第4話 可愛い後輩の頼みなら俺もやぶさかではない

「……各務原と?」


「はい! こう見えてお買い得物件ですよ? 私の初めての彼氏になれます」


「おぉ!」


 それはかなり心惹かれるな。

 契約成立のつもりは全然ないが、思わず友好の握手をしようと手が動いた。すると、かがみんの手が俺の手をするりと避ける。

 ぽかんとする俺に、茶目っ気あふれる笑顔でかがみんが言った。


「あ、でも、付き合ったからって私の体に手を触れてはいけませんよ。ドントタッチミーです」


「……それ付き合っていると言えるの?」


 普通に生活するにあたり異性と体が触れないのが普通であり、接触したとしても一瞬である。だが、カップルとなると話は別で、まるで磁石のように体のどこかが触れ合うものじゃないか。手つなぎデートとかめっちゃ憧れるし。隣のクラスのイチャイチャカップルとか校内だろうが人目があろうが抱き合っているの見たことあるぞ。健全な意味の抱き合っているので問題はないが、人目がないところではキスとかしょっちゅうしているという噂のバカップルである。

 そこまでのバカップルぶりは憧れないが、こう……ね? かがみんの手が触れたことあるが、もちもちしてて柔らかい感触がした。触れていいなら触れ続けたい。付き合っているなら、普通に触っていいのではないか。


「清い交際というやつですです。周りがどう言おうと二人のペースで付き合えばいいのです。カップル成立はゴールじゃなくスタートって言いますけど、私達の場合はスタートではなくゴールです。てこでもここの位置から動かない所存です!」


 もうペース関係なく止まってるじゃん、それ! 一歩も進んでいない。名称が変わっただけで関係性は先輩後輩のままだ。


「もし、体に触れたらどうするの?」


「泣きます。月見里先輩を強姦魔呼ばわりして泣き叫んで助けを求めます」


「リアリィ?」


「イエス」


 輝かんばかりの笑顔で頷く未来の恋人候補。

 恋とはなんぞや。


「あ、でも月見里先輩のプロフィールにも彼女有りと書けますし、自慢出来ますよ? 人に聞かれても私は否定しませんし」


 ニンマリと口元を弧に描きながら、こちらを覗き込む。

 冗談で言っているのはわかるが、ちょっと考えてみる。

 確かにかがみんはお買い得物件と言える。人見知りする性格ではあるが、打ち解ければ話は弾むし、冗談も通じる。外見だって整っている。美人ではなく可愛いらしい顔立ちだが、将来きっと美人になるだろう。今付き合えれば可愛いかがみんと、近い将来の美しいかがみんを味わうことができる。一粒で二度美味しいというやつだ。


 脳内で、年齢イコール彼女いない歴という悲しい称号を捨てる最後のチャンスだと俺の中の悪魔が叫び、かがみんって押しに弱いところがあるからワンチャンあるよと俺の中の天使が檄を飛ばす。


 ……俺の中の天使、ちょっと倫理観なさすぎじゃないかな。

 悪魔の方がまともなことを言ってる気がする……いや、よく考えたら悪魔も酷いこと言ってるな。最後のチャンスってなんだよ! 次もきっとあるはず。……あるよね?

 しかし、俺の中の天使と悪魔の両方がGOサインを出しているのを軽視することはできない。


「……で、どうします?」


「ぐっ……」


 いいのか。このチャンスを逃していいのかと天使と悪魔が訴えかけるが、俺の中の何かが待ったとストップをかける。

 とある天才たちが言っていた。恋愛は告白した方が負けなのであると。

 付き合った瞬間から上下の関係性が決まってしまうもので、対等という関係は存在しない。勿論、付き合ってくれと懇願した方が立場が下なのは言うまでもない。だから、恋愛において告白させた方が勝ちであるのだと。

 今、付き合いませんかと言ってきたのは後輩だが、どう見ても立場が上なのは後輩だ。付き合ったとしてもそれは変わらないだろう。靴を舐めろと言われたら、こ、断れないじゃないか(偏見)。


『マゾにはご褒美じゃないかな?』


 ……黙れ悪魔!

 お、俺はマゾじゃない!


『普段立場が下でも、ベッドの中では立場が逆転してるって燃えないっすか?』


 ……だ、だ、黙れ天使!!

 めっちゃ心惹かれるけど!! それめっちゃ心惹かれるけどっ!!


「私の知り合いが言ってたんですが、可愛い子や美人に付き合ってと言われたら、男は恋愛感情関係なく、うんと頷いてしまうものなんだそうですよ?」


「ぐっ…………」


 可愛らしく小首をかしげながら聞いてくるのが、このときばかりは妬ましい!

 確かに言ったけど! 言ったけどっ!


