皇子VS執事見習い

「や、やり過ぎたあああああああっ……!」


 大臣の家から帰って翌日の朝、私は前日の自分の行いを思い出し、とても恥ずかしい気分になってしまった。


「冷静になって考えると……私の行動、淑女も何もないじゃないか……!」


 途中まではうまくいっていたんだ途中までは。

 しかし、困っている女の子を見ると、つい昔の血が騒ぎ出し、あんな行動を取ってしまった。


「もっといろいろやりようがあっただろうに……私の馬鹿! 馬鹿! 馬鹿!」


 一緒にお手洗いに行って終わるまで慰めてあげるとか方法はいろいろあったのに、どうしてよりによって男性的な行為を選んでしまったのか。

 せっかく女の子らしい生活を送れるチャンスだと思って、転生に気づいたときに心に決めたといいうのに……!


「……思い返せば、私そんな淑女らしい行動してない?」


 まだ記憶を取り戻して間もないが、どうにも私は所謂「王子様」ムーヴをしてしまっている気がする。

 おかしい。これは絶対おかしい。

 どうにも、魂に染み付いた本能というか、そう天から定められた条件というか、そういうのがある気がする。

 私の意思に反して、私の心は「王子様」を求めている。そんな感じがするような……。


「これって、もしかしてわりとまずいのでは?」


 心が思い通りにいかないというのは、なかなかにまずいのではないのだろうか。

 少なくとも、転生前はここまでひどくは……ひどくは……いや、これぐらいだった気もするなぁ……。


「うーん……」


 どうだっただろう……正直自分の行動すべてを覚えているわけではないし、大体が素でやっている行為なので今と昔とで比べることがうまくできない……。

 まあ、一言で行ってしまえば「気質」なんだろうが……。


「……うん、まあとにかく、これからは気をつけよう」


 そうだ、これから気をつければいいだけの話だ。

 これからはもっと女の子らしく、もっと淑女らしく。

 そうした行為を注意して行っていけば、きっと女の子らしくなれるはず。

 私はそう心に決めると、朝の準備に取り掛かるのであった。



 そうして朝の準備を終え、その後の朝食も終えた私に、自由な時間がやって来る。

 今日はマリアンヌ先生からのレッスンもない、何もない日だ。

 どうやって過ごそう。


「おはようございます、お嬢様」

「ん? ああ、おはようダグラス」


 そんな私に、ダグラスが朝の挨拶をしてきた。

 どうやら昨日言ったことをちゃんと継続しているらしい。


「いい朝だね。天気もいいし、いい一日になりそうだ」

「そうですね。それで、今日はどんなご予定で?」

「そうだな……こんなに天気がいいなら外で運ど――」


 と、そこまで言いかけて私は口をつぐんだ。

 いけないいけない、女の子らしい生活を送ると決めたばかりじゃないか。それがさっそく外で運動だなんて、いきなり道を踏み外すところだった。

 いや別に運動が女の子らしくないと言っているわけではない。ただ、私の目指す女の子らしさからはかけ離れているだけであって。

 だから、今日は私の目指す女の子らしい生活を目指してみようと思う。


「……んんっ! 天気がいいから外の庭で本でも読もうかな」

「……? はぁ。わかりました。じゃあ書斎に行って本を見繕うのを手伝いましょうか」


 ダグラスは言い直した私に少し不思議そうな顔をしたが、気を取り直してそう言ってくれた。

 ああ、配慮の効くいい執事だなぁ。


「ありがとう。そうしようか」

「ええ」


 そうして私達は一緒に書斎に向かった。そして、適当に私が読みたい本――だいたいが物語だ。それも恋愛小説――を選び、ダグラスに持ってもらって二人で庭に出た。

 庭は住み込みの庭師によって整備されており、とても綺麗だ。綺麗に刈られた芝生、すくすくと育った木、美しい花々のある花壇、それらを一望できるテラス。

 私はこの庭が好きだった。運動するなら裏庭のほうが一目につきにくいため適しているが、ゆっくりと過ごすならこちらの庭のほうがいいだろう。


「じゃあ、あそこで本を読もうか」


 私は庭の奥を指差す。そこには、大きな樹木があり、その下に小さなテーブルと椅子が置いてあった。


「わかりました」


 ダグラスが答え、本を運んでくれる。私は椅子に座り、ダグラスがテーブルに置いてくれた本を手に取る。


「ダグラスも立ってないで座ったらいいよ。何なら、一緒に本でも読もうじゃないか」

「え? いや、でも俺は……」

「……あ、もしかして恋愛小説は苦手かい? なら、好きな本を取ってくるといい。父達には後で私から言っておくから」

「……いや、遠慮しておきます。今日は、ゆっくりお嬢様の横顔でも眺めさせてもらいますよ」

「ん? そうか? なんだか不思議な奴だな」


 私の横顔なんて見ていても面白くないと思うのだが。

 まあでも、ダグラスがそうしたいと言うのなら無理に付き合わせる必要はないか。

 私は頷くと、さっそく本を読み始めた。

 この世界での小説は、私にとっての大切な娯楽の一つだ。

 当然だが、この世界には漫画などはない。まあ、前世でもそんなに熱心に読んでいたわけではないのだが、だいたい暇つぶしに使うのは漫画だったので、少し寂しい気持ちもあった。

