友のために

永久とこしえの暗黒』に触れてから三日間、私は部屋を出ることができなかった。

 あの書によって脳に流し込まれた情報と力に向き合うのに、それだけの時間を要したのだ。

 四日目にはなんとか表向きは何も問題ないように振る舞えるようになった。

 そして、それだけでなく断片的にだが流れ込んできた暗黒の魔導の使用方法も完全に会得することができた。

 もはや私が望めば、いつでもどんな場所でも『永久とこしえの暗黒』を召喚し自在にその力を発揮することができるだろう。

 だが、大きな力には代償が伴う。

 もし今の私が暗黒の力を使えば、そのあまりの呪いの大きさゆえに、廃人になってしまうだろう。

 まさしく私が漫画で読んだレイ・ペンフォードの末路のように。

 私はそれが恐ろしかった。

 あまりの力の大きさと、その対価として自分の魂を売り飛ばすという行為に、恐怖しないわけがなかった。

 そのため、私はその力を使うかどうかまだ決めあぐねていた。

 友と国の両方を救えるのなら、私の魂など安いものだ。そう思っているのに、私の心は恐慌し身動きを取ることができない。

 自分の魂を永遠の暗黒に落とすぐらいなら、自分の信念を曲げたほうがまだいいのではないか。

 そんな愚かしいことすら考えてしまうのだ。

 一体私はどうすればよいのか。

 その問いへの答えが出ぬまま、私はみんなを心配させないために日常生活へと戻った。


「レイ!? もう大丈夫なのかい!?」


 驚きと心配が入り混じった声と表情でそう言ってきたのはアレックスだ。

 三日も部屋に籠もっていたのだ。こんな反応をされるのも当然だろう。


「ああ、すまなかった。どうやら、季節外れの風邪にかかってそれを少しばかりこじらせてしまっていたらしい。でも、もう大丈夫だよ。安心してくれ」

「よかった……!」


 アレックスは本当にほっとした顔になる。

 その気持ちが、今の私には辛い。


「本当に心配しましたよお嬢様。執事としては、お嬢様が体調を崩されているときに側にいれないのがどれだけもどかしかったことか」


 ダグラスがまだ心配していそうな顔で言う。


「ふふっ、ダグラス。君はやはりいい執事だね」


 ありがとうダグラス。でも私は君に嘘をついているんだ。ごめんね。


「……お前みたいのでも、風邪にかかるんだな。ちょっと勉強になったよ」


 ノエルがぶしつけに言う。でも、ノエルもなんだかんだで心配してくれていることが、なんとなくだが伝わってきた。それを隠すためにあえて普段通りな言葉選びをしているのだろう。


