第8話 釈明を聞きましょう
「……なんで俺が朝比奈さんに告白したのを知っているのでしょうか?」
いつの間にか立場が逆転していた。
俺が聞く側になり、乙藤先生が言い訳を述べる場に。
「違うの!」
「はい」
何が違うのかよくわからないが、違うらしい。
とりあえず目上の人間には、はいと言っておけという精神で頷く。目だけは胡乱げに乙藤先生を見つめる。先生は俺の視線に焦りながら弁解の言葉を述べる。
「盗み聞きとかそんなんじゃなく、偶然! 偶然ね! 話を聞いたの! ほらっ、人気のない教室に生徒がいてたら気になるじゃない? 先生として! それなの!」
「はぁ……」
告白された場所は四階の空き教室。そのときにはテスト期間が始まっていたため、四階にわざわざ近づく人はいなかった。だから、乙藤先生がいたのは本当に偶然なのだろう。
見廻りをしていて四階を歩いていたら話し声が聞こえた。なんだろうと近寄ってみるとどうやら告白のようだ。邪魔してはいけないと静かに聞き耳を立てたと。
……ん?
「ずっと聞いていたんですか?」
先生の言い分を聞いていたら、聞き逃がせないことがでてきた。
本気で責めるわけではないが、気恥ずかしさからつい責めるような口調で問い詰めてしまった。
「ほ、ほら。ドラマとか映画で立ち去るとき音を立ててしまう展開があるじゃない!?」
「ありますね」
定番のシーンだ。重要な話を聞き、この話を仲間に伝えなくてはと振り返って逃げようとしたら小枝を踏むあれだ。
「だから場を壊しちゃいけないと思って!!」
もし、乙藤先生に聞かれていたら、告白劇もどうなっていたのかはわからない。玉砕するのは確定であったが、その後今のように朝比奈さんとフランクに付き合えていたかはわからない。ギクシャクしていた可能性の方が高い。
そう考えれば、乙藤先生が静かにしていてくれて助かったというべきだろう。結果論ではあるが。
「それにすっっっごく気になるし!」
「先生!!」
台無しだ!
せっかくフォローしようと、頑張ってたのに! 無理矢理納得しようとしたのに!
一気に台無しにしてくれたのであった。
「ごめんさーーい!!」
ひーんと頭を抱える乙藤先生。そこに威厳のある先生の姿はなかった。スーツ姿でふんわり可愛らしい雰囲気を纏わせつつ、仕事が出来る女性の姿なんて一切なかった!!
「………まぁ、いいですけど」
「……許してくれる?」
「はい。事故ですし」
まぁ、驚いたのは確かだが、聞かれて駄目だったのかと言われれば微妙なところだ。玉砕を知られたのは恥ずかしいことだが、それだけだ。先生が他の生徒にこの話を拡散すれば困るが、そんなことをするはずもない。黙って自分の胸の内にしまっていてくれるだろう。
……そのまま俺にも黙っていてほしかったが。
「やったぁぁ! ありがとう!」
「っ!!」
嬉しいと言わんばかりに俺の手をギュッと握り、上下に動かす。
男のゴツゴツした骨ばった手と違う柔らかな女性の指の感触が俺の手を包む。そして、授業中にも感じた乙藤先生のひんやりした手の体温が伝わってくる。それは比較的体温が高い俺にはクーラーのような快適さで、いつまでも触れたいと思わせるものだった。
「月見里くんはやっぱり優しい! 好き!!」
驚愕が俺を襲う。
え……好き?
男子ならわかると思うが、意味はどうあれ、女性にこの単語を言われたら男は簡単に思考停止に陥るのである。
『今だ、押し倒せ! 合意の言葉は取れた! 裁判でも言い逃れができるはず!』
押し倒さねーよ!
裁判沙汰前提に行動を起こすんじゃねーよ!!
『先生ってのもありっすね!』
天使、そろそろ仕事しろ!
俺の良心なら、止めてくれ!
『でも、ちょい待ち! 今は押し倒す時期じゃないっすか? ちょいはやって言うか、駄目っしょ? 倫理的に』
信じてた! 天使はいつか仕事をするって信じてた!
駄目な子と思っていた我が子が立派になる瞬間を目撃した親のように、俺は感動した。
『今はとりあえず抱きついて、胸の感触を味わう場面っしょ!!』
死ね!
