05 変わる努力、変われる勇気

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「俺は君のことが好きだ! 付き合ってくれ!」


 ステージ上に学生服姿の男とセーラー服姿の女が、向かい合うように立っていた。

 一拍間を置かずして男の声のナレーションが不意に流れた。


『春、卒業式が終わって、桜が舞うころ』


 セーラー服姿の女が驚いた顔をした。


『俺は、ひとりの女の子に告白した』

「……ごめんなさいっ! 陸(りく)くんとはそういう関係になれそうにないの。お友達からでもいい?」

『そして、あっさりとフラれた』


 照明が消えて、女が舞台袖に退く。照明が明転すると、うなだれた陸の肩に手を置く学生服姿の男がいた。


「そっかー、海(うみ)ちゃんにフラれちゃったか」


 陸は納得のいかないとばかりに、拳を地面に打ちつけている。


「せめていっしょの高校だったら、チャンスはあったんだけどな」

「隆志(たかし)……俺は諦めたわけじゃないぞ」


 陸の悔しさを滲ませた地を這う声に、隆志は自分のことのように驚喜した。


「お、また告白するのか!」

「おう、このままフラれたままで終われねぇってんだ! 俺には海ちゃんしかいない。何度もフラれても告白し続ける!」


 顔を隆志に近づけて宣言する。


「男だなぁ……いや、漢字の漢で漢(おとこ)だよおまえは! がんばれよ! 俺も遠くに行っても応援するから!」


 隆志は陸の背中をしきりにたたいている。


「遠くって……おまえは同じ高校だろ」


 照明が消える。ここで陸のナレーションが流れた。


『このあと海ちゃんは女子高に、俺はごく普通の共学校に進学した。結論から言うと、俺は高1、高2も同じ時期に告白したけどダメだった。だけど、高2の告白のあと――』


 照明が点く。さっきとは違う制服を着た陸と海が、ステージの中央で向かい合っている。

 海は思いつめた表情で陸を見据えていた。


「……私、男性恐怖症なの」

「え……ええ!?」


 陸は驚き、口を開けたまま何も言えない。 


「とは言っても、陸くんのおかげでだいぶ改善したほうだけど」


 海は慰め程度の微笑みを浮かべる。


「で、でも、いろんな所に遊びに行ったじゃないか! 手もつないで歩いたし、腕も組んだ!」

「でも、それ以上のことはしてない……」

「そ、それは……」


 陸は拳を震わせてがっくりとうなだれる。


「俺に勇気がないからだ……!」

「ううん、私が望んでいないだけ。陸くんはそれを心の中で察してくれてる。だから、行動に移せない」

「そんなことない、俺にだって!」


 海の両肩をつかみ、真正面から向き合う。

 陸の顔と海の顔が狭まっていく。が、鼻先が触れ合いそうなところで、ふたりの動きは止まる。


『俺と海との間に見えない壁でもあるかのように、何かが阻んだ。顔がこんなにも近くにあるのに、触れられる距離が遠い』

「ごめんなさい!」


 海が今にも泣きそうな声で言い、ビンタを陸の頬に喰らわせる。

 その衝撃で肩をつかむ力が弱まり、海は肩を動かして振り払い、去って行った。

 照明が消え、少しの間ののち点く。あぐらを掻いている陸の隣に、私服姿の隆志があぐらを掻いていた。


「また、フラれたのか」

「ああ……しかも今回はビンタのおまけつきだ」

「あちゃー」


 隆志は天井を見上げ、顔の上に手のひらを落とす。


「さらに言われたのが、男性恐怖症だってことだ」

「それってもう、救いも望みもないじゃん……」

「だけど、俺は諦めたくない」


 何かを決意にしているのか、口調によどみがない。思わず陸を見返す隆志。


「どうするつもりなんだ?」

「明日からバイトを始める。金を貯めなきゃ、なんにもならんからな」

「確かにそれはあるけど……何を考えているんだ?」

「時期がきたらわかるさ」


 照明が落ちる。舞台袖のほうからチェーンの回る音がしてきた。照明がパッと灯る。


「えーっと次は岩中(いわなか)さんだな」


 陸が押してきた自転車のカゴには、折られた新聞紙が大量に入れられていた。

 ここでナレーションが流れ出し始める。感情が今まで以上に込められ、噛みしめるように読まれていた。


