第13話 敵か味方か!? 横山くん現る

「おはよう……えっ?」


「おは……えっ!?」


 朝、いつもの時間に登校すると朝比奈さんがいつものように勉強していた。

 朝比奈さんは俺が来たことに気がつくと、顔をあげて俺を見る。

 そして、今に至る。

 両者顔を見合わせて、ありえないと目を大きく開く。


「え、えと、どうしたのかな?」


 ぎこちなく、朝比奈さんは微笑み、


「いや、うん。なんでもない……朝比奈さんこそ、どうしたの?」


 俺も愛想笑いを返す。


「私? ううん! なんでもないよ!」


 絶対なにかあった気がしたが、俺も詮索されたくないので黙るしかない。

 戸惑っているうちに、朝比奈さんの目線が下に行き、止まった。その視線の先は三角巾で吊るされた俺の腕。

 

「腕吊ってるね……痛い?」


「動かせないけど、痛みはないかな。本当は吊るす必要もないけど、念の為」


 朝起きて驚いたのだが、腕が動かない。手は自由に動くが腕が固定されたように動かない。本当にゆっくりと動かせば動くのだが、錆びたゼンマイを巻くかのごとく、ぎこちなくしか動かせない。ご飯を食べるにしても、腕を動かすのではなく自分の首を動かした方が楽なくらい。まぁ、左手を使った方が楽なので左手で食べるけど。


 腕をお腹に当てるポーズと言えばわかりやすいだろうか、そのポーズでいるのが楽だったり。三角巾があってもなくても似たような状態だ。ギプスをしていないから腕に重さは感じないので、腕を吊っても大して楽にはならなかった。むしろ、窮屈さがある分、いくばくかマイナスだ。


 なら、なぜ三角巾をしているのか。

 それは、対外に骨折してますよとアピールするためだ。

 別に同情されたいとかではなく、わかりやすい注意事項として三角巾を使用するのはありだと思ったからだ。普段生活する分には痛みは感じないが、無遠慮に触られたり叩かれたりすれば当然激痛が走る。故意でなくても、事故で俺の腕に当たるかもしれない。だから、三角巾で腕を吊るすことでここに怪我人がいますよー、注意ですよーと警告を促すわけだ。言うなれば、立て看板のようなもの。これが理由の第一。

 

 そして、もう一個理由がある。

 昨日、暑いからと言う理由で上着は部室に置いて帰ったわけだが、今日はちょっと肌寒いので上着を部室から回収して羽織っている。右腕をうまく袖を通すことができないので右半身は制服を肩にかけている状態だ。

 よく言えばファッショナブル、悪く言えばアニメや漫画のキャラに影響を受けた中二病患者と思われる恐れがある。中二病患者なのは確かであるが、別の意味で痛いなと周りに思われたら嫌なのである。

 三角巾をして骨折していますとアピールすれば制服を肩にかけていても変に思われない。


「そう……よかった……ってよくはないよね。怪我をしたんだもん」


「いや、よかったでいいよ。痛みがないのは楽だからね」


 俺も朝比奈さんと話ながら、席に座る。片手が使えないせいで不自由だが、やれないことはない。片手で鞄を開け、必要なものを引き出しの中に入れていく。


「でもやっぱり不便だよね。私ができることがあればなんでもするから遠慮なく言ってね」


「……うん。ありがとう」


 その作業が終わって手持ち無沙汰になる。

 そのまま席に座っているのだが、することもない。普段は朝比奈さんに倣って俺も勉強しているのだが、片手が不自由だと勉強する気もおきない。

 だから、朝比奈さんを眺めているのだが、眺めているのだが……。


「ど、どうしたの?」


「……いや?」


 朝比奈さんが俺の視線に気がつき、聞いてくる。何かおかしいところがあるのかなと、髪型を弄ったりするのだが、外見の美しさはいつも通り変わりなく綺麗なので安心してほしい。

 うん、髪型は変わっても外見の美しさは変わらないな。


「やっぱり変? 髪型をちょっと変えてみたんだけど、変かな?」


「いや、すごく似合っていて綺麗だよ。印象がちょっと変わったから驚いただけで」


 うん、驚いてるだけ。

 朝比奈さんは普段、髪を全て下ろしているのだが、今日は一部分編み込んでいる。清楚な印象が強化されたと思う。


「あ、ありがとう。男の人に褒められるのはて、照れるね」


 所在なさげに朝比奈さんは髪を弄りながら、答える。そう答えた朝比奈さんの頬は薄っすらと赤かった。言葉の通り、照れているようだ。


「え? 普段、可愛いとか綺麗とか言われてないの?」


「言われてないよ!! ……女の子には言われたことがあるけど」


 言葉の後半は声が小さくなった。

 しかし意外だ。あれだけ告白されているのだから、綺麗とか可愛いとかの美辞麗句は聞き慣れているのかと思った。いろんな意味でびっくりだ。

 いや、女子には言われてるのか。


「ま、まぁ……女子はお互い褒め合うけど、男子はあまりそういうこと言わないからね。でも、朝比奈さん女子から可愛いとか綺麗だとかよく言われてるよね。それだけ褒められてたら、男が言っても一緒だと思った」


