07 意を決して

 泣きやんだ渚と優美は河川敷に下りる階段に並んで座り、大まかにちぎれた雲の多い空を見上げている。

 所々から赤く輝く太陽の光が地上に射し込んではいるが、風がちょっと吹けば寒いものは寒い。

 優美は寒さに少しの身震いを感じつつも、重い口を開いた。


「渚のプレゼントや誘いを、最初のほうで断りきれなかった私にも責任はあるわ。放っておいた罪の重さも認める。私もあのときどうすればいいか、わからなかったもの」


 渚の目が少し腫れぼったくなっているが、穏やかな笑みをくずさず首を横に振った。


「優美が謝ることないじゃない。全面的にあたしが悪いの。またあたしの話になってしまうけど、過去に何人もの女の子と付き合ってきた。だけど、それはあたしが男役として。それなりに背が高いせいで、あたしがしっかりしなければならないんだ。甘えちゃダメなそんな雰囲気」


 切なげに眉をしかめ、目をすがめた。


「あたしだって、誰かに甘えたかった。でも、甘えようとするとケチをつけられたり、ひどいときは罵声を浴びせられたこともあった。相手が悪かったのしれないけど、自己中のわがまま女ばっかりで、人間関係に疲れちゃった。高校には行ってたけど誰とも喋らず、さっさと家に帰るとすぐ部屋にふさぎこんで、ネットをしてた」


 虚空を見上げ、口元を意地悪気に吊り上げた。


「それから街中で豪篤にナンパされて、ああ男だけどこいつならいいかもと思ったけど、1週間でフッたのがさっきまでの話。それからはネットの世界に出会いを求めた。で、出会ったのが美喜だった」


 美喜との出会いが相当うれしかったのだろう。目元と頬がだらしなさ一歩手前まで緩む。


「美喜はあたしを甘えさせてくれた。見た目は子どもっぽいけど、精神的にはすごい大人で……あ、でもときどきは本当に子どもっぽくなるのよ? とにかく、ずっとそばにいても飽きないし、安息の地を見つけた思ったんだけど」


 横目で一度見やってから、優美のほうに体を向けた。


「あの日、優美に会ったおかげで、あたしはすっかり盲目状態になった。見苦しい言い訳になるけど、自分よりも高身長で美人の黒髪ロングが弱点なのね。しかも褐色肌のおまけつき。そうくれば今までの分のストレスと欲望が大爆発。何がなんでも振り向かせたくて、美喜を頭と眼中から消してしまった」


 これまで黙って聴いていた優美が、気になっていたことを言った。


「それが原因で美喜が渚の目が濁っていたって言ったわけね」

「美喜にはそんなふうに見えたのかも。とにかく、24時間ずーっと優美のことしか考えられなかった。今は落ち着いたよ。美喜や優美の店の人たちにも謝らなきゃと思う。でもさ、これからも優美のことを好きでいてもいい?」


 哀願するように言われては仕方がない、と、優美は快く承諾した。


「いいわよ。……でも、本当のことを知ってからにしたほうがいいかもね」


 真剣なまなざしを渚に送る。


 ――ついに言うのか。

(今しかないじゃない)

「何か隠してることでもあるの?」

「ついてきて」


 優美は階段を下りていく。

 渚も頭に疑問符を載せて、あとに従った。

 水飲み場に立った優美はいたって真面目に、命令のような言葉を言い放った。


「私がいいって言うまで、あっちを向いていること。いいわね」

「う、うん……わかった」


 渚は言われるがまま優美に背を向けた。

 背負っていたリュックをかたわらに下ろし、大きめの紙袋を取り出して広げる。

 パチパチとカツラと髪の境目の留め具をはずし、カツラを腕で巻いて紙袋の中に突っ込む。

 カツラをはずした瞬間から人格が入れ替わって、今は豪篤の状態で事を進めている。

 渚が不意に振り向かない限り、とりあえずは大丈夫だろう。

 豪篤はリュックから手鏡とタオルを取り出して手元に置く。


(よし、これでいいな)

 ――冷たいというより痛いわよ?

(仕方ねぇだろ。やるっきゃねえさ)

 ――頼もしいわね。


 豪篤は蛇口をひねる。水量を調整しつつ両手ですくう。腰をかがめ、それを顔面に何度もぶち当て、ひたすら化粧を落とし続けた。

 顔面どころか全身が寒さで震えてくる。しかし、豪篤は耐えに耐えた。ガチガチ鳴りそうな歯を、舌先を甘噛みすることで押さえる。とめどなく出る鼻水は水といっしょに流し、化粧を落とすことに集中した。


 ――そろそろいいんじゃない?


 タオルで顔を拭いて手鏡で確認する。化粧はすっかり全部落ち、豪篤の素顔が映っていた。


(ああ、完璧だ)


 ポケットから出したティッシュで鼻をかんで、ゴミ箱に投げ入れた。


 ――あとは頼んだわよ。

(任せとけ)


 豪篤は目をつぶり、高まりつつある心臓の音を、深呼吸を数回行うことで抑えようとした。


(ふー、よし!)


 少しは治まったところで、最後に頬を手のひらで強めに張る。渚の背に寄って肩を指先でたたいた。

 振り向く渚。すぐさま目が点になり、驚愕が顔面に貼り付けられている状態となった。


「優美は俺なんだ」

「え……?」 




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