「おやノエル、それはどういう意味だい? というか、君もみんなとつるむようになったんだね。いいんじゃないかな、そういうの」


 だから私も普段通りに返す。それが一番いいと思ったから。


「レイ様ぁー! 本当に心配したんですよぉー! レイ様が死んじゃったらどうしようかと、私心配で心配で……!」


 クレアが半泣きで言う。


「ははっ、クレアは心配性だね」


 ごめんねクレア。でも、私はこれからもっとひどいことを、君達にするかもしれないんだ。許してとは言わないけど、でも、ごめんね。


「ほんっとぉーに、心配したんだからねレイ! ここまで心配させたんだから、ちゃんと埋め合わせはしてよね?」


 ちょっと怒ったような口調でいうアレクシア。でも、本当に私を心配してくれていた事がちゃんと伝わってくる。


「うん、そうだね。じゃあ購買のショートケーキを夕食後に奢るよ。アレクシア、あれが好きだったよね」


 私からアレクシアに送れる最後の贈り物かもしれない。それにしては、随分とお粗末だけど。


「さて、それじゃあみんな揃ったところだし朝食でも取ろうか。この三日間、あまりいいものを食べられていなかったから楽しみなんだ」


 本当は何も食べていない。むしろ、時折吐いていたから胃の中身はマイナスなぐらいだ。

 私はカウンターで料理を受け取ると、表面上は意気揚々と椅子に座る。

 それに続いて、アレックス達も受け取った料理を置いて私の隣や前に座る。

 準備が揃ったところで、私達は食事を始める。他愛もない会話をしながらの、いつも通りの食事だ。うん、みんなといると、辛いことを少しだが忘れられて、心が安らぐ。


「……ねえ、レイ」


 と、そんなとき、突然アレックスが真面目な表情で話しかけてきた。


「ん? なんだいアレックス」


 私はそれにいつも通りの表情で対応する。


「レイ、僕達に何か隠しているよね?」

「っ!?」


 だが、そのアレックスの言葉で私の仮面は剥がれかけた。


「……な、なんのことだい」

「分かってるんだよ、レイが何かを隠していること。レイは普段はすましているけど今日のレイはどこか変だし、無理しているように思える」

「……そうですね、お嬢様にしては、嘘の付き方が下手です」

「ああ。そんな態度じゃ、すぐさま悪い輩に手玉にとられちまうぜ」


 アレックスも、ダグラスも、ノエルも、そしてクレアもアレクシアも、私の事を鋭く、しかし心配しているような目で見てきた。

 まずい、これはまずい。なんとか、しないと。


「そ、そんなことないよ……私は、いつも通りさ……」

「レイ……僕達、そんなに信用ならないかい?」

「……え?」

「僕達は、レイの親友だと思ってる。一緒にいろんな体験をしてきた、かけがえのない親友だ。そんな親友が困っているなら助けになりたいし、レイのためなら命でさえも惜しくない。でもそれは、レイが話してくれないと駄目なんだ」