 男は照れくさくて思っていても、正直に女性が綺麗だとか可愛いと言うことができない。陰の気が強ければ、特にその傾向があると思う。陽の気を持つ者、つまりイケメンだと気軽に言ってるのを見たことがある。

 しかし、朝比奈さんが褒められ慣れてないとみると、この学校のイケメンどもは朝比奈さん相手だと陰の気を持つものと同じように気後れしてしまうのだろう。

 そして、女性は陰だろうが陽だろうが気軽に可愛いとか言ってるのを見る。朝比奈さんは毎日ではないが、なにかしら可愛いと褒められている気がする。


「全然。女の子同士の可愛いは挨拶みたいものだから。やっぱり違うよ」


「挨拶?」


「うん、挨拶。いいねって意味で女の子は使ってるの」


「へぇ…………カルチャーショック」

 

 たまにお菓子や文房具にも可愛いと女子が騒いでいるを見たことがあるが、あれはいいねという意味だったのか。そう考えると、しっくりくるような。普通に考えて、コンビニに売っている洋菓子を美味しそうと思うことはあっても可愛いとは言わない。このシュークリーム可愛くないとか聞かれても、男はああとかうんとか生返事しか返せないのである。

 そうか……いいねの意味合いかぁ。


「男の子は一種類の意味でしか可愛いって言わないから、言われるとびっくりするの」


「すいません」


 あれ、これって男が悪いのかな。言葉が一つの意味の方がわかりやすいと思うんだけど。

 辞書にも可愛いがいいねの意味であるとか載ってないよね? 改訂されていないだけ?


「あ……じゃあ、女子がレインで使うハートマークってどういう意味なの?」


 ここぞとばかりに普段疑問に思っていることを朝比奈さんに聞いてみる。

 レインで女性と会話すると、ハートマークが飛んでくることがある。お礼のあとにつけたり、名前の後につけたりすることもあり、その記号を見た瞬間、男は心をざわつかせるのだ。そして、思う。この子、俺に気があるのではないかと。

 そして、告白して失敗するのである。そんな目で見てなかった、と。

 男としては、えぇぇぇぇぇ!! である。

 あ、俺の話ではないから悪しからず。友人から聞いた話で俺が体験したものではない。決して。乙藤先生がハートマークを多用するから心がドギマギして寝られないわけではないよ! かがみんがたまに語尾にハートマーク入れたりして、コイツ俺に気があるのではとか思って、授業中たまに思いだして集中できなくなるわけでもないよ!


「あれは『!』の代わりかな。本当に好きって意味もあるかもだけど、勢いがほとんどかなぁ。可愛いとか嬉しいとかの感情表現で使うの」


「オゥ……ジーザス」


 また、出てきた可愛い。

 これって可愛いの応用問題なの!? 女性は男のピュアな弄んで面白いの!? 好きと嬉しいの両方の意味で取れる言葉を使うって日本語として本当に正しいの!? そんなんどうやって感じ取るの!?


「あ、あああ朝比奈さんも、れ、レインでハートマークつ、使うの?」


「私!? 私は使わないよ。感情表現でも異性に使うのはちょっと恥ずかしいし!」


 やはり、朝比奈さんは聖女だった。

 男を弄ぶ存在はそこになかった! 顔を赤面させてパタパタ手を振っている姿を見れば、それが本当だと信じられる。これが演技だったら、多分俺は何も信じられなくなりそう。

 そのまま、朝比奈さんの赤面する姿を眺めるが、昨日に比べてやはり肌ツヤがよくなっている気がする。もち肌なのは以前もそうだが、誰も踏みしめていない雪原のような清らかさがある。そして、赤く張りのある唇。昨日触れてしまったそれは、指で押せばすぐ跳ね返してきそうな、まるでプリンのようにぷるぷると弾力性に満ちていた。


「月見里君……どうしたの?」


「い、いや! なんでもないよ!」


「そ、そう?」


 赤面していたのがバレたようだ。朝比奈さんを見ていたら、昨日のキスの感触をつい思いだしてしまった。事故だけど、俺はあの朝比奈さんとキスしちゃったんだよなぁ……。

 してはいけない罪悪感とともに、優越感に似た気持ちが胸の内を占める。


「あ、朝比奈さんは化粧でもしてるの?」

 