 小説は、そんな私の娯楽への欲求を満たしてくれるため、重宝していた。

 それに、小説を読む令嬢なんて、まさに女の子らしいと思うし。

 まあ、これは少し邪な動機な気もするが。

 ともかく、私はしばらくそんな風に本を読んでいた。ダグラスは、そんな私の側にいてくれ、時折、お茶などを運んできてくれた。

 そんな風に、私は何もない一日を過ごしていた。

 だが、読書で終わるはずだった私の一日は、一旦昼食のために屋敷に戻り、さて本の続きを読もうと庭に戻ってきたときに、一変することになる。


「お嬢様」


 庭に戻ろうとした私に、カレンが話しかけてきた。


「ん? なんだいカレン」

「お客様がお見えになりました」

「お客様? 父や母じゃなく、私にかい? ……あ、ということはもしかして」

「はい、そのもしかして、です」

「?」


 私はカレンの言葉から察する。

 一方で、ダグラスは分かっていない様子だった。

 私はダグラスを連れて玄関へと向かう。そこにいたのは、私の予想通りの客人だった。


「レイ! 久しぶりだね!」

「やあアレックス皇子。随分と突然だね」


 来ていたのはアレックスだった。アレックスが遊びに来ることは、もう珍しいことではない。

 しかし、大抵はアポを取り付けてくるのでアポなしで来るのはさすがに珍しかった。

「ふふ、レイを驚かせたくて。突然じゃまずかった?」

「いや、そんなことはないよ。確かに、少し驚いた」

「そう! ふふっ!」


 アレックスは可愛げに笑う。相変わらず、無邪気な皇子だ。でも、以前よりもずっと笑顔が増えたように思える。それはきっと、いい事なのだろう。

 と、私がそんなアレックスを見て微笑んでいると、アレックスは私の背後を見て頭に疑問符を浮かべていた。


「レイ? その後ろの子は? 給仕服を着ているようだけど……」

「ああ、紹介するよ。彼はダグラス。カレンは知っているね? 彼はカレンの弟で、うちに執事見習いとして働いているんだ」

「なるほど……よろしくね、ダグラス」

「はい、よろしくお願いします、アレックス皇子」


 アレックスはダグラスに手を伸ばし、ダグラスはその手を掴んで握手をする。

 うん、仲良くなれそうじゃないか二人共。


「それじゃあ、どうしようか。私はさっきまで庭で本を読んでいたのだけれど」

「庭で本を? へぇ、なんだがレイらしくないね」

「うぐっ!」


 またダイレクトに言ってくるなぁアレックスは……確かに、今までの私らしくないかもしれないが、私は女の子らしくすると決めたんだ。これぐらいじゃ挫けない。


「まあ、私も少しはレディらしくしようと思ったんだよ」

「へぇ。まあいいや。だったら僕も付き合うよ」

「いいのかい? 退屈じゃないか?」

「そんなことないよ。レイと一緒なら、何だって楽しいさ」

「そうか……じゃあ、行こうか」


 私はアレックスと一緒に庭に向かうことにした。だが、二人で歩き始めたとき、ダグラスが少し遅れていた。

 私は、なんだがそれが気になった。


「ダグラス? どうしたんだい? ちょっと歩くのが遅れているようだけど」

「……な、なんでもないです」

「ん? そうか……」


 ダグラスがなんでもないと言うのならそうなんだろう。私は疑問を置いておいて、みんなで庭に向かった。

 庭につくと、さっそく私は座って本を広げた。椅子は二席しかなかったので、ダグラスにもう一席持ってきてもらうことになったが。

 そうして私達は座り、一緒に本を読む。読み始めた最初の頃は、平和な時間が流れていた。

 何かを喋るわけではないが、三人で一緒の時間を過ごす。それはとても心地良い時間に思えた。

 そんな中、一度ダグラスが席を外した。そのときダグラスはこう私達に言った。


「そろそろ喉が乾いてきたと思いますし、お茶とお菓子を持ってきますね」

「ああ、ありがとう。さすが気が利くね」


 私はダグラスにお礼を言い、その後姿を眺める。そしてダグラスが屋敷の中に消えて少しした後、ダグラスは丸いトレーにお茶とお菓子を乗せてやって来た。


「おっ、この香り、レモングラスティーかい? それに、お菓子はいちごのタルト。どれも私の好きなものじゃないか。よく知ってたね」

「ええ。何せ、俺はお嬢様と“ずっと一緒に”いますからね。それぐらい分かりますよ」


 なんだがダグラスは「ずっと一緒に」を妙に強調して言った。それに、それを言うとき私のほうじゃなくてアレックスのほうを見ていた気がする。

 いや、気のせいだよねさすがに……。

 と思っていたら、今度はアレックスが口を開いた。