「私って自慢じゃないですけど、可愛いってよく言われるんですよ。お買い得ですよ~。こんなチャンス滅多にないですよ~」


「ぐぐぐっ……………」


 渋る俺にトドメとばかりにかがみんが畳み掛けてきた。俺の目を覗くように上目遣いで問いかける。

 天秤が傾き後輩の誘惑に屈しかけようとしたその時、かがみんのアーモンド型の瞳が爛々と輝いているのが見えた。それはまるで獲物を狙う肉食獣のよう。

 ……そう言えば猫って狩猟本能を持つハンターだったなぁ。


「財産目当ての方はちょっと……」


「なんでや!」


 何故か関西弁でツッコミがきた。

 だが、わずかに目が泳いだのを俺は見逃さなかった。


「漫画やラノベやゲームをやりたいんだろ」


「うぐっ!」


 部室を見回してみる。

 文芸部の部室らしく、壁際には本が収められた本棚があり、奥の机には部誌を作るためのPCが置かれている。

 こう言うと普通の文芸部の景観だが、現実はちょっと違う。

 本は本でも大半がラノベであり、漫画も豊富だ。一般的な小説もなくはないが、端に追いやられている。

 そして、部誌を作るためのPC。毎年文化祭で部誌を発行しており、部員が執筆した小説、詩や俳句、論評などを載せたりしている。その制作のためにPCが使われているのだが、そのお題目が本当の意味で使われるのは部誌を作る時期がきてからであり、普段の活動ではそのような文芸部らしい活動目的で使われておらず、もっぱら動画視聴やゲームのために使われている。

 

 どこの漫画研究会だ。

 文芸部の皮を被った漫研なのである。ついでにうちの学園は漫研はないので名称を変えてもいいのだが、わざわざ変える必要のないため文芸部を名乗っている。

 名前だけの幽霊部員はいるが、正式に活動している部員は俺とかがみんだけ。かがみんが入ってくるまで俺一人の城だった。

 

 なぜ、かがみんが文芸部に入部するようになったのか。

 今では普通に話せる仲だが、かがみんが学園に入った頃は知り合い以上友達未満という関係だった。従妹という関係性はあるが、それだけ。異性ということもあり、警戒されていた。

 普段なら俺もかがみんを文芸部に誘わなかった。文芸部で活動しているのは俺だけ。つまり、密室空間で仲があまりよくない男女が二人きり。誘う方だって躊躇してしまう。たとえ何もする気はなくてもだ。

 だが、切実な事情があった。弱小部がいつも抱え、恐怖に怯える問題。

 そう、部員が足りなくて廃部の危機。

 名前を貸してくれる幽霊部員はいるが、人数が足りなかった。友人にお願いするにしても限りがある。頷く人もいれば、断る人もいる。仲がよくない人には頼めない。

 だから幽霊部員といっても、人数集めには苦労する。そして、幽霊部員を集めても数が足りなかった。あと一人足りなかったのだ。

 もう藁にもすがる思いで入部してくれないかとかがみんに頼んだ。

 かがみんは部活に入ってないことは知っていた。ならば名前だけでもと頼み込んだ。まぁ、名前だけならと許可をもらい部活は存続することになった。

 

 そして、部員なのだから部室に入る権利がある。かがみんも俺が部活動している場所を一度見てみたいらしかったので案内することになった。


 文芸部部員になったかがみんの見たものは家では禁止されいる漫画やゲームやラノベ。

 彼女が欲してたまらなかった楽園がそこにあった。

 かくて幽霊部員になるはずの後輩が活動する部員にクラスチェンジし、熱心な部活動をする学生になったのである。


 おおかた今日もテスト前だからと、最後のストレス解消をしようと漫画を読みにきたのだろう。

 

「そう、この部屋にない俺の蔵書やゲームが狙いだろ」


「うぐぅ!? しょ、証拠は! そう、証拠はあるんですかっ!?」


 どこの犯人だ、きみは。


「じゃあ、付き合ったとしても俺の部屋に入れないぞ。それでもいいのか?」


「なんでですかっ! カップルはお家デートが普通でしょ! それを禁止するのはよくありません!」


「じゃあ、俺の部屋入ったら問答無用で触るぞ」


「えっちぃのは嫌いですっ!!」


 なんでや!

 お家デートってそういう意味だろう。もし、付き合っているカップルが部屋に入ればもうそれは肉体的接触を半分くらい合意しているとみなしてよいだろう。付き合っていなくても、異性を部屋に入れるのは危険である。第三者から見れば、やっているなと思われる可能性が高い。それぐらい異性の部屋に入るというのは危険なものであり、慎重にならなくてはならない。


「私達は健全な学生ですっ! そんな不純なことしちゃ駄目です!」


「まぁ、それを言われれば弱いが」


「ほらっ!」


「……で、本音は?」


「月見里先輩が隠し持っているゲームをやりたいです!」


 ほらっ!


