではないと思う。

 ただ、私の中で強く印象に残り、今思い返すぐらい心に住み着いている。

 不思議な人だと思う。掴みどころがありそうで、ないような。買いかぶりかもしれないけれど、普通の人とはどこか違う人に感じる。朝、少し雑談するだけだったが、私、朝比奈夕凪は彼のことを高く買っていたようだ。脳内の劇場では、たまに彼が登場することもあった。

 これが告白されるちょっと前の話。

 そして……。


 『四階奥の空き教室で』


 告白されたときは驚いた。

 まさか、月見里君が私のことを好きだったとは。その素振りがまるきっりなかった。

 自慢するわけではないが、私はモテる。告白された回数も多いと思う。だから、告白の予兆というか男の子が私のことを好きかなってことが告白される前にわかる。変に声がうわずっていたり、私のことについて詳しく聞いてきたり、私との会話を引き延ばそうと無理したりするとピンと来る。

 だけど、月見里君と話をするときはいつも自然体だった。他の女の子と会話をするときみたいに踏み込んだことは言わないし、三番目に登校する横山君が来たら私との会話を打ち切り、すぐ男の子同士で話をする。そこに未練はなさそうで、私も自分の勉強を再開する。それが朝の流れだ。


 勉強に集中したい私にとってもそれはありがたいことで、ひそかに月見里君に感謝していたりする。横山君は私を会話に参加させようと話を振ったり、チラチラとこちらを見たりするが、月見里君が勉強の邪魔をするなと注意したり、自身も勉強することで会話の流れを勉学に向けたりと、うまく会話を運んで私に話が向かないようにフォローしたりしてくれる。

 余談だが、それに気がついたのも告白の少し前だったりする。意識的に注意深く彼らの話を聞いてみると、月見里君が繊細に、それでいて大胆に会話を主導して私を守ってくれていた。脳内劇場にも彼の出番が増え始めた。


「だからっってっ……! ダメッ!! やまっ……なしっ! くっん!!」


 話を戻そう。

 彼に告白されたとき、一瞬だが彼に好意を寄せられることに喜びにも似た感情を抱いたが、心の大部分を占めたのは失望だった。それは彼にでもあり、自分にも。

 クラスメイトの一人の枠を超え、友人のような感情を抱きかけていただけに彼の好意を、申し訳ないが、またこの人もかと幻滅した。


 恋愛感情を抱かない男女は存在しない。


 男女の友情は脆く壊れやすいと信じてきた────いや、そう信じざるを得なくなってしまった私にとって、月見里君は例外な存在だと心のどこかで思っていた。幻想であり、願望であったと理解している。勝手に夢想していただけだ。だから、裏切られたと思う方が間違っているのだろう。


 仲がよくなると、告白する男の人が増える。友情と恋愛感情は別であり、気をつけないといけないことであると、私は経験則でそれが身にしみていた。だから男の子と話をするときは一種の線引きみたいなものをするようになっていた。好意を持っていると勘違いされないために。だけど、月見里君との朝の会話は楽しく、また人目もないことから、自重が疎かになっていたようだ。知らぬ間に予防線を超えていた。

 失敗した。

 そして、告白後は友情を感じていた人がよそよそしくなったり、私を嫌悪したりすることも経験則で知っていた。

 月見里君がどちらになるかわからないが、朝二人きりの空気は気まずくなるだろうとすぐ予想できた。

 だから、振ったときに月見里君に言われた言葉は驚いた。


『うん。朝教室で会ったら挨拶する関係?』


 月見里君が言った言葉。

 それを聞いて、私は笑ったと思う。嬉しかったから。

 今までの関係を気に入っていたのが私だけじゃなかったから。


『友達というには関係性が希薄な気がしてね。それでも朝に朝比奈さんと挨拶して、ちょっと雑談するのは気に入っているんだ。それがなくなるのは惜しい』


 欲しい言葉を欲しい瞬間に投げてきてくれた。

 不思議な話だけど、振った瞬間から月見里君を一人の男の子と見始めたと思う。


『うん……それぐらいなら』


 これが現実じゃないような、自分に都合がよすぎるような。

 疑心暗鬼になりながらも、私はなんとかそう返事をする。


 月見里君との関係は告白後も変わりなかった。

 今まで通りというか、席替えによって席がお隣になったお陰で話す頻度が増えたくらいだ。

 女の子として、私のこと好きだって言ったよね? 何もなかったかのように普通の態度だけどと、自分勝手な文句を言いたくなる気持ちもなくはないが、彼は以前と変わりない態度で話しかけてくる。


 うん、関係に変化はなかったというのは嘘だ。

 私は彼に友情を感じている。クラスメイトの一人から友人の一人であると私の中でちゃんと分類分けしている。

 相変わらず彼と喋るのは朝の五分が主だが、それでも私は彼を大切な人であると思っている。


「っふ!! はっ! ダメッ! そこはダメッ!!」


 そして、あの事故。

 階段で転び落ちたあの時、自分でも何が起きたのか理解できなかった。階段を降りていたはずなのに、足がスリップして体の重心が崩れ、視界が回転して地面に向かった。

 自分のことなのに、まるで映画を見ている第三者のように、あぁ、これは駄目だなと思った。

 だが、階下にいたはず月見里君が一瞬で現れ助けてくれた。それはまるでヒーローのよう。

 助けられた身だけど、なんでああいう体勢になったのかよくわからないけど、うん、助けられたのだ。

 気がつくと彼とキスをしていた。それはまるで少女マンガの展開のよう。

 ぷるんと暖かく、湿っている彼の唇。そして、一瞬だけだったが、舌と舌が触れた。生暖くて、ねっとりとした感触。落下の衝撃とは違う意味で痺れが体に走る。甘く痺れる感覚は今まで感じたことがないもので、その衝撃は落下したことなんてどうでもいいと断言するほどだった。痺れは脳内に届くと拡散する。何も考えられない。ただ、先程味わった刺激を反芻はんすうするだけの器官になってしまった。


「んくっ!!」


 そして、胸を揉む彼の力強い手。舌先に広がった刺激を痺れと表現すれば、胸部から広がった刺激は荒々しい電流のようだった。甘く蕩けるものとは違い、強くほとばしるような刺激が脳に伝わる。

 女の子とは違った力強い手。何度も彼は私の胸を揉んだ。揉まれた。幾度もなく。服越し、下着越しだったけど、私の胸は彼の手によって形を変えられた。揉まれた。荒々しく、蹂躙するように。雄々しく、所有権を主張するかのようだった。

 そして、一番敏感な部分。胸の頂上に当たる部分が彼の手のひらに当たった。いや、押しつぶされた。

 玄関のインターホンを鳴らすように気軽に、女の子の大事な部分を、突起を押された。ピンポーンと特大なチャイムが鳴った気がした。

 誰が心の部屋にチャイムを押したのか。そして、誰かがチャイムを鳴らして部屋に入って来たのか。

 わからない。家に帰ったら誰もいないのに物の配置が微妙に変わっているような。気の所為と言われればそうなのかと納得する程度の違和感。自分の心を何度確認しても以前と変化はない。無人だ。ただ、無人と思える心の部屋には誰かが入った気配だけがあった。

 わかることは唯一つ。

 

「んんっっっ!!!!」


 彼は私の脳内劇場において不動の地位を得たのだった。

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