「へぇ……ずっと一緒にねぇ」


 なんだろう、顔は笑っているのに口調には妙なトゲがあるような気がする。

 すると、ダグラスがアレックスに返した。


「ええ、俺は何せお嬢様お付きの執事見習いですから。これぐらい、把握していて当然ですよ」

「ふーん……へぇー……」


 あれ、なんかおかしいぞ。

 具体的には何がとは言えないが、何かがおかしい。

 なんというか、空気の色が変わった。そんな気がした。


「でも、レイと会ったのは僕のほうが早いんだよなぁ。それに、レイは僕を助けてくれた。つまり、レイと僕は特別な出会いをしたんだよ」

「助けてもらったって、それはどうどうと言うことでしょうか? 恥ずかしくないんです? 男として?」

「あ、あの――」

「まあ確かに恥ずかしいね。でも、それでレイと出会えたし、今は貴族らしい人間を目指せるようになったから、感謝しているよ。君こそ、レイとはずっと一緒なんて言ってるけど、ただそれだけじゃないのかい? 本当にレイの事、分かってるのかな?」

「二人共――」

「もちろん。お嬢様はとても気高い人ですから。人としての素晴らしさなら、俺の姉さんに勝るとも劣らないと思っていますよ」

「ちょっと落ち着いて――」

「ふん! 語るに落ちたね! レイを他の誰かと比べようだなんて! レイはね、そんな他人と比べられるような人じゃないんだ。それを分かってないなんて、君もまだまだだね」

「…………」

「…………」


 二人はついに笑うこともやめ、視線をバチバチと交わしている。

 ダグラスは立ったままで、アレックスは立ち上がって、お互い睨み合っている。

 あれ? これって結構まずくない? なんで会ったばかりでそんな険悪な空気になってるの? なんかやたら私の話題が上がってたけど、もしかして私のせい? そ、そんな馬鹿な事が――


「レイっ!」

「お嬢様!」

「は、はいっ!?」


 二人が同時に私を呼ぶ。私はそれに思わずビクリと体をこわばらせ、立ち上がる。


『どっちと一緒がいい!?』

「……はい?」


 二人がまたも同時に言う。一緒って……どゆこと?


「えっと……質問の意味がよく分からないのだけど……」

「だから、どっちと一緒にいるのが好きだって聞いているんだよレイ!」

「そうです! こんなぼんやりとした皇子より、俺の方がいいに決まってますよね!」

「そんなことないよねレイ! こんな奴より、僕のほうが一緒にいて楽しいよね!」

「えっと……それは……」


 何を突然聞いてくるんだこの子達は。ちょっと想定外の事態だぞ。

 あー、でも昔こんな事あったなぁ。女の子二人が、同時に付き合って下さいって言ってきて、自分のほうを選んでって言い寄ってくるの。

 あのときは相当参った……一応二人共ごめんなさいしたけど、その場をおさめるのに随分と時間がかかった。

 今回は……ごめんなさいはなんかおかしな話だよなぁ。多分二人共友達として一緒にいたいっていう事だろうし……だからと言って片方を選ぶのも後々わだかまりを残しそうだし……。


「さあ!」

「どっちを!」

『選ぶっ!?』


 二人が詰め寄ってくる。うう、二人の視線が痛い……!

 ど、どうしたら……。


「っ!」


 と、そのとき私は光明を見出した。その私にとっての光は、偶然テラスに現れていた。


「……っ!」


 私はその光の元へと駆け出す。二人は驚いて私の方を追いかけてくる。


「彼女かなっ!」


 そして、私はその光に抱きついた。


「えっ? お嬢様? どうしたんです?」

「私が一緒にいて一番楽しいのはそう、カレンだ! カレンはおはようからおやすみまで私の面倒をずっと見てくれる、私の大事なメイドさ!」


 そう、私にとっての光とはカレンだ。選択肢は何も二つというわけではない。第三の選択肢を選んでもいいはずだ。

 それに嘘は言っていない。カレンは私にとって大事なメイドだ。友達……とは言えないかもしれないが、ずっと一緒にいて心地いいというのも確かだ。


「……うぐっ! カレンさんに負けたか……!」

「くっ……でも、姉さんなら仕方ないか……」


 二人ががっくりとうなだれる。私は内心なんとか平和に収まったことにガッツポーズした。


「え? え?」


 一方カレンは、何が起こったかよくわからないと言った顔をしていた。

 ごめんカレン、後で何か埋め合わせするから。

 とりあえず、その日はそれで平和的に解決し、事なきを得たのであった。

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