王子との決別

「う……あ……?」


 私はガンガンとする頭を抱えながら、ゆっくりと瞳を開けた。


「ここは……?」


 そこはおかしな場所だった。

 地面も空もなく、ただ濃い緑と淡い緑が入り混じった、絵の具をぶちまけたかのような空間の中に私は浮いていた。

 明らかに現世ではない。

 私はそう思った。


「死んだのか……? いや、そんな感じはしない……」


 自分が今いる場所がどこかも分からず、私は困惑する。

 浮遊感はないのに確実に浮いており、そしてあやふやなのに自分ははっきりとしている。

 そんな奇妙な世界に私はいた。


『レイ……ペンフォード……』


 私が惑っていたそのとき、急に私に語りかける声がした。

 その声に困惑し辺りを見回すと、目の前の緑の空間が歪な形に浮き上がり、そこから一つの緑眼が現れた。

 私はそれを、直感的に理解した。

 そいつは、邪なる神の一柱であると。


『レイ・ペンフォード……忌まわしき混沌の手先……最後の役目を果たしに来たか……』

「お前、何を……」


 すると、私は背後にもう一つの気配を感じた。

 後ろを振りかえると、そこは緑色ではなく紫色と黒の絵の具をかき混ぜたかのような空間になっていた。

 そしてそこに、今度は紫色の目が現れた。

 私はまたも直感で悟った。ああ『永久の混沌』で私を使役していたのは、この存在なのだと。


『レイ・ペンフォードよ……貴様の最後の役目を果たすときがきた……貴様をこやつの緑の力に浸し、こやつと同一化できるようにした……さあ、その中で一体となり、我の下へと下れ……』

「な……!?」


 私が手に入れた力。

 それは目の前の『緑衣の女王』の果てにいる神と私を同一化させ、自分に下そうという『永久の暗黒』の向こうにいる神の策略だと言うのだ。

 私は、神の意のままに動いていた、というのだ。私だけでなく、私のために頑張ってくれた人達も。


『レイ・ペンフォード……我はもはや追い詰められた……好きにすると良い……』


 目の前の緑眼が言う。

 どうやら戦いに破れたことを悟り、受け入れたらしい。

 だが、私は受け入れられない。


「誰が……誰がそんなことを……!」

『レイ・ペンフォード……貴様の義務を果たすのだ……人々を救うため犠牲となれ……それが貴様の運命……この世界に召喚されてから始めから決まっていた……』

「決まっていた運命、だって……?」


 私は愕然とする。

 確かに私はこのために召喚された。それは知っている。だが、最後の役目がこんな、供物のような形で終わってしまうなんて……。


「私が……私がこいつと一体化したら、どうなる……?」


 でも、今の私にはそれしか選択肢がないように思えた。

 いや、思わされているのかもしれない。でも、私の思考は今それしか考えられなくなっていた。


『我が尖兵として……永遠に我に仕えることとなる……人の理を捨て……こちらの世で貴様は存在する……そして……赤き力、青き力も共に飲み込むこととなる……』

「……そ、そんな……」

『受け入れよ……これが、貴様の取るべき道……貴様の友を守るべき、道……』

「友を……?」


 私はその言葉に反応する。反応してしまう。


『この世界は狙われている……常に……それを永遠に防ぐには、貴様が供物となるしかない……』

「…………」


 それは甘言にも思える言葉だった。

 私が身を挺せば、すべてが救われる。

 なんと易き道だろうか。私一人がこの世界から消えれば、すべてが解決するということなのだから。


「……私、は……」


 私は思う。

 友人達の顔。


「アレックス……ダグラス……アレクシア……クレア……」


 次々と頭に浮かぶ彼らとの生活。私は……。


「私は……私を……」


 彼らのためなら、私は身を捧げてもいい。一瞬だけそう思った。でも――


「――ノエル……」


 ノエルの顔を思い浮かべた瞬間、私の言葉は止まった。


「……ノエル……ノエル、ノエル、ノエルっ……! 嫌だ、彼と離れ離れになんかなりたくない……! 私は、彼と生きたい……!」


 私の感情は止まらなかった。

 体が張り裂けそうに鳴るほどの想いが体を滾った。足元を見て、涙をこぼし、自らの体を抱いて、彼と一緒にいたいと思った。

 私は、私は――


「――ああ、一緒にいてやるさ。ずっとな」

「っ!?」


 そんな。

 まさか。

 どうして。

 私は声のした方向に向き直る。そこにいたのは、緑色の目の前に突如現れたのは……ノエル、だった。


「ノエル、どうして……」

「本を読めば神様と契約したことになるんだろ? なら簡単さ。俺も読んだのさ。『緑衣の女王』をな」

「ノ、ノエル……!」


 それはとても危険な行為だ。何があるかわかったことではない。

 でも、そんな心配をする私を、彼は笑った。


「へっ、安心しろ。だいぶキツかったが、たった今俺はこいつと契約したよ。正気を保ったままな。おい、紫色のあんさんよ! こいつが犠牲にならなくても、俺とこいつ、二人で力を維持して生きていって、危ないのが来たら対処する! それでなんとか許してくれねぇか! というかもう、俺は契約しちまったからな! もうおまえさんの好きにはできねぇぜ!」

『…………』


 紫の神の目がノエルを見る。

 はたして、結果は――


『……よいだろう……ノエル・ランチェスター……レイ・ペンフォードと共に、他の神々から我が領域を守れ……それが、新たなる役目……』

『我も……良いだろう……この末路もまたよし……』


 紫と緑の目がそう言い、やがてそれぞれの目は空間に消えていく。

 次の瞬間、絵の具をこぼしたかのような空間もまたぼやけながら消え、私達は祭壇に戻っていた。


「……どうやら、戻ってきたらしいな」


 ノエルが言う。


「ノエル……どうして……こんなことができたんだい……?」

「あ? いや、物音が消えたから様子を見に来たらお前が息をしてない状態で倒れてたからよ。これはただ事じゃねぇと思ってな。それで思いついたのが、お前と同じ力を手にするってことだったんだ。お前と同じなら、お前を救えると思ってな」

「そんな……人間じゃなくなっちゃったんだよ? もう、ずっと生きていってさっき言われたみたいなことを頑張らないといけないんだよ……?」

「それでも、お前を助けられたなら本望さ」


 ニカっと笑ってノエルは言った。

 ああ、彼はなんて、なんて……!

 その笑顔を見たら、私は感情が胸にあふれてきて、次の瞬間――


「おわっ!?」


 彼の胸に、飛び込んでいた。


「レ、レイ……?」


 動揺しているノエル。

 私は、そんな彼に言った。


「ノエル……好きだ。大好きだ。この気持ちは、神様なんかにも邪魔できない。だから、お願いがある」

「……なんだ、言ってみろ」

「……結婚、してくれないかな」

「……ずいぶんとかっとばしてきたな。普通、もうちょっと段階を置かないか?」

「私の気持ちはもう、抑えられないんだ。私は君と、家族になりたい」

「たくっ……ああ、いいぜ」


 私の一世一代の告白に、彼は答えてくれた。


「ノエルッ!」


 彼の答えがあまりにも嬉しくて。私は泣きながらの笑顔で彼を抱いた。

 そうして私は、世界の平和を得ると共に、王子様を辞めた。

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