暗黒の呼び声

「…………」


 あまりにも残酷な事実を知ってしまった夜の翌日。

 私は、一睡もできずに昼になっても窓をカーテンで閉め切ってベッドの上でシーツにくるまっていた。

 ジュダス先輩は私を裏切っていた。

 いや、裏切っていたなんておこがましい言い方だ。

 馬鹿な女が、初恋をした相手に勝手な幻想を押し付けていただけのこと。

 結果として言えば、ただそれだけ。

 だけど、その現実は恐ろしいほどに非情で、おぞましかった。

 私の恋い焦がれた人は、私が愛おしいと思っているものをすべて壊そうとしていたのだ。


「先輩……どうして……」


 今でも、本当はすべて悪い夢だったんじゃないかと思う。しかし、ジュダス先輩に切られたドレスが現実だということを私に突きつける。


「…………」


 私はシーツをかぶったままうずくまる。

 昨夜からずっと、私は思い出してはそうする行為を繰り返していた。

 部屋からは一歩も出ていない。

 まず休憩室から部屋に戻ったときからして、私は誰とも会話しなかった。パーティのダンスに出席することなく部屋へと一直線に向かったので、クレアやダグラスには心配されたし、後にアレックスが無理をして女子寮に入り部屋を訪ねてきたが、私は扉を開けることなく一言も喋らなかった。

 朝になっても部屋から出てこない私を見かねてアレクシアが扉を叩いてきたが、それにも私は対応しなかった。

 だがあまりにもしつこく私の部屋の前に居座るものだから、私は扉の隙間から『体調不良なのでそっとしておいてほしい』と書いた紙を出して無理に帰ってもらった。

 それから私はずっとこうしている。

 私はどうすればいいのか。

 パイアス先生……いや、パイアスは言っていた。

 私が協力しなければ、私の大切な人達に危険が及ぶと。

 それはきっと、アレックスやダグラス、ノエルやクレア、そしてアレクシアの事を言っているに違いない。

 私の人生を豊かにしてくれた、大切な友人達。

 そんな彼らを私は巻き込みたくない。恐らく私が彼らに従えば、私の大切な人達はきっと助かるのだろう。

 だが、この学園の他の生徒達は? 領地の領民達は? 国の民達は?

 それは、公爵令嬢として、一人の人間として看過することはできない。

 だが、もし国を優先すれば私は友人達を裏切ってしまうわけで……

 結局、どちらを選んでも私は大事なものを失ってしまう事になる。


「どうすれば……いいんだ……」


 せめて、あの二人に対等に立ち向かえる力が私にあればよかったのに。

 でも、私は所詮無力な少女に過ぎない。対して、あの人達は強い。ジュダス先輩は優れた剣術の腕を持っているし、パイアスは卓越した魔法を有している。パイアスが交信で言っていた魔法傀儡マジックロイドと目の前で見せたポータルがその証左だ。

 以前サラ先生の授業で習った。魔法傀儡マジックロイドは、魔法を込めて動く自立人形の事で高い技術と魔力を持った魔道士にしか使えないとされている。それを学園制圧に使えるほど使役できる人の魔力が低い訳がない。そして、空間を自由に繋げるポータル……彼の才能は本物だ。

