初恋の味は――

「はぁ……はぁ……」


 パーティ会場についた私は、肩で息をしながら背後を見る。

 閉まりかける扉の隙間からは、私を追ってくる影は見えなかった。今日パーティがこの会場で行われているのを知っているため追ってくるのをやめたのだろうか。

 周囲にいる生徒達が私を奇異の目で見てくる。当然だろう、突然女子生徒が息を切らしながら入ってきたのだから。

 だが、その視線を気にしている場合ではない。

 私が偶然にも知った事実は、あまりにも現実離れした、しかし間違いのない恐るべき事柄だったのだから。

 校内でも人格者として尊敬されているパイアス先生が、実は国家転覆を狙う隣国のスパイだったなんて。

 誰も話を聞いただけでは信じてくれなさそうな事実だ。実際、パイアス先生の通信でのやり取りを聞いた私自身も未だに信じられていない。

 だが、確かにあれは現実で先生が私を追いかけようとしていたことは確かなのだ。

 紛れもない、現実なのだ。


「あの……レイ様? どうかしたんですか?」


 そこに、私に話しかけてくる者がいた。クレアだ。

 クレアは息を荒げている私を心配そうに見て話しかけてきた。


「……ああ、クレアか。その、実は……」


 私は一瞬迷った。クレアにこの事実を伝えるべきか否か。

 クレアならきっと私の言うことを信じてくれるだろう。しかし、そこから先は?

 ただ彼女を不安にさせ、逆に彼女も事実を知るものとして狙われる可能性を作るだけじゃないのか?

 彼女は私の大切な友達だ。危険な目に巻き込みたくはない……


「レイ様?」

「ああ、ごめん。いやね、少し中庭でゆっくりし過ぎたのかウトウトしてしまって、このままじゃダンスの時間に遅れると思ってしまったんだよ。それで、ちょっと急いで来たわけさ。でも、ちょっと淑女らしくなかったかな」


 私は咄嗟に考えた嘘を言って笑ってごまかす。

 これで騙されてくれるといいんだが……


「そうですかー、レイ様も結構うっかりしてるところあるんですね! でも大丈夫ですよ! ダンスの時間までもうちょっと余裕はありますから、そこまで急ぐ必要もなかったですよ!」


 クレアはあっけらかんと笑ってそう言ってくれた。

 よかった、なんとかごまかせたらしい。


「はは、我ながら焦りすぎたかな」

「そうですよー。でも、そうなる気持ちも分かりますよ! だって、ついに恋い焦がれる相手と二人で踊れるんですものね! そりゃちょっと焦っちゃっても仕方ないですよ! いいですかレイ様! ここが正念場です! ここでうまくアピールできれば、ダンスの後も二人っきりになれる時間が取れるかもしれません! そうすれば急接近間違いなしです! 頑張ってください!」

「ああ」


 私はその言葉に笑って返し、クレアの元を去る。

 そしてそれと同時に、私は思いついた。

 そうだ、ジュダス先輩だ。先輩がいるじゃないか!

 友人達に話せば危険に巻き込んでしまうから話せないし、他の先生方には信じてもらえるかどうか分からない。

 でも、でも先輩ならきっと信じてくれるし、実力もハロルド先生の授業のサポートとして呼ばれる程にはある。きっと、先輩ならなんとかしてくれる。

 私はそう思い、丁度挨拶を終えて一人佇んでいた先輩のところへと向かった。


「あの……先輩」

「ん? どうしたんだいレイ君。ダンスまではもうちょっと時間があるけど」

「その……ちょっとお話したいことがあるんです。今少しいいですか? できれば、誰にも話を聞かれないところで」

「……何か大切な話のようだね。分かった、この近くにあまり使われていない小さな休憩室がある。パーティが開かれてる今、そこを使っている人はきっといないだろう。そこに行こう」

「はい」


 そうして、私は先輩に連れられ、パーティ会場から階段を登ってその休憩室へと向かった。

 休憩室は先輩の言った通り人が一人もおらず、照明も灯されていない関係でとてもさみしい印象を受けた。


「念の為、鍵をかけておこうか。確か鍵は……ああ、あった。ここだここ。上級生でも限られた人数しか知らないんだよね、この鍵」


 そう言って先輩は二人きりになった休憩室に鍵をかけ、ついでに机の上に置いてあったランプに灯火を付けて、ぼんやりとした明かりで室内を照らした。

 そしてそのランプのすぐ側の椅子に座る。


「それじゃあ、聞こうか。話ってなんだい?」

「はい……実は――」


 私もまた先輩の正面に座る。そして先輩に話す。私が知った、衝撃の事実の事を。

 先輩は私の話をじっくりと聞いてくれた。茶化すこともなく、静かに。


「なるほど……」


 そして、すべてを聞き終えた先輩は、椅子をゆっくりと立ち上がって、窓に近づき外を見る。


「普通は信じられない話だけど、どうやら君は嘘を言っている訳ではないようだね」

「は、はい!」


 信じてくれた……! 先輩は、私の話を信じてくれた!

 よかった……普通は信じてもらえないような話だ。それを信じてくれるなんて、さすが先輩だ!