「そもそも月見里先輩が悪いんですっ! 可愛い従妹兼後輩がやりたいって言っているゲームを持ってこないのが悪いんです」


「あんなゴツいゲーム機持っていけるか!」


 携帯ゲーム機ならまだいいが、かがみんの要求しているのは家庭用のゲーム機だ。

 クラブ活動のためと言っても、先生に没収されても文句の言えないものである。


「ブーブー!! 独占禁止法はんたーい!! ブーブー!!」


「あーもうわかったから! テスト後なら普通に家に来てゲームやっていいから!」


 欧米人並に拳を握りしめ親指を下に向け抗議をする後輩のウザさに負けた。

 付き合わなくていいから、普通に来てくれ。そうすればこちらもあまり意識せずにすむし。


「やったぁ! あ、でも護身用に違法改造したスタンガン持っていきますからねっ! やましいこと考えないでくださいよ。警察に捕まりますよ」


「違法改造している時点で殺意バリバリじゃねーか。そっちこそ捕まるぞ」


 冗談ですと機嫌良さそうに微笑むかがみん。とても愉しそうなので小言は言わないが、もうちょっと男に警戒感を持ったほうがいいなと許可した立場だが思う。従兄のおにーちゃんは心配だよ。男ってやるためなら手段を選ばないやつがいるもんなー。俺は紳士だから、違うけど。いつかそのへんのことも教えておかないとなぁ。


「あ、でも各務原のテストの点が悪かったらこの話はなしな」


「なんでですかっ!?」


「当たり前だろ。いい成績取れとは言わないが、最低でも平均前後は取れよ」


「あなたは私のお母さんですかっ! 別に成績なんてどうでもいいじゃないですか!」


「別に俺の成績じゃないし、どうでもいいと言えばいいが」


「そうでしょ、そうでしょ! 赤点は取らないつもりなので、学生として最低限はクリアしているはずですっ!」


「強いて言えば……ゲームや漫画のせいで成績落としたら俺のせいみたいで寝覚めが悪いな。各務原の家で禁止されている娯楽を与えている身としては、各務原を堕落させた悪の化身扱いされたくない、誰かさんにな」


 かがみんの母親は漫画やゲームを毛嫌いしている。家でのアニメの視聴も許されていないほどに。家庭の教育方針なので、あまり非難するのもアレだが、かがみんに悪影響を与えているのは間違いない。娯楽を禁止され抑圧されるほど反動で欲してしまっている。

 放っておいたら沼にハマるがごとくズブズブと娯楽に沈みこみそうだ。仮ではあるがこの学校では保護者みたいな気分ではいるので、かがみんが底なし沼にハマって出られなくなるのは許しがたい。娯楽とは適度な付き合いをしないと。


「うぐっ!」


 そして、それは自分でもわかっているのだろう。反論ができずにいる。

 かがみんの人生ではあるが、夢ややりたいことが決まっているなら話は別だが、何をやればわからないのなら、学生である以上ある程度は学業に打ち込まないといけないと思う。

 別に俺は成績優秀者になれと言ってるわけではない。人並前後の成績が取れるのなら、後で困ることが少ないからだ。就職するにしても進学するにしても、今のうちに基礎学力をつけることは損はない。


「俺のせいと感じたら、この部室にある漫画やラノベも撤去するかもな」


「酷い! それなら……PCは、PCにあるゲームは残してくれんですよねっ!」


「勿論、アンインストールだ」


 むしろ、なんで残すと思っているんだろうか。


「鬼! 悪魔! 圧制者っ! なんでそんな酷いことができるんですか!? 月見里先輩の血は何色なんですかっ!?」


「成績を落とさないためだ。俺もかがみんの悲痛な顔を見るのは辛い。涙を流しながら心を鬼にしてる」


「めっちゃ爽やかな顔で笑っているじゃないですかっ! サドですか! 月見里先輩はサドなんですかっ!」


 かがみんはぐぬぬと俯いてしばらく考えごとをしたかと思うと、ガバっと勢いよく顔をあげた。決意に満ちた目は大きく開き、爛々と輝いていた。


「じゃあ、そこまで言うなら勉強教えてくださいよ! 月見里先輩、頭だけはいいんですからっ! 少しでも可愛い後輩を助けてくださいよっ!」


「はいはい」


 こうして仮眠をするつもりが、かがみんの勉強の手伝いをすることになった。

 眠気は取れず、疲労感はつきまとっていたが、悪くない一日だったなと、その日寝る前に思った。

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