お前、天使じゃねーよ! 倫理どこいった!?
思考停止した間はわずか一、二秒だったが、脳内ではこのような死闘劇があった。
そして、頭がまわり、好きという意味が恋愛要素の好きではなく、好みや気にいるという意味の好きであることに気がつく。
「……ははっ」
乾いた笑いというか、嬉しがればいいのかお礼を言えばいいのかわからないので、愛想笑いで誤魔化す。
しかし、恋愛要素の意味ではないけれど、女性から好きと言われた。喜ばしいことだ。一生の記念だ。自慢をしたいが、人に言うべきことではないので日記にでもしたためておこうと決意する。
「あ、あの……それで、携帯は?」
閑話休題。
ここに来た目的は俺の携帯を取り返すためだ。
結局、返してもらえるのでしょうか。
俺がそう言うと、乙藤先生は携帯ねと言って、胸ポケットから見覚えのあるガラス製ボディの筐体を取り出して、俺に渡した。勿論、俺の携帯である。
「あ、ありがとうごいます!」
先生から携帯を両手で受け取る。先生の体温でほのかに温かく、なんだかよい香りがした気がする。なにか、いけないものを渡されたようでドキドキする。
これ、俺の携帯なのに。
「月見里くんって、携帯にパスワードかけているんだね」
「え? はい、してますね。普通はパスワードかけているんじゃないですか?」
今の世の中、情報化社会を生き抜くにはセキリティをしっかりしていないと生きていけない。携帯は個人情報の塊であり、第三者に勝手に触られたら何をどうされるかわからない。
学校でもトイレとかで携帯を席に置いたまま出かけることがたまにある。そんなときに誰かが俺の携帯を手に取り、携帯の中に入っている写真や友達との会話を見る可能性がある。
本人に悪意はなくてもそのような事故が起こる可能性はあるので、お互いのためにパスワードはしっかりかけている。覗いた、覗いてないでクラスメイトと喧嘩したくないからね。
「うん。そうだけど」
ぐぬぬと言った表情で、俺に同意する乙藤先生。
あの、言いたくないんですが、俺の携帯の中身が気になってませんか? あなた、告白現場を覗き見したの、実は反省してないんじゃないかな。
喉まででかかった言葉を強引に飲み込む。
「あ! それはそうと、携帯の壁紙可愛いね! キツネ!」
山の天気のように、その言葉と共に乙藤先生の表情が一変する。
パスワードがかかっている云々、携帯に偶然触れたときに俺の携帯画面に表示されたのだろう。
俺のロック画面の壁紙は動物にしている。無難で可愛らしいからだ。気分によって動物は色々変えているが、今はキツネの赤ん坊が寛いで寝ている姿が壁紙になっている。
「実は私のカバンのマスコットキャラクターもキツネなんだ~」
乙藤先生がそう言って机の足元に置いてあった紅いカバンを取り出して俺に見せてくる。カバンのファスナー部分にキツネのキーホルダーが確かについていた。
「お揃いだね」
「そうですね」
何が楽しいのか乙藤先生は機嫌よく笑う。
奇遇なのは確かだが、お揃いって言うのかねぇ、この場合。
「月見里くんはキツネが好きなの?」
「そう……ですね。子狐とか見てて癒やされます。耳とか触りたいですね」
キツネに限らず猫でも犬でもウサギでも可愛ければなんでも好きだ。ただ、猫や犬やウサギは触れようとすれば触れることができるが、キツネは触ることができない。ペットでキツネを飼っている人の話なんてまず聞かない。北海道に行けば野生のキタキツネが見られるらしいが、エキノコックスを持っているため触れるのは厳禁なそうだ。
モフモフとした毛皮は暖かそうで、撫でるとつるりとした感触がして気持ちいいんだろうなぁ。耳のピンとした部分は固いのだろうか。一度触れて軽く折り曲げて遊んでみたい。
「むっふー。可愛いもんね! キツネ! 月見里くんが壁紙にする気持ちもわかるよ」
いえ、そんな熱い気持ちで壁紙にしているわけではないですが。
ただ他の人に壁紙を見られても変じゃないのをチョイスしただけなんですが。
「というわけで、私もキツネの画像が欲しい! 頂戴!」
「それくらいなら……」
目の前にいるのは先生だろうかとちょっと思ってしまうが、置いておこう。
ここについてから、俺の乙藤先生の先生であるイメージがガンガン崩れてしまっている。
「あ、でもどうやって渡します?」
携帯の画像を渡すのは簡単だ。メールで渡すなり、メモリーカードに画像を移して渡すこともできる。メールアドレスを打ち込むなり、メモリーカードの受け渡しなりで解決できる問題だが、少し手間がかかるので面倒だ。これが友達ならもっと簡単な方法があるのだが、先生と生徒という立場の関係上、線引きをしないといけない。
「レインで送って!」
そんな俺の配慮を乙藤先生は関係ないと、線を乗り越えてやってきおった!?