 私は心から安堵する。これなら、きっと先輩が何か解決策を提示してくれるかもしれない。

 そうも思ったからだ。

 だが、次のジュダス先輩の言葉は、私の予想だにしていなかった言葉だった。


「しかし、先生も迂闊だな……誰かに聞かれる可能性のある場所で交信を行うなんて……まあでも、今夜はパーティの夜だ。人が来ないと予測していてもおかしくはないか。とは言え、もうちょっと気をつけてほしかったが」

「……え?」

「しかし、俺達の計画を知ったのが君でよかったよ。君は後先考えずに迂闊に色んな人にこの事実を口外したりしないだろうからね。その証拠に、君は恐らく一番信用している俺のところに来た。これは、俺にとってはラッキーと言うべきかな」

「……せ、先輩。何を、言って……?」


 私は立ち上がって先輩に近づく。ありえない。そんな馬鹿な。

 すると先輩は振り返る。

 その顔は、笑っていた。今まで見たこともない、邪な笑みで。


「ふっ、聡明な君ならそう問いかける理由もないんじゃないかな? もう分かっているんだろう?」

「わ、分かりません……! 分かるわけ、ないじゃないですか……!」


 そうだ、ありえない。きっと先輩は私をからかっているだけなんだ。

 だって、もしそうじゃなかったら、私は認めないといけない。

 ジュダス先輩が、実は――


「やれやれ、感情というものは面倒だな。はっきりと言ってあげよう。俺とパイアス先生は、繋がっている。この国を転覆させる第一歩として、共にこの学校を占拠しようとしているんだよ」

「っ!?!?」


 ……嘘だ。嘘だ嘘だ嘘だ!


「嘘じゃないよ。俺はずっと昔から先生と共にこの国の転覆を狙っていた。前に言っただろう? 先生は俺の家庭教師だったと。その頃から、俺はパイアス先生の英才教育を受けてきたのさ。革命家としてね」

「そ、んな……」


 ジュダス先輩の言葉は確かに現実で、私の耳にしっかりと届いてきた。

 それが、否応なしに私に現実だと伝えてくる。


「なあ、レイ君……」


 ジュダス先輩は、そっと私の手を握ってきた。そして、私の目をじっと見つめる。


「もしよければ、君にも手伝ってほしいんだ」

「私、に……?」

「ああ。この帝国の支配は腐敗している。実力主義と言えば聞こえはいいが、その実は弱いものを切り捨てる冷酷な国家だ。強く富めるものだけが上に上がり、弱く貧しいものは虐げられる。君ならこの現実がよく理解できるはずだ。なあ、レイ君。共にこの国の過ちを正そうじゃないか。そうすれば、俺はずっと君の側にいることを約束しよう。極上の快楽を与える約束をしよう。二人で、革命の勇士として歴史に名を残すんだ」


 優しい相貌の先輩が私にささやく。

 先輩の言葉は甘く、優しく、私の耳に届いてきて。

 何も考えずに、身を任せたくなる魔力を持っていて。

 でも、私は――


「……お断り、します……!」

「……ほう?」

「無闇に多くの人を混乱させ、苦しめる戦争という手段を、革命という手段を取ろうとするあなた方を、私は肯定することができません……! この国のあり方に異を唱えたいなら、もっと別の手段があるはずです! それに、私は公爵令嬢……この国を裏切ることなんて、できません……! 分かって下さい、ジュダス先輩……!」

「……そうか。よく分かったよ」


 先輩は私の言葉を聞いてうつむく。

 もしかして、分かってもらえたのだろうか?

 私は一瞬そう思う。

 だが、次の瞬間――


「君は思った以上に使えない、という事がね」


 先輩は、私を勢いよく床に向かって突き飛ばした。


「きゃっ!?」

「レイ君、君はどうやらただの色ボケた女じゃないらしいね。とても残念だよ。でも、俺らの目的を知って、それを拒絶すると言うのなら、君の口をここで封じるしかないな」


 そう言って先輩は、虚空から剣を取り出し――空間魔術の一つだろう――私に突きつける。

 その際に、私のドレスのスカート部分が少し切られ、私の素足が露わになる。


「……っ!?」

「それじゃあレイ君。とても残念だが――」

「――まあ待ちなさい」


 と、そこでどこからともなく声がした。

 そして、何もない虚空に突然赤い色の輪――ポータルが現れ、そこから人影が現れる。パイアス先生だ。


「これはパイアス先生。待てとはどういうことですか? 今すぐにでも口封じをしたほうが」

「そう短絡的なのは君の悪い癖ですよ。いいですか、ここでこの子の口を封じることは得策とは言えません。それに、この子にはまだ利用価値がある」

「利用価値?」

「ええ。……ねえ、レイ君。君は確かに公爵令嬢として、この国へ忠義を尽くしていることでしょう。ですが、それは大事な友達を庇ってまで尽くす忠義なのですか?」

「っ!?」


 この人、何を言って……!?


「もし君が拒めば、君の大切な友人達や家族に……何らかの不幸があるかもしれませんよ? もし君が協力してくれると言うのなら……私達は君と君の友人達の安全を保証しましょう」

「……卑怯な……!」

「ええ、卑怯で結構。ときには卑怯であることが、勝利への道ですからね。……そうですね、一週間あげましょう。一週間後の夜零時に、今は使われていない旧校舎の裏庭に来て下さい。そこで、君の答えを聞くとしましょう。……よい答えを、待っていますよ」


 そうしてパイアス先生は、彼が生み出したポータルの中へと姿を消す。

 先生に続いて、ジュダス先輩もそのポータルに入っていく。

 その際、ジュダス先輩は私に言った。


「……自分に正直になることだな。俺達に手を貸すだけで、すべてがうまくいくんだから」


 二人はそうして休憩室から消えた。

 部屋には、ただ一人尻もちをついた私だけが残った。

 私はゆっくりと立ち上がろうとする。だが、足に力が入らず床に手をついてしまう。


「……うう……あああ……そんな……そんな……うあああああああああああああああああっ!」


 私はそのまま叫んだ。涙を流し叫ぶことしか、できなかった。

 私の慟哭は誰もいない部屋に静かに溶けていった……

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る