「え、化粧? してないけど、どうしたの?」


 またキスをしたいなと思う雑念を振り払うように、会話を振ってみたのだが、得られたのは朝比奈さんの困惑だった。

 質問の意図が理解できないよと小首をかしげ、戸惑い気味に俺に聞いてくる。

 言わなければいけない空気になる。

 それはギャグに滑って、自分で解説しなければいけない雰囲気に似ていた。話題を振ったのは俺だから、説明しないのも不義理になる。言うなれば、自業自得。

 だから、俺は迷った末、口を開いた。


「昨日に比べて、綺麗だなって……」


 朝比奈さんの顔を見る。瞳はぱっちりと大きく、優美な眉。鼻筋も通っていて美形なのは百も承知だが、それは彼女の造形。生まれつき、つまり才能と言っていい。

 だが、どんな芸術品も磨かなければ光らないように、今の朝比奈さんは輝いていた。制服をただ着ているだけでも、どこか凄艶なる色気が感じられるほど。

 その美しさを前に、俺は自分を忘れて本音をポツリと零した。


「えっ!?」


「ごめん! 変なこと言った。忘れて!!」


 まるで口説いてるみたいだ。

 俺は陰の者だろ! なんで陽の者みたいに女性を褒めているんだ!? それに嘘とは言え、告白して振られた相手に!!

 ほら、朝比奈さんも困ってる! 綺麗な景色を見て、自然と美しいと言うように。俺は朝比奈さんを褒めてしまった。誰がこれをお世辞と言おう。時間が進み、朝比奈さんの脳内に俺の言葉が本音であると浸透するにつれ、元の色に戻ったはずの朝比奈さんの肌が徐々に先程の色に戻っていく。


「ううん! 私こそ、ごめんね! 無理に聞いちゃって!」


「いや……」


「………」


 お互いがお互い顔を見ることができない。

 告白のとき以上に甘酸っぱい空気がそこにあった。

 朝比奈さんは顔を伏せるように勉強に戻り、俺は誤魔化すように携帯を触る。

 携帯を弄りながら、チラリと横を見ると朝比奈さんは勉強に没頭するように顔を伏せている。見方によっては照れているだけだとも言えるが。細かく振動しているのはなんなのだろう。

 横顔は髪の毛で隠れていて見えないが、頭上の数字は俺に見てくれというかのように黄色く振動していた。

 朝比奈さんを見たときに驚いた理由。今まで、人の頭に数字が見えていたのが、大体が青色で数値が変わることはあっても、色は変わることはなかった。朝比奈さんも例外ではない。

 だが、昨日の今日で数値と色が激変していた。

 透き通る青色から黄色に。6という数字から-2に。

 

 この数字も異常だ。

 今まで正の値しか見たことがなかった。最低でも1。それが0を通り越してマイナスの値になるとは。この頭上の数字は小さいほど、精神的に快活であると認識しているが、マイナスに振れると、どのような意味があるのか。負の値に反転するので、正気とは逆、重度の精神的病に侵されいると推測することもできるが、朝比奈さんの様子を見る限りそのような負の空気は感じられない。むしろ、肌ツヤがよくなっているし。


「-2か……」


 何気ない呟きだった。

 意味がわからないが、ひとまず放置しておこうと、諦めに近い心境で吐かれた言葉。

 周りに聞かれても意味がわからないことを言っていると無視される言葉────だったはずだった。


「えっ!!」


 朝比奈さんがバネ仕掛けのおもちゃのように、勢いよく顔を上げ俺を見る。

 朝、会った時以上の驚きで、信じられないものを見たかのように。

 驚き見開かれた瞳。何かを言おうと大きく口を開き、


「おーす。おはよー、って月見里、腕どしたん?」


「ちょっと怪我してな。見た目ほど深刻じゃないから気にするな」


「なら、いつものように罵詈雑言を浴びせかけても大丈夫だな」


「いや、そのりくつはおかしい」


「ははっ……って朝比奈さんどうしたの?」


「う、ううん! な、なんでもないよ」


 三番目の登校者、横山くんの登場によって有耶無耶になった。

 それ以降、横山くんが俺に話しかけてきたため、朝比奈さんは勉強に戻った。だが、気になるのかチラチラと朝比奈さんの視線を感じた。

 その日は偶然なのか運命の悪戯なのか朝比奈さんが俺に話そうとすると、ことごとく邪魔が入り、結局何も話せなかった。

 そして、次の日朝比奈さんは学校を休んだ。

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