 それに対し私には何がある? 何もない。魔法も、剣術も、どれも中途半端だ。

 大切な人達を、守るべき人々を守れないで何が王子様だ。結局持て囃されて浮かれていただけだ。

 ああ、力が欲しい。大切な人を守れる、そんな力が……


『レイ……レイ・ペンフォード……』


 そのときだった。突如部屋に、私の名を呼ぶ声がした。


「っ!? 誰だ!?」

『レイ・ペンフォード……』


 その聞いたことのない声は、ずっと私の耳に鳴り響く。どうやらその声は、部屋の扉の奥からしているようだった。


「っ!?」


 その声を確かめようと扉を見たとき、私は驚いた。

 扉にみたこともない記号が紫色に光って浮かび上がっていたのだ。


「魔法文字……なのか? でも、こんなの知らない……」


 それは六つの文字のような何かであり、円を作っている。

 一見魔法の儀式に使われる魔法文字のように見えたが、そこに浮かび上がっている記号は今まで授業でも、個人の勉強でも見たことのないものだった。


「…………」


 私は自然とその扉に吸い寄せられていく。私を呼ぶ声は未だ耳に、脳に響く。

 そして私は、なんのためらいもなく扉を開いた。


「……っ!」


 その瞬間、視界が一瞬真っ白になる。そして視界が戻ったときには、なんと私は今までとはまったく別の場所に立っていた。

 その場所を、私はよく知っていた。


「ここは……ペンフォード家の秘密通路……!?」


 そう、そこは薄暗くもぼんやりとした紫色の光で包まれる、古代の呪われし秘宝へと通じるあの通路だったのだ。

 私は咄嗟に後ろを向く。後ろには、暗い通路が無限に続いていた。

 そして再び正面を見ると、そこには下へと続く道が示されていた。


「……前に、進むしかないようだね」


 私は自然とそれしか道がないと理解した。戻って確かめるという手もあったのに、なぜかそれはしなかった。いや、できなかったと言ったほうが正しいかもしれない。

 私は通路を進み、やがてたどり着いた奈落へと続く階段を降りる。

 そうして進み続け、私はついにあの赤く濡れた鉄扉へと至る。

 鉄扉は鍵がかかっており開かない。普通ならば、そこで一旦戻るべきだ。


「……?」


 だが、私は手に不思議な硬い感触があるのに気づき、右手の手のひらを見てみる。

 すると、そこにはいつのまにか銀色に輝く鍵が握られていた。


「どう……して……?」


 なぜ急に鍵が現れたのか、私にはまったく分からない、そのはずだった。

 だが、私は銀の鍵を見た瞬間に理解した。

 鍵は最初から持っていた・・・・・・・・・・・のだと。

 まるで訳がわからない推論。だが、私はどうしてかそれに至った。


「…………」


 私は銀の鍵を鉄扉の鍵穴に挿し込む。すると、ガチャリと回り、鉄扉が開いた。

 その先に広がっていた光景は、今までとはまったく違った景色だった。そこにあったのは、狭い石壁に囲まれた石でできた祭壇だった。

 石でできた通路の先に、三つの台座があり、それぞれの上に赤、青、緑の不気味なオブジェが飾っている。その三つの台座に囲まれるように、とりわけ大きな台座が、恐らく大きな本のようなものを乗せて佇んでいる。

 祭壇と通路の周りは浸水しており、水は緑色に発光していた。

 水からは魚が腐ったような生臭い臭いと、海の潮の香りが混ざって形容しがたい臭いを放っていた。

 私はゆっくりと石の通路を進み、祭壇へと向かう。一歩一歩歩くたびに、カツン、カツンと足音がその空間に響き渡る。

 そして三つの台座に囲まれた本の乗った台座へとたどり着く。

 台座に祀られた本を近くでまじまじと見て、私は絶句した。


「この本の装丁……もしかして、人の皮と骨……?」


 そう、恐ろしいことに、その本は人の皮と骨でできていたのだ。

 人間の皮を引き伸ばし、継ぎ接ぎした表紙に、人骨の装飾。

 普段の私なら、とても触りたくない代物だ。これが父の言っていた『永久(とこしえ)の暗黒』なのだろうか。

 だが、今の私は、その本から言葉に表しづらい何かを感じて、その本を手に取ってしまった。


「…………」


 私はゴクリと生唾を飲み込む。

 そして、誰かに急かされるように、その本を開いた。


「――――っ!!??」


 その瞬間、私の頭におぞましい量の情報が流れ込んできた。


「う、ああああああああああああっ!?」


 ――宇宙の理とは暗黒である。人間が信奉している光の神など所詮は神を名乗る僭称の王に過ぎない。暗黒は暗黒を生み出し、暗黒と対立する。赤の力の暗黒はすべてを圧倒的な暴力ですべてを滅ぼす。青の時空の暗黒は時と空間を超越する。緑の精神の暗黒は知的生命体の中に無限大に蔓延していく。赤き力の暗黒は緑の精神の暗黒をその残忍さですり潰し、青き時空の暗黒は赤き力の暗黒の幼稚な力を手玉に取り、緑の精神の暗黒は青き時空の暗黒を狡猾に狂気の縁へと落とす。すべての存在は暗黒よりいで、すべての暗黒を生み出したのは原初なる混沌の暗黒である。混沌の暗黒は常に眠りながらに権謀術数を張り巡らせ、世界の破滅と生誕を夢見ながら邪悪なる企みを企てている――


「やっ、やめてくれっ! これ以上、私を私でなくしないでくれぇっ!」


 私はそれ以上耐えきれなくなり、本から手を離して床に手をつく。


「はぁ……はぁ……!?」


 な、何だったんだ今のは……!?

 知識と呼ぶにはあまりにおぞましい、名状しがたい宇宙的な畏れを感じた……

「おっ、おえええええっ!」

 私は思わず嘔吐してしまう。それぐらいに、恐ろしく、おぞましかった。

 間違いない、この本こそが『永久とこしえの暗黒』だ。

永久とこしえの暗黒』とは、この宇宙の名状しがたき邪悪なる真理へと繋がる道だったのだ。


 その一端に、私は触れてしまったのだ。


「こんなものを使ったら、それは廃人にもなるね……」


 今私は完全に理解した。どうして、レイ・ペンフォードが廃人になったのかを。

 耐えられなかったのだ。脳に入り込んでくる寄生虫がごとき汚れた知識に。

 そして私も今また、同じ道を辿ろうとしている。


「駄目だ……こんなものに、これ以上近づいては……!」


 私は立ち去り逃げようとする。だが、そのとき、まるで本は意思を持ったかのように台座から落ち、私の目の前で開かれる。


「うっ、うわあああああああああああああっ!?」


 私はそれを咄嗟に閉じる。だが、その一瞬で私は新たな知識を獲得した。

 おぞましく、そして大いなる暗黒から力を引き出す、その術を。


「――っ!?」


 その瞬間、私の視界は再び白に包まれ、いつの間にか自室に戻っていた。

 まるで白昼夢を見たかのような出来事。

 だが、それは夢ではない。なぜなら、私の脳にはすでに刻み込まれたからだ。唾棄すべき宇宙の真理の一端と、その力を行使する方法を。


「……はは、ははははははははは……!」


 私は笑った。だって、おかしいじゃないか! 私は手にしたのだ! あれほど望んだ、パイアスとジュダス先輩に対抗する力を! 自分の心と引き換えに、すべてを意のままにすることができる、甘美で苦き知識の魔導を! 破滅と引き換えにみんなを守る術を!


「はははははははは……!」


 私は笑った。恐怖のあまり、笑うしか、できなかった。

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