『俺の高校生活最後の年は、学業と労働に明け暮れた。同級生とは遊ばず、海とはあの日から一度も会わなかった――』


 ナレーションの速度とは対照的に、暗転と明転が活発になった。

 明転すれば陸は、制服や作業着や着ぐるみなどを着て、何かしらの動きやセリフを言う。


『――就職活動などは眼中にない。ただひたすらに、あの日芽生えた目標に向かって突き進むのみだった。そして――』


 7、8度目かの暗転はそれまでよりも長かった。やっと点けられたと思えば、陸と海のぎこちなさそうな姿があった。


『去年と同じ日になった』


 海が目を伏せたまま訊く。


「どこかに行くの?」


 背中に大きなリュックサック、片手にはこれもまた大きなスーツケースが引かれている。


「ああ、永遠にさよならだ」


 陸が満面の笑みで言うと、すぐに背を向けた。


「海、元気でな」


 それ以上何も言うこともなく振り返りもせず、陸はその場から消えていく。

 残された海は、力なくへたり込む。それから、声が枯れるまで泣き続けた。

 照明が徐々に消えていく。照明が完全に消えたころには、海の泣き声もやんでいた。

 スポットライトが点くと、手術台の上に仰向けになっている手術衣姿の陸があった。

 かたわらには、青みがかった手術着に身をまとった褐色の顔の女が、陸を見下ろしていた。


「わざわざ、タイまで、来なくて、も、日本、でも、できた、ん、じゃ、ないです、か?」


 女は独特のイントネーションで、どうにかこうにか日本語を操る。


「覚悟を決めたかったんです。男として、最後の覚悟を」

「覚悟、ですか。日本、男児、万歳! って、ことに、なりま、す?」

「ハハ、そうですね。それより、先生はまだですか?」

「ここにいます」


 手術台の下から発せられた流暢な日本語。次の瞬間には、シーツをまくり上げて赤ジャージ姿の金髪ボブカットの少女が出てきた。

 絶句している陸に、少女の緑色の虹彩の目がしばたたいた。


「じゃ、始めますね。最後に何か言い残しておきたい言葉はありますか?」


 てきぱきと手袋をはめて、陸を見ることもなく、メスやガーゼの位置を確認しながら質問する少女。


「え……あ、今までの生涯に悔いなし!」


 気後れしていた陸だったが、最後は意志の強さを表すかのごとく、はっきり言い切った。

 照明が落ちて暗闇が再来する。しかし、今回は今までよりも長く沈黙と闇に包まれている。このまま点かないのでは、と思われたとき、パッとステージ上が照らされた。

 髪の伸びた海が、そわそわしながらうろついていた。何回も携帯を開いたり閉じたりしている。

 そこへ、腰まで伸ばした茶髪の女がやってきた。背中には大きなリュック、片手にはスーツケースを引いて。


「海」


 海の耳に澄んだ声が入ってくる。声のしたほうを振り返れば、見知らぬ女が自分に微笑みかけていた。


「えっと……どちら様で?」


 警戒心を全身から発している海に、女は一冊の手帳を胸ポケットから取り出して渡した。

 海は開いてみて見る。写真と名前を見て驚愕した。


「り、陸くん……? 陸くんなのっ?」


 せわしなく見比べる。


「今はソラって名前だけどね」


 ソラがおもむろに近づき、海の肩を優しくつかむ。顔を近づけ、今度こそは唇と唇が重なった。

 はらり、と海の手から手帳が地面に落ちる。同時に照明も消えた。

 5秒ほどで照明が点灯する。

 ふたりは向かい合ったままの状態だった。

 海が不意に泣き出した。


「あのときはごめんね。私、何も言えなくて……」

「いいんだよ。どっちにしろ行くつもりだったから」


 ソラが海を包むように抱きしめ、頭をなでる。


「ねえ、海。私たちこれで結ばれる?」

「もちろんだよ。私なんかのために、ここまでしてくれるなんて……」

「そう、よかった。男を捨てた甲斐があったよ」

「本当、ごめんね……」

「いいのよ。それより、改めて訊くね」

「うん」

「私のことを愛してくれませんか?」

「喜んで。……ソラと一緒ならどこでもいい」


 海はソラの目を見て、満面の笑みを浮かべる。

 照明が非常にゆっくり落とされていく。

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