 アレックスが私の手を握りながら言う。その表情はとても悲しげで、優しげだった。


「……命でさえも? 君達は、私なんかのために、命を捨ててもいいっていうのかい?」

「当然だよ! 僕にとってレイは最高の、最大の親友なんだ! そんな親友のために命を捨てられないでどうするんだい!?」

「そうですよ。俺にとっては主ですが、それ以上でもあります。俺はお嬢様のために死ねるなら、本望ですよ」

「……俺は別に親友なんてクサいことは言わねぇ。でもよ、お前みたいなやつが困ってるときに助けられなかったら、男の名折れだろ」

「私は常にレイ様のためにあります。レイ様のためなら、この命、喜んで差し上げますよ!」

「レイは……私にとっての初めての友達だから。友達のためなら命だって惜しくない。それが友情ってものでしょ?」

「みんな……」


 私は泣きそうになる。みんなが、こんなにも私なんかの事を想ってくれていたなんて。

 ……ああ、そうだ。そうじゃないか。彼らにとって私が親友なように、私にとっても彼らは親友なんだ。

 なら、彼らのためにこの魂を捧げることぐらい、どうってこともないじゃないか。


「……ありがとう、みんな。おかげで、決心がついたよ」

「……決心? 一体、何の……?」


 アレックスが聞いてくる。私はそんなアレックスの手を握り返して、笑顔を見せて言った。


「大丈夫。全部私がなんとかするから。私にも、君達の友情に応えさせてほしい」


 アレックス達は何の事だか分かっていなかったがそれでいい。

 私がこれからしようとしていることを知ったらきっと止めるから。だから――


「だから、今はもう少しだけ、秘密にさせてほしい」


 私は彼らに微笑みながらそう言った。

 それから、約束の日までの四日間、アレックス達には真実を告げないまま学園生活を送った。

 その学園生活はとても楽しいものだった。彼らとの友情を確かめあった今、これほど充実した生活はないと思った。

 だから、だからこそ、私は彼らを、彼らの愛する国を守る。

 それが、私の答えだ。



   ◇◆◇◆◇



 ジュダス先輩達の真実を知ってからちょうど一週間、約束の日がやって来た。

 夜の帳が落ち、月が空に輝く夜。

 私は、今は使われていない旧校舎の裏庭にやって来た。

 そこには既に、パイアスと、ジュダス先輩がいた。


「さあレイ君、答えを聞きましょう! 我々の仲間になってこの国を転覆させるか! それとも、友人達に不幸な目にあってもらうか!」


 パイアスが私に叫ぶ。

 私は一度ゆっくりと目を閉じ、そして、見開いた。


「……私の答えは、そのどちらでもない!」

「……ほう?」

「私は、あなた達二人を……ここで倒して捕まえる!」

「……ふん、そんなこと、君にできるはずがない!」


 ジュダス先輩が私を馬鹿にするように言う。

 だが、私は首を横に振った。


「確かに、前までの私なら無理だったでしょうね。しかし……!」


 そうして私は右手を横に素早く伸ばす。そうして、虚空から『永久とこしえの暗黒』を召喚した。


「……それは……!?」

「……その表情を見る限り、知っているんですね。さすがです、我が父ですらはっきりとした情報は持っていなかったというのに。そう、これは『永久(とこしえ)の暗黒』。この帝国に代々封印されてきた、禁断の魔導書だ!」


 私は書に手をかける。すると、パイアスが焦った表情をする。


「やめなさい! それを使ったら、あなたもただではすみませんよ!? 分かっているのですか!?」

「ああ、分かっているさ! でも、私は決めたんだ! 大切なものは、すべて守ると! そのためには、私は私の魂も惜しくないっ!」

「くっ、魔法傀儡マジックロイド!」


 パイアスが大量の魔法傀儡マジックロイドを召喚する。全身が黒いポージング人形のようで、それはどこか前世で見た特撮の戦闘員を思い浮かばせる。やはり、彼の魔力は本物らしい。

 魔法傀儡マジックロイドが一斉に私に襲いかかってくる。私は、それと共にパイアス達を封じるために、書を開こうとする。


「おっと、そうはさせないよ」


 ――そのときだった。

 目の前まで迫っていた魔法傀儡が、すべて吹き飛んだりバラバラになったりしたのだ。


「えっ……!?」


 パイアスも、ジュダス先輩も、そして私も驚愕した。

 なぜなら、私達の間に、見知った人影が現れたのだから。


「どうして……どうして君達が……アレックス! ダグラス! ノエル! クレア! アレクシア!」


 そう、私の目の前で私をかばうように現れたのは、私の大切な親友達だったのだ……!


「どうしてって、あれからずっとレイの事を付け回していたのさ。そしたら、今日はなぜか旧校舎の方へ行くじゃないか。当然ついていったら、これだよ」

「まさかパイアス先生達がこの国の転覆を狙っていたとは……恐ろしい事もあったものですね」

「ふん、人間、表でいくらいい面をしていても内面はひどいなんてよくあるもんさ。にしてもお前、自分の魂と引き換えになんて言ってんじゃねえぞ。こいつらなんかに、お前の魂は釣り合わねえよ」

「そうですよ! レイ様はとってもとっても高潔なんですから! 賊ごときと一緒にされても困ります!」

「それにしてもジュダス先輩、あなたはレイを裏切ったんですね。……許せない、私の大切な親友を傷つけるなんて、絶対に許せないんだから!」

「みんな……」


 私は言葉を失う。そんな私の元に、五人が集まってくる。


「さあレイ。そんなものはしまって。大丈夫、僕達がいる。僕達みんなで力を合わせれば、きっと勝てるよ」

「……そうかな。そう、だよね……ありがとう、みんな……!」


 私は『永久(とこしえ)の暗黒』を虚空に消す。そして、代わりに空高く右手を上げ、剣を召喚した。


「さあ、行こうみんな! 大切なものを、守るために!」

「ああ!」

「ええ!」

「……おう」

「はいっ!」

「うんっ!」


 私は剣先を敵に向ける。

 こうして始まったのだ。私達の、大切なものを守るための戦いが。

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