「いいんですか?」
「ん? なんで? レインやってないの?」
「いえ、やってますが……」
本人は何が問題かもわかっていなさそう。
レインとは携帯のアプリで、このアプリを使うと無料で電話とチャットが使うことができる。リアルタイムで雑談をしたり、電話をしたりする便利なものだ。学生間の雑談・連絡は大体このアプリを使って行われるほど。写真や絵文字だけではなく、スタンプというキャラクターの画像の判子を送れるので連絡手段として使い勝手がいいのだ。
使い勝手がいいのだが、公的な連絡手段としてはどうかという部分があって、主に私的な連絡手段として利用されている。
先生が使っていても不思議ではないが、生徒にそれを教えるのはちょっとプライベートな連絡手段を教えるようでドキマギする。
しかし、先生を見ると邪気のない、いや何も考えてない感じがする。
どうすればいいんだ。
……考えてみれば生徒の俺が規則とか云々気にする方がおかしいのか。先生がいいと言ってるのだ。長いものに巻かれよう。デヘヘ。
「アドレス交換完了♪」
「送りました」
「わーい。ありがと~」
俺のレインの友達リストに乙藤先生が追加される。レインのリストには女性が少ないので、先生のアイコンを見ていると感慨というか、達成感といおうか、優越感に似た奇妙な感情が湧いてくる。
先生のアイコンはキツネの画像だった。本当にキツネが好きみたいだ。
俺のレインのアドレスが知りたくて画像を理由にしたのではなく、本当にキツネの画像が欲しかったんだな。好きと言われた言葉に影響されているのか、落胆してしまう。別に俺は乙藤先生のこと好きなわけではないのに、なぜこんな気持になってしまうのだろうか。男子って本当に女の子に弱いのである。
『これからもよろしくね。悩み事があったら、いつでも相談してね♪』
レインに乙藤先生からメッセージが送られてきた。
驚いて、乙藤先生を見ると悪戯が成功した子どものようにテヘヘと笑う。
『はい。その時はお願いします』
興に乗って、俺もレインで返事を返す。
二人でクスクス笑いながら、本人が目の前にいるのにレインでの会話が続く。
『絶対だよ! 絶対に相談してね! 朝比奈さんに相談しちゃ駄目だよ!』
『はい(笑)。というか、朝比奈さんには振られましたから、そんな相談できませんよ』
『でも、あんなことあったのに仲よさそう。授業中も二人で会話してたもん。もしかして、隠れて付き合っている?』
もしかして、俺にモテ期が来たのかと誤解させるような言葉。
普通に考えれば、先生が嫉妬している文面にしか見えない。これは罠だ。先生だから、先生の立場だから俺を心配しているんだと理性が止めるが、俺の中の天使と悪魔の連合軍が行け! とか止まるんじゃねぇぞ! と騒ぎ立てる。この性欲と煩悩どもめ! 静かにしてろ!
『友達の関係に戻っただけです』
戻ったもなにも、元から友達なのだが。いや、最近知り合いから友達になった気がする。
なんにせよ、告白後の方が仲がいいのは確かだ。
『本当に~??』
『はい』
スタンプが送れてくる。女の子が喜んでいてハートマークが多数飛んでいる画像だ。
あかん。幸福な気分だ。
今こうなっている状況がよくわからないのだが、幸せなことには違いない。モテるってこういうことかな。イケメンの疑似体験をしている気がする。
『では、信じます。体の不調があったら小さいことでも先生に相談するのよ! 絶対だからね!』
授業開始の予鈴が鳴ったため、タイムアップになってしまった。
これほど時間が惜しいと思う昼休みもなかったなとその時は思った。
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