最終章

01 新人と忘れ雪


 渚が美喜に謝ってふたりは仲直りしたらしい。

 それからというものの、美喜と渚は一緒に元気そうな笑顔を浮かべて、『メイドォール』へと再び通い始めていた。

 しかし今は美喜だけが、『メイドォール』のカウンター席に座っている。成実と萌相手に、雑談に花を咲かせている。


「そうだ。私ね、バイトをすることにしたの」


 切り出すように言うと、成実がいち早く反応した。


「撮影助手的な?」

「うん。彩乃さんの所で、カメラマンの見習いとして働くことにしたの」


 あれから何度か美喜と彩乃は、喫茶店で会うたび雑談を交し合っていた。その中で美喜の写真を撮る技術が、彩乃なりに光るものが見えたらしい。そして、彩乃の勤める会社でバイトとしての入社が決まっていた。


「優美ちゃんと彩乃さんには、感謝しないとね」


 優美は首を横に振る。


「いえいえ、いいのよ。姉も負担が減って喜んでるし、むしろこっちが感謝してるわ」

「大学を通いながらは大変ですけれども、その分得られるものも増えますし、大きくなりますわ。体を壊さないよう、精進なさってくださいまし」


 萌のエールに、美喜はありがたく受け取りつつも、同情の目を向けてしまう。


「茂さんも大変ですよねぇ……」

「ええ、まったくです。仕事なんて辞めてしまえばよろしいのに」


 萌は少し影のある笑みを満面に広げる。


「ちょっとちょっと、萌さん中身が出てるって!」

「ふふふふ」


 成実が注意するも、萌は意味あり気に笑うだけだ。


「美喜さんもすっかり慣れたみたいで」


 優美が苦笑する。美喜は目じりを下げてコーヒーをすすった。


「それはそれ、これはこれで割り切れるようになると、楽しいことがわかったの」

「精神的にたくましくなりましたね」

「嫌だなぁ、ならざるを得なかったの」


 美喜のおどけ混じりのひと言に、みなの笑い声がフロアに響き渡る。


「おい、優美」


 名指しで呼ばれた優美が顔を向けると、郷子が厨房内から手招きをしていた。


「はーい、今行きます」


 優美が厨房内に足を踏み入れる。作業台の上には、お盆の上に載ったチョコレートパフェがあった。


「最近、奴を見かけないな」

「奴、と言いますと?」


 お盆を持ちながら優美は訊き返す。


「渚のことだ」

「あー。こっちにこないだけですよ。なんか用事があるみたいで。でも、最近はうちに来るんですよねぇ。昨日もうちに来て、姉とこそこそやってましたね。ま、大丈夫だと思いますけど」


 優美は大したことなさそうに、笑って受け流す。


「おまえの姉貴とこそこそ……?」


 表情が苦虫をつぶしたものになっていく。


「なあ、嫌な予感がしないか?」

「嫌な予感? まさか……浮気?」


 コツン、と麺棒の先が優美の頭を見舞う。


「おまえと豪(たけ)のバカ、幸せすぎて脳みそが鈍化してるな。今にとんでもないことが――」

「優美ちゃんに郷子さん、店長が今来て知らせたいことがあるって!」


 店内から成実の呼びかける声が聞こえてきた。


「はーい! なんでしょうね?」

「もう手遅れかもな……」


 優美には郷子が嘆く理由がわからなかった。




 * * *




「やあやあ、みんなおはよう」


 店長の島も、彩乃にフラれた傷心が癒えて、今では以前の明るさを取り戻していた。


「なんですか? 知らせたいことって」


 成実が目を輝かせている。


「想像できませんわね」


 萌が小首をかしげている。


「私もなんなのかさっぱり」


 優美も首をひねっている。


「……」


 郷子は無言で腕を組んでいる。


「あの、席をはずしたほうがいいですか?」


 美喜が気を遣って島に尋ねた。


「あ、いいよ。そのままで。美喜ちゃんにも関係あることだから」

「え? なんだろう……」

「それじゃ、入ってきていいよ!」


 開け放たれている出入り口のドアに向かって島が呼びかける。


「やっぱり、か……」


 やれやれと言わんばかりに、郷子は額に手を当てる。


「……」


 郷子以外はただただ驚き、言葉が頭に浮かばない。口を開けているだけである。すると、みんなの視線の先にはメイド服姿の渚が入ってきた。


「メイド姿では初めまして。今日からみなさんとともに働かせていただくことになりました、渚です! よろしくお願いします!」


 渚は丁寧にお辞儀をする。


「はい、みんな拍手拍手」


 島が拍手を求める。

 客はともかく、優美たちは呆然と手を打ち鳴らしたのだった。




 * * *




 閉店時間の30分前には島が、店長自らの音頭で店じまいした。

 一同は、渚の歓迎会が行われるいつものファミレスへ向けて歩いている。

 ちなみに、美喜も招待されていたが、用事があるため直行することになっていた。

 豪篤と渚は、みなから距離を取って並んで歩いている。

 豪篤は怪訝な顔をして渚の横顔に目をやった。


「みんなはあえて触れないようにしてたけど、何か企みでもあるのか?」

「実は義姉(ねえ)さんが、『メイドォール』で働いてみたらって提案してきたの」

「あのバカ、余計なことを……」


 豪篤が嘆いてみせるが、時すでに遅しである。


「そうだ。おまえ、受験は? 美喜さんと同じところを受けるんだろ。油売ってていいのかよ」

「調べたらまだまだ先だから余裕よ。あとね、アンタと違って地頭(じあたま)がいいの。過去問も楽勝だったし、大丈夫」

「なら、いいけどさ」


 しかし、豪篤はあることに気づいた。


「姉貴は店長をフッて、実質絶縁状態だったんじゃないのか? というか連絡先はどうやって仕入れた?」

「茂勝さんからメルアドを訊いて教えたよ。で、何がどうなったのかわからない。けど、何回か交換してるうちに、仕事の面で店長と意気投合しちゃったみたい」

「じゃあ、今日のおまえの歓迎会にも姉貴はいるってことか」

「そうだよ」

「あーあ、マジかよ……」


 痛む頭を押さえて豪篤は、憐れみの表情を隠せなかった。


「渚はいいのか? 結果的に、姉貴が無理矢理働かせるようなもんだけど」

「いいよ。男性恐怖症の克服のためだと思えば、ね。あと、前からメイド服を着てみたいって気持ちもあったの。……それに」

「それに?」


 渚は珍しく顔を赤らめて照れた口調でつぶやいた。


「豪篤と優美といっしょにいる時間を増やしたいから」

「……そっか。そういうことならいいかも。俺も大学の講義に支障が出ないように調整しないとな」


 豪篤は片手で渚の肩を引き寄せる。渚も豪篤の肩に頬を当てた。

 そのとき、ふたりの目の前に、はらりはらりと雪が落ちてきた。 


「3月に入ったのに珍しいね」 

「ああ。でも、今年はまだ寒いからな」


 雪は少しずつ量を増やし、なおも降り続く。

 季節遅れのそれはまるで、ふたりを祝福しているかのようだった。




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