06 彩乃の過去

 豪篤は自室に入り、ふとんの中にもぐった。


(優美、おまえのことを思い出せなくてすまなかった)


 目をつむって優美の姿を思い浮かべ、心の中で頭を下げる。

 

 ――……いいのよ。アンタにとって、幼少期に優美という人物を演じていたことは、今では黒歴史と断言しても過言じゃないから。

(黒歴史、か……)


 今でこそメイド喫茶で働いていて、その認識は薄れつつある。が、メイド喫茶で働く前――渚と付き合っていたころまでは黒歴史だった。

 擬似兄妹ごっこは、豪篤が物心つく前から始められた。しかし、中学校に上がる前に思春期に入った豪篤が猛反発。以後、一度も行われることはなかった。

 中学校に入ってから豪篤は、ごっこ遊びの過去を消そうと努める。男らしい格好や仕草をどんどん取り入れていった。

 一方彩乃は、ごっこ遊びの経験を活かして高校に入ってからは、コスプレする機会を増やしていた。

 地元の高校を卒業してから大学進学のために上京。地元にいたころでもコスプレする機会は多かったが、さらに激増する。男装――ヤンキーやヤクザがメインで中性的な人物も――から主に男向けの流行りのアニメキャラも、積極的にコスプレを行っていた。

 男装をすれば、女性にしては172センチの長身が活かし、女性から絶大な人気を集める。一方、男向けのアニメキャラにコスプレすれば、グラマーな体型が存分に活かされた。こちらも絶大な人気を集めたのだった。

 また、彩乃の人気が出た理由は明確にあった。外見だけではなく中身まで、ひとつひとつのキャラクターになりきれることだ。

 やがて、出版社や芸能事務所から声がかかり、契約を結んだ。このとき、本名の前野彩乃ではなく、舞(まい)京(みやこ)と名乗る。それからはタレントとして、雑誌のモデルやコスプレの写真集やイベントや舞台などを、大学に通いながら精力的にこなしていった。

 このまま芸能界のほうに進むかと思われたが、大学卒業を前にあっさりと引退。コスプレも引退し、一切しなくなった。

 彩乃が一般企業に勤めて2年も経った。引退と同時に4年間で稼いだ金で、マンションの一室を購入。今では、4月から近辺の大学に通う予定の弟・豪篤とふたり暮らしをしている。


(姉貴にとっては白歴史なんだろうか)

 ――……完全な白歴史というものはないわ。

(だよなぁ。タレント活動が忙しくて4年間実家に帰らなかったしな。親父やお袋も忙しくて会いに行けなかったし。嫌なこともたくさんあったんだろう)

 ――そうね。だから、コスプレをしなくなったのもきっと、いろいろなことがあったのよ。

(でも、今日はしてた)

 ――店に来て、昔を思い出したんじゃない。

(かたくなにコスプレをしなかった姉貴が? たったそれだけの理由で?)

 ――ありえる話よ。何がきっかけになるかわからないわ。

(そういうもんか)

 ――そういうもんよ。


 言って、優美はふふふと笑う。機嫌がよさそうだと判断した豪篤は、疑問を口にした。


(さっき、バカ兄貴って言ってたけど……おまえは豪のことが嫌いなのか?)

 ――……アンタね、ちっちゃいころにされたことを思い返してみなさいよ。

(だいたいは稽古と言って殴られたり、罵声を浴びせられたりしたっけ。それでも俺は、兄貴から男らしさを学んだ。間違ったこともあったけどな。で、おまえはどうだったんだ?)

 ――私? 私は……。


 言葉に詰まる優美を、豪篤は黙って待った。少し経って、優美からうなるような声が漏れてくる。


 ――うっさいわね! もう寝るっ。

(受け止め方の違いか……)

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